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ミッドウェイ海戦  作者: イプシロン
第2章 情報戦
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第12話 破られた東方哨戒線

 米空母「ホーネット」基幹の第18任務部隊は護衛の巡洋艦と駆逐艦を従えて、太平洋の波を掻きわけて海上を突っ走っていた。

 「ホーネット」の飛行甲板には“ミッチェル”の愛称をもつ16機の陸軍爆撃機B-25の姿があった。全幅20メートルを超えるB-25は、エレベーターをつかって空母の格納庫に下ろすことはできない。それゆえに甲板に繋止されていた。

 オリーブドラブに塗られ機体の先端からは12.7ミリ機銃の黒々とした銃身が突き出している。両翼付根から少し離れたところにエンジンが1機ずつ装着され、後部胴体上面には2挺の12.7ミリ機銃を装備した回転銃座が突きだしている。尾部にある機銃は空母からの発艦を考慮して取りはずされ木の棒がダミーとして取りつけられている。

 低空爆撃に必要のないノルデン爆撃照準器も取りはずされ、軽量化に一役買っていた。もっともこれには別の理由もあったのであろう。当時最高機密であり、写真撮影さえ許可されていなかった代物であるのだから。万が一日本本土に不時着したさい、敵手にわたることを怖れての配慮でもあったのだろう。

 第18任務部隊はこの16機のB-25で日本本土、帝都東京をはじめとする都市を爆撃しようというのである。発進予定海域は日本の沿岸から350海里圏内(約650km)であった。

 第18任務部隊と並ぶように海上を走っている空母「エンタープライズ」基幹の第16任務部隊は彼らの護衛のために馳せ参じている。

 昭和16年4月18日、早朝。日本沿岸まであと720海里という地点で、「エンタープライズ」のレーダーに二つの輝点が映るや、「エンタープライズ」はすぐに哨戒のためにSBDドーントレスを発艦させた。

 6時44分「エンタープライズ」は哨戒機から、

「日本の哨戒艇らしきもの発見」との知らせをうけ、軽巡洋艦「ナッシュビル」を先行させつつ、掃海艇を撃沈するためにF4F戦闘機を発艦させた。

 発見された日本の哨戒艇は徴用された漁船であり、特設監視艇となった「第二十三日東丸」だった。

 漁船といっても半数は軍人、半数は漁師がそのまま軍属となって乗り組んでいたのだから、高速で突っ込んでくる巡洋艦や戦闘機、そしてその後方を驀進してくる空母を見逃すことはなかった。

 午前6時30分ごろから、

「敵空母らしきもの3隻見ゆ」

 と発信をはじめた。

 F4F戦闘機が機銃掃射をはじめても、機銃で応戦しながらまだ発信を続けている。

 それッ! とばかりに「ナッシュビル」が6インチ砲を撃ちまくるが目標が小さいからなのか、なかなか命中しない。「第二十三日東丸」の周囲には水柱が立ちつづけているが、船足が落ちる気配すらない。

「敵空母らしきもの2隻、駆逐艦3隻見ゆ」

 なんとしても発信を止めさせなければならない。

 7時23分、黒煙をあげはじめた監視艇は「ナッシュビル」の砲撃でようやく海底に葬り去られたのである。「第二十三日東丸」の乗員は全員戦死だった。

 こうなると日本軍航空隊の反撃や、付近に他の哨戒艇がいるであろうことは必至である。発進予定距離の倍はある海域だったが躊躇している時ではないと第18任務部隊は判断した。

 すぐさま「ホーネット」は30ノットに増速して艦首を風上に立てて合成風をつくりだした。

 甲板上を時速60キロを超える暴風が吹き抜けてゆくなか、B-25はエンジンを始動させ艦尾ぎりぎりから滑走を開始する。軽快にというよりは飛行甲板の先端でなんとか浮き上がったあと沈みこむといった発艦がつづく。2番機、3番機とつづいて発艦し、16機すべてを発進させおえると、すでに付近の哨戒艇の一掃をはじめていた「エンタープライズ」に倣って艦載機を発艦させはじた。

 午前中いっぱいで哨戒艇の掃討を終えた第18任務部隊と第16任務部隊は、艦載機を収容すると遁走を開始したのである。

 一方「ホーネット」を飛び立ったB-25は低空で本土上空に侵入し、1機を除いて爆弾の投下に成功し、日本列島を飛び越えて中国大陸を目指したのである。

 惨禍を蒙ったのは東京、神奈川、愛知、三重、兵庫であり、死者87名、重軽傷者466名、家屋の被害262戸であった。

 もちろんわが方ももてる戦闘機を発進させて迎撃したのだが、「高高度襲来」という誤った情報によりB-25に接触できた機は少なかった。また接触できてもB-25の高速についていくことができず、取り逃がしたことが多かったのだ。無理もなかったのである。いまだレーダーもなく本土防空隊は旧式の九六式艦上戦闘機――零戦の1世代前の戦闘機――が主力であり、九九艦爆、九七艦攻といった鈍足の雷爆撃機で迎撃したのだから。

 このとき日本の空母群も即時出港して敵空母の迎撃に突進したのだが、「ホーネット」と「エンタープライズ」はあまりにも遠かったのだ。

 確かに冒険を思わせるような作戦ではあったが、日本側の体たらくは如何ともしがたかったのだ。

 連合艦隊司令長官、山本五十六をミッドウェイ作戦に駆り立てたのは、この4月18日のドゥーリットル空襲であったといわれる由縁である。

「帝都の空襲で恐れ多くも宸襟しんきんを悩ませ給うた」

 とは山本五十六の弁である。

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