第1話 出撃
南は屋代島、西は浮島、北は瑞島に守られた柱島近海。
瀬戸内海の安芸灘にうかぶ群島に囲まれたその海域は、かつて帝国海軍の一大根拠地であった。そこは柱島泊地と呼ばれていた。
時を巻きもどすこと七十星霜。
東西、南北ともにおおよそ7キロ、すなわち約50平方キロメートルの霧の立った海上には舳を揃えて居並ぶ、鼠塗りの甲冑をまとった艨艟たちの姿があった。
昭和17年初夏、5月27日。明けに染まりはじめた金の漣が美しい朝である。
いま、南雲忠一中将を司令長官とする第一機動部隊は泊地にまどろむ凪いだ海を泡立て、太平洋へと驀進しようとしている。唯一東に開いた海へと進路をとって。
速力16ノット(時速約30km)で流れてゆく瀬戸内の景観が美しい。昼前の太陽にようやく掃われていった霧は、これからはじまる大作戦の前途を明るく照らしているようだった。
海面から高い位置にある空母「飛龍」の飛行甲板からは、艦首が白々とした波を蹴立てるさまは望見できない。それでも朧からくっきりと、くっきりから朧へとかえってゆく島々の新緑や段々畑が望見できた。福良島を左に仰ぎながら軍艦は征く。
まるで戦争をしていると思えない長閑で明媚な風景に眺めいっていると、「飛龍」が左に傾いてゆくのがわかった。どうやら右へと舵を切ったらしい。
韋駄天とした海風になぶられるがまま眺めていると、眼前に左右から峨峨として島が迫ってきた。軍艦にとっての難所といわれる水道――中島と怒和島に挟まれたクダコ水道――のお出ましである。
我のまえに軍艦あり、我のあとにも軍艦あり、その開距離は1,000メートル。第一機動部隊は一本棒になって難所のクダコ水道を次々と抜けて征く。
ゆく手を阻む二神島を避けると、こんどは片島をかわすために「飛龍」はひょいっとばかりに軽快に左へと身をくねらせる。さらば安芸灘、ようこそ伊予灘といった風情だ。
この日、昭和17年は5月27日、大日本帝国海軍の第一機動部隊はこうして故郷を発っていったのである。