大山鷹一郎の不思議捜査シリーズ第6作~その1
大山鷹一郎シリーズの最終章です。前回も登場した「蛇骨」というものは、拙著「迦楼羅の里」に登場する、自分なりの悪魔です。この手先となったのがこれまでの怪物たちという設定にしてあります。
この物語は一部実際の地名や歴史上の人物名を使用しておりますが、ほとんどの人名地名は架空のものです。
・川北署
大山鷹一郎・・・九州のとある県警川北署刑事。連続猟奇殺人事件を追う内に、様々な神秘体験をする。源頼朝の転生。副署長に昇進。
汐田・・・九州のとある県の県警川北署鑑識。勇退
茂天城次・・・新鑑識長
山内・・・川北警察署長。
羽間賢信・・・九州のとある県県警川北署刑事。大山の部下。佐々木盛綱転生
羽間さなえ・・・川北署元婦警 羽間妻 旧姓大進
桝永浩二・・・羽間の後輩刑事
小野道子・・・『ラ・クア・クチーナ』ママ
・協力者
小宮山祥子・・・後白河法皇の血流末裔(故人)
山高梅良・・・藤桜大学新解考古学教授。比叡山裏衆金剛力士。安達盛長転生
緑川小百合・・・緑川工業現社長 小式部内侍崇徳院得子の記憶を持つ九尾の狐
尾加田剛・・・大山の同級生
岡島啓介・・・川南署刑事 大山の高校同級生
白水かおる・・・大山のパートナー。私立探偵。北条政子転生 比叡山裏衆
金杵麿大和・・・役行者直系葛城流の継承者
・「SKディストリビューション」
白水小四郎・・・白水かおる弟 社長
光田季彦・・・総務
市川誠二・・・営業
伊加麗子・・・営業
・沖皇物流
沖皇尊成・・・会長
沖皇為人・・・社長
沖皇盛成・・・副社長
沖皇懐・・・常務
・沖皇物流関連
北西三郎・・・睦海興行社長
一文字尊久・・・睦海興行相談役 北西三郎の従兄弟
川南商店街会長
七城植子・・・前田産業秘書
・その他
大倉美也希・・・光田殺害犯人に疑われる
志水太郎(信濃駒一)・・・光田殺害犯人疑惑
兼末明・・・川北商工会議所会頭
与里重重琢磨・・・川北市長
大倉昭二・・・美也希の実父
1
あの奇妙な行真会事件から5年が過ぎていた。この日はうららかな春の日だった。あれからは川北市には平和な日々が訪れてきていて、川北署が扱う事件も窃盗や事故などばかりとなっていた。
定年間近だった山内を補佐するために、大山は副署長に昇格していた。いまだに白水かおるとは籍を入れていなかったのだが、一方では羽間賢信は主任になって、かつて先輩だった大進さなえと結婚し、子供もできていた。
ベテラン鑑定士だった汐田は勇退していて、新たに茂天城次が転勤してきて現場を仕切っていた。本庁でも勤務経験がある相当な実力者であり、汐田が自分の後を任せられるのは茂天しかいないと強引に勧誘してきた、かつての同僚である。汐田のような貫禄こそなくてガリガリに痩せていたが、科学知識は相当なものだった。
だがこれだけ平和だとその腕を発揮できないでいた。悶々としていた茂天をみかねた羽間は、茂天を『ラ・クア・クチーナ』に誘ってランチしていた。
相変わらずの大飯食いである羽間は500gの大盛カツカレーを食べていたのだが、茂天はサラダとコーヒーのみだった。
「茂天さんさあ、もうちょっと食べたら?それじゃ元気出ませんよ。」
茂天は厚めの眼鏡を軽く持ち上げ、ボソリと言った。
「あのね、そもそも私はお昼食べなくていいんですよ。長年そうやってきたんですから。主任みたいに食べてたら頭が働きませんよ。汐田さんがやり甲斐ある署だからって言って期待してきたのに、なんですかこの平和極まりない町は。私が扱ったのって、隠れ指紋を検出しただけじゃないですか。こんな暇な職場で食欲?はー・・・。」
羽間は茂天のネチネチとしたどうでもいいセリフはほとんど聞き流していた。
「今はねえ。でもね、数年前までは汐田さんも大変だったんですから。お世話になりましたよ。元気出していきましょうよ。平和が一番っすよ!」
「ケンち・・・こほん、主任は食べすぎでしょ。」
「あのねえママ、現場は疲れるの!頭使うから飯食ってなきゃどうもならんとよ。」
最近孫ができたと言っていた小野道子は、少しばかり腰が痛むようになってきていたのだが、悪態は全く変わっていなかった。
「全く夫婦揃って大飯食らいなんだからねえ。この間もさなえが来てさあ、唐揚げ6個トッピングナポリタンとピラフとサラダ食ってったんだよ。息子もえらく食べてた。まだ3歳だろ?なんだよ、あんたたち。」
「いいことじゃないすか。そもそも食わねえ奴ほど・・・おっと失礼。」
羽間は茂天がいたことを思い出して慌てて口を塞いだ。だが茂天はブツブツ言いながらタブレットを扱っていた。天才らしいのだが、羽間にはどう扱っていいのかよくわからなかった。極端な体育会系と文化会系なのだから当然ではあった。
羽間が何か言いかけた時、スマホが鳴った。
「あれ、先輩だ・・・はい、羽間っす・・・え?」
羽間は食べかけのカツカレーのスプーンを置いて、愛用のシステム手帳に記入しはじめた。
「はい・・・はい・・・、今ちょうど鑑識長と一緒っす・・はい、わかりました!」
羽間は茂天が持っているタブレットを指で下げ、茂天の顔を覗き込んだ。
「仕事っすよ。急いでこれ食べちゃいますから、ちょっと待ってくださいね。」
羽間は5分で完食し、茂天と署長室に向かった。
「羽間、入ります!」
「おう、入れ!」
中にいたのは、今は副署長となった大山だった。
「あれ、署長はお出かけですか?」
「どうも調子悪いそうだ。なんせ糖尿持ちだからなあ。ああ、茂天さん、お手数です。」
羽間と茂天は大山に勧められるままに、ソファに座った。
「で、さっきの件だが。」
「どうしたんですか?SKディストリビューションって言ったら・・・。」
「ああ・・・小四郎の会社だ。」
かおるの弟である白水小四郎が立ち上げた会社の話らしかった。
「そこで総務が失踪・・・となると、先輩は動けないすね。」
「そうなるな。まだ籍は入れていないが、一応は身内だからな。そこで、茂天さんにお願いがあるんですよ。あらゆる証拠とデータを取ってきてください。もうチームは派遣させています。羽間が付きますから。」
茂天はそれでも不満そうだったが、今までよりもマシな仕事ができそうだと思い、軽く頷いた。
「じゃあ現場にまず行って、後はかおるさんに訊ねるといいすね。」
「ああ、頼む。」
羽間と茂天は早速出かけていった。大山はコーヒーを入れて椅子に座り、目を閉じて、かおると繋がった。
(今羽間に伝えた。鑑識長も同行する。小四郎くんはどうしてる?)
(ありがとう。かなり堪えているようね。今が一番大事だったから。)
(そうだな。ただ、少し引っ掛かる。政子はどうだ?)
大山は源頼朝の転生であり、かおるは北条政子の転生なので、普段はこのように呼び合っていた。
(やっぱり胸騒ぎがしている。いつもこういう時に思うけど、今度こそあの方が・・・)
(そうかもしれんし、そうではないかもしれん。もしそうだとしても、相手が相手だ。簡単に我々に気取られるようなことはするまい。)
(それはそうね。でも気をつけていましょう、殿。)
(ああ)
精神感応なので、これだけのやり取りは瞬時のことだった。まるでテキストデータの交換のようであり、あとはそれぞれの脳内で変換するだけだ。転生を受け入れた後、2人はごく自然にそうなっていた。
かおるは大山との交信の後で、当事者である白水小四郎に電話した。弟とは通常の連絡となる。
『姉貴・・・困ったよ。通常業務もできやしない。』
「今から主任と鑑識長が向かうそうよ。仕方ないわ。任せてあげて。」
『姉貴は経営してないから簡単に言うけどさ!これからって時にこれじゃあ・・・。』
「わかったから。いいわね。じゃあ。」
かおると小四郎とは、いつもこうだった。いつまでたっても甘えてくる。彼らの実の父親四郎が昔気質の人間だったので、姉弟で支え合ってきたことが大きかった。
(これも過去因なのかしらね)
かおるはため息をついて、自分の仕事に取りかかった。
2
羽間たちが管理ビルに着いた時にはすでに多くの鑑識官たちがあれこれと調べていた。SKディストリビューションは川北市内に14年前に設立されたベンチャー企業であり、白水小四郎のイニシャルを社名にしている。AIとネットワーク強化を基礎としていて、様々なジャンルに取り組んできていてローカルCMを多く流していて、川北ではちょっとした話題になっていた。
地方都市とは言え、市役所がある中心部にオフィスを、郊外に管理ビルを所有していて、相当にやり手であることは誰の目から見ても明らかだった。羽間は現場の指揮をとっていた後輩の桝永浩二に話しかけた。
「おう、お疲れ。どうだ?」
「ああ主任。ここに常駐していた光田季彦総務が、夜勤から戻らなかったそうです。家族が心配して通報してきました。年齢は38歳。奥さんと息子さんが同居で、市内の賃貸マンションにいます。通常は決まって6時半には帰宅していたのですが、期限が迫っていた仕事があったので夜勤していたとのことです。最後に連絡があったのが、もうすぐ終わって帰ると連絡あったのが夜10時5分でした。ここからなら、市内まで30分もあれば着く距離ですし、渋滞もありませんでした。個人所有の自家用車はなくなっています。現在、各監視カメラの分析を行っている最中です。」
枡永は若いがかなりの切れ者で知られていて、報告も淀みなかった。
羽間は頷いて、辺りを見まわした。
「社長は?」
「つい先ほどまでここにおられたんですが・・・ああ、あそこです。4番席に座っています。」
この管理ビルは、基本的には全てコンピューターである。
それぞれ独立した部署になっていて、アメリカのようにボックスで囲まれていた。
メインの席は中央にあり、周囲に個室がずらりと並んでいた。
見た目だけだと50はあるだろう。
ビル全体だとどれくらいあるのかわからない。
羽間は茂天を鑑定チームに残し、4番席に向かった。
そこには知った顔の男がいた。
きちんと髪をバックに揃えていて、一部の隙もないくらいピシっと黒いスーツで決めていた。
羽間は声をかけた。
「社長、久しぶりです。」
「あ、ケンちゃん。大変だよ、もう。」
社長の白水小四郎だった。一見優男風だが、やり手オーラが全身から漂っていた。14年間で年商10億を達成しただけのことはある。羽間はかおるの弟ということで面識はあった。
「そうでしょうね。光田総務って、そんなに重要な仕事を担当されていたんですか?」
小四郎は肩をすくめてキーボードを叩いた。流行りのヒット曲が流れてきた。
「まあ・・・よくある話だけどさあ。うちみたいに急成長した企業って、どうしても社員に負担がかかっちまうじゃん?光田は俺の懐刀でさ、俺が指示するより先に動く男なんだよ。今もでかいプロジェクト組んでてさ、先方とのネットワーク構築をあいつがやってたんだよ。ノーベル賞クラスのプラットフォームも作ってたんだ。決まったら億のプロジェクトだよ?それがいなくなっちまったんだから、とんでもない損失だよ。でさ、急いでやんなくちゃなんない。まだ終わらないの?」
「社長、捜査には時間かかりますよ。肝心なのは総務が無事で見つかることでしょ?焦らずに・・・。」
「焦るに決まってるだろ!」
小四郎は激高して声を荒げたが、慌てて手を振って謝った。
「ケンちゃん、すまん。もうギリギリなんで・・・。」
「いいですよ。それでも待ってて。いいですね。」
「わーったよ。」
小四郎の感情起伏が激しく、結構扱いにくい男だという認識は羽間にはあった。これでは、かおると合わないはずだ。だがカリスマ的な求心力は持ち合わせていて、社員からの信頼度は抜群だった。
羽間は茂天のところに戻った。
「茂天さん、どうです?」
「まだ何とも言えませんが、争った形跡はないですね。今のところ仕事を終えて、そのまま帰宅したと考えるしかなさそうです。」
「わかりました。終わったら枡永に言ってください。」
「了解です・・・ああそうだ。ひとつだけ言っておいた方がいいことがありました。」
「なんですか?」
「こんなものがありました。社長にお見せした方がよろしいかも?」
茂天が差し出したものは、キーホルダーと思われるものだった。
「これが?どうかしました?」
「これね、よく見てください。刀のキーホルダーなんですよ。ほら、これが鞘でしょ。」
「ああ、そうですねえ。」
「で、ここ・・・これ、本当は刀が入っていたはずなんですよ。でもそれがない。個人所有かどうかわかりませんが、私的には不自然に思える品物なのですよ。」
見てみると、確かに刀身がない、鞘のみだった。それもかなり古そうな形だった。確かに汐田が推薦しただけのことはある。切れ者だけではこういうところに気がつかない。
