18.私、この町を歩くとお腹が痛くなる病なんだよね
人間ではないという否定ではなく、化け物だと告げるリヒャの言葉は真夏なのに睦の全身を凍らせるに足る冷たさを含んでいた。
「な、なんだよ、それ……お前らと同じってことか?」
「そうだよ。俺も猫以外は初めて会うんだが、それによって厄介なことが起きるから、あの嬢ちゃんに一番近いお前にだきゃぁ真実を伝えたかったんだよ」
「お前の力がおかしくなるってことか?」
「ああ、今のところは俺だけみてぇだがな。正直、あの嬢ちゃんがたかが夢の中で思い描いたってぇだけで飛んじまうなんざ、それこそ夢にも思わなかったことだ。余程強い意志が働いてなきゃ普通は俺の意志に反して勝手に飛ぶなんてこたぁありえねぇ」
「……けど、そんなんで化け物扱いすんなよ」
「もちろんだ。化け物ってぇのは俺からすりゃそうだって意味に過ぎねぇ。ただ普通の人間とは違うだろ。ネコマタの力を勝手に発動させるなんざ普通の人間にゃできやしない。意味、わかるか?」
分かるが、そう返答するのは躊躇ってしまう。少なくともリヒャは睦が逆上しないギリギリの言葉を選んで発言している。それもこれも睦に現実を認めさせるためだろう。そういう些細な心遣いを何となく察してしまったから、睦も強く出られない。
だが、そうだとしても幼馴染みを化け物扱いするのだけは許せなかった。拳を強く握って地面の一点を睨み付けると、そこで餌を探していたと思しきアリが一匹、その怒りに当てられたかのように睦から離れていく。あるいはこの日照りによってアリといえど逃げたくなったのかもしれないが、その事実ですら計りようがない睦にリヒャの言葉を嘘と決めつけられるわけもなく、一度この場で発言された言葉は身を潜めることもなく心に留まってしまうだろう。
「そこまで話しておいた上で、てめぇに覚えてもらいてぇことがある」
「なんだよ」
「俺の力を勝手に使っちまうっつったが、それだってあの嬢ちゃんにそこへ飛ぶ思いがなけりゃ発動なんざしない。つまりだ、ここへ来たのは偶然でもなんでもなく、あの嬢ちゃんなりの想いがあったんだろうよ」
「この、墓地に? 多分、誰か大切な人が眠っているんだろうけど……なら別に――」
「夢にまで見るような大切な人がここにいて、それでもアツ坊のところまで来るなんて、おかしいと思わねぇのか?」
「……あ」
そう言われてみれば確かにそうだった。
未茅が昨日睦のところに現れたというのなら、未茅にそういう想いがあったからこそに違いない。しかし次の日にはかつて引っ越した先であるこの地の、しかも誰かが眠っている墓地に『無意識』で飛んでしまったとなればその想いというのは相当強くなければならない。
「そういうことだ。あの嬢ちゃんがてめぇを頼りにしてるのは間違いねぇだろ。そこは覚えておけよ。じゃねぇと猫の世界が崩壊しちまう」
「……わかってるよ。それと、やっぱりそれが猫の世界を崩壊させる理由になるってのがわからない。具体的にどうなってるんだ?」
「俺の力は世界中をにゅっとくぐっていけるんだが、その力を勝手に使われるってなるとな、俺達の世界に――」
「あっちゃーん!」
手を振ってくる幼馴染みの姿が遠くに見えた。
「見つけたー? あ、リヒャだー」
「パパ様がいたのよ」
二人が戻ってきたということはもう十分が経ったということだ。睦は自分の携帯電話を開いて時計を確認する。よく見ればもう昼を回っていた。
「さっすがあっちゃん、見つけるのはやいね」
「ま、別に俺が見つけたわけじゃないんだけどさ」
――あの小娘は、化け物だ。
リヒャの言葉が甦る。
目の前で笑顔を作る幼馴染みが人間とは違う何かだとしても到底受け入れられるものではなく、睦は首を左右に振った。
「どうしたの?」
「な、なんでもない。じゃあ戻ろう。もうお昼だし、ばーちゃんも飯を用意して待ってるだろうからさ」
いつまでも墓地に長く居たくないという本音を押し殺し、もっともらしい理由をつける。それであっさりと納得したのか、未茅も頷いて同意してきた。かよみとリヒャも同じく大きく頷く。
「わたしたちの分もご飯があるのよ!」
「さすがだな、食わせてもらおうか……究極のねこまんまってヤツをよぉ」
「ねーよ! 何勝手にそういう結論になってんの!」
というわけで、睦はどこかくぐれる場所を探す。
人がいなくて三人と一匹が問題なくくぐれる場所という都合の良い場所があればいいのだが、どうやらそれも探さないといけないらしい。
「ああもうめんどくさいなー、その能力」
