27.猫ちゃん達はぜんっぜん怖くないよ
声すら出せず女が突撃してくる場面を睦は先程と同じようなスローモーションの世界で、全く動かない身体を呪いながらただ眺めていた。
(殺される!)
覚悟なんて決まらない。まだ死にたくない。しかし女の俊敏な動きと本物の殺意を前に、睦は身体が固まってしまったのだ。
しかし睦の視界の端で何かが鋭く動く。
その女の動きを遙かに超える俊敏さで身を屈めて飛び込んできた未茅が、まずは顎に掌底を喰らわし、そして身体を捻りながら女性の腹を遠慮無く蹴り抜いていた。地面を転がってピクリとも動かない女性に睦は別の恐怖を抱く。
「ふぅ、いきなり怖かったね」
「いやいやみっちゃんのほうが怖ぇよ! なんで刃物持ってる人をぶっ飛ばせるの!」
「だって危険だったから。てゆーか大丈夫? 怪我はない?」
「あ、ああ、うん……って、待ったみっちゃん、なんかおかしい!」
近寄ってきてペタペタと顔を触る未茅の肩を掴んで、くるりと身体を反転させる。
「うわ」
さすがの未茅も声に出してしまっていた。
「なんだ……なにこの猫? 何匹いるんだ?」
気付けば、道路を埋め尽くすほどの猫がそこにいた。種類もまだらで、睦の分かる範囲で言えばほとんどが雑種だった。
「野良猫……か? いやでも、なんだこれ……?」
その猫達は睦の周囲を囲みながら、じわりじわりと躙り寄ってくる。まるで獲物を追い込んだ肉食動物のように。
「……逃げるぞ!」
がっしと未茅の手を掴んで睦は思いきって駆け出した。
「わひゃ!」
いきなりでバランスを崩しかけた未茅だったが、そこは天性の運動神経ですぐさま持ち直し睦に並んで走り出す。
猫が人間を襲う。
猫科の大型な動物ならまだしもそこらにいる野良猫が徒党を組んで人間を襲ってくるなんて事態、考えたこともない。得体の知れない何かが急激に進展しているのだろうか。
(かよみがおかしくなった時と同じ……?)
一瞬そんなことを考える。となると未茅が気絶させた女性はかよみと同じく人間の姿をしたネコマタということになるのだろうか。
後方の猫を振り切った時だった。
前方からもまた猫が沸いて出てくる!
「あっちゃん、この猫ちゃん達可愛がろっか」
「いやそういうレベルじゃないから! 殺意向けられてるから、コレ!」
「ん~、といっても猫ちゃん達が襲ってきても怖くないしね」
「……これだけの数がいたら怖いと思うんだけど」
実際今にも飛び掛かって来そうな空気を滲ませながら猫達は睦達との間合いを計っている。ここでこれだけの数の猫に襲われたら本当に殺されてしまうかもしれなかった。
「だって襲ってきても」
内心からビビっている睦を他所に、未茅は平然と言ってのける。
「とっても『耳が良い』猫ちゃん達はぜんっぜん怖くないよ」
すぅ、と未茅が息を吸い込む姿を見て睦は目を見開きコンマ数秒で耳を塞ぐ動作に移る。一方の猫達は今まさに自分達へ降り掛かる不幸を知らず、急に不審な動きを見せた人間の少女を警戒してか合図も無しに一斉に飛び掛かってきた。
しかし幾ら素早くとも飛び掛かって爪で人間を引っ掻くまでには距離がある。僅かとはいえ時間が掛かる。
――声に比べたら、なんと遅いことだろうか。
その音量は一介の女子高生が出せるそれを遙かに超えていた。だが、間違いなく発しているのは一介の女子高生だった。
耳を塞いでいる睦ですら鼓膜が破けるかと思うほどの声量が、この場にいる猫達を残らず打ち落とす!
