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15.ねぇ、杉野さんがどこに引っ越したか、知ってる?

 一体ここはどこなんだろうかと電信柱を眺めてみるが、やはり覚えのない町名がそこに書かれているだけで、自分の現在位置を知る手掛かりにはならなかった。


「つか、町はどっちだ」


 目の前にあるのはすでに山だった。背後の霊園は相当広い場所を使っているようだが、山と向かい合っているというところでここが少なくとも都会とは言えない場所にあることを教えてくれている。

 右手は斜めに登る道路。左手は斜めに下る道路。下った先には田んぼが広がっていて、この道路はそこを突っ切ってその先に進んでいた。


「……あれ、町かな」


 下った先に一応民家がぽちぽちと点在している。まるで区切られた孤島のように存在する民家達にどことなく寂しさを覚えた。


「こういう場合は駅前まで行った方がいいんだよな」


 下手な民家があるところより駅前のほうがまだ店があるだろう。しかし肝心の線路はまったく分からない。

 周囲を見回してやたらと長い陸橋らしきものがあるのを発見する。しかし高いところから見ているので発見できただけで、実際に歩くとなると一体どれだけかかることだろう。


「さすがにちょっと遠すぎるなぁ」


 仕方なしに民家のある方へ歩いていくと、やがて古ぼけた商店街にたどり着いた。この炎天下、自動販売機すらないので乾いた喉を潤したい欲求をねじ伏せながらまっすぐに続く商店街を歩く。時折通る自動車を運転するドライバーが一滴の汗も掻いていないことを心の中で怨みながら、どうして自分はこんな暑い思いをしているのだと小さな怒りが沸いてきた。するとすぐに青パジャマの未茅が手を振っているシーンが浮かんできて、怒りが止むと同時に諦めがやってくる。こんなことしてる理由は彼女にパジャマを着させっぱなしが辛いからだ。

 一応どの店もまだ営業中らしく、そこで『学校指定の制服用意してあります』の看板を掲げている店を見つけ、恐る恐る店のガラス戸を開く。カラカラと軽い音を立てて開いた戸の中は冷えていて、ここまで歩いてきた身体の火照りを清々しく取り払ってくれた。


「らっしゃい」


 奥から恰幅の良いおばさんが現れて、じっくりと睦を眺める。


「あ、あの、ジャージを一つ」


 唐突にそう言うと、おばさんは「ああ、そうなるとこれがあるんだけどねぇ……ちょっとねぇ」と曖昧な呟きを残しながら、棚から一組のジャージを引っ張り出してきた。

 しかしそこには地元の中学校らしき校名が胸に刺繍されている。


「中学生?」

「へ、い、え、や、い、妹が! 妹が中学生なんです! それでちょっと病気で出られないけど急遽ジャージが必要になって買いに来たんですが!」


 不審がられた所為で思わず未茅提案の『妹大作戦』を使ってしまったが、あれでは挙動不振だったろうか――睦は心臓をドキドキさせながらおばちゃんを見守っていると。


「あら、それなら仕方ないわねぇ。思わず男子用のを持って来ちゃったわ。体格はどの程度? このぐらい?」


 と、差し出してきた色違いのジャージに目をやって「た、多分それでいいです」と言う。はっきりいって未茅のサイズなんて知るわけがない。


「まぁ、ジャージだからある程度大きさは調整効くからねぇ。あとはお兄ちゃんがなんとかしてやりなさいよ!」


 金を払ってジャージを受け取り、店を出る。

 どこぞの学校指定のジャージだが、それでもパジャマよりマシだろう。そう思いこむことにして墓地へと進路を戻す。


「みっちゃん、大人しく待っていてくれればいいんだけどなー」


 ジャージといい、余計な出費も掛かっているというのにまたどこか行ってしまうなんてことがないように祈る。


「まったく、みっちゃんは……」


 商店街の十字路にさしかかった時、ふと右手に曲がった先で睦が買ったジャージと同じのを来ている中学生二人組を発見する。


「つーか、みっちゃんも中学生に見えるのか?」


 ただでさえネコミミ娘が中学生の恰好なのに、さらに年齢詐称の中学生が増える。なんだか昨日の今頃と違って随分と状況が騒がしくなってしまったようだ。


「あ……あれ?」


 不意に声を掛けられた――ような気がして振り返る。


「あなた、どっかで……ああ!」


 見知らぬ少女が声を掛けてきた。


「もしかして、東條睦さんじゃ!」

「うお、あ? そ、そうだけど」


 後ろで髪の毛を左右に分けた少女が、すごく驚いた顔をして自分の名前を呼んでいる。今度は一体何が起こるのかと自然身構えてしまったのは幼馴染みとネコミミ少女から学んだことだといえよう。


「なんでこんなところに? もしかして杉野さんに会いに来たんですか?」

「すぎの? ……あ、ああ、杉野ね」


 普段から『みっちゃん』と呼んでいるが、彼女のフルネームは杉野未茅だ。危うく惚けてしまうところだった。


「えっと、その~、なんで俺が杉野さんに会いに来たって……」

「え、杉野さんの幼馴染みで彼氏さん、ですよね」

「ぶぼっ! げほ、げほっ!」


 危うく口からなけなしの水分を噴き出すところだった。


「な、なななな! てかどうして俺の名前を!」

「以前、杉野さんに写真を見せてもらって。その時に色々と聞いちゃったんです。ええっと、あっちゃんは私の言うことを何でも聞いて何でも買ってきて何でも許してくれるって。仲が良いんだなって凄く感心してたんですよ」


