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26.わかったよ。じゃあずっと一緒にいる

 甘えて育ったせいか、ロッキーはかなりの甘えん坊だった。


「あいよ……」


 動かなくなった大型犬を引っ張ってくるのは相当に骨が折れた。地面を引き摺るように公園へ戻る途中の道で及川と会い、手綱を飼い主に戻す。


「あ、ありがとう。こらロッキー、勝手に行っちゃ駄目でしょ」


 くぅーんと鳴く飼い犬に「めっ」と及川は叱りつけた。


「それでさ、あの、及川……さっきのことなんだけど」

「あ、うん……大丈夫、もう何も訊かないよ」

「え、ああ、いいのか?」

「だってすごく困ってたし、はっきり断ってくれたから。逆になんだかスッキリしちゃった。ごめんね、しつこかったみたいで」

「い、いやいいんだ。仕方ないってことで」


 思っていた以上に話の通じるクラスメイトだったようだ。そう言われた睦はほっと胸をなで下ろす。これから色々と調べなければならないというのに、これ以上余計な荷物を抱え込みたくはない。

 本当は全てを話したい気持ちもあるのだが、それを堪えて睦は「それじゃ」と挨拶をしてその場を去ろうとしたところだった。


「――っつぁちゃぁぁぁぁん!」

「へ?」


 その凄まじい肺活量から吐き出されたであろう大声量が鼓膜を貫き、瞬間的に世界の全てがスローモーションで流れていく。もどかしいぐらいゆっくりと振り向きながら、しかしスローモーションなど意にも介さない速度で駆け抜けてくる幼馴染みの少女が顔の前で腕を交差させ、名人が射貫く矢の如く真っ直ぐに睦へ突っ込んできた。


「おぶぉぅっ!」


 慣れというのは恐ろしく、インパクトの瞬間に腹筋へ力を込めたのだが、それでも少女が生み出した威力を些かも殺すことはできずに地面を数メートル転がっていった後に電柱へ頭をぶつけてようやく止まる。


「東條くーん!」


 突如として訪れたあまりの凄惨な光景に、及川は思わずその名前を叫んでいた。


「やっぱあっちゃんだけずるい!」


 頭を揺さぶられて意識がもうろうとしている睦に馬乗りになった未茅は、その胸ぐらを両手で遠慮無しに掴み上げる。


「一人じゃ暇だから私もついてく!」

「い、や、ま、待て……待ってみっちゃん……! なんか俺死んじゃう気がするんだ……! 揺さぶらなっ、うお、気持ち悪っ……!」

「あっちゃんが何考えてるかサッパリわかんなかったけどもう逃がさないからね」

「い、イヤその前に俺が死んじゃうっ……うげっ……!」


 睦が白目を剥いたところでようやく未茅が手を放す。ごん、と地面に頭がぶつかって吹っ飛びかけていた意識が急激に戻ると同時、後頭部の痛みにもんどり打つ。


「死んじゃうよ、東條君死んじゃうよ!」

「あれ? 昨日の人だ。こんにちはー」


 その手元で痛みに悶えている幼馴染みはさておき、未茅はすっかり気をよくして及川に手を振った。一連の流れから素直にあいさつを返せなかった及川だが、急に尻尾を振って元気になったロッキーが視界にでも入ったのか、かろうじて「こ、こんにち……は」と小さな声で返していた。


「お、でっかい犬ー! よしよし、ほらチンチン!」


 しかしそれでも今のロッキーは暑さの所為で未茅の命令に従うまでの気力が無いようだ。はしゃぐ未茅とそれを聞き流すロッキーは端から見るとどっちが人間らしいか分からなくなってくる。痛む頭を抱えながら睦は幼馴染みの無邪気っぷりにも別の頭痛を覚えていた。


「あっちゃんの面倒見てくれてありがとね」

「はい?」

「あっちゃんってば勝手なことしたでしょ。迷惑かけなかった? 平気? 変なことされてない?」


 ――人を変態みたいに扱うんじゃねぇ……!

