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23.パパ様から気をつけろって忠告を受けなかった?

 翌日になって、睦は普段より早い時間に目を覚ました。

 昨夜もまた漫画雑誌を持って部屋に訪れた未茅に付き合って夜遅くまで読んでいたのだが、今度はなんとか未茅よりも長く起きていた。未茅が雑誌の中に顔を突っ込んで寝落ちしたのは深夜二時を回ってからで、なるほど昨日睦が目を覚ました時に起きなかったのはそういう理由かと納得する。そんな未茅を部屋に運ぶ時、柔らかくて暖かい身体に脳天が沸騰しかかり爆発しそうな少年の心を理性という棍棒で殴って黙らせ、大急ぎで部屋に戻って布団に潜り目を閉じた。

 未茅を抱えて運んだ時の興奮も一日の疲れのほうが勝っていたらしく、気付けば朝になっていた。

 学校に行く時間より早いなぁホント眠いし、と呟きながら着替え、洗面所で顔を洗って寝癖を直し歯を磨いて居間へと向かう。

 すでにトミ子は目を覚まして朝食の準備に取りかかっていた。


「おや、はやいねぇ」

「偶にはこんなこともあるってことで」

「はん、生意気な」


 にやりと笑いながら祖母は茶碗を指差す。


「ご飯なら炊けとるよ。自分でよそいな」

「あいよ」


 そうして朝食を平らげた後に、


「ちょっと出掛けてくる」

「昼は?」

「あー、多分要らない」


 そんな短時間で戻っては来られないだろう。

 睦は携帯電話と財布を持って外へと出る。

 昨日と同じく部屋の中にリヒャがいたら困るが、そうではない場合とりあえず名前を呼んで探すしかなかった。小さく名を呼んでみるが返事どころか気配すらもない。仕方なく歩くことにしてまずは公園へと向かうと、ふと見知った中学校の制服を着た少女を見かけた。頭からピンと映えた耳が特徴的で相変わらず眠そうな瞼をしており、放っておいたらそのままそこで寝てしまいそうな様子だった。

 朝早くから何をしているのか、と疑問に思いながら、そういえば彼女は昨日リヒャを抱えて家族のところへ戻ったはずだったことを思い出す。ならば今のリヒャの居場所を知っているのではないか。

 眠たげに瞼を閉じては薄く開いている少女に近付きながら手を挙げた。


「よう、おはよう」

「にゃ?」


 突然声を掛けられると猫らしさが出てきてしまうらしい。


「おにゃにょにゅ……」

「それは一体何語?」

「……にほんごなのよ」

「俺の知らない日本語を話されても……まぁいいや、あれさ、リヒャどこにいるか知ってる?」

「パパ様?」


 段々と意識が覚醒してきたのか、ふさがりかけていた瞼が開かれていく。


「パパ様ならママ様と大切なお話をしてる最中なのよ」

「大切って?」

「これからの猫生についてとってもとっても大切な話なのよ」


 そこで何故かにこりと笑うかよみに、睦は背筋が寒くなった。リヒャはどれだけ大変な目に遭っているというのだろうか。


「た、大変だなぁ、あいつも……でも、今日はあいつに用があるんだけど」

「どういう用事?」

「ちょっと、あいつの力を借りたいんだ」

「どこかへ行くの? パパ様は乗り物じゃないのよ」

「分かってるって。俺だってあんな意味不明な力、できるなら頼りたくない。けど仕方ないんだ。あいつの力を使うしかなくて」


 睦の目的は自分の知らない未茅の三年間を探ることにある。その為には昨日の墓地まで飛んで未茅の友人にもう一度出会ってから未茅がどうなっているのかを知らないと正直に話し、彼女から全てを聞き出さなければならない。