「そうですね。・・・あ、ちょっと待ってください。」
羽間はこのキーホルダーをスマホで撮影した。
「見せるのは後でいいでしょう。続き、よろしくお願いします。」
小四郎が手を付けてしまうかもしれないので、とりあえず証拠物件として調べることにしておいた。羽間はビルの外に出て、光田の自家用車があった立体パーキングに行った。そこにも捜査官がいたので、羽間は声をかけた。
「お疲れ様。どうだい?」
「ああ主任。特別に変わったことはないです。足跡も、ほぼ被害者のものだけです。ここはごらんの通り、立駐になってますから入りようがないです。それに・・・入ったところでねえ。監視カメラでは、被害者と思われる男性が映っていました。顔面認証急いでいます。」
確かに、このタイプのパーキングはその車の持ち主以外入りようがない。しかもどうやら光田本人が動かしていたことは間違いなさそうだ。となると、光田はビルを出た後で失踪したことになる。今後の調査を見なければわからないが、羽間は大山に電話で報告した。
「・・・という状況です。」
『わかった。帰宅途中で失踪・・・。』
「先輩?」
『ああすまん。引き続き調査を頼む。』
羽間は電話を切ったのだが、大山が途中少し不自然に声を出さなかったことは不思議だった。大山が話していた途中で、かおるから精神感応してきたのだ。
(殿・・・悪い予感がします。)
かおるに何かした感じるものがあった頃、康安寺近くにある「まほろば堂」の戸が少しの間だけ開き、中から老人の腕のようなものが現れた。老人の腕は川北市の方を指差していたが、やがて腕が下がった。何かの存在に気がついたかのようだった。そして姿を堂の中に戻し、戸は閉じた。
3
川北市から少し離れた海辺にある前田産業ビルの会議室には、数名が座っていた。男女合わせて6名だった。その雰囲気はかなり悪かった。怒号が飛び交っていた。
営業らしい男女と、会社の人間4人が対峙していて、社長の顔は元ヤンチャしていた典型的な顔だった。
「だから、それじゃ説明になっていないじゃないですか!わが社のどこが気に入らないんですか?今までだって前田さんだからこそ多くのことを飲んできたじゃありませんか。それはおわかりのはずですよね?」
「しょうがなかろ。うちでもあんたとことはいい関係でいたいよ。ばってん、しょうがなかったい。」
「話になりませんね。さっきから同じことの繰り返しじゃありませんか。どこをどう改善すればいいのかわからないで、一方的にもう取引はしないって・・・これだけの条件、上回るならぜひ教えてくださいよ。うちの会社は・・・。」
「もうよか!」
ただでさえ強面の男性は立ち上がり、机を叩いた。
「これ以上話すこつはなか。帰ってくれ。」
「前田社長!」
立ち上がろうとした男性に、秘書と思われる長身の黒いスーツの女性が遮った。
「市川さん、お引き取りください。今までの取引の清算は今月中に行わせていただきます。それでは失礼いたします。」
美しい女性は丁寧に頭を下げ、そして動かなかった。
前田はもう会議室を出て行ってしまっていた。市川と呼ばれた男性は、横に立っていた女性を見て深くため息をついた。
「わかりました。今日は失礼いたします。では・・・。伊加さん、戻ろう。」
「そうですね・・・社長に連絡入れておきますね。」
市川と伊加は前田産業を後にして、営業車に乗り込んだ。伊加麗子も、すらりとしたスタイルの美人だった。さりげない髪形が、女性らしさをより際立たせていた。
「・・・どうなってるんだ?これでもう4軒目だ。これじゃ社長に合わせる顔がねえわ。」
「それも全部が全部、沖皇物流と契約しているじゃないですか。これ、あきらかにうち潰しですよ。嫌だわ・・・。」
市川誠二と伊加麗子は、共にSKディストリビューションの社員で営業だった。SKディストリビューションは物流とAIで急成長してきた会社なので、物流には確固たる自信と実績があった。
ところが最近急激に川北市に進出してきたのが、沖皇物流だった。この会社の規模の大小はわからないが、相当以前から存在していたと言われていた。ここしばらくの間に急成長してきていた。小四郎の激高が目に浮かぶのだが、ちゃんと説明しなければならない。
2人は管理ビルに戻り、小四郎を探した。
「あれ・・・?これ、どうなっているんだ?」
「警察みたいですよ?」
ちょうど鑑識が終わり、引き上げていっているところだった。2人は社員駐車場に車を停め、ビル内に入ろうとした。
「ああ、ちょっとすみません。」
2人を止めたのは桝永浩二だった
「・・・はい。」
「社員の方ですか?」
「ええそうですけど・・・何があったんですか?」
「ああ、私は川北署の桝永と申します。もうすぐ終わりますので、少々お待ちください。」
「はい・・・あ、社長!」
仏頂面で出てきた小四郎を見つけた市川は、声をかけた。
「おう、お疲れ。」
「社長・・・何があったんです?」
「光田がいなくなったんだよ。」
「いなくなった?・・・って?」
「失踪だよ、失踪!で、何の件だ?」
「いや、あの・・・後日でもよろしいです・・・。」
「なんだ、じゃあ後でな!」
小四郎の機嫌はすこぶる悪く、こんな時にあえて悪い知らせを伝えない方がいいということはよくわかっていたので、市川と麗子は報告を諦めた。
こういう時に頼りになるのが、他ならぬ姉のかおるだった。かおるから伝えることでうまくいくというのが、この会社の常識だった。市川と麗子は社員食堂に入り、コーヒーを飲みながらかおるに連絡した。
「・・・と言うわけなんですよ。異常事態です。それもここ数日ですよ。絶対に何かあるはずです。」
『そうなの・・・沖皇物流か。最近名前をよく耳にするわね・・・わかった、調べてみるわね。社長には後で伝えておくわ。』
「ありがとうございます!」
『市川さん、横に伊加さんもいるの?』
「はい、いますよ。」
『ちょっと代わってくれるかしら?』
市川はスマホを麗子に渡した。
「代わってくれって。」
「あたしに?・・・はい、伊加です。お久しぶりです。」
『ああ麗子ちゃん。お元気そうね。どう?市川くんとのコンビは。』
「え?・・・ええ、何とかやれています。」
『そう、それならいいわ。うまくサポートしてあげてね。』
「はい、わかりました。ありがとうございます。・・・切れたわ。」
麗子は市川にスマホを手渡した。
「あたし、かおるさんって怖い・・・。」
「え?どうして?社員のことをあれだけ助けてくれる人はいないよ。俺は好きだけどなあ。」
「・・・理屈じゃないのよ。」
「まあ、女性の何とかって奴かな。男にはわかんねーよ。しかし光田さん、どうしちゃったんだろ。」
2人は次の営業先のことを話し合っていたのだが、その時に小四郎から連絡が入った。
「あ、社長・・・。」
『お前たち!まだ管理部にいるのか?』
「はい。」
『よし、お前たちが一番近い。高辻の森まですぐ来てくれ!』
「た、高辻ですか?まあ、近いですけど、どうしてですか?」
『お前たちは光田の直轄だったよな。営業と総務兼任だったよな!』
「はい。」
『だから来るんだ!いいな!』
小四郎の電話は一方的に切れた。感情的で扱いにくい男なのだが、無理じいすることはない。こんなに強制することはまずない。
「社長、どうしちゃったんだろ。営業もあるってのに。」
「仕方ないわよ。先方にはあたしが連絡しておくわ。どうせ挨拶程度だったし。」
2人は早速管理部から車で5分の場所にある高辻森に到着した。ここは古い古戦場で、慰霊塔が建っている。
「あれ?ここにも警察だ。どうしたんだよ、全く。」
市川は車を停めて、警察がいる場所まで歩いて行った。その中に小四郎の姿もあった。
「すみません、SKディストリビューションの者ですけど・・・あ、社長。」
「すみませんね、うちの社員で・・・故人の部下でした。」
市川と麗子は顔を見合わせた。
「故人?え?どういうこと?」
小四郎は黙って地面を指さした。そこには青いシートで覆われた何かがあった。
「社長、これは・・・?」
小四郎は悲痛な声をあげた。
「・・・光田だよ・・・。」
市川は目を見開き、麗子は反応できずに固まっていた。
「・・・ど、どういうことです?総務部長が、これ・・・え?まさか・・・まさかですよね?」
「総務の引継ぎは、お前たちでやってくれ・・・俺はちょっと参った・・・。」
小四郎はそう言うと慰霊塔横のブロックに腰を下ろし、髪の毛をぐしゃぐしゃにかき乱した。
「クソーーーーー!なんでだよおおおお!光田あ!」
市川は近くの警官に訊ねた。
「あの・・・見ても?」
「あ、ちょっとダメです。」
「会社の者なんですが。」
「先ほど社長さんに確認していただきましたけど・・・。」
「え・・・ちょっとお待ちください・・・ええ・・・はい。確認できました。被害者の方の部署の方で市川さんと伊加さんでよろしいですね。」
「・・・はい。」
「それでは・・・ご確認お願いいたします。」
警官は首を振った。そして被せてある布を外した。
「キャー!」
麗子は叫び声をあげて顔を手で覆い、座って震えだした。それは首がなく、白いワイシャツが血まみれの遺体だった。その服には見覚えがあった。
「このシャツ・・・間違いないわ・・・どうして?なんで?いやああああ!」
「伊加さん・・・もう君はいい。座ってて・」
そして市川は、横にあるもうひとつの膨らみに気がついた。
「これ・・・は・・・?」
「大丈夫ですか?」
「・・・はい。」
「では、ご確認をお願いします。」
警官はその布を持ち上げた。
「これ・・・部長・・・どうして!何があったんですか!」
それはいつもの穏やかな表情のままの、光田季彦の首だった。
4
川北署の署長室には大山と羽間と枡永、そして茂天がいた。枡永と茂天から報告があり、羽間は腕を組んで背もたれに身を沈めた。
「久しぶりのこういう事件だな・・・しばらく何もなかったからなあ。で、具体的な実証は何もない・・・となるのか。」
「そうなります、ね。そもそもですけど、誰かに呼び出されて外出したということもなく、彼のスマホには何もありませんでした。当然会社にもそういうことはなく、社員やご家族も何も思いつくことはないと断言されていました。借金があるわけでもないですし。」
「光田さんは結婚されてたんだよな・・・かわいそうに。」
大山が口を開いた。
よく知っている男だっただけに、声には少し悲痛感があった。
「はい。彼の交友関係はまだ洗い終わっていませんから、残すところはそれと通り魔殺人か、です。」
羽間は茂天に声をかけた。
「今思い出したんだが、あの鞘キーホルダーは誰のなんですか?」
「あれはおそらく被害者のものでしょう。今のところは全く確定できていません。」
「浩二、ほかの社員には聴き込みしたのか?」
「はい。ですが見たという声はなかったです。」
すると大山が眉をひそめて羽間に訊ねた。
「鞘キーホルダー?」
「はい、これです。」
羽間はスマホの画像を大山に見せた。
「ちょっと貸してみろ・・・うーん・・・。」
「どうかしたんですか、副署長。」
「・・・いや、何でもない。ケン、この画像、俺に送ってくれないか。」
「いいですけど、どうしたんですか?例の勘ですか?」
副署長には超能力があるという噂は、署内で飛び交っていた。ありえない難事件を悉く解決してきたのだから、それは仕方ないことなのだが。
「わからん。ただ気になるんだ。」
大山の中ではすでに、大山鷹一郎と源頼朝という2つの記憶があった。もちろん大部分が大山のもので、頼朝の記憶は何かあれば出てくるようになっていた。
その何かがあったようだ。この鞘が、どうにも記憶のどこかに訴えてきている。そもそもこれは、頼朝が知っている鞘ではない。直線的であり、実践的ではない。
「うーん・・・これについては、俺もちょっと調べてみる。ケン、よろしく頼む。茂天さんも、これについてもう少し調べてくれ。意味はないかもしれんが、どうも気になるんだ。」
「ええと・・・こういうものに関しては、汐田さんの方がいいかもしれません。あの人に伺ってみます。」
茂天はデータを集めたノートパソコンを見ながらつぶやいた。羽間は気になって声をかけた。
「どうしてなんですか?」
「主任、私は科学的根拠で調べるんですが、この形状は・・・かなり古いタイプとだけはわかります。汐田さんは骨董とか歴史とかにも詳しい方ですから。」
「汐さんか・・・俺も久しぶりに会ってみたいな。では副署長、まずそこから調べてみますね。」
「頼む。ああ、それから浩二はちょっと残ってくれ。」
茂天と羽間が部屋を出て行った後、大山は枡永と対面で向かい合った。
