7.パパ様のピンチなのよ
「……」
一見してただの女の子だったが、睦の動きを見事に止めるのに成功する。
どうやら地元の中学生のセーラー服を着ているから、地元の女の子なのだろう。真っ黒で流れるような髪は方を超えて背中まで伸び、眠たそうな瞼、可愛らしい小顔にだらんと伸びきった両腕。背丈はそこまで高くなさそうだ。
それだけならまだ睦の足をそこまで見事に止めることはなかっただろう。――あまりにも特徴のある、それこそ身長を測るとき非常に困る物体が頭の上に乗っていなければ。
(……耳、だと……ッ?)
どう見てもネコミミです本当にありがとうございました、というフレーズが頭の中に浮かんでは消え、睦は顔中からさっきとはまた違う妙な汗が溢れだした。
(本物……? ほんも、いや、ほ、や、ホヤ貝……なんだよホヤ貝って……そういや食べたことないなアレ……どういう味なんだろう……)
「ねぇ、あんた」
余計なことを考えていたところ、いきなり少女が話しかけてきたので思いっきりビクッとする。
「ねぇ、ここにパパ様はいなかった?」
「ぱ、ぱぱ……? ばーばぱぱ……?」
「はい? 違うよ。猫のパパ様。こう、ちょっとふとっちょの猫のパパ様よ。ん~」
つぃっと近寄ってきて睦の胸元に小さな鼻を寄せる。すんすんと匂いを嗅ぐ仕草に、睦は胸の鼓動が早くなるのを感じていた。
(待て待て! どう見ても中学生だから! 何興奮してんだ俺は!)
「匂い、するんだけど」
鼻を寄せたまま、上目遣いに呟いてくる。ピクピクと彼女の頭についている猫の耳が動いた。――動いたッ?
「ねぇ、パパ様知らないの?」
「ぱ、パパ様って」
まさか――という思いを飲み込んだ。
彼女は、その耳が、本物だとするならば。
そ、っとその耳に触れる。
「ひゃぅんっ!」
睦の胸を思いっきり押して少女は数メートルの距離を取った。
「な、ななななにするのよ! な、なんで耳触れるの!」
顔を真っ赤にして少女は叫んでいる。何かこう唐突に悪いことをしたような気分になるが、一方で妙に興奮する自分がいて、とても悩ましい睦が妙な笑顔で立っていた。
手に残る耳の柔らかい毛の感触と、ほのかな暖かさ。ぬいぐるみの暖かみとは一線を画す生身の温みは、まさに猫を抱いたそのもの。
「耳……本物……本物のネコミミ少女……まさかあのメタボ猫の娘だってのか、あんた……?」
わなわなと両手を震わせながら、目の前の現実を改めて確認する。あの猫からこんな可愛い少女が自然発生していいのか、その世の中の不条理とは、なんと恐ろしいのか。あるいはあのメタボも猫の世界から見ればハンサムなのだろうか。そういえば昔の人はふくよかなほうがモテたというが、猫の時代はまさに今ふくよかブームだというのか。
睦があらゆる可能性を巡らせていると、ネコミミ少女が自分の両耳を両手で押さえながら叫ぶ。
「わ、わたしは最初の最初からネコマタなのよ!」
「そうか、最初の最初からネコマタか……うわぁ意味わかんねぇ……」
リヒャも自分がネコマタだと言っていたから、ここまでくれば間違いないだろう。問題はどうして人間の姿を取っているかだが。
「解ったぞ。これは関わっちゃいけないフラグなんだ」
そういって回避できた話を見たことも聞いたこともないが、胸に堅い決意をする。ここで関わってしまった場合、未茅のみならずより厄介な女の子が自分に付きまとうことになるのだ。たとえ美少女だとしても関わったらなんかこう不思議空間に迷い込んでしまうんだ。――既に片足突っ込んでいる気がしないでもない睦だったが。
「よーしコンビニ行って少年ジャサマを買って来よう」
「待つのよ」
しかし現実が両腕を広げて立ち塞がった。
その横をするりと抜けて先を急ぐ。割と早足で。しかし襟首をがっしと掴み取られてしまった。
「パパ様の居場所を吐いて。隠す理由がわからない」
「……ああもう、しゃーねぇなぁ」
