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2.泊まっていきゃぁいい

 杉野未茅が久しぶりに見ただろうその家は、その目にどう映り、どういう感情を抱かせているだろうか。

 村上の表札をぶら提げて緑深き裏山の前に鎮座している家の門をくぐると、そこに広がるは乾いた土が埃も巻き上げず静観を保つ庭にこの間の強風で瓦が一枚飛んでいった屋根を乗せている二階建ての、妙に歴史を感じさせる木造建築が見えてくる。

 緩やかな夏の風に頬を撫でさせながら自宅の玄関前に立って、ちらりと少女を見やる。うっすらと汗をかいている幼馴染はそんな睦を見上げて「入らないの?」と視線で訴えてくる。陽射しがまともに降り注ぐ玄関前だ、相当暑いので当然の訴えだろう。頬に張り付いた髪の毛が少女をより少女らしく映していた。その彼女と視線がぶつかると慌てて目を逸らす。

 睦はやっぱりちょっとためらってから玄関を開いた。


「ただいまー」


 少し大きめの声で言うと、数秒後、奥からゆっくりと祖母のトミ子が白いシャツにズボン、その上に白いエプロンを着たまま出てきて「おかえり」と返事をし、それから隣に並んで立つ少女に目を向けた。


「……あらあら! みっちゃんじゃないの。お久しぶりねぇ」

「お久しぶりです! 覚えててくれたんですね!」

「当然よぉ。ほら睦、玄関に女の子を放ったままにしておくんじゃないよ。中に入れておやり。それから座布団とお茶を用意しな」

「相変わらず扱いの差が酷いな、時には待遇改善を要求したりするぞ」

「ナマ言ってんじゃないよ。ほら、みっちゃんを待たせるんじゃないよ」

「本当に扱いが適当過ぎて心に来るモンがあるなぁ」


 そういえば自分もみっちゃんと彼女を呼んでいた気がした。

 自分があっちゃんと呼ばれてたんだから、当然それに並ぶべき呼び名で相手を呼んでいてもおかしくはない。しかし今の自分が素直にみっちゃんと呼べるだろうか。

 玄関で靴を脱いで上がる彼女の腕には一匹の猫。トミ子はその猫を気にするでもなく家に招きいれた。――そもそも彼女は猫が好きだったろうか。

 みっちゃん。本名は杉野未茅。ミチと呼び捨てる根性の無かった睦が昔みっちゃんと呼んだときからその呼び方が定着している。それもこれも昔から言葉こそ落ち着いていたのだがその行動力たるや男子の比ではなく、いつの時も睦は彼女に振り回されていたせいで、どうしても『怒りを買ってはいけない幼馴染』としての意識が強かった。

 そんな彼女が親の仕事の都合で引っ越したのは三年前。

 ぼんやりと、もう二度と会わないのかな、という気がしていたので、今回の再開は睦にとって口が開いてふさがらないぐらいの衝撃があった。

 居間に案内されて、早速トミ子がお盆に乗せたオレンジジュースを運んでくる。それを見た睦はトミ子からお盆を受け取って、未茅の前に差し出した。


「ありがと」

「あ、ああ」


 素直に礼を言われるとなぜか直視できない。


「お久しぶりです」


 その挨拶にトミ子は嬉しそうに笑う。


「そんでまぁ、どうしてまたこっちに? 遠いだろうに」


 トミ子の問いに未茅はわずかに首を傾げてから、


「猫を追いかけて」

「待った」


 睦が間髪いれずに止める。

 土管を潜ったらにゅっと出てきた、と言葉が続いても、祖母はまったく理解に及ばないことだろう。頭がおかしい女の子と思わせるのも忍びないので、ここは誤魔化すことにする。


「た、たまたまこの近くに寄ったんだよな。なぁ?」

「えー、違うよ。だから」

「そ、そうなんだよな!」


 口を塞いで無理やり頭を縦に振って頷かせる。彼女が昔から変わらずの性格を維持していた場合その後の報復が恐ろしいが、今は幼馴染の成長を信じることにする睦だった。未茅がちょっと抵抗しようと身体を動かしたり肘が鳩尾に入ったり、抱えている少女が動くものだから猫が「なー」と啼いたりしてあまり無事とはいえない状態だけど、突拍子の無い発言を妨害することに成功した。

 トミ子はそんな二人の様子を怪訝そうに見ていたが、すぐに幼馴染がじゃれあっているだけだと思ったのか、優しい瞳で微笑む。


「近くに寄ったからかい。そりゃぁ、睦も嬉しかったろう」


 未茅から手を離して睦はトミ子から目を逸らす。


「嬉しいとか……驚いただけだって」

「そうかい。なぁ、ご両親は近くにおるんかい。ご挨拶に伺わないとねぇ」

「私ひとりだけなんですよー。お父さんもお母さんもまだ向こうなの」


 向こう、とは引っ越した先のことを言っているのだろう。


「それでね、今日はもう帰れそうにないから泊まる場所探してるんです」


 は? と声が漏れなかったのは、睦自身が驚いた。

 泊まる場所がない、なんて言えば次の祖母の言葉は決まっている。安易に想像がつく。おそらく一言一句間違えることなく今まさに頭の中で作られ再生された言葉をトミ子はその口から発することだろう。


「そりゃぁ大変だねぇ。だったらウチに泊まっていきゃぁいい」

「え、いいんですか!」


 わざとらしく喜ぶ未茅に、トミ子はうんうんと上機嫌に頷いた。


「問題ねぇ問題ねぇ。部屋はたくさんあるかんな」


 困ったことに睦にとっては問題が山積みだった。年頃の男女が同じ屋根の下で寝泊まりしていいものだろうか。いくらなんでも無頓着過ぎるぞばーちゃん! と抗議の声を上げようとしたところで、祖母のほうが一手早かった。


「ほら睦、みっちゃんを空き部屋に案内しな」

「ありがとうございます!」

「女の子一人ぐらいなら容易いもんさ。今晩は腕によりをかけて作ってみるかね」


 その言葉に睦と未茅は目を合わせ、腕に抱かれた猫を見下ろした。


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