第14話 ミッドウェイ島
ミッドウェイ島はアメリカ合衆国のサンディエゴから東へ2300海里(約4300km)にあるハワイ諸島のホノルルから、さらに東へ1300海里(約2400km)のところにある。サンド島とイースタン島を中心にした環礁に囲まれた群島である。
環礁の直径は約7.5キロあり、二つの島はその南側に位置し、西にサンド島、東にイースタン島がある。面積は両島あわせて約6.2平方キロメートル。瀬戸内海の安芸灘に浮かぶ柱島のほぼ二倍といっていい。環礁の広さはちょうど柱島泊地と同じくらいで、わが連合艦隊の一大拠点根拠地と似たところがあり、喫水の深い船が通れるのは北西方の海域だけになっている。
見た目にもほとんど起伏のない島はエメラルドグリーンの珊瑚に囲まれ、見上げればアホウドリやアジサシが群れ飛んでいる長閑さしかない。
1867年8月28日、米海軍W・レイノルズ大佐が訪れたことによって、合衆国領土と宣言される。アメリカ大陸とユーラシア大陸の中間にあったためミッドウェイ島と改称され、その地理的条件からハワイの前哨基地に適当という評価をうけていた。
こうして1934年から基地建設がはじまり、四本の滑走路の造成が進められた。太平洋戦争開戦後も急ピッチで作業が行われ、完成をみたのは1941年(昭和16年)8月18日のことだった。
開戦劈頭、第一機動部隊の別動隊として駆逐艦「潮」「漣」がこの島に艦砲射撃をくわえたころの勢力は、海兵隊784名、火砲18門、機銃60挺、飛行艇12機だった。だがいま日本軍のミッドウェイ作戦の全貌を知った米軍は防備を厳重にしつつあった。
山口がことの詳細を知ったなら腸を煮えくりかえしたかもしれない。
真珠湾作戦の帰途「飛龍」を含む第一機動部隊は、この島への空襲を命令されていた。だが南雲司令長官は悪天候と燃料補給の不慮を理由に素通りしようとした。
作戦計画は連合艦隊からの至上命令であると受け取っていた山口は、何度も信号で意見を具申したが黙殺され、
「ミッドウェイを叩いておけば、あとで楽になるんだ。飛行機を出せ! 俺が赤城に行って直談判してくる」
と激怒したのだ。
果せるかな悪天候はつづき発艦叶わず、南雲の方針が既成事実となってしまった。
本土帰還後、山本に会った山口は、
「いずれもう一度、真珠湾をやらねばならないと考えます」
と堂々、南雲の及び腰を評したのである。
だがいまやミッドウェイの防備は固められたのだ。
航空勢力――飛行艇31機、戦闘機27機、雷撃機6機、爆撃機37機 陸軍爆撃機21機、計122機と、陸海勢力――海兵隊を含む二個大隊(約3000名)、1個魚雷艇戦隊(8隻)によって。
そして「エンタープライズ」「ホーネット」を基幹とする第16任務部隊は5月28日に、突貫修理を終えた「ヨークタウン」基幹の第17任務部隊は30日に、ハワイを出撃したのである。
日本軍機動部隊を待ち伏せて奇襲殲滅するために。ミッドウェイ島の北東200海里(約370km)の地点――“ラッキーポイント”――にむけて。