「何です、副署長?」
「今回の事件なんだが、現場のことはケンと茂天さんに任せたい。で、君には別の捜査を頼みたいんだ。」
「はあ・・・。」
「俺に超能力があるとか聞いたことはないか?」
「はい・・・い、いえいえ!」
「いいさ、わかってるしな。奇妙に思うかもしれんが、俺には妙な勘があることは間違いない。そういうことなんだよ、頼みたいのは。つまり・・・。」
大山が言うことを枡永が理解するまで、少し時間が必要だった。
「・・・それ、今回の件に関わりあることなんですか?」
「わからん。だがな浩二、過去にここで起こった事件って、本当にそういうことが大きな要素になっているんだ。詳しいことは言えんが、それをケンたちに任せるわけにはいかない。あいつはあいつで現場を徹底的に調べてほしい。わかるな?」
「まだよくわかりませんが、了解しました。その線で調べてみます。」
「頼む。」
枡永は敬礼して出て行った。枡永が行った後で、大山は再び、かおると精神感応に入った。
(政子、間違いないと思う。あの鞘・・・これは間違いなく・・・あれだ。)
(ああ・・・とうとう・・・でもこれも定めですからね。あの方が・・・・)
(そうだ。俺はサポートしかできない。乗り切ろう。そのための転生だ。)
(はい。)
かおるとの精神感応を瞬時に終えると、大山は自室に戻って茶をたてた。もちろんこのような趣味は、かつての大山にはなかったことだ。
頼朝は彼の時代において、茶を飲んだ日本人の1人だった。茶は日宋貿易を行った清盛に伝えられたようだ。その後徐々にごく一部の権力者にのみ広がり、頼朝にも伝わっていたようだ。
もちろん現在に伝わるような点前などではない。ただ入れて溶いて飲むだけだ。大山は香り高い茶を飲み、深くため息をついた。今回の本質的な敵のイメージが浮かんできた。
その瞬間、猛烈な後悔の念と同時に、すさまじい怒りが大山を襲った。
「ぐうう・・・やはりか・・・。」
大山はソファに横になり、しばらく深呼吸して心を落ち着かせた。前の時も大敵だったのだが、あの時にはまだ攻勢をかけることができた。
だが今回は決定的に不利だ。大山は目を開け、ゆっくり起き上がった。そして窓に歩み寄り、外に広がる川北市街を眺めた。おぼろげながら、なぜこの地に、そしてなぜこの時代に頼朝と政子が転生してきたのかもわかってきていた。
いずれ明らかになるのだろうが。
5
羽間から連絡が来たのは、光田殺害から2日後のことだった。
「先輩!容疑者が浮かんできました!」
『そうか!誰だ?』
「まず、ガイシャ殺害に用いた凶器は日本刀と思われます。相当な達人が背後から切ったようですね。光田は18歳の頃に一度結婚していました。日本海に浮かぶ小島で、荒水島という名前の島で事業を行っていました。その時に娘がいました。しかし光田は自営していた会社を辞め、家族を置いて島を出ました。娘は母親の冴が苦労したのは光田のせいだと思い込んでいたようです。周囲にもそう漏らしていたそうです。その後冴は、光田の会社を引き継いだ大倉昭二と再婚して大倉姓となっています。娘の名前は大倉美也希17歳、カラオケ店員。パートナーは志水太郎、同い年で同じ職場です。2人は現在、川南のアパートにいるとの情報が入っています。志水太郎にはフリマアプリで日本刀を購入したという情報があります。今から確保に向かいます!」
『・・・そうか・・・頼む。』
「・・・先輩?どうかしたんですか?」
『いや・・・なんでもない。しっかりやれ!』
「はい!失礼します!」
電話を切って、羽間は大山の元気がないことが気にはなったのだが、犯人確保が先だ。羽間は数名の警察官と共に、川南にある古いアパートに向かった。川南署にも連絡を入れていて、すでにアパートの住人は密かに退去させてあった。
羽間らはアパートに到着し、容疑者たちが住んでいる2階の窓の下と階段に警察官を配置した。準備が整い、宅配業者に扮した警察官がまずドアをノックした。
「大倉さん!宅配便です。」
反応はなかった。警察官が2度目のノックをしようとした時、中から声がした。
「うちに宅配が来るかよ!帰れ!」
警察官が羽間を見た瞬間、突然扉が開いて、ロングヘアの女性が日本刀を持って飛び出してきた。
「あああああああ!」
警察官は持っていた荷物を盾にして防ぎ、両脇にいた警察官が飛び出してきた。女は腕を押さえられて激しく抵抗したのだが、すぐに押さえ込まれた。
「男はいるのか!」
羽間が叫び、警察官2名が部屋の中に飛び込んだ。
「だあああああ!」
中にいた男が日本刀を振りかざして斬りかかってきた。警察官の1人は腕をやられて倒れたが、もう1人の警察官が拳銃を構えて叫んだ。
「動くな!」
だが男は怯まずに切りかかろうとしたので、警察官は足を狙って一発撃った。
「ぎゃあああ!」
男は刀を落として転げ回り、羽間が飛び込んできて日本刀を足で離し、男に手錠をかけた。
「確保!」
女を押さえた警察官が飛び込んできて、男を押さえた。
「救護班!処置!」
待機していた救護チームが飛び込んできて、素早く男の足を止血処置した。羽間は汗を拭いて立ち上がり、男を救急搬送車に乗せるよう指示し、女の元に向かった。女は髪を振り乱し、なにか叫んでいた。
「おい!大倉美也希だな!」
女は自分の名を呼ばれ、血走った目で羽間を睨んだ。
「うるさい!」
「銃刀法違反並びに殺害容疑で逮捕する。」
大倉美也希と思われる女性は何か言いかけたが、羽間の目を見ると急に暴れなくなった。
「殺害容疑?・・・?な、なんで!」
「連行しろ。」
羽間は命令し、茂天チームを呼び込んだ。
「よろしくお願いします。」
鑑識班が部屋を物色する間に、羽間は手袋をはめて日本刀を持ち上げた。ずっしりと重い刀だった。
「これを買ったのか・・・茂天さん!」
羽間は茂天を呼び、刀を持ち上げた場所に置いた。
「これが凶器でしょうね。」
「まだわかりませんが・・・。」
羽間は鑑識の結果を待つ間に、アパートの外に出て、川南署の警察官たちと打ち合わせを行った。やがて鑑識も終わり、羽間は茂天から報告を受けた。
部屋にあった中学の学生証から、女は大倉美也希に間違いないことだった。男に関する情報は指紋のみだったので、署に戻って調べるとのことだった。羽間はまず大山に2人の確保を報告し、マスコミへの対応を依頼した。
後処理が終わり、羽間は車に乗った。いつもそうなのだが、一仕事終わって車に乗った瞬間には脳内が真っ白になる。一瞬でもストレスから解放されたいのだろうと、羽間は思っていた。飯をがっつり食べることや家族と団欒することももちろん大事なのだが、この瞬間が仕事疲れを忘れさせてくれる貴重な瞬間なのだ。
だがいつもと違ったのは、空白を感じたその瞬間、懐かしい声が聴こえてきたことだった。
(ケンちゃん・・・。)
羽間は辺りを見回したが、誰もいない。不思議に思ってエンジンをかけようとしたとき、また声がした。
(ケンちゃん・・・懐かしい。)
今度は誰の声なのか、はっきりと認識できた。数年ぶりに聞こえた声だった。
「祥子・・・祥子なのか!」
(わかってくれたね。嬉しい。)
「おい!お前は死んだはずじゃ・・・。」
(うん。そうよ。でも、いつもケンちゃんを感じていたよ。)
「祥子・・・どうしたんだ。」
(ケンちゃん・・・気をつけてね。今度の敵は、本当に危ないよ。)
「敵?敵だって?何のことだ?」
(もうすぐわかる・・・でね、その時々で、あたしを呼んで。そうしないと自分からは声かけにくいの。今はケンちゃんの心が緩んだからできたけど。)
「よくわからん!」
(今はいいの。もうすぐ、助けてくれる人が来てくれる。またね。)
「おい!祥子!ちょっと待っ・・・ん?誰だ?」
電話が鳴っていた。羽間はまさかの祥子登場に戸惑っていたのだが、電話の主は頼り甲斐のある人物からだった。
『刑事さん、お久しぶりです。』
「山高先生!お久しぶりです!」
電話の主は、藤桜大学新解考古学教授で大黒天研究会の山高梅良からだった。
6
SKディストリビューションの事務所に、市川誠二と伊加麗子は来ていた。光田季彦の死亡により、急遽総務の管理をしなければならなくなったからだ。市川は元々総務課長でもあったので、市川が中心となって業務をこなしていった。社内には動揺もあったのだが、目の前の仕事をこなしていかなければ会社が動かない。
小四郎からは総務部長代理を命じられていて、警察で時間を浪費した分だけの仕事が思いかかってきていた。
「・・・おいちょっと待て!そこは違うだろ!・・・そうだよ、それでいいんだ。頼んだぞ!」
不慣れな営業の若手社員に檄を飛ばし、市川は電話を切った。
「フー・・・光田さん、大変だったんだなあ・・・。」
麗子が香りのいい紅茶を持ってきて、市川のデスクに置いた。そこにはいまだに光田の名札があった。
「お疲れ様。もう少し休んだら?」
「そう言ってられないだろ。光田さんの技量には、俺なんかじゃ到底及ばねえ・・・大丈夫かな、俺で・・・。」
「社長が市川くんだから任せられたってこともあるんじゃない?やるしかないわよね。あたしも手一杯だわ。」
市川と麗子は同期入社でもあり、常にコンビで行動していた。麗子は市川の前に座った。社内では付き合っているかもという噂もあったのだが、そうはなっていなかった。
市川は紅茶を一口飲んでため息をついた。
「でも本当に、ことごとく沖皇物流が立ちふさがってきている。今のだって、危うく取られそうになってたよな。」
「そうね・・・意味が分からないわよね。何もわからないんでしょ?」
「ああ。」
「社長の問題かなあ。」
「それも考えたよ。だけどそれ、社長に言えるか?」
「うふふ、無理よね。」
市川は紅茶を全部干して、軽くため息をついた。
「でもそれもやってみなけりゃわかんないよな。」
「訊くの?」
「いや、まだ確証がないじゃない。まずは向こうさんを知る必要がある。うちもだけど、向こうさんも急成長企業じゃないか。聞いた話だと、歴史はやたら古いらしい。何代目かは知らないけど、現会長が拡大していったらしいよ。そこまでしか知らない。ちょっと調べてみる意味はあるかもな。」
「どうやって?」
「かおるさんだよ。あの人は探偵じゃないか。調べてもらうんだよ。」
かおるの名前を出したとたんに、麗子の表情は曇った。
「あたしは・・・パス。市川くん、お願い。」
「ああ、そのつもり。麗子は苦手なんだろ、かおるさんのこと。」
「・・・うん・・・理由はないし、可愛がってもらってる。それはわかっているんだけどね。」
「いいさ。俺、明日にでも訊いてみるから。麗子は仕事の方を頼むよ。」
「オッケー。」
麗子は本当に意味がわからなかった。かおるの名前を聴いただけで、体の奥底から湧き出るような怖気が出てくる。いじめられたとか、意地悪されたことなど皆無だ。
女子によくあることなんだろうなと思ったが、つくづく情けないなと思い、仕事に戻った。翌日、市川はかおるのオフィスに出向き、色々と説明した。
「・・・そうなの。そんなに妨害というか、横取りされちゃってるわけね。」
「それもどこに行っても口ごもって一切説明してくれないんですよ。改善しようにもできやしません。ぜひ調査お願いします。」
かおるは少し笑みを浮かべて立ち上がり、タバコに火をつけて窓に近づいて空を見た。マンションの最上階にある部屋から見える景色は最高だった。
「弟のことだしね・・・やんなくちゃね。」
「・・・何かあるんですか?モノ挟まったような言い方ですけど。」
「うふふ・・・そうかもね。いいわ。無料で引き受けるわ。社長には黙っておく。でもね、報告はちゃんとしておいた方がいいわよ。ご存じの通り、瞬間沸騰系だからね。」
「はあ~・・・胃が痛いですよ、本当に。」
市川が去った後で、かおるはたて続けにタバコを吸った。そうでもしないと落ち着かないのだ。
北条政子として転生した体には、常人にはわからないセンサーが備わっていた。そのセンサーが激しく作動していた。漠然とした不安だったのだが、市川の依頼を受けてより鮮明になってきていた。
(本当に・・・いつかやらなきゃならないことだけど・・・怖いわ。)
沖皇物流の本質は、ほぼわかっている。だが、それはいまだ覚醒していない。この件は自分だけでやれるものなのだろうかと思った。結論は、無理ということだった。誰かの助けがいる。
これまでは山高だったり羽間だったりしていたのだが、今回は彼らではいけない。かおるはソファに座り、大山と精神感応した。
(殿・・・とうとう来たようです。)
(そうか・・・わかった。俺が支える。山高先生も来ている。)
(では、どこに行くのかわかってるでしょ?)