「馬鹿野郎。こんな楽な能力あるか。人間がでかすぎんだ」
猫の体格ならどこでも問題なくくぐれるので、リヒャの言うとおりなのかもしれないが。
「くぐれる場所なら簡単にあるよ。ほら、実は――」
そこでそう提案してきたのが未茅だった。
一同がそちらへ視線を動かすと、それぞれが納得したような納得しないような、複雑な表情を浮かべる。
「それは……みっちゃんの家ってことか……」
「問題無いよ。誰も住んでないし、鍵だって持ってるんだから!」
「なるほどな。こっちへ引っ越してきてからの家ってぇわけか。それなら余裕だな」
リヒャからすればそこまで行かずとも一人で帰れるわけだが、どうやら付き合ってくれるらしい。
「でも、問題があるんだよ」
「問題?」
睦が問い返す。
「私、この町を歩くとお腹が痛くなる病なんだよね!」
「……なにそれ?」
「あ、じゃあ変顔になる病でもいいよ?」
「いいよ、じゃなくてなんだそりゃ! じゃあ結局使えないってことじゃないか。いや、なんつーか……」
使えないのではなく、そういう案もあるが未茅としてはなるべく使いたくない奥の手だよ、と主張しているつもりなのだろう。そうなると安易に決められない。
「ふむ、面倒なこったな」
もし腕が組めるなら膝でも組んでそうしてそうな溜息を吐き、リヒャは片目を閉じる。
「くぐる場所ならどこだっていいんだ。俺としちゃ何ら問題ねぇけど、お前らがどう思うかは別の良い方法はあるぞ」
「な、なんだよ」
そんなのがあるのなら最初から言えよ、と睦は目で訴える。
「くぐる場所は目の前にあんだろうが。墓石の間をくぐるぞ」
「……な、なるほど、確かにちょっと、アレだ」
しかしそんな単純な意味合いでいいのかと思ったのだがその能力の持ち主がそう言うのだから問題ないのかと、睦はその曖昧さに苦笑いさえ浮かぶ。
「おい、嬢ちゃん。家に戻れるように祈りながら歩けよ」
「うん!」
威勢だけはやたらと良かった。
墓石の間は狭く、そこの間をリヒャを抱えながらくぐるのはなかなかに辛かったが、それでも気付いた時には睦の部屋に三人と一匹が立っていた。
「おっ、お、おおお~……うおおお!」
随分久しぶりな気がする我が家に、感無量となって声が漏れてくる。
あの薄汚れた天井にしわくちゃのベッド、開いて放置されてある勉強机の教科書やノート、放りっぱなしの漫画雑誌、そしてこの家を構成している木の匂い。
「何もかも懐かしい……」
「感傷に浸ってる時間があるのなら、早速パパ様を拘束するのよ!」
こういう移動については当たり前の感覚となっているのだろう、かよみはさっそく両手でリヒャを捕まえた。
「もう逃がさないのよ、パパ様!」
「ま、待て! 逃げないから離せ、離せってぇんだ!」
「……ホント?」
「父を信じられないのか、娘よ! ああ、確かに人間に預けたのは俺だが、それでもお前のことは片時だって忘れてないぞ。常に胸の一番奥にしまい込みお前のことを見守っていたんだ。ほらほら、だから信じるがいいぞ、我が娘!」
「でもママ様以外の雌とよく逢い引きしてない?」
「……し、て、ませ、ん……」
ものすごく弱々しく呟く父に、かよみが益々不信感を募らせて父を強く抱き締める。
「一度ママ様のところに行こう。話し合ったほうがいいと思う。これからの事もあるし」
「し、正気か! あいつのところなんて!」
「大丈夫、ママ様はパパ様の腑を抉って蝶々結びをしようなんて思ってないのよ」
「……そう言ったことがあるんだな。殺されるってぇのか、俺は……?」
悲壮感すら滲ませながら娘に抱え上げられた猫の父親は、それきり無言でかよみに連れられて部屋を出て行った。
「あ、そういや土足」
と、睦が指摘する間も無く。
「あー! あんた何だぁ! 人の家に勝手に上がり込んでぇ! しかも土足とはなかなか度胸あんじゃぁないのさぁ!」
下の階から凄まじい怒号が響いてきた。
どうやら祖母のトミ子に見つかったようだ。「うわー」「きゃー」「ちがうのよー」という声が窓の外から聞こえては、確実に遠ざかっていく。
「なんだか騒がしい連中だよなぁ」
またもやリヒャから重要な事を聞き損ねている気はしたが、とにかく今はそういう非現実的なことと向き合うには精神が疲弊していた。午前中だけでこれだけ疲れるのだから、午後からはどうなってしまうんだろうかと溜息を吐く。
「ん~、とりあえずご飯食べたいなぁ」
そんな睦の心を知ってか知らずか、未茅は手を挙げてそう提案してくる。
さらに溜息をついて、睦はトミ子に昼食は何かを聞きにいったのだった。