「……もう大量破壊兵器だろ、これ……どこぞの秘密結社とかが黙ってない気がする……」
眼前に広がる地獄絵図の凄惨さは、未茅を敵に回すことの怖ろしさを克明に教えてくれていた。
「え、秘密結社ってナサとかかな。宇宙行けちゃうのかな、私? ねぇねぇホント?」
変なところを信じる幼馴染みは無視して、睦は倒れて項垂れている三毛猫を一匹、首を掴んで持ち上げた。
「で、お前らなんなんだ?」
「……に、にゃぁ……」
目を逸らした猫は一言、そう鳴いた。
「いや、猫が気まずくなって目を逸らすとか無いからね……どうせお前も喋れるんだろ。ちゃっちゃと教えてもらおうか」
「へー、あっちゃんってばこの猫が喋るってよく解ったね」
「だって状況的にリヒャに関わりがある連中っぽいからさ」
「へ、なんで?」
「……しまった……」
これ以上、未茅に喋ることはリヒャに止められている。この状況を説明しようとすれば、おそらくリヒャの語っていた未茅によって人間と猫の世界が曖昧になるというところまで話してしまう可能性がある。
どうしたものかと困っていると、掴んでいた猫が「はぁ」と大きく溜息を吐いた。突然のことに驚き思わず落としそうになってしまい、慌てて掴み直した。
「あーもーきちんと掴んでて欲しいニャ」
あからさまな語尾に胡散臭さを覚えつつ、睦は両手で猫を抱え上げる。
「やっぱ喋りやがったぞ、こいつ」
「猫だもんね。喋るよねー」
「みっちゃん、ホントにそれ意味が分からないし」
抱えた猫は欠伸をしてから前足で顔を掻く。
「まったく、そっちの人間の小娘を抹殺しようとしたのに、とんでもない子だニャ、あんたは」
「ま、抹殺だって!」
聞き慣れない単語はここ数日でよく耳にしたが、こんどはその上で物騒さが付きまとっていた。
「本来ならこうして会話することもままならないっつーのに、まったくしょうがないニャ。……で、どうしろってんだニャ? 煮て焼いて喰うつもりかニャ?」
「ンなことするか。ぶっちゃけて訊くぞ、お前等が襲ってこないようにする解決方法はあるのか?」
「その子が死ねば万事解決」
「論外。他の手は無いのか?」
「知らないニャ。一番に思いついたのがそれだし、他の方法なんて考えたことも、ましてや聞いたことも無いニャ」
「……そうかい」
ぽいっとその猫を投げる。喋るとはいえ腐っても猫科、空中で回転し華麗に着地した。
「酷いニャ! 絶対に許さないニャ!」
「みっちゃん、とにかく行こう」
「え、でもあの子騒いでるけど? 黙らせていい?」
「……黙らせなくていいから」
一体何をもって黙らせる気だったのかは問わないでおこうと決めた睦だった。
未茅の手を引いてこの場を離れる。いくら未茅の大声量で気絶させることが出来るとはいえ、彼女の喉にかかる負担を考えたらそうそう発生させたくはない。今はとにかく猫達を振り切って安全な場所に身を隠そう、そう決める。
しかしよく見れば町中至る所に猫の目がある。これら全てから逃れることなど到底不可能に近かった。
「くっそ……!」
一旦家に戻ろうかと何度も思ったのだが、それはそれで祖母を余計な危険に巻き込む畏れがあった。それにあの家には多くの野良猫が集まっていて、その猫達が牙を剥かないとも限らない。
とにかく身を潜める場所を探すしかない。
ふと浮かんだのは公園だった。
いかにも猫がいそうな場所だったが、いざ公園に来てみると猫らしき姿はどこにもない。
「みっちゃん、あの土管の中へ!」
「鬼ごっこからかくれんぼへレベルアップをしたのでした」
「いやしてないから」
まさか土管を潜ったら変な所に飛んでしまうんじゃないかと危惧したのだが、ここにリヒャがいない以上、それは起こり得ない現象だということを思い出す。
――何も起こらない。
「だから大丈夫、みっちゃん、ここに隠れよう」
「うーん、どうせなら全部相手にしちゃったほうが手っ取り早くない?」
文句を言いながらも土管の中に二人が隠れ――
急激に、ぐにゃりと景色が歪んだ。まるで壊れたモニターの中に叩き込まれたかのような不安定さ、そして気持ち悪さで言葉を失う。
――何かが、起きた。




