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4.元の場所に戻してやるよ

 大地は植物の緑と赤茶色に染まり空はどれだけ腕を広げても覆い尽くせないほどに広大で蒼く、流れる風は震えるほどに冷たい。辛うじて認識できる範囲にテレビか教科書かで見たことのある有名な形をした大地が二人の混乱を表面化するのを留め、胸の内に渦巻いて言葉を失わせたのだった。

 なぁ、という猫の声が響く。この広大な大地の中、その声は何故か狭っ苦しい印象を覚えて、それが妙にしっくりときた睦はそちらへと振り返る。


「おまっ……いや、ええっと、なんだ、どうすりゃいいんだ、俺」


 ドアを一緒に潜り抜けた猫が草むらの一角で座り込み、後ろ足で耳を掻いていた。迂闊にも「ここへ連れてきたのはお前か?」などと信じられない問いを飛ばすところだった。その問いに答えるように――そのつもりはなかっただろうが、未茅が脇を締めて両手を胸の前で握り合わせる。


「あっちゃん……これは、これはね、どこでもドアだよこれは!」


 国民的人気キャラクターがポケットから出す、これまた有名な道具の名前を叫びながら、未茅は興奮した様子で両手を胸の前で握りあわせた。

「はえ? いや、急に何を……合ってるような気がするけど、最早そういう問題じゃないだろ! いやここどこだよ! 俺達は一体どこに誰で今はどこだッ?」

「オーストラリアでしょ?」


 こともなげに言ってのける少女を前に、睦は頭を抱え込んだ。


「わ、訳が分からない……! なんで俺達は外国にいるんだ……?」

「うむ、バッチシ不法入国ありがとうございましたー!」


 なぜ軍隊の敬礼ポーズを取りながら一体何に対して感謝してるんだ! と未茅にツッコむ気力も無く、睦は自分の置かれている現状を受け入れるのに苦労する。いや、どれだけ睦が頑張ろうとこればかりはどうしても受け入れがたい事態だった。先ほどまで自分達は日本の片田舎のとある一軒家の二階の一室に居たはずだ。だから太平洋を横断して南半球のオーストラリアにいる理由なんてまったく検討もつかない。しかしこの肌を撫でる冷たさは明らかに夏の風とは異質だ。


「あははは、空気がおいしいねー」


 今度は笑顔でくるくると回転を始める幼なじみに、睦はハっとして振り返った。


「わかった、わかったぞみっちゃん。実はパニクってるだろ!」

「そんなことないよー、うふふ」

「俺の知ってるみっちゃんはそんな笑い方しない!」

「うるせぇなぁ」


 突如聞こえてきた男性と思しき声に、二人の動きが止まる。無駄に野太い声は渋みすら覚えた。


「悪戯の礼をしてやろうと思ってこうしてみりゃぁ、ぎゃーぎゃー騒ぎやがって。しゃーねぇな、ちょっとこっちに来いや、元の場所に戻してやるよ」

「なにやつッ?」


 咄嗟にカポエイラの構えをとった未茅が周囲を見回す。いきなり聞こえてきた日本語に驚いた睦も一面に広がる広野を三百六十度確認するが、自分と未茅以外の人間はここにいなかった。


「ちょっ……まて、誰の声だ?」


 こんなどう見ても異国の地で突然聞こえてきた流暢な日本語に驚くのもつかの間、声の主がすぐに返事をしてきた。


「俺の声だっつーんだよ。タコ」

「タコッ?」


 人生十六年の間に言われそうで言われたことのない、何か酷い悪口を耳にしてしまった睦は両手で頭をかき回す。とりあえずどこも禿げてないし少なくともタコに似ていない、と自分ではそう思っているが、実は見えない部分が禿なのか。禿げてしまったのか! そういえば父がさりげなく禿げているから、その遺伝子が覚醒してしまう前兆か!

