13.喧しいガキンチョ、いいから祈れ
「そんなことはどうだっていいんだ。みっちゃんを探すぞ!」
「待て待てガキンチョ、どうやら娘から事情を聞いたらしいが、どこまで把握してるっていうんだ?」
「お前がみっちゃんを遠くに飛ばしたことぐらいだよ!」
「だろうな。んで、俺ぁ別に自分の意志で行きたい場所を決めてるわけじゃぁねぇ。猫ってぇんは気紛れだ。もっかい同じ場所に行こうとしても、そりゃなかなか辿り着かんもんだぞ」
「数打ちゃ当たるでやるしかないだろ。とりあえず俺の部屋に行くぞ。そこでがむしゃらに探すしかないんだっつーの!」
「数打ちゃ当たる?」
小馬鹿にしたような笑い声を猫が喉の奥から慣らす。
「そりゃ本気で言ってるんかい。お前は知らんかもしれんが、世界ってぇのは広いぞ。砂漠で指輪を拾うようなもんっつーが、砂漠はまだ世界に比べりゃ狭いんだよ。わかるか、世界は広い。そこから探すのに数打ちゃ当たる? 馬鹿言うな、おめぇ一生掛かっても小娘のところにゃいけんぞ」
「じゃあどうしろってんだよ!」
「落ち着けガキンチョ。別に俺が気紛れでも、俺の能力ってぇのはそこまで気紛れじゃねぇ。この能力を正しく把握しているのは他を置いて誰もいねぇ、この俺だ。わかるか、俺の言いたいことは」
ごくり、と睦は唾を飲み込んだ。未茅をだだっ広い世界から拾い上げたければ自分の言うことを正しく聞け。そして言う通りにしろとリヒャははっきり告げているのだ。
確かに昨日知ったばかりの睦より、ずっとその能力と付き合ってきたリヒャのほうが知っているのは道理だ。そしてそれは娘といえどかよみも同様だろう。
「だから聞け。いいか、俺の能力ってぇのは、俺の意志より一緒に飛ぶヤツの意志に反応しやがる。昨日はただお前らが何も考えてねぇようだったから俺の好き勝手にやらせてもらったが、今回はあの嬢ちゃんの意志が強く働いた。おそらく夢でも見ていたんだろうがな」
「夢?」
「ああ、夢だ。つーか、お前さんの部屋にどうしてあの小娘がいやがった? せっかくその顔に爪痕をつけてやろうと思ったら、あぶねぇじゃねぇか、危うく女の顔を傷物にするところだったぜ」
「え、なに? もしかして俺ケンカ売られてる? 俺の顔ならどうなったっていいっつーの?」
「喧しいガキンチョ、いいから祈れ」
リヒャはブルブルと顔を振って水気を飛ばす。
「人間の意志のほうが強く反映するってぇのはあの外国で体験しただろうが。お前ら二人が帰りたいって願ったから、あの部屋に戻れた。ま、そこは俺の狙い通りだがな」
「……。どこまで信じていいかわからんのだけど」
「信じる信じないなんざどーだっていい。用はあの小娘を自分のところに帰したいか、そうじゃないかだ。んだから俺ぁ慌ててねぇんだよ。どうせお前が決めることだしよ」
睦はそれでも何かを言いかけて、ぐっと押し黙った。状況を正しく理解していない方、そして未茅を連れ戻す方法を正しく把握している方とを考えると、結局自分に何が出来るわけもなくリヒャの言葉に従うしか無かったからだ。
「……分かったよ。じゃあ俺はみっちゃんのところに行きたいって祈ればいいんだな」
「そうだガキンチョ、お前はただ祈ってくぐりゃぁいい。にゅっとくぐった先にゃ、あの嬢ちゃんがいるってぇ寸法よ。どうだ我が娘、父のこの素晴らしき作戦は」
「威張れるほどじゃないのよ。さっさと説明すればわたしだって混乱しなかったのに。パパ様は頭良いんだからもっと要領よくなる必要があるのよ」
「……娘にそう言われる日がくるとは……」
「それにパパ様、猫の世界を崩壊させるような事をしちゃいけないのよ。今パパ様がやろうとしていることは」
