7月11日 PM5:01 『僕と彼女の存在価値』
保健室に鈍い光が差し込む。
掛け時計を見ると、針は5時を指していた。
4時間前。
保健室の扉を開けた時、彼方彩乃はベッドの上に寝かされているところだった。
陽人に言われるまま様子を見に来たのは良いが、なんて声をかけていいかもわからなかった僕は、ただ黙ってベッドの横に腰掛ける。
僕が隣に来ても彼女は何も言わず、ただ俯くだけだったが、しばらくして泣き疲れたらしい。
時計の針が1時半を指す頃には寝息をたてていた。
数時間前の、彼方彩乃の慟哭を思い出す。
失敗作だと昔から笑われていた少女。
それが彼方彩乃だという話は、高校に入学した時に陽人に聞かされてからずっと覚えている。
この世界で稀に誕生する爆弾は皆、その世界の最高責任者のもとに預けられ、まるで王のように不自由のない生活を送っている。
そのため、人間にも関わらず自分の正体は爆弾だと偽る者が多いとか。
今、目の前で眠っている彼女はどうだろう。
爆弾として生まれながらも、力を持たずこの世に生を受け、人間にもなりきれなかった彼方彩乃。
人間からは出来損ないと罵られ、爆弾からはその存在を否定され続けている。
身を裂くような苦しみだったはずだ。
「…まだいたの?」
目を覚ましたのだろう、彼方彩乃が弱々しい声で呟いた。
しばらく眠り続けていたとはいえ、目は赤く腫れたままだ。
「心配だったから」
自然と口からそんな言葉が漏れていた。
心配だったのは事実だし、弱々しい彼女をどうにかして立ち直らせたいと思ったのも事実だ。
それでも、そんな言葉に一番驚いていたのは紛れもない僕自身だった。
「…ありがと」
消えそうな声。
俯きがちに微笑む。
その姿が物寂しげで、思わず言ってしまった。
「死にたかったの?」
彩乃の顔が歪んだ。
俯きがちのまま、小さく頷く。
「意味なんてないもの」
「え?」
「爆発すら出来ない爆弾なんて、存在する価値がないの…生きる意味なんてないのよ」
肩を震わせて、再び彼女は泣き出した。
「私の存在がわからない、爆発するために生まれてきたはずなのに…」
「彼方…」
「助けて…お願いだから、私を助けてよ…」
似てると思った。同じだと思った。
同時に彼女を救いたいと思った。
人はなぜ生まれ、なぜ死んでいくのか。
そんなこと神でもない限りわからないだろう。
それでも、人間は生きていることが当然なのだと思い込み、その命の重さを考えることなく死んでいく。
心臓が時を刻むことを止め、この世界と別れを告げる時、人はどんな景色を見るのだろう。
この世界に生きる人間は、死ぬときに何を見るのだろうか。
知りたくなった。
だから僕は決めたのだ。
「こんな世界、僕もいらない」
「え?」
なぁ、彼方彩乃。
生きる意味がないのは、僕も同じだ。
こんな世界には、希望も未来も何もない。
それならばいっそ…
「…爆発してくれよ」
その日、空を覆っていたのは黒ずんだ分厚い雲。
それはまるで、彼方彩乃の心のようだと思った。
生きることを諦め、苦しいとのたうちまわっていた僕と彼女はこの時、確かに繋がったのだ。
自分の存在を見出だせない爆弾の彼女を救うこと。
それは、彼女を爆発させること以外にない。
ようやく、僕の世界に光が入り込んだ気がした。
決して普通とは程遠い僕らの未来だけど、決して輝かしい望みなんてないけれど。
もしも彼女が生きることに疲れ、存在価値を見出だせないなら。
僕は、彼方彩乃を爆発させるために存在しよう。
彼女の存在が爆発するための爆弾ならば、僕は彼女の起爆剤になろう。
それが、どこまでも出来損ないで、生きる価値のない僕の生きる意味だ。
「生きる意味が、存在する意味が爆発することなら…僕はそれを手伝う」
「…枷くんも死んじゃうよ」
「構わないんだ、もう生きてる必要もないしな」
「でも…私…」
「大丈夫、彼方は失敗作なんかじゃない」
僕の言葉を聞き、喜んでくれたのだろうか。
さっきとは違う色の涙が彼女の頬を優しく伝った。
考えてみれば、僕のしようとしていることは最低で愚かなことかもしれない。
この世界には、何十億という人間がいる。
きっと彼女が爆発をすれば、世界中の爆弾達が誘発され爆発するだろう。
そうすればこの世界の文明は滅び、0に還る。
それでも、僕は彼女を救いたいと思ってしまった。
目の前で肩を震わせ、声を殺して泣いていた彼方彩乃を救わなければならないと、そう思ったんだ。
それから、ようやく彩乃は笑った。
その笑顔を見るのは、2回目だ。
僕も彼女に応えようと微笑み返した、その時。
「ずいぶんと物騒な話をしてるじゃないか」
突然の声に身体が大きく震える。
後ろを振り向くと、陽人がドアに寄りかかったまま、静かな目で僕らを見つめていた。
腕を組み、口元の端をつり上げて笑っている。
まずい…。今の話、全部聞かれて…。
だが次の瞬間、陽人の口から放たれた言葉は、予想を遥かに上回るものだった。
「…好きにすればいい」
「は?」
「だから、好きにしろよ。爆発させることが彼方を救うことなんだろ?」
「お前…止めないのか?」
「止めねぇよ」
当たり前だと言わんばかりの顔をして、陽人は笑った。
爆発することは不可能だと、そう思っているのだろうか。
「俺は絆創膏取りに来ただけだ」
陽人は救急箱を勝手に開け、無造作に絆創膏を掴む。
彼の手を見ると、やはりガラスで切ってしまったのだろう。
切り傷がいくつもついていて、その傷口からは真っ赤な血が滴り落ちていた。
「なぁ、陽人」
僕の問いかけに返事をする代わりに、陽人は小さく呟いた。
「枷…最近よく、子供の時のことを思い出すんだ。お前と初めて会ったときのことをさ」
「なんで突然そんなことを」
「わかるだろ?俺はただ、お前の友達でいたいだけだ」
それだけを告げると、陽人はひらひらと手を振って保健室から出ていってしまった。
どういうことだ?
彼方彩乃が爆発すれば、お前も死ぬんだぞ。
陽人も死ぬことをなんとも思っていないのだろうか。
「まさかな…」
まあいい。
明日になればまたあいつは学校に来る。
一体どんな思いがあって、陽人は僕らを止めなかったのか。
その理由は明日、はっきりするはずだ。
そう思っていたのだけれど。
僕と彩乃が、想いを伝えあったこの日。
――胸に残る謎だけを僕に残し、一門陽人は姿を消した。