 それは体のいいパシリと何が違うのでしょうか、と喉元まで出かかったが、自分を自らパシリ扱いさせるのはさすがに色々と許せない部分があった。とはいえ目の前の彼女が悪いわけではないので涙を飲んで耐えることにする。


「あの。杉野さんのこと、やっぱり連絡が行ったんですよね……」

「連絡?」

「あれ、知らないんですか?」

「何を?」

「……えっと、じゃあ、私が言っちゃっていいのかな。やっぱりまずいかなぁ」

「みっ……杉野さんに、何かあったんですか?」

「えっと」


 上目遣いでこちらの様子を覗っている少女に、日照りの辛さも相まって少しだけイライラする。


「何もないようならもう行きますけど」

「ま、待って! ねぇ、杉野さんがどこに引っ越したか、知ってる?」

「引っ越した?」

「だって、ここに来たってことは、まだここに住んでるって思ってたんでしょ。けど、杉野さんは引っ越したんです」

「引っ越した? てか、俺は別にあいつの連絡先なんて――」


 いや、と言葉を止める。

 何か不穏な空気が流れている気がしたのだ。

 目の前の少女はおそらく未茅が引っ越してからの友達なのだろう。その彼女が『連絡が行って彼氏が来た』と思いこんでいるのなら、不可解な部分が発生する。


(つまり、俺がまだみっちゃんと連絡を取り合っていたと思っている。それってさっき言ってた『杉野さんが引っ越したこと』と変に矛盾しないか? 俺がみっちゃんの二度目……かどうかは知らないけど、ここからの引っ越しの件を知ってたら、逆にここには来なかっただろうし)


 ならばここへ睦が来たと思いこむだけの理由が存在するのだ。しかも彼女はそれを口に出すのを躊躇っている様子もある。無理に聞き出せば話してくれるだろうが、それをしていいのかどうか、睦に判断はつかない。

 何しろ杉野未茅という幼馴染みは睦に何も話していないのだ。それはつまり未茅が睦に話すことではないと判断していること。先程の墓のことだって未茅は何も語ろうとしないし、それを察して睦も訊ねないでいる。それが二人の間に自然と発生した暗黙のルールであり、ここで未茅の友人に未茅が黙っていることを聞き出すのは自らルールを破ることに他ならない。


「東條さんは今の杉野さんの住所、教えてもらえますよね!」


 この訊ね方では本当に目の前の彼女は『自分と未茅が連絡を取り合っている』と勘違いしているのだろう。そうでなければこんな断言をしないはずだし、逆に「杉野さんは今どこに住んでいるか知っていますか?」と質問を受けていてもおかしくはない。睦は誤解を解きたい衝動に駆られながらも、今はそう誤魔化しておいたほうがいいのだろうかと冷静に思考を巡らす。――少なくとも現在彼女が住んでいる場所こそ知らないが、すぐ近くにいるのだ。連絡は取れるし、直に会話もできる。


「あ、ああ、そうだな。話なら、できる」


 そして杉野未茅には東條睦に話していない何かがある。

 それは友人だと思しき少女に心配そうな顔をさせる何かだ。目の前の彼女から話を聞き出せずとも、幼馴染みから話を聞く都合の良い術が思いつかずとも、気になるものは気になってしまう。まさに単純な興味本位だ。だから睦は事実を全て語らず誤解させたまま、しかし半分本当のことをこの場で織り交ぜる。

 つまり、未茅の連絡先こそ知らないが、現在進行形ならば居場所を知っている。本当でありならがも、それは嘘。しかし、その嘘は目の前の少女にとって真実と映るだろう。


「なら、杉野さんに伝えてくれませんか?」

「な、なにを?」

「私達、杉野さんを待ってるからって! 杉野さんがどんなことになっても、私達は杉野さんの味方だからって。杉野さんは一人じゃないって、伝えてください!」

「――それは……」


 一体、何を意味しているのだと問いたかった。

 だが、それを聞いてルール違反を犯した自分が、未茅に何を出来るというのだろうか。

 未茅は何も話していない。

 それは彼女がそう望んでいるからだ。


(なぜそう望む? 俺に話してくれないって、なんなんだよ、みっちゃん……?)


 興味本位は未茅の隠している真実を暴きたいと騒ぎ出す。だが、それを胸の内に押さえ込んだ。


「私、水樹絢奈って言います。そう伝えてくれるだけでいいんです。お願いします!」

「あ、ああ、わかった。今度伝えておくから……」

「ありがとうございます!」


 水樹絢奈と名乗る少女は頭を下げる。

 今、自分はその少女に対してとてもやましいことをしている、そういう錯覚に陥ったのは夏の暑さのせいだろうか。とめどなく流れる汗が心を変に鈍くして、正常な動作をさせていないのか。


「長らくすみませんでした。それでは、失礼します」


 最後に少しだけ笑みを見せて、絢奈は去っていった。

 睦はただただ動けずそれを見送り、そうしてその背中が途中で角を曲がったところで、ようやく首を動かした。

 空の太陽はまだまだ高いところに昇っていく。

 じり、と灼ける肌の感覚に耐えきれず、睦は再び未茅の待つ場所へと向かって歩いていった。


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