フェイズ2 エンカウント前編
「……はあ、はあ、どこ、行った……あいつ……ッ!」
俺は両手をだらしなく下げ、肩で息をしていた。
ここに来て体力切れ。俺は猫に完全に走り負けたのだ。
いやでも俺は今、左手ビニール袋(補修した)、右手にケーキの入った箱ですよ? 全力で走れるわけがないです、はい。
面倒な事になったなあ、とため息をつく。
正直、あのリンゴは予算が余ったからと、おまけ程度に買った物なので、別になくなっても良いと言えば良いのだが……。
「どうしたもんかなぁ……」
俺はよくわからない衝動に駆られていた。
腹が立っているのだろうか、猫にリンゴを取られて? ……馬鹿らしい、なにもそこまでムキになる事はない。それこそ早く帰って、夕食の準備をしなければならないのだ。
……よし、帰ろう。
俺が踵を返そうとしたその時だ。
チリーン——
……!? 何だ……?
それは鈴の音のようだった。
辺りを見渡す。すると、俺の視界にあるものが入った。
「……! あいつは……ッ!」
美しい毛並みにしっぽのリボン、そして首輪の”鈴”。おまけにリンゴ。
間違いない——あの時の白猫だ。
白猫はゆっくりとした足取りで、川に架けられている巨大な鉄橋の下へと向かっていった。
「……よし」
なぜか、行かなければならないような気がして、俺は白猫のあとをついていく事にした。
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橋の下は少し薄暗い。それでも夕日が差し込んでいるため、視界は良好だった。
俺は音を立てないように、ゆっくりと橋に近づき、中の様子をうかがう。
すると——
「——どこに行っていたのですか、ルウ」
「……!」
澄んだ声が辺りに響く。
そこに人がいるとは思っていなかった俺は、慌てて橋の外に身を隠した。
これじゃあまるで変質者だな、などと他人事のように感じながら息を整えていると、
『どこって……食べ物を探していたんだよ。ほら、何か食べないと……このままじゃあ白亜、死んじゃうよぉ』
今度は少年のような明るい声。
死ぬって……、何かあったのだろうか。
俺は興味半分、心配半分でもう一度中をよく見る事にした。
「……!?」
思わず目を疑う。
砂利の転がる何の変哲もない河原に——”白い鎧を纏った少女”が横たわっていたのだ。
見る者を引き込んでくるかのような、蒼く輝く双眸。大人の風格を漂わせつつも、まだ幼さを残した整った顔立ち。金髪が夕日に照らされ、美しい輝きを放っている。
——まるで、中世の世界から抜け出してきたかのようだ。
装飾が施された無駄のない鎧も美しかったが、彼女は容姿はそれすらも劣って見させるほど美しかった。
俺はしばらくの間、彼女に見とれてしまっていた。
と——、そこで気づく。
少女の隣に猫がいたのだ。リンゴをくわえた、あの白猫ルパンだった。
なるほど、彼女の飼い猫だったのか。そう言われてみれば、どこか雰囲気が似ているな。
……どこか腑に落ちない。
自分でもよくわからないが、何か違和感を感じるのだ。
俺が思考を巡らせていると、白猫が少女に近づいていき、
『ほらこれ、食べられそうな物取って来たよ。少しでもいいから食べて』
——再び少年声。
この瞬間、俺は違和感の正体に気づいて、叫んでしまっていた。
「猫が……喋ったぁ!?」
「——! 誰っ!?」
刹那、少女が立ち上がったかと思うと、
「——一閃!」
ゴウ、と凄まじい速さで俺の目の前を”何か”が通り過ぎていった。
「うわあぁぁっ!?」
驚いたあまり、バランスを崩して後ろに倒れ込む。右手のケーキをかばおうとしたら、派手に尻餅をついてしまった。
「痛ってて……」
チャキッ、という金属音とともに、何かが突きつけられる。
見上げると、そこには剣を携えた少女が険しい顔でこちらを見ていた。
夕日を背に立つその姿は、凛とした花のごとく、とても優雅だった。
俺は再び、彼女に目を奪われた。
「君、は……?」
やっと口から出た言葉は、誰にも受け止められないまま、場を沈黙が支配する。
しばらくして、少女がゆっくりと口を開いた。
「……こんな所でコソコソと……あなたは一体、何者ですか!」
それも、剣を大きく振りかぶって——ッ!!
「——っ! いや、ちがっ……俺はその、怪しい者じゃなくて……! 見てただけというか、だからつまり……あれだ! 一目惚れでした、すみません!」
回らない舌で必死で抗弁するも、少女は「言っている意味がよくわかりません」とでも言いたげに、目を鋭く細めた。剣を持つ手に、更に力が入ったような気もする。
これはマズい……! どうにかして誤解を解かないと、俺の命が危ない。
俺がビキビキと顔を引きつらせていると、
『あー! 君はさっきのMr.《ミスター》君!』
あの特徴的な少年声が響いて、
「「——え?」」
俺と少女は同時に、ふんぞり返っている白猫——ルパン、もとい”ルウ”の方を見たのだった。
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『エンカウント後編』に続く。