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24.実は瞬間移動が使えるとか、そんな感じで

(に、人間の動きじゃねぇ……! みっちゃんもたいがい凄いけど、そういうレベルじゃない!)


 身軽に着地したかよみが立ち上がると、その口に牙らしきものを見せつけながらジリジリと近寄ってくる。

 かつて庭先でスズメを狙う猫が似たような動きをしていた。物陰に隠れ、ゆっくりと近づき、そして一気に襲いかかる。かよみは今、それと同種のゆるりとしつつも無駄の無い動きで睦との間合いを詰めているのだ。


「目ぇ覚ませ! 何がきっかけでどうしてそうなった! 一時の過ちは生涯の過ちだってとーちゃんが言ってたぞ! つーかあの野郎俺のことを生涯の過ちってどういうことだ!」

「うにゃん……」

「猫から人間に戻ってー!」

「お断りなのよー! もう逃げられないのー!」


 とうとう完全に間合いが詰められたようだ。睦の手の届かないギリギリの位置、しかし決してかよみが逃がすことのない絶妙な距離を保っている。

 だが、その間は一瞬の事。

 彼女は両手の爪を研ぎ澄まし、睦に襲いかかってきた。


「うおぉぉお!」


 世間体を守る為には女子中学生を本気でねじ伏せられるわけもなく、かといってこのまま食い殺されるのはさらに勘弁。悩んでいる間もなくとにかく伸ばしてきた手を掴もうとするが、その手はするりと虚空を掴む。

 目の前にかよみの姿はとうになく、振り向いた左真横には獲物を見上げるように目を細め薄ら嗤う少女がいる。


「くぅっ……!」


 どうやって食い殺されるかわからないが、それでも睦はなんとか抵抗しようと手を伸ばすも、やはり空振り。この至近距離で姿を見失うという恐怖は確実に睦を追い詰め、そうしてやがては――


「捕まえたのよ」


 首筋に、何かが伸びる感触がした。

 首と言えば完全に急所だ。そこを押さえられれば逃げようがない。


「だ、だから、正気に、戻れって……!」


 睦は震えながら懇願するようにそう言うが、返答とばかりに首筋に小さくも冷たい息が吹きかけられる。


「大丈夫なのよ。意識を失わせてから、食べるから」


 ぞわりと全身の毛が逆立つような恐怖が、手と膝を震わせる。


「それじゃあ、いただきま――」


 バウ、という間抜けな声が足下から聞こえてきた。


「にゃぅぅあっ!」


 背後の気配が一瞬にして消え去る。


「……んあ?」


 何事かと振り返れば、かよみが数メートル分もの距離を開け――足下にはやたらと巨大な犬が抱き着いてきていた。


「うぉあ!」


 白い毛のもさもさした大型犬が全体重を掛けてきたので、睦はそれに負けて地面に転がされてしまう。


 猫だけあって犬が天敵らしく、かよみはフシャーとこの大きな犬に向かって威嚇しているものの、十メートル以上距離を取っている為か犬は全く気にせず楽しそうに尻尾を振っていた。


「大丈夫ですか! こら、はなれなさーい!」


 まさか、と振り返ればそこには慌てて犬を一生懸命に引っ張るっている見覚えのある少女の姿があった。


「お、及川……!」

「え、あれ?」

「及川ー!」


 命を救われた感動からか睦は及川に抱き着こうとして、そして及川が犬の紐を手放してまで睦から離れていく。


「……おう……」


 その全力の引きっぷりに睦もまた冷静になって自分の行動を振り返る。女子中学生に襲われた後、今度は同級生を襲おうとした男子高生という図式が頭の中に出来上がり、それこそ顔面蒼白となった。


「ま、まった、待ってくれ。何もしてないする気もない。いたって健康な男子高生なので大丈夫だから落ち着いて俺の目を見て勘違いを解いてくれ」

「け、健康な男子高生は性欲に溢れてるって……」

「全ての男子高生がそうとは限らないからね! そんな男子高生は全て犯罪者みたいな目をしないでください!」

「あ、う、わ、分かってるけど……」

「むしろ及川が飼ってる犬に助けられた感謝の心に溢れてるからやましい気持ちはまるでない。ってことを凄く主張したいぐらいで……」

「……助けた? ロッキーが?」

「ロッキーっていうのか。……いや、でも」


 そのロッキーは飼い主の手から離れた開放感によってか、全力でかよみを追い掛けていた。かよみの足は同世代の中学生からすれば相当速い部類に入るのだが、ロッキーの足も相当なもので飛び跳ねて逃げるかよみにピッタリとくっついている。


「助けてなのよー!」

「いや、ここで助けたらまた俺が襲われるし……」


 しばらくそのまま放っておいたほうが身の危険から離れられるだろう。


「頭冷え冷えになったからもう大丈夫なのよー!」

「冷えピタでも貼ったのか?」

「そうなのよー!」

「……それだったら凄いな……」


 とにもかくにも犬が居れば大丈夫そうだと判断し、及川と二人で興奮し走り回るロッキーを捕まえる。追い掛けている間もロッキーは遊びの一つと勘違いして二人から逃げ回っていたのだが、及川が怒鳴るようにロッキーの名前を呼ぶとその足が一瞬だけ止まった。その隙に睦がロープを掴む。