「わーってる、心配すんな。俺ぁそんなヘマしやしねぇよ」
リヒャが鼻先を動かして「ついてこい」という素振りをする。勝手に家の中に上がり込んでいく猫のあとを二人は大人しくついていったが、かよみはどうも顔を顰めていた。
とりあえず足音を立てずに階段を昇って二階にある自分の部屋へ辿り着く。目の前にはドアがあり、ドアノブがあった。このドアをリヒャと一緒にくぐれば、自分の願った場所へ行けるという。
「ほれガキンチョ、準備は良いか」
「ま、待て待て。心の準備が」
「情けねぇ野郎だ。ビシッと一発決めてこんかい。俺もあいつを一発で仕留めてやがて娘が生まれたんだ。そらぁもう熱い夜だった……」
「語るな!」
どうして猫の馴れ初めを聞かなければならないのだと、睦はツッコミを入れてリヒャを黙らせた。その横で目を細めながらかよみが呟く。
「パパ様、ママ様からすごい怒られてるよ」
「……あいつは本当に怒りっぽいヤツだなぁ。俺みたいに心が広くなくちゃぁならねぇ。大海のように広い懐と大空のように澄み切った瞳が世の中を広く見渡せるってぇもんよ」
「パパ様が素直に謝れば今言ったことと同じ事ができるって言ってたのよ」
「うぐっ……」
「パパ様はママ様に全て見抜かれてるんだから、諦めてね」
「……あの、俺もう心の準備が出来てる感じがするんだけど」
さすがに親子のボケツッコミに付き合っていられなくなり、睦はとりあえずリヒャを救うべくそう言ってみる。するとリヒャはぱっと顔を上げて「そうか! 行こう行こう!」と、まるで誤魔化すようにはりきった。
「よしガキンチョ、ドアを開けやがれ。俺が一発お前を男にしてやらぁ」
「猫にされる謂われはねぇよ」
睦はドアノブを握り、ゆっくりと、まるで祈るような時間をまだ欲するかのようにドアを開いていった。
ドアを開いた先から閃光のような眩さが両目を灼き、思わず目を閉じる。閉じて暗闇に包まれた世界の奥からどこか生温い空気が流れ睦の肌を撫でていった。その感触に目を開き、そうして口を開いてその光景を呆然と眺める。
規則正しく並んだその場所は、墓地だった。背の低い洋風の墓石と日本古来の墓石が入り混じって並んでいる。
白い墓石が何列も並び静かに口を閉じたまま来客を待ちわびているようだった。いずれも新しい訳ではなく、中には年代物の汚れたものもある。独特の静寂さを守るのはいずれの霊園も同じようだったが、あの彼女を追い掛けて来たにしては随分と場違いな気がした。そもそもまさかこんなところに来るとは想像もしていなかったので、まるで自分達こそ場違いな気がして居心地が悪い。
墓石が並ぶ中で睦達は呆然と立ち尽くしていたのだが、やがてその墓石の上へひょいとリヒャが飛び乗った。
「ほら、探すぞ」
「おい、墓石の上に乗るなよ」
とりあえず注意しておくと、太った猫はフンと鼻を鳴らす。
「死者の魂をこうやって弔うのは人間だけだ。まぁ、おかげで人間ってぇのは死後も救われているみたいだが」
ひょいと飛び降りて、尻尾を上へと持ち上げながらリヒャは歩き出す。
「涼しい……」
睦の更に後ろをついてきているかよみがポツリと呟く。確かに、木陰の中を歩いているおかげか思ったより暑さを感じないし、なにより流れる風が夏の暑さを伴っていない。蝉の声すらしないこの墓地は一体どこだというのだろうか。
右側にある墓石に目をやるとそこには花が飾られていた。この時期に飾ってもすぐさま萎れてしまうだろうに、まだその花は生き生きとしている。少なくとも昨日には来ているのだろう。
――みっちゃんはココにいるのか?
