第17話 図上演習
連合艦隊旗艦、戦艦「大和」の艦上から眺める旭日は美しかった。
5月1日、海軍首脳部の人々は最大幅38.9メートルもある甲板に歩を進め、続々と艦内に集まってきた。晴れわたった瀬戸内の海を眺めて、数か月ぶりの故郷を噛みしめた将校もいた。磨き上げられた「大和」の巨砲、46センチ主砲に見惚れた士官もいた。
そうした人々の中に山口多聞の姿もあった。
冷暖房完備の艦内に集まったのは、陸軍関係者を含め100名をこえていた。陸軍の将兵はもちろん海軍関係者でさえ、その豪奢な艦内設備を目の当りにして必勝の信念を抱いた者も多かったのである。
しかしその日から4日間にわたって行われたミッドウェイ作戦の図上演習は、「大和」の鋼の冷厳さをもってすら太刀打ちできないほど傍若無人だった。
はじめに作戦説明に立った山本長官が発した、
「この作戦に不服のある艦長は即時即刻辞表を提出せよ」
など序の口だった。
作戦は単純であればあるほど良いというのは、軍事の常識である。だがミッドウェイ作戦は根本においてその単純さを顧慮していない部分があった。
ミッドウェイ島とアリューシャン列島を同時に攻略をしようという点に疑問の余地はないのか。いかなそれが陽動作戦であって敵空母誘引の意味をもっていても、戦力の分散になってはいまいか。引っ張り出した敵空母群を叩くには、わが方は空母を集中配備すべきではないのか。
ミッドウェイ島を占領するのを優先すべきか、あるいは迎撃に現れるかもしれない敵空母勢力を優先すべきか。二兎を追うものは一兎をも得ずに陥りかねないのではあるまいか。
だがこうしたことを指摘する者はいなかったのである。
「したがって本作戦の主目標は、ミッドウェイ島の航空戦力の殲滅を第一義とする」
白の第二種軍装に金モールでできた参謀肩章を見せつけるように、第一機動部隊参謀長の草鹿龍之介がいうと、上陸隊を支援する手筈になっている第2艦隊――攻略部隊――参謀長の白石萬隆が自信満々な顔で同意してみせた。
山口はやりとりを耳にして虚しさを覚えた。
攻略部隊という立場を考えればミッドウェイ島の敵航空兵力こそ恐怖であろう。白石が賛同するのは無理からぬこと。しかし彼らは主目標を違えており、それに気づいてさえいない。――動かぬ島から発進してくる航空機と、自由自在に機動する空母から攻めよせてくる航空機のどちらが脅威なのかもわからなくなっている。
これまでは様々な作戦で、少しでも不備があると思えば猛烈に抗議してきた山口であったが、さすがに驕慢もここまでくると口を挟む気にさえならなかったのである。
何より人々を驚かせたのは、突如現れた敵空母群にわが方の第一機動部隊が攻撃をうけるという場面が発生したおりだった。
奥宮参謀が命中判定のために賽子を振る乾いた音がした。
「只今の判定、命中9とする。被害判定、赤城、加賀、沈没とする」
そのとき凛とした声があがった。
「いまの命中弾は3分の1の3発とする」
連合艦隊参謀長、宇垣纏の強弁であった。
しんと静まりかえった部屋で評定表を見ながら、
「只今の判定、命中3発とする。被害判定、加賀、沈没とする」
という応答がつづいた。
だがこれも5月25日に行われた第2回図上演習において覆される。沈没したはずの「加賀」が復活してフィジー、サモア、ニューカレドニア作戦に勇躍参加するのである。しかもこの第2回図上演習は、ミッドウェイ作戦に完全勝利したと仮定して行われたのだから、山口など良識ある人たちからすれば、開いた口が塞がらなかったのではなかろうか。
もはや誰もが腹の底ではわかっていた。悲憤慷慨して反撥しようが抗議しようが意見してみようが無駄であると。
山口は思いだしていた。インド洋作戦において、部下を亡くし泣いて訴えた艦爆隊隊長、江草の叫びを。
「司令官、我々はいつ米国機動部隊に攻撃をかけるんですか。我々の敵は米国です。英国や豪州と小競り合いをやったところで、何になるんですか! 大局を見誤っているのではないですか……」
そうして彼はまた、4人の子どもたちを一手に引きうけている後妻の孝子に送った手紙に綴ったわが言葉、
「平野国臣の心事がつくづく分かる気持ちがします」
を思いだすのだった。
平野国臣とは、西郷隆盛と志を同じにして尊王攘夷を掲げて討幕に奔走するなか投獄され、禁門の変でおきた火災による脱獄を怖れた京都所司代の手によって、斬処された福岡藩士の武士である。
「わが胸の燃ゆる思いにくらぶれば、煙はうすし桜島山」とは、国臣が残した歌である。
敵はアメリカではなく、連合艦隊司令部や軍令部ではあるまいか。山口の胸に沸騰していたのはそうした憤りだったのかもしれない。
それでも日本軍首脳部のほとんどは、5月18日に寄せられた偵察情報を信じこみ、6月1日にハワイから発信され傍受した多数の緊急電も顧みず「敵空母群はソロモン諸島の遥か東方にあり!」と信じて疑わなかったのである。
根拠なき自信ほど恐ろしいものはない。それはやがて敵を侮る驕慢へと成り上がったのである。