 荒涼とした風が二人をさらりと撫でていく。南半球の寒さが肌に染み込む。しかし声の主は馬鹿にしてるかのごとく、姿を見せることはない。


「人間の視点の高さじゃー、俺は捕まえられねぇぞ」

「視点の高さ?」


 何のことかと下を見下ろしてみると。


「まさか……」


 おそらくは二人して理解し、二人してすぐには受け入れられなかったことだろう。


「おう、やっと見つけたか。このボーヤ達は」


 どういう身体の作りをしているのか、それとも元々出来るのか、太り気味のその猫は横に寝っ転がりながら肘をついて頭を支えていた。まるで人間のそれと同じである。


「ったくよぉ、教育がなっちゃねーなぁ、最近の若者は」


 そして猫に説教を喰らった。


「わはあああ! あっちゃんあっちゃんあっちゃん!」睦の襟を掴んで力一杯揺すりながら未茅が叫ぶ。「ブタ男が喋って、しゃべしゃべしゃべ!」


「ブタ男ッ?」


 未茅の細腕に似合わぬ強力で揺さぶられ半分意識が飛びそうになりながらも、その酷いネーミングに驚いた。


「おいこらねーちゃん! よりにもよって俺をブタ扱いするたぁどういう了見だ! ブタ扱いしたかったらブタ肉用意しな! じゃねぇと承知しねぇぞ!」

「怒るトコロそこなのッ?」

「じゃあカリカリはどうなの?」

「あー、嫌いじゃあねぇが、飽きるなありゃ。たまにゃー缶詰ものが食いたくなるんだよ。わかるだろ?」

「ポテチだけじゃなくてプリンが食べたいってことだね!」

「おう、なんだかわからねーが分かってんじゃねーか!」


 そして未茅と猫が会話を始めた。


「いや! なんかノリで状況を受け入れちゃ駄目だろ!」


 この流れは危険だ。とにかく未茅と猫の間に割って入って会話を止めさせる。


「おう、そういえば元の場所へ戻してやるっつったな」


 耳を掻きながら言われるとなんだかそれだけで不愉快になるが、猫相手に怒って良いのかどうか迷う――そんな複雑な気持ちを顔に出しながら、睦は頷いた。


「そうそう、元に戻してくれよ」

「え、もう戻るの? 折角だからオーストラリア旅行とかしようよ。ねぇあっちゃん」


 腕に抱き着いてきて言うものだから思わず頷いてしまうところだったが、決してそう言うわけにはいかなかった。ここが日本なら誘惑に負けて睦はあっさり首を縦に振ったことだろう。


「い、いやでも、不法入国者だろ、俺達。現地の人に見つかったら通報されて捕まって人生オジャンじゃないか?」

「む、それはおじゃんでございます」


 さすがの未茅も状況を理解したのか、あるいは冷静さを取り戻してきたのか、睦の言葉に納得した様子だった。そもそもここが仮に日本だとしても彼らには旅行するだけの手持ちが全くないから、結局諦めなければならないわけだが。


「話はついたかよ。それじゃー戻るぞ」


 猫がふぃと明後日のほうを向いて、動きを止める。


「どうしたの、ブタ男?」

「ブタ男じゃねぇ。お嬢ちゃん、俺にゃぁな、リヒャルト・ルッペンゲルガーって立派な名前があるんだぜ」

「じゃあリヒャちゃんでいいね」

「リッ……ま、まぁ、ブタ男よりマシか……」


 そこが妥協点でいいんだー、と言いそうになったが、話が進まなさそうなので睦は黙ることにした。


「さて、お前らよぉ。ちぃっとばかし訊きたいんだが」


 猫が振り返り、言葉とは違ってちゃんと猫座りをする。どうやら重大な話があるのかと思い、睦も背筋を伸ばした。この喋る猫という段階で常軌を逸した状況の中、この猫が尋ねてくることとは一体なんだろうか。


「それよりも、これってどういうことかな?」


 ブチ柄猫の言葉を遮って、先に未茅の質問が飛ぶ。


「ん? おお、猫ってぇのはな、そもそも自由な生き物だ。何かに縛られたり従ったりするようなもんじゃねぇ。もちろん俺達猫の中でもある程度の規律はあらぁな。しかし、そいつぁ人間が理解できるもんでもねぇ。ま、猫集会ってのがもっぱら規律の一つだな。地域の猫が集まり、ある程度の情報交換したり、雌猫をナンパしてその後楽しんだり……っと、それは別の話だ。思わず逸れちまうところだったぜ」


 突然語り出したリヒャに、睦と未茅は首を傾げる。


「で、そんな自由気ままな猫なんだが、時々俺みたいな能力を持った猫が現れる。ま、その能力ってぇのが、今経験したもんだ」


 日本の田舎からいきなりオーストラリアまで飛ぶ能力のことだろう。もしこれを自由気ままで片付けられるのならば、猫の気紛れというのはワールドワイドに及ぶ恐ろしいものだが。