(ああ・・・後ほどだな。)
かおるは目を開けて部屋の奥に行き、鍵付きの部屋を開けた。古くて部屋に似つかわしくない箪笥を開いて、様々な護符や独鈷などを用意した。その中には、白装束に頭巾まであった。かおるは服を手に持ち、『あの時』に想いを馳せた。
全てはこれだったのだ。
これを手に持つ時、全てが終わると感じていた。かおるは迫りくる恐怖を想い、深く息を吐いた。そして再び部屋に鍵をかけ、香を焚いて結跏趺坐を行った。
思念を『あの時』に飛ばし、多くの者たちと疑似精神感応に入った。かおるは、転生元である政子になっていた。さほど広くはない部屋にひとり籠り、火を灯してひたすら毘沙門天功徳経の中の一節『オンベイシラマンダヤソワカ』を唱え続けていた
身内の信頼、結束を得るための真言である。当然理由があった。どれくらいの時が過ぎたことだろう。現実から記憶の世界に行こうしてきていた。
その記憶は現世に生きているかおるの精神と反応して、あたかも現実であるかのように感じることができた。
無機質なマンションにいるのに、ほのかに木の香りが漂ってくる。1人の武者が静かに入り、座した。政子は読経をやめ、武者を静かに見た。
「・・・もう、皆は集まっておりますのか?」
「姉上・・・とうの昔に・・・。」
「そうですか・・・では・・・参りましょうぞ。」
政子は静かに立ち上がり、弟は後に続いた。そこは政子の邸宅だった。弟は鎌倉政権二代目執権北条義時であり、執権たちの館は別にあったのだが、この当時の政子は事実上の鎌倉首座として扱われ、尼御台とも呼ばれていた。
だが実朝亡き後に将軍として迎えた頼朝遠縁にあたる藤原頼経の後見人に政子が就任して以来、鎌倉御家人たちは政子を将軍として扱うようになり、尼将軍と呼ばれていた時期だった。鎌倉政権内での熾烈な勢力争いの中にようやくその首座を得ていて『得宗』とも呼ばれていた義時でさえ、今のこの現状を抑えきれることはできなかった。今、御家人たちの心をひとつにできるのは頼朝であり、妻の政子でしかありえなかったのだ。
日の本は今、大いに揺れていた。しばらくおだやかな日々が続いていたのだが、その裏では陰謀と駆け引きが続いており、諸問題は山積していた。政子は静かに部屋を出て、多くの御家人が集まっていた庭が見える上がりまで進んだ。それまでガヤガヤしていた御家人たちが一斉に鎮まり、政子に視線を集中した。
政子は少しの間御家人に目を向けなかった。だがすぐに正面を向き、静かに進み出た。多くの人間がいて甲冑もつけていたにも関わらず、辺りの空気はまるで凍り付いたように固まっていた。政子の脳裏には亡き夫頼朝や義経、頼家や実朝らの顔が浮かんできた。
流人である夫との仲を強引に父時政に納得させ、頼朝を支えた頃が浮かんできた。万寿と千幡という子を授かり、頼朝を支えていった。
鎌倉政権内における争いをことごとく鎮めていったことも思い出された。今、目の前に座して政子の下知を待っている彼らもまた、政子にとっては子も同然だった。
政子は一同をゆっくりと見て、そして口を開いた。
7
川北市には最近、新しい複合ビルが誕生していた。
マンションとホテル、ショッピングセンター、シネコン、飲食エリアなど多岐にわたっていて、農業基幹産業とする地方中核都市川北市としてみれば心から望んでいた経済の起爆剤だった。
複合ビルの名は『知典ビル』と言い、この日は新たに誕生した総合物流センターの落成式が行われていた。
川北市長や商工会議所会頭、地方選出県議といった面々の演説が続き、最後に登場したのが年齢は50歳くらいで恰幅良く、壮年以上の貫禄がある男性だった。日本人には珍しく、ヨーロッパ風の白い顎鬚があり、髪も白かった。
司会のトーンが一段と上がった。
「それではお待たせいたしました、沖皇物流会長沖皇尊成様よりのご挨拶でございます!お若い会長のおかげで、この物流センターが誕生したと言っても過言ではありません。川北市にとりましても経済活性化の起爆剤になるものに違いありません。それでは、盛大なる拍手でお出迎えいたしましょう!どうそ!」
明らかに主役は沖皇尊成だった。だが市長らも何も嫌な表情ではなく、満面の笑みを浮かべてスタンディングオベーションを行った。尊成は苦笑いしながら壇上に上がり、来客に一礼してマイクの前に立った。
「えー・・・司会の方?ハードル上げすぎではないですかね?」
来客たちから笑いと拍手が起こった。
「改めまして自己紹介させていただきます。沖皇物流会長の沖皇尊成でございます。よく見た目が若いと言われますが、今年80歳でございます。」
確かに実年齢よりはよほど若く見えた。会場からは驚きの声が上がった。会場がざわつくのを楽しむように、尊成は笑みを浮かべて見た。
「皆さまお察しがよろしいですね。そうです!今日よりここが我が沖皇物流の本社でございます。ここを中心に各地の物産が川北に集まってまいります。これで川北市に税金を治めることができ、市長様、会頭様のご恩にお答えできるのではないでしょうか。」
会場は割れんばかりの拍手に包まれた。この男にはかなりのカリスマがありそうだ。尊成は続けた。
「私どもの会社は、無駄にキャリアがございまして、創業は徳川5代将軍綱吉の頃だと伝え聞いております。初めは日本海沿いでございます。創業の頃より商売を始めましたが、戦中までは本当に細々とご贔屓筋のみのお仕事をさせていただいておりました。運命が変わりましたのは、旧日本軍の物資運送のお仕事を仰せつかった時からです。これで一気に商売エリアが広がりました。私の父の代から土地を出ることになりまして、ついこの前までは関西に本社がございました。ところが、古都では色々と面倒が多うございまして、いずれは別の地でと考えておりましたところ、商工会議所繋がりで川北市会頭様よりの熱心なお誘いがありましたものですから、思い切って移転することにいたしました。」
尊成は軽き咳払いをして続けた。
「このビルが誕生するにあたりまして、僭越ではございますが基金協力もさせていただきました。このビルと共に、川北市が益々のご発展となりますことを心より祈念いたしますと共に、皆さまにおかれてもより多くの幸せを運んでくることができますように粉骨砕身で頑張る所存でございます。本日は誠にありがとうございました。」
尊成は深々と低頭した。あちこちから勝算の声が聴こえてきた。
「いや~ご立派な方だ。」
「これで景気が上がるとよかがなあ。」
尊成は頭を上げ、市長と会頭にも頭を下げ、手を振りながら壇から降りた。バックステージには簡単ではあるがゆったりと座れるソファが用意されていて、これから始まるテープカットのための準備が会場では行われていた。
「会長、お疲れ様。」
冷えたタオルを差し出したのは、次男で副社長の盛成だった。黒い高級スーツでビシッと決めていた。
「ああ、ありがとう・・・為人は来ておらへんのか?」
「・・・社長は事務で忙しいからなあ。」
「まあ、あ奴はそれでいい。会社を守る人間も必要だ。だがお前は・・・あ奴のようにはいかんやろ。」
盛成はバックステージに用意されていた椅子に座り、タバコに火をつけた。
「フー・・・これからだよな、本当に忙しくなるのはさ。」
「それはそうだが、これまでが大変だったからな。後はお前たちで守っていけ。」
盛成はニヤリと笑うとタバコをもみ消した。
「俺は難しいタイプだと・・・親父はそう思ってるよね。」
「それが?」
「確かに!それが俺の生き方や。俺はこのくらいでは満足せえへん。もっともっと、うちをデカくしてやる。」
「急ぐな。急成長は破滅の元に・・・。」
「ならせへんよ。」
盛成は吐き捨てるように言った。
「ライバルがいるからトラブルになるんや。じゃあライバルがおらんようになればいいだけや。」
「・・・何を考えている?」
「まあ、じきにわかるわ。おっと、テープカットの時間みたいだ。」
式典案内係が尊成の元にやってきた。
「始まります。こちらへおいでください。」
「はい、行きましょうかね。」
尊成は立ち上がり、よそ行きの顔になった。そしてバックステージから出て行く際に、盛成をチラと見た。盛成はスマホを取り出して、誰かに連絡していた。
「・・・ああ・・・そうや、それでいい・・・証拠はあれへんな?・・・わかった・・・やりすぎだけは気ぃつけえや、ええな。」
盛成は電話を終わり、立ち上がって物流センターの外に出た。春だったのだが、やたら西日が眩しかったので、盛成はサングラスをかけた。それまでのビジネスマンの雰囲気が一変して、危険な香りをまとうようになっていた。
盛成の前に、黒いベンツがすっと近づき、ドアが開いた。盛成はベンツに乗り込み、ドライバーに指示した。
「睦海興行まで行け。」
8
羽間は取調室にいた。目の前に座っていたのは、大倉美也希だ。綺麗に染め上げた金髪を無造作に束ねていた。
肌は透き通るように白く、シャツにネクタイという恰好だった。とりあえず署にあったものを見繕ったものだ。羽間は資料をファイルから取り出し、資料と美也希の顔を交互に見比べながら取り調べを行っていた。
「大倉美也希・・・A型・・・出は日本海の荒水島?・・・カラオケ店員で志水太郎は恋人・・・タレント?君はタレントなのか?」
「・・・悪ぃかよ。」
「悪くはないさ。君はいくつだ?・・・17歳で、川南のタレント事務所にも所属している・・・歌手希望なのかい」
「・・・ああ・・・。」
「そうか。」
羽間はファイルを閉じて、美也希の顔をじっと見た。本当に可愛い娘だった。言葉使いは悪いのだが、羽間は見た目以上に悪意を感じていなかった。
刑事としてのキャリアの中で、本物のワルとそうでないワルぶりとの違いはすぐにわかる。本物のワルは目をみればほぼ間違いなく見破れる。どんなに取り繕っても、目の後ろに見える本物の感情は隠せない。羽間は、美也希からはその汚れた感情を見出せなかった。見えたのは、悲しみと怒りだった。
「まず・・・あの刀はどこから仕入れたんだ?」
「・・・知らない。」
「知らない?それはおかしいだろ。君と彼が振り回していたんだぜ?知らないでは通らないことくらい、わかるだろ?」
美也希は黙り込んだ。それはつまり、知っているということだ。
「無理に言う必要はない。どうせ足はついているんだしな。フリマアプリだろ?最近はそんなのもネットで買えるんだもんな。怖いな、全く。」
「・・・あの・・・。」
「なんだい?」
「あたし・・・死刑になるの?」
羽間は一瞬呆気にとられ、そして苦笑いした。
「どうしてそう思うんだい?」
「だって・・・刀持ってたし・・・暴れたし・・・。」
「なりはしないさ。だって、あの刀には何の血痕もついていなかったし、ついていたのは志水の指紋だけだ。だからさ。」
羽間は身を少し乗り出した。
「本当のことを話してくれればいいんだ。そうだな・・・こちらで把握していることだけを教えようかな。今回君たちがフリマアプリで購入したんだが、なぜ我々が日本刀を追っていたのかと言えば、殺人事件があったからなんだ。日本刀でね。捜査の一環で、あらゆる情報を集める必要がある。それでわかったんだよ。だけどあれは凶器じゃない上に、模造刀だ。殴ることはできるだろうけど、あれで人を斬れやしない。どうだい?」
美也希はホッとしたようだが、まだ喋ろうとはしなかった。羽間はもう少し斬り込んでみることにした。
「じゃあもう少しね。君のお母さんは大倉冴・・・再婚しているね。お父さんは・・・大倉昭二・・・だけど・・・本当のお父さんは光田季彦。」
「あいつの名前を出すな!」
美也希は大声を上げて、机を叩いた。
「あいつのせいで・・・あたしとお母さんはどれだけ苦労したか・・・今すぐにでも殴ってやりたい!あんたさ、寒空の中で延々とバスを待ってる気持ちわかる?日本海の風は強くて冷たいんだ・・・肌が切れるほどにね。あいつが、お母さんとあたしを捨てて!怖かったんだよ、痛かったんだよ!そんな奴の名前を出すんじゃねーよ!」
羽間は美也希の激情をただ見つめ、修まるのを待って静かに声をかけた。
「その光田さんなんだが・・・今どうしているか知っているのかな?」
「知らねーよ!」
間違いなく、この娘は光田の事件とは関係ない。しかし情報を引き出すためには、現状を知らせてやらねばならない。
「そうか・・・じゃあ言おう。先日、光田さんは殺された。」
「え・・・。」
美也希の顔色が一瞬で変わった。なぜ自分が取り調べを受けているのか、その本当の意味を知ったからだ。
「あ・・・あたしたちじゃねーよ!刑事さん、血痕ついてなかったんだろ?そうだろ!嫌だよ!死刑は嫌だよおおおお!」
「君たちは違うよ。安心しなさい。」
羽間の答えで、立ち上がりかけていた美也希は力なく椅子に落ちた。全身の力が抜けていたようだ。
「だから、君は容疑者ではない、今のところはね。そのためにも、色々と聴いておきたいんだ。そうでなければ君が不利になってしまう。わかったかい?」
美也希は力なく頷いた。
「でも・・・あいつをもう・・・殴ってやれないんだ・・・はははは・・・なんてこった・・・それってあたしの中では生きていく意味だったのに・・・。」
よほどの恨みがあったのだろう。美也希の一言一言には重みがあった。
「復讐したかったんだね。」
美也希はゆっくり頷いた。
「日本ではさ、亡くなった人のことを仏様って言うだろ?どんなに悪いことをしていたからって、それはもう終わったんだ。そして君が全て話してくれることで、光田さんの過去がどんなものだったのかわかる。それはもう立派な復讐じゃないのかな。今までは人に話しても聞き流されていたか、無視されていたんじゃないのか?今こうやって、しっかり聴こうとしている人間がいるんだ。全部話してしまいなよ。」
美也希は羽間の目をじっと見て、そしてぽつぽつと語りだした。
「あのさ・・・話聴いてくれるんだよね?」
「ああ。」
「・・・わかった。話すよ。でもその前に、刑事さんに聴いておきたいことがあるんだ。」
「なんだい?」
「あのさ・・・変なこと言うよ・・・あたし、刑事さんに会ったことがあるかもしれない。」
「え?どこで?」
「・・・前・・・。」
「だから、どこで、いつごろ?」
「・・・生まれる前・・・。」
「・・・なんだって?」
「だから・・・変なこと言うつったじゃん。」
「生まれる前?どういうことだい?」
「わかんない・・・でも、刑事さんに逮捕された時、そう思ったんだ。この人は、生まれる前から知ってる人なんだって。刑事さんはどうなん?それともどこかであたしと会ってた?」
羽間は美也希の奇妙な質問に戸惑っていた。かおるにも妙な能力があることは知っていたし、数々の事件を扱うごとにそういうものがこの世に存在するのだとは実感していた。
しかしまさか、ここで出くわすとは。
「そうか・・・それはまたおいおいわかるかもしれないね。今はまだなんとなく、なんだろ?」
「・・・うん。」
「その時を楽しみにしておくよ。今はその時じゃない。いいね。」
9
大山とかおる、山高の3人は、県北の康安寺に来ていた。この3人は自分たちの魂の存在を知っている面々だったので、何も連絡し合わなくても自然に集まり、この場に来ていた。だが目的は康安寺の横にある小さくてみすぼらしい「まほろば堂」だった。
「ここですか。来てみたかったところです。」
「山高先生、実は私も初めてなんですよ。かおるはよく来ていますけど。」
「だって今までは殿・・・あなたの過去生がわからなかったでしょ。だったら来ても意味なかったしね。」
かおるは言いながら、ボロボロの扉に手を当て、真言を唱えた。
「お許しが出たわ。入りましょ。」
かおるは扉を開き、中に入っていった。大山と山高も続いた。3人が入ると自然に扉は閉まり、周囲には結界が張られた。これで彼らがここにいる間は誰も近寄らない。
「おお・・・これは・・・。」
思わず山高が声をあげたのは、狭いはずのお堂の中は様々な世界がランダムに現れては消えていく、幻のような世界が広がっていたのだ。
様々な音が聴こえ、多くの宇宙、生物、魂と思えるものらが乱舞し、現世の者では正気でいられない。山高と大山は目を閉じた。
「これが・・・仏の世界か?・・・だが、まだ我々にはこれを統合する力はない、ということですかな?毘沙門天。」
「そうですが・・・少々お待ちください。」
かおるは真言を唱え、念じた。すると正視できない状況の世界が変化し、やや現世に近いものになっていった。かおるは軽く舌打ちして、声のトーンを上げて叫んだ。
「エロ爺!遊ぶのもいい加減になさい!」
周囲の景色が一変し、日本家屋座敷の広間に変化した。
「誰がエロ爺じゃ!」
山高と大山は声の方に顔を向けた。そこには小太りで顔を真っ赤にした老人が、瓜を切りながら座していた。一応は僧侶のような恰好ではあった。
「おまえは・・・客人の前でそのような悪口を堂々と!」
「爺様の悪ふざけに付き合っている暇はないの。あれならヒサ婆様にもおいでいただいて・・・。」
「わかったって!全くもう愛人にもならず、老人をいたぶるとはのう。まあお座りになられよ。」
大山たちの目の前には囲炉裏が現れ、座布団も置かれていた。
「どうぞ、ご遠慮なく。」
かおるは自宅のように大山と山高を誘い、2人は言われるまま座した。老人は大山たちの反対側に座っており、酒の入った猪口を口に運んでいた。
「ごめんなさいね、何でも好きなものを考えて。出てくるから。」
瞬時に大山の目の前にはカツ丼、山高の目の前には抹茶と菓子が現れた。
「・・・腹が減っているとこうなるのか。」
「満腹中枢を満足させられるはずよ。どうぞ、お食べになって。」
老人は全く反応を示さなかったので、食べ終わるのを待つ。ということなのだろう。2人は食べ、そして老人を見た。老人の姿は、甲冑を来た古代インドの姿になっていた。
「よく参られた。天部である。」
山高はすぐに低頭したのだが、大山は戸惑いながら頭を下げた。
「よい、頭をあげよ。先ほどは毘沙門天の見える姿になっていただけのこと。お主たちには本来の姿を示そう。」
2人は頭を上げた。
「先生、政子・・・その姿は?」
山高の姿も甲冑を来た武将の姿になっており、かおるも宝棒、宝塔を身につけた姿になっていた。
「殿もでございますよ。」
大山は自分の姿を見て目を丸くした。侍烏帽子に直垂、袴、足袋という姿で、腰には刀が差してあった。
「これは・・・わしの姿ではないか。」
「殿は現世でのお姿でよろしゅございますよ。いずれ・・・ちゃんと。で、天部様、今日参りましたは・・・。」
「大いなる因縁を絶つためであろう。」
天部は見透かしたように応えた。
「天部様のお力には敵いませぬ。ご助言を・・・。」
「いらぬ!」
天部の声は、いや音は彼らの心に重く響いた。
「あの者は、異世界の住人の手を借りて復活した。我らの目が届くはこの世界のみ。これは、そなたたちのみで乗り越えねばならぬ。」
「異世界の住人・・・。」
大山、いや頼朝は呟いた。
(異世界の住人の力を得たと言うのか?)