この広い霊園に彼女はいるというのだろうか。
「みっちゃんは……」
周りを見回しても、それらしき姿は発見されない。
「ま、遠くにゃいねぇだろ。地道に探すこった。どうせ今日暇なんだろ」
「まぁそうだけど」
リヒャの言うとおりだ。
「手分けして探そう。リヒャ、頼む」
「ふん、このダンディな俺に任せておきゃぁ小娘の一匹や二匹、わけがねぇな。なんなら増やしてやるぜ」
「……いや、増えたらマジで手に負えないからやめて」
数十人で襲い来る未茅を想像すると、寒気を覚えて背中が自然と伸びてしまう。夏の暑さがこの時ほどありがたいと思う瞬間もなかなか無かった。
「とりあえず俺はそっち行ってみる」
指差してすぐさまその方向へと足を向けると、自分の裾を掴まれる感触がして、睦は振り返る。
「わたしもこの人と一緒に探すのよ」
「なにぃ! 不純異性交遊はいかんぞぉ!」
父であるリヒャが顔をあからさまに歪めながら叫んでくるが、その首根っこを無遠慮に摘んだかよみは、
「パパ様は向こうを探してくる!」
あさっての方向へと父親をぶん投げた。放物線に描かれる猫の姿がとてもシュールで睦は笑いすら起こせない。
「未茅さんはとても危険なのよ。あまりパパ様と出会わせたくないから、わたしはあなたについていく」
「な、なんで俺なんだ?」
「あなたは未茅さんが選んだ人だから、先に見つけるとしたらあなた。これは猫の世界の理というか、勘みたいなものだから気にしちゃいけないところなのよ」
「……そ、そうなのか、訳分からないけど気にしたら負けってことだな」
また出てきた猫の世界について、睦はあまり深入りしてはならないような気がしていた。リヒャ達の世界はあまりにも特殊で、正直ついていくのはそろそろ限界だったからだ。
墓地の中を宛もなく彷徨うが、すぐさま見つかるとは思っていない。そもそもこの墓地に彼女がいるんだろうかという疑問も沸いてくる。その問いに応えられる人間や猫はいないので、結局は自分で答えを探すしかないのだが。
最初はゆっくりと歩いていたが、段々と足が速くなってくる。後ろをついてくるかよみが途中でつまずいたのにも気付かず、睦は墓地をひたすらに練り歩いた。いくら清涼な場所といえど、何分も早歩きをすればさすがに汗も掻くし呼吸も激しくなってくる。
「みっちゃん、どこだよ」
――みっちゃんを早く見つけなければ。
気が焦る。どうしようもなく心が騒ぐ。
なぜそんなにも動揺しているのか、その理由なんて明確だった。
(なんでみっちゃんを追い掛けた先が『墓地』なんだ?)
墓地というのは良くも悪くも人に何かしらの印象を与える場所だった。みっちゃんが望んでここへ来たのだとしたら、彼女は一体何を考えて、いや、『誰へ会いに来た』のだろうか。睦のベッドに潜り込んだ少女は、夢の中で誰に会いたいと願っていたというのか。
――何のために、誰に会いに来てたっつーんだ?
生きていれば誰しも人の生き死にに立ち会うのは必然であり、当然だった。だから彼女が誰かを想いここへ来たとしても本来は不思議ではないのかもしれない。
「あっ……」
背後のかよみが小さく声を上げる。
「いたのよ」
小さくというのは間違いだった。自分とかよみの距離がそれだけ開いていたということであり、それに気付かぬほど睦は焦っていたのだろう。――かよみの声を耳に入れた睦はすぐさま足を止めて周囲を見回す。
「いた!」
何かの墓石の前で立ち尽くしている少女が一人。
まだ着替えてもいない寝間着のまま、この太陽の下で未茅は墓石を見下ろしていた。
「みっちゃん!」
睦は叫ぶ。
はっとした顔をして、未茅はその声の方へ振り返った。