 喉の奥から絞り出すように言うが、どうやら声は二人の少女に届かなかったようだ。


「で、でも東條くん、そんなに悪い人じゃ」

「男は羊の皮を被っているんだよ。そんな世間知らずの目で街を歩いていたら大変だよ。お金取られちゃうよ?」

「え、お金取られるんですか? 百万ぐらい?」

「うーん、いい線いってるねー」

「いや、そんな大金なんて持ち歩くわけないだろ……てか、百万円とか発想が小学生なんだけど……」


 そろそろ痛みが和らいできたので睦はなんとか立ち上がる。暑さとは別の嫌な汗をまたも掻いてしまったが、まさかこんな唐突に現れた未茅によってとは思いも寄らなかった。


(いや……考えてみれば昔からそーだった)


 とにかく思いつきで行動を起こす。その先の事は起こった時に考える。今しか見えていない猪突猛進娘が未茅という少女だった。


「むお、生きておったか」

「え、殺す気だったの……?」


 だとしたら先程の突撃も納得がいくというものだ。


「うん? そんなつもりないよ。昔っから慣れてるでしょ?」


 小さい頃は突撃されてもまだかわいげがあったが、成長した今となってはもはや兵器と変わらず、実際直前で死ぬかもしれないと半分覚悟を決めていたほどだ。よくもまぁたんこぶ一つで済んだと睦は自分の身体の頑強さに今日ほどありがたいと思った日は存在しなかった。


「そ、それじゃあそろそろ帰るね。ロッキーも限界みたいだし」


 そちらに目を向ければ、確かにロッキーの顔にはどことなく暑さと疲労が溜まった色が見え隠れしていた。あんな体毛に包まれた身体でかよみを追い掛け回したりしたのだから、いくら大型犬といえどへばってしまうのだろう。


「うん、またお茶しましょー!」

「え、うん、はい」


 ぺこりと頭を下げて及川はよろよろ歩くロッキーと一緒に帰って行く。


「……で、なんで来たんだよみっちゃん」

「だって暇だったんだもん」

「……だよなぁ」


 未茅にとって暇だから来たというのは、十分行動するに足理由だ。もちろん普通は暇だから何かをしようと思うのだろうが、彼女の場合は一度行動したら止まらなくなるという悪癖が問題だった。


「俺が何をしてるか、知ってるの?」

「知らないよ。だから教えて」

「教えないって言っただろ?」

「私が教えて欲しいから、絶対に一歩も引かないよ?」

「わかったよ。じゃあ喋らない」

「わかったよ。じゃあずっと一緒にいる」


 不意に、未茅は睦の手を掴んだ。


「喋るまで離さない」

「えっ……いや、ええ、えええ!」


 慣れている筈の未茅の顔が急に近付いてきた。手の温かさと、汗に濡れた前髪が鼻先に触れて心臓が一度大きく跳ね上がる。


「離さないからね」

「そ――えっ? みっちゃん!」


 しかし睦は、そんな未茅をもう片方の手で強く押す。その勢いで未茅は睦の手を離してしまった。


「あっ……」


 悲しそうな未茅の顔に睦はすぐさま後悔したが、それよりも二人の間を駆け抜けた影に意識を奪われた。

 三毛猫が二人を睨んでいた。

 全身の毛を逆立たせ、まるで強敵を前にした時のような威嚇行動を取り、あまつさえ猫特有のシャァという乾いた音をその口から吐き出している。


「な、なんだ?」


 猫に恨みを売った覚えはまるでないが、しかしその三毛猫は明らかに二人を――睦に対して威嚇行動を取っている。未茅と手を繋いだままなら自分達だと勘違いしたところだが、今は飛び込んできた猫の所為で二人は離れていた。


「む、この猫ちゃんケンカ売ってるね。いつでも飼うよ!」

「いやいや待った待った、なんか買うの字が違う気がするんだよね! 気のせいかなァッ?」


 ツッコミを入れている最中にその猫が飛び掛かってきた。驚きながらもなんとか前のめりで猫の爪から逃れ、慌てて距離を取る。


「襲ってきたぞ!」

「あっちゃんってば何したの?」

「何もしてない!」


 少なくとも家で大量にいる猫の面倒を見ることはあっても恨みを買う覚えは全くない。


「……あんたが、東條睦かい?」


 猫に動揺していると、道路の先から何かがゆらりと姿を現してきた。近所では見たことのない中年の女性が手に包丁を握っている。長い髪の毛が顔の半分を隠しており、目はまるで猫のように鋭く、口には犬歯が見え隠れしていた。


「……えっ?」


 さすがに背筋がぞっとした。


「ちょっと『私達の為に』死んでちょうだいよぉ!」


 包丁を真っ直ぐに突き立てて躊躇無く睦に向かって駆け出してくる。


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