「そうだ。この世界では蛇骨と呼ばれている悪鬼だ。奴は滅することはできぬ。かつてはこの地で一度滅した。だがこの世界が残る以上奴は復活する。それが定め。奴の力を得た以上、侮れん。」
天部が言う意味は、お互いがあってこその現世界であり、一方が滅すれば片方も滅するということだった。
「なれば天部、此度に我らがこの地に転生したことにも何かしらの理由があると?」
金剛力士の姿になっている山高が訊ねた。
「その通りだ。そなたたちは、一度現世で出会うておる。源三郎頼朝、北条家の政子、安達九郎盛長として。だがすでに理解しているであろうが、そなたたちにまつわる人間は全て関係性を変えながら何度も転生している。だがその頃の因果で転生するということは、その因果を再構成するだけの力があるということだ。」
天部の言葉を聴いている間に、彼らの中にイメージが2つ浮かんできた。
「天部、これは・・・。」
「頼朝よ、その通りである。ひとつはお前の大叔父である鎮西八郎為朝。もうひとつは政子の父時政だ。そして彼らに共通するものがある。それがわかるか?」
頼朝と政子は顔を見合わせた。
「天部・・・それは大蛇、ですね。となるとそれは・・・。」
「そうだ。政子の父時政は、息子義時によって追放されたほどの陰謀家であり、大蛇と接していた。もちろん、蛇骨の手先だ。さらに、為朝は大蛇退治と伝わっているが、それは蛇骨復活を阻止したのだ。もうわかったであろう。為朝に押し込められた蛇骨が時政の念と交わり、この地で頼朝と政子、義時の魂を滅するとしているのだ。そして現世においては、地球における因果の波が猛烈に交差し始めている。その交差するところは無数にあるが、川北もそのひとつだ。それが今の姿だ。」
ネット環境の充実発展に伴い、世界中の気が無造作に交差する時代である。天部の説明は全て納得するべきことだった。だが、政子には腑に落ちないことがあった。
「わが弟義時が転生していると?それは?」
「いずれわかること。その時まで知らぬ方が良い。肉親の念は邪魔になる。」
そして天部はまた、酒を飲んでいる老人の姿になった。大山、かおる、山高も元の姿に戻っていた。
「爺様、よくわかりました。感謝します。」
大山の意に対し、僧侶の姿となった天部は柔らかく返答した。
「お前さんが、今回の支えじゃ。肝を据えておきなされ。ある意味・・・この女子以上に負担がかかる。なんせお前さんにはあ奴らが襲ってくる。どう思う?」
大山は、その中にある頼朝の記憶と反応して緊張した。確かに、あの方々がやってくる。脅威でしかない。
「確かに・・・盛長や盛綱もいるとは言え、あの方々を受け止めきれるものではありません。」
「よし・・・素直でよろしいのう。ならばじゃ。」
人間だった頃には高木春道と名乗っていた老人は立ち上がり、くるりと回って後方を見て、そして合掌して目を閉じた。すると後方に光の玉が現れ、徐々に大きくなっていった。春道は振り返って、大山を手招きした。
「ここに来なされ。」
大山も立ち上がって、春道の横に立った。
「よろしいか・・・これから、そなたの修行を行う。」
「修行?」
「左様じゃ。あの連中を受け止めるためには半端な力ではどうにもならん。蛇骨の力を得た者が相手じゃ。となると・・・。」
「いけない、おじさん!」
かおるが叫んだ。
「そんな・・・裏衆でもない、口伝されてもいないこの人にそれは無茶よ!物に宿るのとはわけが違うでしょ!」
山高も身を乗り出した。
「それは・・・あまりにも危険すぎますぞ!」
春道は苦虫をかみ潰した表情になった。
「たわけ!わしがついておるんじゃ!どうにかするわい!」
すると、部屋中に別の老人の声が響いてきた。
「たわけはあんたじゃろう。」
その声を聴くと、春道はまた苦い顔になった。
「婆さん!出てこんでええ!」
「・・・本当にもう・・・。」
囲炉裏の横に、膝に三毛猫を抱いた老婆の姿が現れた。
「おばさま!来てくれたの?」
摩睺羅伽の性を持つ、かつてヒサと名乗っていた老婆の姿だった。
「かおるや、心配いらんよ。わしだけではない、八部衆全ての力を、このお方に与えると共に、あれを除いた七部が支える。それもきついことじゃがな・・・じゃが、あくまで一時的なものでな。その時にのみ力が出るようにわしが調整する。このクソ坊主だけだはどうにもならんのでな。」
「ちょ、婆さん!」
「あんたは黙っとれ!」
ヒサの一喝で春道は黙った。
「よいか、大山さん。かなりきついが、これも定めかもしれん。やるかな?」
「迷うことはない。前の戦いでは俺が支えてもらった。今度は俺が支える番だ。やってください。」
ヒサは頷き、春道にも目で合図した。すると、目の前の闇の中に光が現れ、少しずつ大きくなっていった。光は柔らかい気を緩やかに発散していて、恐怖などは感じさせなかった。
「よし・・・では・・・この光に向かって歩くがよい。行けばわかるじゃろう。」
大山は深呼吸を行い、光に向かって歩いていった。
10
川南市にある4階建てのビルは、遊興街の中央にあった。元々農業の川北町と商売と遊興の川南町に分かれていて、それぞれが市に昇格した過去があったので、川南市の方が圧倒的に経済力は上だった。遊興街があれば、当然そこには仕切る存在がある。
それが睦海興行だった。元々は極道であり、今では解散してカタギになっているのだが、中身は大して変わっていない。警察はもちろん存在は把握しているのだが、遊興街から上がる税収はかなりのもので、市の実力者との絡みもあって、あえて仕切り役を任せていた。
その睦海興行ビルに、黒いベンツが乗りつけてきた。降りてきたのは沖皇盛成だった。
「オジキ、お待ちしておりました!」
「おう。」
出迎えたのは睦海興行の社員なのだが、目つきは鋭く、一般人とは思えなかった。盛成は社員の肩を軽く叩いてビルの中に入った。中にも数名の人間がいて、同じように頭を下げて出迎えた。
盛成はエレベーターに乗り、4階で降りた。エレベーターが開くと、すでにそこは仕切りも廊下もないワンフロアになっていて、正面には大きなデスクと椅子があり、身体が大きい男が座っていた。そしてその横にはスマートで極道の雰囲気ではない男も座っていた。
「よう兄弟。ここに来るのも久しぶりやな。」
「兄弟、ほんまに久しぶりや。」
盛成を兄弟と呼んだ男は、睦海興行社長の北西三郎だった。
「一文字さんも、お久しぶりです。」
「そうだね。」
横にいたのはここの相談役で、北西三郎の従兄弟で川南商店街会長の一文字尊久だった。一文字は極道ではないのだが、何かと従兄弟に協力してきていた。財界や議員たちとも交流があり、三郎は大いに助けられていた。
北西三郎は開襟シャツを着ていて、一文字と並ぶとあまりにも対照的だった。
「兄弟、物流センター開業、うまくいけたな。」
「ああ、何とかな。ここと違って、あそこはやりにくいわ。」
「そりゃあなあ。俺も結構手を回したとばってん、なかなか堅うてな。」
「JAが顔聞かせているところや。簡単にはいかへんわ。」
盛成はデスク前のソファに座り、同時に社員がコーヒーを持ってきた。
「アホ。まず酒や。兄弟、ええ酒飲ましてくれや。」
「敵わんなあ。だったらこれたい。」
三郎が持ってこさせたのは、いかにもな形のウィスキーだった。
「どうや、高原の50年や。なかなか手に入らんでなあ。とっておきやぞ。」
一本2000万円クラスの超高級ウィスキーだ。
「さすがやなあ。」
社員がグラスを用意し、三郎が注いだ。
「それじゃ、乾杯や。」
3人はグラスを掲げて乾杯した。
「・・・いやあうまい!これがここに来る楽しみやで。」
「兄弟は酒ばっかやなあ。女もタバコもヤクもやらん。立派なカタギたい。」
「冗談はよしてくれや、兄弟。ハナからカタギやぞ。」
2人は腹を抱えて笑ったが、一文字だけは笑わなかった。北西三郎はその昔傷害と詐欺で刑務所にいたことがあり、共通の知人から依頼された盛成が手を貸して早く出てこれた過去があった。それ以降兄弟の盃を交わしている仲だった。
しばらく歓談した後、三郎は社員に席を外せと命令した。社員がいなくなった後、場の雰囲気が少し変わった。口を開いたのは一文字だった。
「ところで小耳に挟んだんだが・・・。」
すでに盛成と三郎は理解していたようで、表情は堅くなっていた。
「川北の方で、殺しがあったそうだ。知っておるやろ。」
「ああ・・・ベンチャーの社員のことだろ。そっが?」
三郎が応えた。
盛成は沈黙していた。
「警察は表立って公表はしていないが・・・どうやら首を切断されていたらしい。」
「ほう?そらまた物騒なことたい。」
「・・・違うよな?」
「何がや?」
「とぼけなさんな!」
一文字は険しい目で三郎と盛成を見た。
「俺はな、これまで川南のためと思って今まで協力してきた。汚いこともやってきた。
だが今はどうだ!この人の企業と、三郎、君の利益だけじゃなかか!余人は騙せても俺は騙されんばい。やったのは君たちだ!そうだな!」
「やめときや。」
盛成がドスの効いた声で呟いた。一度も極道社会に身を置いたことはないのだが、この男の本質はまさに極道だった。
「そもそもうちらがそんなことやる必要あると思いますか?実力差は明らかや。ええと・・・そうそう、物流やったなあ・・・ああ、これや。『SKディストリビューション』?同じ物流でも意味が違う。この人たちはIT系で、うちらはアナログや。共に栄えたらええねん。それとも何ですか?うちらがやった証拠でもありまんの?」
盛成はスマホで検索しながら答えた。顔は笑みを浮かべていたが、目つきは鋭かった。一文字は顔を赤くしたが、徐々に元に戻っていった。
「よし、わかった。君たちとの付き合いもそろそろということたい。俺は俺だけでここを盛り上げていく。じゃあな。」
一文字かエレベーターに向かっていたが、思い出したように名刺を机に置いた。そこには睦海興行相談役と書かれていた。
「もうこれも用なしだ。それじゃあな。」
一文字がエレベーターに乗って扉が閉まった後で、盛成が口を開いた。
「兄弟・・・どうする?」
「実はな、ちょっと前からガタガタしてきておるとたい。まあ・・・考えようかな。」
「なんでガタガタしとるんや?」
「川北の元鑑識長で汐田て言うおっさんが、こっちに来て指導しとるとたい。悔しいが、優秀なおっさんでな。川南署内がずいぶん厳しゅうなった。色々見逃してきていた署長まで扱いが難しか。それであいつも立場がな。色々と尻尾を掴まれているようや。まあ・・・ずいぶん世話にはなったし、身内ばってん・・・バレても困る。」
三郎の目が怪しくなった。
「・・・やるときゃ、やらんとな。」
11
美也希の取り調べも佳境に入ってきていた。模造刀を購入したのは、普段からワルに絡まれやすい風貌なので、護身用にということだった。それ以前から何かと嫌がらせなども受けていたため、警察が来た時にもワルたちだと勘違いしたらしい。
取り乱して足を負傷した志水太郎も大した怪我ではなく、早く退院できそうだった。
「・・・さっさと警察に相談すれば良かったんじゃないのかい?」
「だって・・・あたしも、太郎も中卒だよ。そんなあたしたちの言うこと、聴いてくれるの?」
