社内規定違反?
日常、いや思い出話や妄想が大勢を占めるブログ「今日のことは今日のうちに」にて投稿した記事からの抜粋です。8割が事実、2割は壁のひび割れを補修する程度に作ってます。
先日、乗務中の車掌がスポーツ新聞を読んでいたという。
乗客の安全を考えれば当然だ。
最近はこういったニュースが増えた。
でもこういう事案が増えたのではない。
6歳の頃だったと思う。
わたしが住んでた田舎は、
へき地や過疎地などと言われる半日村のような地域であり、
当時車の免許を持っていなかった母は、
日用品や食料品を買出しにわたしと弟を連れ、よく電車で街まで出ていた。
身延線という無人駅ばかりの単線。
鉄道が好きだったわたしは
この買い出しが何よりも楽しみだった。
ある日、買い物が終わり帰りの電車に乗った時だった。
わたしは別の車両に一人で乗りたいと言い出した。
大人の一歩を踏み出したかったのか。
なぜそう思ったのかよく覚えていない。
母をそれをあっさり許してくれた。
自分で言うのもなんだが、小さいときはあまり手のかからない子供だった。
わたしはガラガラの車内で、4人掛けのボックスシートを独り占めにしたり、
トイレのドアを開けたり閉めたり、
車内で切符を切る車掌さんを凝視したり、
とにかくやること沢山。
これこそ好奇心と言うのだろう。
ただ、6歳児の注意力とはあまりに微々たるものだった。
窓を見ると普段母と乗っているときには
見たことのない景色が見えた。
我が家が見える。
ぼう然と見る。
そして過ぎていく。
本当は電車から我が家が見えてはいけない。
それは乗り越さないと見えないはずの位置だから。
状況を整理できないがマズイことになったことには違いない。
母を探しに車両から車両へ歩き回った。
でもどこにもいなかった。
6歳児の絶望だ。
泣いた。たぶん大声で。
ガラガラの車内だから泣き声は響いたと思う。
気付いてくれた車掌さんにヒックヒックしながら訴えた。
降りたかった駅が過ぎちゃったこと。
お母さんがいなくなっちゃったこと。
切符はお母さんが持っていること。
お金を1円も持っていないこと。
何にも持っていないのに電車を乗っててごめんなさい。
家に帰りたい。
車掌は一生懸命訴えを聞いてくれていたんだと思う。
落ち着きを取り戻し始めたわたしから、
母の名前と電話番号を聞き出していた。
ただ当時はケータイなんぞ無い時代。
4つ先の有人駅で降ろされ、
わたしの処遇は車掌さんから駅員さんに引き継がれた。
わたしは普段駅員しか入れない事務室に入ることができ、
乗り過ごした悲しさなど忘れていた。
駅から連絡をもらった母はと言えば、
当然降りてくるはずのわたしがいなかったことに、
さらわれたのか、電車から転落したのかなどと
もっと大きなスケールで心配しており、
国鉄(当時)ではなく、警察に電話しようとしていたところだったらしい。
次に来る反対方向の電車に乗せるから
母には駅まで迎えに来ていてくださいということになった。
30分ほどその駅で駅員さんと遊んでもらった。
反対方向の電車が来ると、乗せてもらった、運転室に。
電車好きにはこの上ない栄誉だが、
事情が事情だけに、送り届ける使命の下、そうなったんだと思う。
運転席の隣、補助席を下ろし、ちょこんと座っていた。
途中、運転士さんが、さきいかをくれた。
わたしはさきいかを口の中でクチャクチャしながら、
ただただ運転室からの絶景にぼけっとしていた。
日は暮れていた。
駅には母と弟、近所のおばさんも来ていた。
やっと帰れた。
いっぱい泣いた。
でも楽しかった。
30年前の車掌さん、駅員さん、運転士さんありがとう。
でも、運転士さん。
なんで運転中にさきいか持ってたの?