「よし、これでいいぞ。かよみ、話を続けてくれ」


 人懐っこいロッキーの頭を撫でながら睦は親指を立てる。


「……人がいるけど、というかその犬の所為で近寄れないんだけど、それでもいいの?」

「むしろここまできたらワンオンワンのほうが怖い。もう及川に聞かれてもいいから話を続けてくれ。というわけで及川、ごめん、ちょっとだけここに残ってくれないか?」

「え、え? あの、いいけど……どうしたの?」

「お願いだから詳しいことは聞かないで」


 両手を合わせて頭を下げた時、その睦の手からロープが滑り落ちる。それをいち早く勘付き察知したロッキーは目を輝かせ、次に身の危険を感じたかよみが全身の毛を逆立たせる。


「うにゃぁぁーっ!」


 全力で飛び付こうとしたロッキーから逃れようと、かよみは公園の木にしがみつくどころか、人間離れした軽業で木を登っていく。


「犬! いぬー!」


 そう叫びながら、かよみはその場で大量の煙を出したかと思えば――姿を消していた。


「……。忍者か、あいつは」


 それよりも自分がロッキーの縄を放して所為でかよみが逃げてしまったことのほうが大きい。リヒャと会うためにはどうしてもかよみの力が必要なのに、これでリヒャを追う手掛かりが失われてしまった。

 かよみの話を信じるのならば下手をすると数十年間もリヒャと会えないかもしれないのだ。そんな期間を待つなんていうのは論外も良いところであり、選択肢としてまず存在しない。未茅の事を調べるのなら他の方法を取るしかないということだろう。爪先を地面に押しつけて、土を抉る。アホな行動で最善の手段を失ってしまったことに対する苛立ちが心の中に積もっていった。


「……みっちゃんはどこに引っ越したんだろう」


 未茅に内緒で調べ事をするのに、確認する一番手っ取り早い方法が未茅へ質問することだ。


「いや、バレるな……」

「何を悩んでるの?」

「うわっ」


 かよみが消えて手掛かりを失ったショックがありすぐに忘れてしまったが、ここにはまだ及川がいた。睦は独り言を聞かれてなかったか心臓を激しく打ち鳴らしながら彼女に目を向ける。


「さっきの子は見たこと無かったけど、今日は違う女の子を連れて……東條君ってもしかしてふしだらなんじゃ?」

「ばふっ……き、急に何を言うかな、俺もかよみも、ついでに言えばみっちゃ……杉野さんともそういう関係じゃない!」

「そ、そう……けど、もしかしてさっきの子って、昨日の話に関係あるのかな?」


 昨日の話とは、誤魔化せたつもりでも誤魔化せていなかった、オーストラリアでなぜか睦達と出会ったことを言っているのだろう。


「ねぇ、本当は何かあったんじゃないの? やっぱり私、見間違えだなんて思えないよ」

「あ、う、そ、そう……なんだけど、いやでも世界には三人ぐらいそっくりさんが居るっていうし」

「その割には動揺してるね」


 完全に疑っている目だ。目の前の同級生だって冷静に考えれば帰宅最短コースを選んだ及川よりも短時間でオーストラリアから日本に帰ってくる学生がいるわけがないと分かるだろうが、それはあくまで車のドアをにゅっと潜って見知ったクラスメイトが消えたのを目撃しなければである。


「……はぁ」


 睦は深く溜息を吐いた。もうこれ以上嘘を吐いても彼女は一歩も引かない、そういう気がしたからだ。


「……あのさ、正直な話をしても信じてもらえないから言いたくないんだ」

「手品とかそういう類じゃないのぐらい分かるよ。でも魔法とかはさすがに信じられないし……」

「……ネコマタとかは?」

「え?」

「いや、なんでもない」


 呟いた言葉の反応を見て、睦は慌てて隠す。


「もう誤魔化すつもりはない、ないけどやっぱり言えない。それが俺の答えだよ」


 リヒャからも他の人間に伝えるのを止められている。それは猫の世界――彼らの世界の崩壊を招きかねないからだ。及川にそのつもりがないとしても、一体どこから猫の世界の崩壊に繋がるか読めない以上、睦としても迂闊な事は言えなかった。

 嘘を吐かないのなら後はもう黙っているしかない。


「そ、そう……じゃあ勝手に色々と想像してるね」

「えっ?」

「実は瞬間移動が使えるとか、そんな感じで」

「え? いや、その?」

「次の小説のネタに使えるかもしれないわぁ……」

「えええええ!」


 このままでは何か良からぬ方向に話が進んでしまうかも知れない、そう予感が走り抜けた睦は、


「そ、そういうわけだから! じゃな!」


 及川が考える良からぬ妄想を修正するより、その場を離れる――いわば逃げることを選んだ。


「あ、東條君!」


 呼び止める声を振り切り、睦はとにかく及川が追い掛けて来なくなるまで走り続けたのだった。


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