 しかしどうやらそこが本題ではなさそうだと睦は猫から目を離さずにいる。


「で、俺は何かをくぐるとどこかに出る。分かるか?」

「くぐる……?」


 睦と未茅が目を合わせる。それに覚えがあるからだ。

 ――猫を追っかけて土管をくぐったらにゅっと出てきた。


「ああーっ!」


 くぐる対象が何でも良いのなら、土管だってそうだろう。


「俺と一緒にくぐった奴は、俺と同じ場所に飛んじまう。お前らが今体験してるのは、つまりそういうことだ」

「な、なんだよそんな滅茶苦茶な……」

「すごーい! 面白いねー。ねぇねぇそれってさ、私にも教えてくれない?」


 猫の異常さに恐れ戦く睦とは別に、究極のポジティブさを発揮している未茅はリヒャの左前足を掴んで持ち上げた。


「教えられるもんじゃねぇよ、こりゃぁ」


 リヒャが真正面から覗き込む未茅から目を逸らす。


(……照れてるのか、こいつは。って、ちょっと待てよ)


 先程、この猫は質問があると言った。

 まだその質問は来ていない。


(質問……って、やっぱりその能力に関することだよな。誰にも話さないで欲しいとか、そういったことか。いや、でも、誰も信じないだろうし)


 もしかして、もっと別のことではないだろうか。


(――何かをくぐる、とか言っていたなぁ)


 睦はふと周囲を見回して、ここが一体どこなのかを確認する。辺り一帯に広がる草原には人一人見えやしないように思われたが。


「……お、おい、リヒャ、ちょっと訊きたいんだけど」

「あん、なんだよにーちゃん。俺とお嬢ちゃんのランデブーを邪魔しないでもらおうか」

「ランデブーって意味知ってるかこの馬鹿猫! ……じゃなくて、お前さ、一体どこをくぐるつもりだったんだ」


 その質問の直後、その猫は周囲を見回し――


「……」


 リヒャが今度こそ確実に目を逸らした。


「おいぃ! それって非常にヤバイじゃんか!」

「え、え、どういうこと?」


 状況についてきていない未茅に、睦は現状を説明する。つまりリヒャが能力を使って元の日本に戻るには、何かをくぐらなければならない。それを可能とするのはドアや土管等の人工物に限られるのではないか、と言ったところでリヒャが「よく分かったな。人工物じゃなくてもくぐりゃいいんだがな」と感心した風に首を縦に振っていた。


「どうすんだよ、これ!」

「まぁまぁあっちゃん、じゃあくぐれるものを見つけるまで獲物を狩って暮らそうよ」

「いやそのポジティブさは多分変な方向で間違ってるよ!」


 とにかく何か人間が作った物はないかどうか目を凝らすが、ここには恐ろしいぐらい何も無かった。こんな有名な場所で観光客の一人も居ないのかとその状況をこそ疑ってしまいたくなるが――

 遠くから、自動車らしきエンジン音が聞こえてくる。

 これぞ天の恵みだと二人は音の方へ駆け出した。その後ろをやれやれと呟いたリヒャがついていく。人間の全力速度ぐらい野良猫ならついていけそうなものだが、リヒャの体重がそれを許さなかった。


「おおーい! 止まってくれぇー!」


 両手を振ってみると、通りの向こうからやってきた一台のSUVが止まる。


「よっしゃ、助かるかもしれないよ。みっちゃん!」

「油断はできないよ。これからハリウッド並の緊迫した銃撃戦が始まるかもしれないじゃない」

「いや……そんな不吉なことを……」


 嫌な予感は確かにしているし、こんな見知らぬ土地、しかも言葉なんか通じないだろう異国の人間相手にどれだけコミュニケーションがとれるだろうかという不安はある。

 しかし、言葉は通じなくていいのだ。

 ドアを開いた瞬間、リヒャを掴んで三人で中へと飛び込めばいいのだから。

 車のドアが開くと、中から日本人らしき男性に自分達と同年代ぐらいの女子が姿を現す。


「……あら」

「え?」


 その女子と目が合った途端、睦の動きが固まった。


「あれ、お前ってクラスメ――」

「今だよあっちゃぁぁぁん!」


 後ろの襟を誰かが掴む感触。その直後に訪れる首への圧力と足のかかとが削れる音に睦は気を失いそうになる。


「う、うわ、なんだ君達は!」


 未茅が強引に車のドアを潜った、と思った次の瞬間。


「戻ったー!」


 オーストラリアへ飛ぶ前の部屋に、戻ってきていた。

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