「まあ、無理はないが、それでも相談するべきだ。そのワルたちって誰だかわかる?」
「・・・よくわかんない。ヤクザ系チンピラだとは思うけど。」
「ヤクザ系?・・・ふーん。となると、ちょっと厄介だな。」
川南は遊興街があり、警察とヤクザの関係性は川北とは全く違う。羽間はそのことを痛感させられていた。川北で通用することが川南では通用しないことが多々あるのだ。
「君たちは無罪だということはわかったので、近々に釈放になるだろう。しかしそういうことなら、ちょっと考えなきゃならんな・・・僕に考えがある。志水の取り調べが終わるまでは、ここにいることになるから、それまでに対処しておく。それでだ。」
羽間は額を指で掻きながら美也希に訊ねた。
「さっきの話なんだけど、生まれる前に僕に会ったかもって言ってたよね。」
「・・・うん。」
「もっと詳しく聴かせてほしいんだ。」
「え?・・・だって・・・覚えてないんでしょ。」
「それでも聴かせてほしい。」
「なんで?」
羽間はファイルを横にずらして置いて、身を乗り出した。
「こんなこというのもアレだけどさ・・・川北では・・・うーん、まあ説明できないようなことがよくあるんだよな。」
「そうなん?ここ、そういうとこなん?」
羽間には大山やかおるのように、転生前の記憶というものはない。だが、どうにも腑に落ちない事件がたて続けに起こった時期があり、さすがにこれはおかしいとなって、川北署の敷地内に鳥居と慰霊塔を作ったほどだ。
これは署長の山内が言い出したことなのですぐにできた。
「そうなんだよ。これは調書には書かない。言えるだけ言ってほしい。」
「・・・わかった。言えることだけ言うね。」
美也希は目を閉じて、脳内を探った。少し間が開いて、美也希は口を開いた。
「ええと・・・あたしは子供で・・・刑事さんは・・・お父さんのお友だち?・・・みたいな。」
「俺が君のお父さんの友人?へえ・・・他には?」
「ああでも・・・あたし、お姫様みたいなカッコしてる・・・お父さんと刑事さんは・・・お侍さん?」
「侍?そんな前のことなの?」
「・・・うん・・・ああ・・・悲しいことがあったみたい・・・辛くて悲しくて・・・お父さん嫌い!・・・刑事さん・・・あたしを慰めてくれてる・・・っていう感じ・・・みたいな。」
羽間はしばらく黙り、色々考えたが何も思いつかなかった。
「そうか。でも僕には何のことかわからない。だけどさ、きっとこれ、大事なことなんだと思う。」
「・・・信じてくれるん?」
「ああ。君たちの安全がある程度確保できたら、釈放できるようにするよ。それまではここで我慢しておいてくれ。いいね。」
美也希はこくんと頷いた。羽間は刑務官を読んで美也希を拘置所に連れていくように命じた。そして署を出て、『ラ・クア・クチーナ』に向かった。
「あらケンちゃん、いらっしゃい。今日な何にするの?」
「ママ、マジで腹ペコ。また面倒な事件が起こっちゃってさ。すぐにできるのってなにがあるの?」
「ええとねえ、チャーハンでしょ?唐揚げでしょ?パスタでしょ?ええとそれから・・・。」
「ああ、じゃあそれ全部乗っけて。」
「やっぱり食べるねえ。よっしゃ、特製トルコライス風作っちゃる!」
目の前に出されたものは、皿からはみ出そうな特盛で、チャーハンとナポリタンが同じくらい盛られていて、唐揚げが6個乗っていた。
「うほほほ!うまそう!」
さっそく羽間は食べ始め、半分ほど食べたくらいに電話が鳴った。
「なんだ?・・・はい、羽間・・・え?・・・な、なんだって?あ、じゃ、じゃあ待たせておいて。すぐ行く!」
羽間は猛烈にスピードアップして完食し、大急ぎで署に戻った。そして受付に駆け寄った。
「俺への来客はどこにいる?」
「はい、そこの応接室です。」
羽間は最後まで聴かずに走り去った。そして応接室のドアを開けた。そこには白いスーツで身を固めた、美しい長髪の女性が立っていて、窓の外を眺めていた。
女性はそのまま外を眺めながら羽間に話しかけた。
「お久しぶりですね、刑事さん。」
そして女性は振り返った。
「小百合さん・・・もう、いいんですか?」
そこにいたのは、大山と羽間が最初に遭遇した不可解な猟奇事件の容疑者で、記憶障害で入院していたはずの緑川小百合だった。黒いスーツを着ていて、妙に色気が増していた。
小百合はにっこりと笑って答えた。
「はい。色々とご心配おかけしました。」
「それで・・・?」
「証拠不十分により、昨年釈放されています。今は、緑川工業の取締役です。」
あの連続殺人事件においては、最後まで犯人が特定できなかった上に、女性だけであの殺人は不可能な犯行だと判断されたようだ。
「確か緑川工業は、亡くなった社長の弟さんが継がれていたと思いましたが。」
「ええ、でも叔父も代表を継続する意思は毛頭なく、わたしの復職と共に引退しております。」
「そうでしたか!それは何よりです。で、なぜ今ここに?」
「だって・・・お呼びになられたじゃありませんか。」
「・・・誰がです?」
「あなたがですよ。盛綱さん。」
12
大山が光に包まれると、次の瞬間には懐かしい風景が目の前に広がっていた。大山は広い屋敷にいて、縁側に立っていた。辺りを見渡してみると、右に神社があった。
見慣れた景色であり、しかし懐かしい景色が現実であるかのように広がっていた。
(ここは・・・鎌倉?)
大山は直垂を着ていて、気が付くと数名の男女が従っていた。
(そうか・・・俺は今、頼朝の過去に来ているのか。)
そう気づいた大山の現在の記憶は急激に消えてゆき、頼朝の記憶に支配されていた。
「殿、御参拝の儀、全て整いましてございます。」
側用の近習が報告にやってきた。頼朝は、今日が鶴岡八幡宮へ参拝する予定だったことを思い出した。
「左様か。では参るとするかの。」
この日の鎌倉は晴天だった。そして前日には、頼朝の天敵だった後白河法皇が崩御していたため、その供養という意味もあったようだ。すでに平家は滅亡しており、奥州藤原も弟義経ともども滅していて、頼朝はようやく事実上の武家の棟梁になっていた。
しかしいまだに朝廷の力は侮れず、後白河崩御後にも朝廷に従う武家たちは多くいた。鎌倉政権内部においては坂東豪族たちの利権争いが水面下では激化していたのだが、唯一の武家棟梁頼朝がいたために安定していた。
だが、頼朝の心は穏やかではなかった。対外的には絶対的権威ではあったのだが、舅の北条時政、妻の政子が強い権力をもっているため、内情的には3頭政治的な部分もあって、いちいち面倒だった。侍所別当の和田義盛は人望がなく、不満はあちこちから聞こえていた。
そんな内情もある上に、頼朝には笑顔を浮かべることができない理由が他にもあった。政略結婚させた娘大姫が、精神的に病んだままだった。
木曽義仲の息子義高が大姫と結ばれていたのだが、義仲と頼朝の中が修復不可能になったために義仲と戦になり、討っていた。頼朝は義高を救うつもりであったが、配下の者が斬ったのだ。そのために絶望した大姫は世を憂い、引き篭ってしまった。
さらに、平家打倒を訴えた十郎行家や平泉にいた九郎義経を続けて殺めなければならなかった。孤独になりつつあった頼朝が心の拠り所としていた愛妾亀の前も、政子の逆鱗に触れていなくなっていた。
最後の天敵後白河院が崩御した今、頼朝の心の中にはぽっかりと開いた穴が開いていた。今回の参拝にしても、誰にも言わずに行うつもりだった。長年の友である安達盛長にも佐々木盛綱にも言わず、身を隠しての参拝だった。
頼朝は八幡宮の石段下に着き、近習にもここで待てと命じて1人で上がっていった。歩くたびに様々なことが思い出された。まず思い出されたのは、朝廷での日々だった。煌びやかな朝廷内にあって、皇后宮権少進から蔵人へと昇進していた。母親が藤原季範の娘ということもあり、公家の中でも評判が良かった。
だが、都の武士として名を馳せていた河内源氏は平家一門に押されてきており、朝廷と院の内紛に乗じて挙兵し、敗れて頼朝は清盛が住む六波羅に連行された。当然斬首されるはずだったのだが、救ったのが清盛継母の池禅尼の嘆願だった。
その時の清盛の顔が浮かんで消えなかった。
次に思い出されたのは流刑となった伊豆で、政子と知り合ったことだ。このままこの地で静かに生涯を終えるものと思い込んでいた頼朝の運命を変えたのは、後白河院皇子の以仁王と源頼政の挙兵だった。
これを機に清盛は全国の源氏を滅せよとの令を出し、頼朝は否応なく挙兵せざるを得なくなった。最初の戦いで破れ、死を覚悟した時の風景が、どうしても忘れることができなかった。
それから木曽義仲、清盛、行家、義経、後白河院の顔が次々に浮かんできた。彼らは皆、頼朝を恨めしそうに睨んでいるのだ。やむをえないことだったとはいえ、元来京で若い頃を過ごした頼朝にとって、運命は過酷過ぎた。
武家の棟梁になるつもりなど毛頭なく、ただただ生きていくためだけに戦い、政略に明け暮れていったのだ。そして実績を上げれば上げていくだけ、頼朝は孤独になっていった。長兄吉平の豪勇さもなく、次兄朝長のように賢くもない自分がなぜという思いは常にあった。
そんな思いを振り切るかのように石段を登り切った。だがそこにあるはずの本宮はなかった。あったのは、延々と続く石と砂だけの景色だった。
「これは・・・いかがしたことだ?」
頼朝は動揺し、刀を抜いて身構えた。気味が悪く生ぬるい風が頼朝の周囲を取り囲んでおり、頼朝は周囲の至る所に目を動かして見ていた。そして次第に、風から言葉が聴こえてきた。はっきりした言葉ではなく、意志が直接体に入ってくるような感覚だった。
「何者だ!出て参れ!」
頼朝は叫んだが、何も反応しなかった。やがてその言葉は鮮明になっていった。
『父さま・・・なぜ義高様を斬ったのですか?』
「大姫?・・・大姫か・なぜそなたが!」
『お怨み申し上げます・・・夫を・・・義高をお返しくださいませ・・・』
「やめよ!大姫、あれは仕方なかったのだ!」
すると風の中から恨めしい顔をした義高の顔が急に出てきた。まだ12歳という若さでの斬首だった。血を流し、大姫の髪にすっぽりと入った姿で頼朝の周囲を回りだした。
「やめよおおおおおおお!」
頼朝は激しく息をして、刀を地に立ててようやく立っていた。義高と大姫の顔はまだ浮かんでいたのだが、今度は憤怒に満ちた武者の顔が浮かんできた。その武者からは無念と憤怒の意思が伝わってきた。
そしてもう1人若い武者も顔が出てきた。どちらも頼朝には会いたくない顔だった。
「叔父上!泰衡殿!」
十郎行家と藤原泰衡の顔だった。なぜ清盛のように一門を取り上げることができなかったのかと悔やむことばかりの、同族河内源氏たちだった。坂東武者たちの共同政権だった頼朝には、そうするしか手はなかった。
何度憤怒の涙を流したことだろう。どれだけ死のうと思ったことだろう。だが運命は許さなかった。
十郎と泰衡は後白河によって阿修羅として蘇っていたが、九郎は頼朝自身の懺悔の念が阿修羅に取り込まれたものだった。だがそれを増幅して迫られると、頼朝の心はズタズタに引き裂かれていった。さらに、非業の死を遂げた父義朝の姿も浮かんできた。