あんまり逃げられる立場ではないようだ。目の前の少女の要求を避けて通れないならば、現実から逃げるわけにもいかない。この子の耳は本物で、パパ様っていうのはあのリヒャのことだ。そうならばリヒャの「娘が現れた」という言葉も一応は辻褄が合う。
「お前のパパ様ってのが猫なら、多分あのメタボ猫のことだろ。なら塀の向こうに消えていったよ」
「塀……」
睦が親指で指した方向に少女は視線を動かす。どうにも表情に乏しいようだが、先程の顔を真っ赤にしたところを見る限り、決して感情がないというわけでもなさそうだった。
「そう、ありがと。でもわたし塀は超えられないのよ」
「へー、でも追い掛けるんだろ。頑張れよ」
「一緒に探して欲しいのよ」
「……ええっと、お断りします」
どうしてあんなメタボ猫を探さないといけないのか、逆に問い返したい気分だった。一緒に居たらどこに飛ばされるかわからない危険な猫なんて、むしろ戻ってこないことを祈る気持ちの方が強い。
「パパ様のピンチなのよ」
「あの猫がピンチなわけないだろ。むしろ飄々としてるよ」
「糖尿が」
「とうにょうッ?」
「いい加減食べ物制限させて痩せさせないと……」
表情こそ変わらないが、瞳の奥では本当に心配していそうだった。軽く手を握って口元に当てて伏し目がちになる少女に、さすがの睦も無視しようという気が起きなくなる。
「なんでそんなにリアルなんだよ……!」
猫が糖尿になるかどうか知らないが、確かにあの恰幅の良さはそれを疑わせる説得力があると納得してしまう。
「だから一緒に探して。パパ様の友人ならすぐに見つけられるでしょ?」
「いや、友人じゃないし。てか今日知り合ったばかりだし」
「ん~」
少女は一言唸ったあと、いきなり駆け出してきて。
ひしっと睦に抱き着いた。
「んなっ?」
「よし、これでわたしとも関係が持てたのよ」
「いやいやいやいや!」
ご近所の奥様方に聞かれたらあらぬ疑惑が矢継ぎ早に駆け抜けて地元を歩けなくなるようなことを平然と抜かす少女を引き離そうにもしっかりくっついているので無理矢理は引き離せず、誰かが来る前に手を打たなければならないと焦る一方で逸る鼓動が聞こえたら嫌だなぁなんて思いから、睦は少女のネコミミを両手でさわさわと撫でる。
「ひゃぅぅん!」
それこそ猫のような俊敏さでもって、少女は離れた。
「なななななにするのよ!」
「お前こそ抱き着くなよ!」
お互いに心臓をバクバクさせながらそう言い合う。
「とにかくだ、そのパパ様の行方とやらは俺でもわからないし、探す気もない。お願いだから俺の知らないところで勝手にやってくれよ」
「……抱いたくせに」
「抱き着いてきただけだろ! そら恐ろしい言い間違いすんなよ! ああもう近寄らないでくれ!」
これ以上関わっていたらいつまで経ってもコンビニに行けない。睦はそこで言葉を切って振り返り、すぐさま足を動かした。少しでも少女から離れようと忙しく両足を交差させる。
「こっちなのね」
なぜか隣を歩く中学生がいた。
無視してとにかく歩く。歩き続ける。すると数分後にはコンビニの立て看板が見えてきたのでさらにスピードを上げる。自動ドアが開き、走りながらも並んで入ってきた男子高校生と女子中学生の二人組みに店員がわずかに遅れて「いらっしゃいませ」と挨拶してきたのにプロ根性を垣間見て、睦はさっそく雑誌欄コーナーへと向かい、目的の週刊少年漫画雑誌を手に取った。
「喉が渇いたのよ」
さりげない要求を無視して雑誌をレジに持って行き金を払って買う間、やはり一緒に並ぼうとする少女に、プロ根性を見せつけた店員もさすがに少し顔が引き攣っていたようだが気にしない。よくもまぁあのネコミミを無視出来るものだと感心する。
コンビニを出て一路自宅へと向かう。
歩幅が違うためにちょくちょく駆けるような仕草をしながらも、なぜか肩を並べたがる。このまま家に来られても困るので、どうしたものかと考えていたところ。
「あれ、あっちゃん」
覚えのある声が名前を呼んでくる。少なくともそういう呼び方をする人物は知り合いの中でも一人しか居ない。