 しかし未茅が住んでいたあの場所を睦は知らない。

 そうなると願うだけでその場に飛べるリヒャの能力が不可欠となった。イメージだけでどこにでも跳べるあの力は移動手段としてはこれ以上ないぐらい万能だ。


「ん~、困ったのよ。パパ様は大事な話の最中だから、ちょっと引っ張ってこれないし。それにこの地に近付くのは危険だから、ママ様が閉じ込めちゃうかも」

「閉じ込める?」


 危険だというのは以前に語っていた猫の世界の崩壊についてだろう。リヒャさえ未茅に近付かなければ問題ないとして、しばらく閉じ込めてしまうのだろうか。

 しかしそうなると困ったものだ。一体いつまで閉じ込められているかわからないが、数日で出て来られるものなのか。


「多分一年は出て来られないのよ」

「まじでか! さすがに長すぎる……」


 今回はリヒャの力がどうしても必要で、なんとしても会わなければならないというのに。


「くっそ、なら俺からリヒャのところに行ってやる。なぁ、リヒャはどこに閉じ込められてるんだ?」

「ん、人間が来ることは出来ないのよ」

「……どうしてもか?」

「どうしてもって訳じゃないけど……パパ様説得手段だけなら、別になんとかならないでもないかも」

「じゃあ何とか! 頼む!」

「むむむ~、どうすればいいかなぁ」

「何を悩んでるかわからないけど、それって大変なのか? どうしても駄目なのか? どうしてもって訳じゃない方法はどうすればいいんだ?」

「……。たぶん、絶対に無理だと思うのよ。君からは絶対に無理。かといって、わたしも能力使うのは躊躇っちゃうし」

「能力?」

「つまり、一時的に東條睦を私と同類にすればいいだけの話。人間版ネコマタかっこ仮かっことじにすれば、とりあえず猫の世界にいるパパ様に会うことはできるのよ」

「……どうやるんだ?」

「んっと、えっと」


 かよみは手をもじもじさせながら、睦に聞こえないぐらいの声で囁く。


「え、なんだって?」

「その、わたしって雌のネコマタなのよ」


 何故かかよみは顔を赤らめて、目を細めた。


「雄はパパ様しかいないから伝承が残ってないかもだけど、雌のネコマタの伝承はよく残ってるから、調べればすぐに分かるんだけど……」

「どういうこと? てか、調べたことないから知らないんだけど」

「女のネコマタは、人間の男を夢の中で誑かす。そうして精を奪い、己が糧とするのよ。糧は私達の力となるの」


 ふと、とろんとした瞳がそこにあった。


「んっ……?」


 それがネコマタの能力だとしたら、リヒャのとは随分違う。あのメタボ猫は人間のそういう精に関して関わるのではなく、もっと猫らしい気紛れな移動能力だ。


「そして、一度ターゲットを決めたら、精を吸い尽くすまで離れない……」


 目の前の少女がぞわりと全身の毛が総毛立ったように見えたのは、気のせいか。しかし目をこすってみればそこにいるのはただの少女だ。


「う、え、ああ、うん」


 しかしどこか様子がおかしい。


「――ねぇ」少女は指先で自分の唇をなぞりながら、「糧の意味、わかる?」

「ええっと……その」


 精を搾り取られてしまえばどうなるか。


「……死ぬ、ってこと?」

「……あぁ、そうなのよ。死んでしまうのよ。死ななければ半獣となって一時だけ私達の仲間になれるけど、一度吸い始めたら、私達は決して止まらない――」


 死ぬまで精を搾り取ると、少女は語る。


「パパ様から気をつけろって忠告を受けなかった? けど、そうすることによってネコマタの妖気を身体に流し込めば、とりあえずパパ様のいるところまでは行けるのよ」

「あの~、もっと現実的な方法はございませんでしょうかー?」


 どうしてだろうか、かよみの身体からは何か黒い煙のようなものが立ち上っていた。


「ないのよ」


 やけにあっさりと断言される。


「そして、手遅れなのよ」

「何がッ?」


 ゆらりと、かよみの身体が椅子より持ち上げられた人形のように動く。気のせいだろうか、彼女の口元から鋭い犬歯が見えたような気がした。


(いや、ね、猫だから犬の歯じゃなくて、えーとえーと、猫歯? いや俺は何を馬鹿なことを……)


 それよりも様子をがらりと変えたかよみだ。


「ねぇ、精を絞り尽くすにはどうしたらいいか、知ってる?」

「さ、さぁ?」

「雄の精は、雌とまぐわうことによって……絞り取れるの」

「げふっ!」


 肺の奥から空気が吐き出される。


「な、ななな! ちょっと待って! かよみってば中学生だろ! それは犯罪だよ犯罪いやーやめてー!」

「寝起きのネコマタをネコマタとして認識して話しかける若い男がいけないのよ。わたしだって初めての感覚で身体が火照ってきてるんだから、どうしていいか――」

「ぅおおおお落ち着け。いいな、それは一時の迷いすなわち過ちだ。てか俺は死にたくないし!」

「死ぬ直前で止められたらいいんだけど……初めてだから……」

「いやぁぁぁ! 勘弁してくれーッ!」


 このままこの場に居たらなんか色々と大変な過ちを犯した挙げ句、人生破綻確定の圧倒的予感が走り抜ける。

 その場から脱兎の如く逃げだそうとしたが、全ての身体能力はかよみのほうが上だった。――背中を向けて出口へ駆けようとしたにも関わらず、予想外の方向から先回りをしてきたネコミミ少女を前に睦は慌てて足を止める。

 ――どっから飛んできた!

 睦が思わず真上を見てしまう。

 今、かよみは真上から落ちてこなかったか?


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