義朝は憤怒の表情でいて、義朝の生首を覆うように清盛の姿もあった。三浦一族や比企一族の姿も浮かんできた。頼朝はすでに立っていることができず、刀でようやく倒れるのを防いでいる状態だった。すでに感情など消え去っていた。感情があっても、まともに感じることすらできない状態なのだ。
やがて頼朝の心は暗黒の闇に覆われていった。心の全てが闇に消えていこうとした時、頼朝の心の最深部からかすかな光が発せられてきた。時代に選ばれた者だけが持つ、強い生命力の元が反応してきていたのだ。
これがある者は周囲に対する影響力が強い。なぜ何の実力も兵力もない頼朝が鎌倉政権を樹立し、後に続く武家の棟梁の称号である征夷大将軍となりえたのか、その原動力がそこにあった。生命の危険、精神力の危険を感じた時にこの力は発動する。その力が徐々に強くなっていった。
頼朝はもう自分が誰であるのか、ほとんどわからなくなっていた。だが、自分の奥から沸き起こってくる力には気づいていた。周りを取り囲む怨みの念に食われてしまうのか、それとも自分の力に飲み込まれてしまうのか、いずれにしてももう終わりだなとだけ感じていた。
頼朝の意思が消えようとしたその時、真上から強い光の槍が頼朝めがけて降りてきた。その槍は頼朝に突き刺さることはなく、頭上で止まって丸い輪に変化した。さらに光の輪は頼朝の腰付近まで下ってきて、そして光の輪は頼朝の周囲に展開し、頼朝の内部に侵入した。
その衝撃はすさまじく、頼朝の身体は激しく痙攣した。まるで全身の細胞が全てバラバラになってしまうような感覚だった。そしてその光は頼朝の心の奥底に向かって突進し、残りの輪は周囲の怨念から守るようにガードしていた。
長い時間のようで、一瞬でもあるかのようでもあった。頼朝の中に入っていった光は頼朝最深部に到達し、激しく光るものに衝突した。
「ぐぼおおおおおおおおおおおお!」
抗えない力が全身を貫き、声すら自由にならなかった状態から一気に力が心を支配して解放された。だが今度は自分の奥底の力が強烈に変化し、得体の知れないものになったような気がした。それは極めて異形であり、強烈であり、しかも頼朝がコントロールできるものだということもわかった。
しかしどうコントロールしていいのかまるでわからない。
「ぬがあ!」
頼朝は刀から手を離し、自力で立ち上がった。周囲にはまだ怨念が渦巻いていて、光が頼朝を守っていたのだが、頼朝が立ち上がると同時に展開を解き、頼朝の中に入っていった。と同時に怨念たちが頼朝めがけて襲いかかってきた。
頼朝は無意識に両腕を広げ、目を閉じた。心の奥底から発せられる光が激しく光り強烈な音が頼朝の内部から発生していき、周囲に急速拡大していった。怨念たちは瞬時に姿を消し、頼朝の周囲は漆黒の闇に戻っていった。
そして頼朝の意識は完全に消えていった。
13
「俺があなたを呼んだ?盛長・・・どういうことです?」
羽間は緑川小百合に久しぶりに会えたことよりも、いきなり意味不明なことを言われて戸惑った。小百合は眉を潜め、羽間の奥底を見るように眺め、そして頷いた。
「そういうことね・・・わかりました。すみませんでしたね、刑事さん。」
「気になるなあ。俺、緑川さんの連絡先にショートメール、間違って送ったんかなあ。」
「いえいえ、もうよろしいのです。すみませんでした、いきなりで。」
「まあ・・・いいですけど。今ちょうどせんぱ・・・副署長は外出中なんですよ。」
「副署長?」
「あ、大山さんです。昇進されているんですよ。」
「あら、そうなの?そうよね、わたしが復帰するまで時間かかったし、知りませんでした。」
「で、その、なんですか・・・俺に用でも?」
小百合はにっこり笑って、一歩羽間に近づいた。
「その前に、コーヒーでもいただきたいです。」
「あ!そうですよね・・・ええと、インスタントで・・・。」
「そこのイタリアンでは?」
小百合が指さした先には『ラ・クア・クチーナ』があった。
「わたし、エスプレッソが飲みたいんです。あそこならいただけるでしょ?」
「ああ、そりゃもう。では行きますか。」
羽間と小百合は署を出て、『ラ・クア・クチーナ』に向かった。
「あら、ケンちゃ・・・あ、いらっしゃい。」
「ママ、エスプレッソひとつと、カフェオレひとつお願い。」
「あら、刑事さんはイタリアンコーヒー苦手?」
「ああ、俺はいつもインスタントなもんで。」
羽間と小百合は席についた。小百合の場違いっぷりは際立っていた。
手入れが行き届いたロングヘア―は黒く光っていた。少し冷えてきたのか、小百合はカーディガンを出して羽織っていたが、ありえない色気だった。怪しくさえあった。
スッキリとしたシンプルなネイルは、一見して高価だとわかるほどだ。
「はい、お待たせしました。」
道子はエスプレッソとカフェオレを持ってきて、羽間に目配せをした。
「あ、ちょっと電話してきますね。」
そう言って店を出た羽間は、さっそく道子に捕まった。
「ちょっとケンちゃん、あの女の人ってあの事件の人でしょ?いいのかい?」
「ああ、もう復帰されてるよ。」
「あたしゃ怖いよ。ここにいるから、終わったら教えておくれ。」
「ママ?珍しいね。」
「どうでもいいっしょ。ほら、さっさと終わりな。」
緑川連続殺人事件は川北はもちろん日本中が注目するニュースだった。緑川小百合の正体は九尾の狐であり、得子だったのだが、すでに政子によって消滅していた。だが羽間はそのことを全く知らなかった。
「お待たせしました。」
「もうお話はよろしいの?」
「ええ、もう。それで、用件は・・・。」
「ふふ、急がないでください。順番にお話ししますからね・・・おいしいわ、このエスプレッソ。」
小百合は美味そうに飲み、カップを置いてシュガーを2杯入れた。
「ご存じ?こうやって入れてね、そのままにしておくの。そうしたら、飲み終わると下にカラメルみたいになるのよ。これを味わうのがイタリア式。」
「へえ~。」
「さて・・・刑事さんは、どうなの?」
「え?ど、どうって?」
「変化ないの?」
「変化?・・・まあ、俺も昇進して主任になって、結婚して子供できたくらいですかねえ。」
「そんなことじゃないわ。」
「じゃ、どういうことで・・・。」
小百合は一口飲んで、小さくため息をついた。
「刑事さんたちが担当してくれた一連の殺人事件・・・あれは青幣マフィアによるものだと結論づけられました。それは正しい捜査で、国際問題になるのでそれは政治的決着になるでしょうね。わたしは記憶を失い、今でも明確には覚えていません。ですが、もうひとつの記憶は残っております。」
「あの・・・それって警察で聴く話ではないと・・・。」
「ふふふ・・・まだ記憶障害があると思っていらっしゃるの?」
「いえいえ!そんなことは・・・。」
「お顔に出ていらっしゃいますよ。正直な人なんですね。で、もこれは現実のことなんですよ。」
「はあ・・・。」
「あまり表に出たがらないお方のようですね・・・では、ちょっと失礼しますよ。」
小百合は目を閉じ、右掌を羽間に向けた。その瞬間、羽間はどこかの草原にいた。
(え・・・なんだこれは?)
ところが言葉に出せなかった。意識と別に勝手に体が動いている感覚だった。
(俺はどこにいるんだ?)
羽間はどこかに歩いていっているようだった。ススキが群生している中を歩いていると、ごつごつとした岩場に出た。羽間の意識がある人物は顔に手ぬぐいを巻き、岩場に歩を進めた。岩場のあちこちからは硫黄臭いガスが漏れだしていて、手ぬぐいがなければ息ができなかっただろう。
やがて人物はある大きな岩の前で立ち止まった。その岩は辺りの岩よりも白く、どこか艶っぽい雰囲気がある綱が張られていた。その人物は合掌して念仏を唱えた。念仏が終わると目を開け、野太く大きな声を上げた。
「九尾の狐よ、我に力を与え給え!」
(九尾の狐だって?あの事件で出てきた妖怪のことか!)
そして若武者は腕を刀で傷をつけ、滴る血を岩にかけた。
(血を?九尾の狐に?何をしようと言うんだ?)
緑川事件では九尾の狐にずいぶん振り回された。子九村では、いまだに信仰がある。
(ではこの岩は、伝説のあの妖狐なのか?)
男が叫ぶと、周囲のガスが消えた。そして岩から煙のようなものが発せられた。それは上昇し、岩の上で徐々に形を成していき、やがて真っ白な狐の姿になった。
『我を呼ぶのは誰ぞ?』
すると男は腰に差していた刀を鞘ごと抜いて地面に置き、腰を屈めて頭を垂れた。
「我は源家棟梁頼朝公に仕えし家人、佐々木三郎盛綱にござる。お力をお貸しくださりませ。」
男は頼朝に仕えた佐々木盛綱だった。
(どこかで・・・知っている、ここ・・・しかし、こいつも・・・)
羽間としては知らない風景なのだが、佐々木盛綱にしても同様で、初めてではない感覚があった。不気味な雰囲気が漂う中での祈りだった。純白の狐は、何本もある尾をゆらゆらと動かし、反応した。
『我に力を貸せ、だと?』
「我が殿は、傍若無人なる清盛入道一門を討つ所存。我らに力をお与え・・・」
『たわけ!』
盛綱は狐から発せられた強い力に弾き飛ばされた。
『お主らの仲間には、我が怨み骨髄たる三浦、千葉、上総がおるではないか!我をこの地に追放せし奴らの仲間に力など!』
盛綱は起き上がり、伏した。
「承知のこと!じゃが、今力なくば強大なる平家など討てませぬ!伏してお願い申し上げる!殿は露知らぬこと。わしの一存にござる!なにとぞ!」
狐はゆらゆらと尾を動かしていたが、ゆっくりと美しい女性の姿に変化していった。
『我を玉藻前にして美福門院と知ってのことであるな?』
「はっ!すべて承知のこと!」
『なぜゆえに?』
盛綱は顔を上げた。逞しい表情に、かすかな笑みが浮かんでいた。
「殿の奥方が・・・。」
(は?こいつ、何言ってるんだ?)
羽間は、この逞しい若武者が行っている意味がわからなかった。
『政子?あの妖術使いめか!なぜあ奴のゆえと申すか!』
「あのお方の力は強うございます。平家一門打倒にのみ向けば良し。じゃがもし、殿憎しとなればいかなることになりますやら・・・左様になれば、心が苦しゅうございます。誰1人、北条殿に何も言えますまい。三浦殿、千葉殿、上総殿、比企殿を全てにおいて凌いでおります。あなた様のお力にて、政子様の気を源家再興と平家打倒に向けさせていただきたく存じます!」
『だが、我が怨みは果たせぬ!』
「お頼み申す!この空蝉においては、あなた様のお力が欠かせぬのじゃ!」
玉藻前から発せられる光は強くなったり弱く鳴ったりしていたが、やがて再び純白の狐の姿に戻った。
『・・・今、全てが見えた。左様であったか・・・わが怨み、それは我が定めでもあったわけじゃな。毘沙門天か・・・ふふふ、あいつを相手にしては、敵う敵わぬのことではなくなるのう。さすれば、なぜゆえにお主はそこまで源家にこだわる?平家の世でも構わぬではないか。しょせん、武家の世になるのであろう?長い間、無用の血が流されるばかりぞ。』
「・・・わが心を、お読みなされ・・・。」
玉藻前は盛綱の心を読み、そして頷いた。
『それは、誠に純である思いじゃ。それだけなのじゃな?』
盛綱は黙って頷いた。
(うわ!こいつ、恥ずかしい!)
『あいわかった。そなたに力を貸そう。じゃが覚えておけ。政子の力は侮るな。強いがゆえの悲劇も起こるであろう。それを覚悟せよ。』
「悲劇・・・とは?」
『もうよい!』
狐から凄まじい光が発せられ、盛綱の視界は白い闇に包まれた。
「刑事さん?」
白い闇の中から声がした。
「え?・・・あ、あれ?」
白い闇が徐々に変形していき、小百合の姿が現れた。
「小百合さん・・・これ一体・・・。」
そこまで言って、羽間は今までとは違う何かが自分の中から沸き起こってくる様を感じていた。とっくの昔に忘れていたものが、ありありと蘇ってきていた。一気に2つの記憶が脳内に存在したために、羽間は立っていられなくなった。
吐き気と頭痛がひどく襲い掛かってきたのだが、小百合は平然と見下ろしていた。少しの間苦しんだ後、羽間はゆっくりと立ち上がった。
その顔は先ほどとは違っていて、はっきりとした決意のようなものが感じられた。眼光は鋭くなり、佇まいから別人の様だった。そして再び小百合に向かい合って、それまでとは違うトーンで話しかけた。
「そうでした。わしがお呼びしたのですね、玉藻前様。」
「お呼びにお応えいたします。盛綱様。」
14
その男は、人一倍の筋肉を見せつけるかのようにノースリーブのデニムシャツを着ていて、胸元からは大胸筋がパンパンに張っていた。リニューアルされた空港到着口に出迎えに来ていた人たちは、明らかに違和感ありまくるその男に視線を送っていた。真っ黒に焼けたニヤけた濃い顔と顎鬚は余計に目立っていたのだが、男は全く意に介していないようだった。
だが最も目立っていたのは、広い鍔がある黒地にエキゾチックな模様が入った、まず日本では見かけない帽子をかぶっていたことだ。身長も高いので、そこにテレビクルーがいたらすぐに飛びつきそうなほどに目立ちまくっていた。男は総合案内所に行き、カウンターに両肘をついて顔を乗り出した。
受付の女性は2人いたのだが固まってしまい、パスポートを確認することも忘れて恐る恐る話しかけた。
「ドゥ ユー ニード サムシング?」
英語ならかなりの地域で通じるので、とりあえずそう訊ねた。だが、返答には驚かされた。
「あのたい、ここからバスしかなかとね?」
日本人だったとは全く思えなかった上に、コテコテの当地弁だったので女性たちは言葉を失った。
「なんね、あーたたちゃ。俺が何ば言うとっとか、わからんとね?」
「あ・・・いや・・・わ、わかりますよ、はい。」
女性は、このいでたちでバスを紹介していいものか迷ったが、差別はいけないので説明した。
「新しゅうなっとるけん、わからんとよ。ありがとう。」
男はこれまた見たこともないでかいバッグを背負い、バス乗り場に向かった。
『日本の方?』
『でもあの顔・・・パスポート見た?あら・・・忘れてた!』
受付たちのコソコソ話を後にして、男はバスの時間を確認して、軽く舌打ちしてスマホを取り出した。何人かに電話をしたのだが全員いなかったようで、男は悪態をついて最後の1人に電話した。
『はい、ラ・クア・クチーナです。』
「おー!久しぶりやん!ママ!」
『・・・どちらさまですか?』
「俺たい!和製インディ・ジョーンズたい!」
『え?尾加田さん?あらあ、久しぶり!どこから?』
男は大山の同級生の尾加田剛だった。
「今、川北空港よ。カザフから東京経由で着いたったい。」
『まあまあまあ!もう5年ぶりかしらねえ?』
「・・・もうそげんなったかな。みんな元気にしとーと?」
『ええ、元気ですよー。もう副署長とは連絡ついたの?』
「副署長?そんな偉そーな肩書の上の奴なんざ知らんわ。」
『ああ、知らなかったの?タカちゃんが昇進したのよ。』
「え?・・・ええええええええええ?あいつが、副署長?あいたー!」
『・・・また悪さしたんじゃないでしょうね。』
「い、いやいやいや!見た目はアレばってん、ちゃあんとカタギしよるよ、うん。いやね、俺は変わらんけど、あいつが偉くなると喋りにくうなるやん。」
『何言ってるの。誰か迎えに行ってるの?』
「それがたい、だーれも繋がらん。バスで行くにも、あと2時間待たんといけんし。俺、金欠やけんねえ。」
『なんだ、あたしが迎えに行くよ。』
「え!ママ、よかと?」
『全然よかよ。今は暇な時間帯だもん。じゃあ待っててね。バス乗り場近くに座ってて。たぶん10分くらいで着くから。古いタイプの赤いワゴンだからすぐわかるわよ。』
「助かる!恩に着る!カーネム!」
『・・・最後の、なに?』
「ああ、ごめん。カザフ語でありがとうってこと!」
『わかったわ。じゃあね。』
小野道子は。きっかり10分後に空港に着いた。中古を値切って買った古い20年もののワゴン車で、空港のバス停前にとめた。
「ママ、久しぶり!元気そうやなあ!」
「そうよー。早くドア閉めて。ここは駐停車禁止なんだからさ。」
「ほい!」
尾加田は後部座席に乗り込み、荷物を最後部に乗せた。それだけで4人くらいのスペースだった。
「・・・あのさ、尾加田ちゃん・・・そこに霧吹きがあるでしょ。」
「ああ、これ?」
「それをね、あんたと荷物にたっぷり振ってちょうだい。」
「なんね?」
「臭いの!」
確かにカザフでシャワー浴びてからずっと暇がなかったので、かなり臭っていた。尾加田は全身に匂い消しを振りながら、道子に話しかけた。
「ああ、ママ。このあたりで安く泊まれるところない?」
「呆れた!そこも探してなかったの?」
「まあねえ。タカの野郎がいるからどうにかなるかなって思っててさ。」
「そうねえ・・・じゃあ、あたしの倅に訊いてみるよ。観光の仕事もやってるからさ。」
「返す返す感謝!」
道子はとりあえず店に戻り、1000円を尾加田に渡した。
「これは?」
「倅に訊いておくからさ、そこの銭湯に入ってきな。店が匂っちまうよ。あ、荷物も倉庫においてね。本当にどうやったらこうなるかねえ・・・。」
「わっははは!砂漠から慌ててきたらこうなっただけさ。了解!」
尾加田は帽子を置いて、銭湯に行った。日本にいてさえなかなか行かないので、尾加田は心から日本文化を堪能した。砂漠の国から来ると、こんなにも贅沢に水を使えること自体が奇跡に思えてしまう。
「ファア~・・・日本はいいなあ・・・にしても副署長とはなあ・・・。」
のんびりしすぎて、たっぷり40分風呂を楽しんだ尾加田は、カザフで流行っている歌を鼻歌しながら店に戻ってきた。
「いやあ!日本最高ばい!ママ、ありがと!」
「・・・やっと臭わなくなったねえ。ああ、それからさ、倅に訊いたら、ここからすぐ先にあるホテルの部屋ならただで使っていいってさ。場所は・・・ここで・・・ここに訊いたらいいって。さてそれで、と・・・何食べる?」
尾加田は唐揚げカレー大盛を道子に作ってもらい、完食した。
「プファ!日本最高―!!!!!」
「今日のところはゆっくり寝るといいよ。お金はどうすんの?」
「なに、口座から落とせば済むだけよ。なにせ田舎にゃ取り扱いATⅯないしね。」
「そんならいいわ。じゃあゆっくりね。」
「ありがとう、ママ!」
尾加田は荷物を担いで、歩いて10分ほどにあるホテルに着いた。そしてホテルを見上げて、呆れたように呟いた。
「これ・・・ラブホじゃん・・・。」
15
市川誠二と伊加麗子は、ようやく光田の業務整理が一段落して、ようやくこれから業務継続ができるまでに仕上げていた。予想はしていたのだが、徹夜になっていた。他の社員は全員帰宅させていて、2人で仕上げていたのだ。窓から刺す朝日を眩しそうに見ながら、市川は大きく背伸びをした。
「はあ・・・これ1人でやってたのか・・・部長凄かったんだなあ。どこからそんなエネルギー出てくるんだ?」
「すごい人だったわよね・・・って、過去形で言わなくちゃならないなんて・・・。」
「おい・・・泣くなよ。まあ、しょうがねえけどさあ。」
市川は冷蔵庫を開けて、缶コーヒーを日本取り出し、1本を麗子に渡した。
「ほい、これ飲んで。凹んでいる暇はないからなあ。」
「・・・ありがとう。」
「伊加は一旦帰れよ。女子は風呂に入ってこないとダメだろ。男はいいけどさ。」
「いいの?」
「ああ、後は任せとけよ。」
麗子は市川に一旦現場を任せて、帰宅することにした。市川とは同期で、戦友という表現がぴったりの仲だ。現在までのところ、恋愛感情はないのだが、心から信用信頼できる存在であることは間違いなかった。市川は麗子の疲れを察してくれていた。
「じゃあ、ちょっとだけ帰るね。お昼くらいには戻るから。」
「そのくらいは社長も多めに見てくれるだろ。じゃあな、ゆっくり休めよ。」
「ありがとう。じゃあね。」
社内では2人は付き合っているのかどうかということは常に酒の席での議論となっていた。市川も麗子も気にしないタイプだったので、単なる与太話だと一笑に付していた。
だが、この会社のピンチでは、さすがにイラつくこともあった。この状況で妙なことを言われたら言い返すかもしれなかったので、麗子は早々に家に戻った。
「お帰り。会社、大変ねえ。ご飯食べていかんば。」
「ご飯は・・・いらない。食欲なかもん。お昼食べるからよかよ。お風呂入るね。」
実家暮らしなので、母親はいつまでたっても子供扱いしてくる。麗子はシャワーを浴びて、ベッドに潜り込んだ。そのまま深い眠りに落ちていった。
ぐっすり眠っていた麗子は、窓を叩くような音で目が覚めた。ベッドは窓際だったので、麗子は身を起こしてカーテンを開いた。しかし誰もそこにはいなかった。
「夢?変なの。」
スマホを見てみると、まだ1時間もたっていなかった。
「もう・・・貴重な睡眠時間なんだからね。」
麗子はもう少し寝ようと思いベッドに入ったが、すぐにまた音が聴こえてきた。
「何よ、もう・・・。」
麗子はまた起きて窓の外を見た。
「え?・・・」
窓の外は庭に面していたのだが、その庭がそこにはなかった。草原と山があり、海も見えた。
「なによこれ!」
麗子は慌てて着替え、窓を開けた。やはりそのままの、見慣れない景色だった。風の臭いも全然違う。
「どうなってるの?お母さん!」
麗子は部屋を出て、台所にいるはずの母親の元に行こうとした。だが、部屋を出た瞬間に麗子の足は止まった。古いが洋間造りだった家がそこになく、古い民家が広がっていた。
「お母さーん!お母さーん!どこにいるの?」
麗子は叫んだが、何の反応もなかった。歩きだそうとした麗子だが、何かを踏みつけて倒れそうになった。やっとのことで麗子は踏みとどまった。
そして足元を見ようとして、また見知らぬものがそこにあった。粗末な着物を着ていたのだ。踏んだのは裾だった。
(な・・・なに?あたし、どうなっちゃったの?)
そう叫びたかったのだが、出てきた声は全く自分とは違う声で、違う言葉だった。
「殿・・・殿・・・殿はいずこにおいでじゃ!」
(この人誰?なんであたしの声がこの人なの?なんで?)
麗子は混乱していた。だが麗子が体験している肉体の主も混乱していた。今の自分の境遇が理解できずにいるように思えた。肉体の主は混乱したまま、小屋の外に出た。
「出てはならぬ!」
鋭い声が聞こえ、槍や刀を持った武士たちが武器を肉体の主に突き付けていた。
「なぜじゃ!我は執権殿の内なるぞ!なにゆえかような扱いをなされねばならぬ!ええい、そこをどきなされ!」
肉体の主はその場で激しく暴れた。怒りと悲しみが同時に襲ってきていたようだ。
その時、1人の武者が進み出てきた。
「お方様・・・。」
その武者の姿を見た主は涙した。
「四郎!そなた、なぜここに?早く我を助けて・・・。」
「ならんのです!母上!」
「・・・そなたたち、ちとばかり下がっておれ。」
四郎は周囲の武士たちを下がらせた。
「母上・・・私は北条の者として生まれ、北条方として戦います。」
「ならばなぜ・・・?」
「母上が望まれたことが、北条方のものではないからでございます。」
四郎は涙を必死に堪えようとしていた。
「父上亡き後、御家人衆は再び争いはじめました。兄上はこれからの鎌倉を皆の手で動かしていくと決められております。北条は決して源家にはなりえませぬ。頼朝公や尼御台にはなれんのです。母上が望まれたことは、この流れに反するもの。ですがそれでも!・・・それでも尼御台様は、北条の里に母上を置かれたのです。その意がおわかりか!」
主は力なくその場で座り込んだ。
「四郎よ・・・そなたを執権にと望むが、さほどに悪いことなのかえ?我は・・・当然のこととして御台様に申し上げたまでのこと・・・左様か・・・。」
この流れを観察していた麗子は、学生時代に習ったことが思い出されてきた。
(鎌倉とか執権とかって・・・鎌倉幕府のこと?じゃあこの人たちって鎌倉幕府の人たちなの?)
まるで時代劇を見ているような感覚だったのだが、主の哀しみは痛切に感じていた。そしてやり取りは続けられた。
「御台様は,母上を北条としてお認めになられているからこその封じなのです。それに・・・あのままでは母上も私も、命がなかったかもしれぬのです。今の鎌倉は御家人衆が我を競い合う有様。それに加え、先のいくさで鎌倉の威勢は九州まで及ぶようになっております。武家としての規範を作らねばなりません。そのためにも、内輪で揉めている様を見せてはならんのです。どうか、おわかりくだされ。」
主は涙しながらも、わずかに頷いた。
「わかりました、四郎。そなたの好きなようにやりなさい。母はここで、静かに余生を送ります。」
「母上・・・伊賀の一族も残ります。私が残します。ご安心くださいませ。」
四郎は頭を下げ、そして振り向いた。
「今より!この囲いを緩くせよ!北条政村が命ずる!よいな!」
(北条政村?誰?)
麗子は歴史に詳しくなかったのだが、この武者が執権だった北条の一族であり、母親は伊賀一族の出で、何かの流れでここに幽閉されているらしいということは理解できた。
政村の母はゆっくりと立ち上がり、家の奥に引き込んだ。政村が言ったように、決してむごい仕打ちではなかった。侍女が多くおり、家の中は質素ではあったが粗末ではなかった。
「少し横になる・・・そなたたちも休んでおきなさい。」
政村の母は奥にある寝屋に向かい、布団に横になった。伊賀の方として執権義時の継室となり、一時は女性権力の絶頂にあっただけに、現在の住まいは粗末に感じていた。
ただ思うのは、尼将軍とまで言われた政子を過小評価していたことだ。行末短いであろう老婆など大したことはないと思っていたのかもしれない。それが知らず知らずに言動となっていて、政子の反感を買う羽目になったのかもしれない、と思っていた。
藤原氏郷系の名門伊賀を、政子が恐れたのかもしれないとも思った。先のいくさのために殉じた兄光季の死後、伊賀は絶頂にあった。そのようなことが伊賀の方の脳内を激しく駆け回った。
(大変だったんだね、この人・・・)
麗子がそう思った瞬間に伊賀の方の視線から離れていき、今度は正面から伊賀の方を見るようなアングルになった。さらに驚いたことに、伊賀の方が麗子に気がついたのだ。
「そなた・・・誰ぞ?」
(え?なになになに?)
どうやら、麗子が思うことがそのまま答えとなって伊賀の方には聞こえているようだ。
「美しい女子であるな・・・見たこともないベベじゃ。どこぞの姫か・・・幻か・・・。」
(あたしが・・・見えるの?)
「見えておる・・・我の前におるではないか。名は何と申す?」
(え・・・答えるのかな・・・あ、あの、伊加麗子です)
「伊加じゃと?・・・伊賀の一族か?」
(あ、いえ・・・あたしはそういう者では・・・)
「よい。そなたは我が末裔のようじゃ。ならば申し付ける。しかと聴くがよい。」
(あ・・・は、はい。)
「我は夢を見た・・・儚いことではあったのだが・・・そなた、我が夢を、現のものにせよ。」
(どういうこと、なんですか?)
「我が夫義時と会うのよ。そして許しを得よ・・・。」
(義時さん?そんな人いたかなあ。)
「よいな・・・我は、もう寝る・・・これを授ける・・・さらばじゃ。」
(えー、ちょ、ちょっと待って!)
麗子は急速に上昇してゆき、屋敷もぐんぐん小さくなっていった。そして漆黒の闇に包まれ、麗子は視覚がなくなっていった。
「麗子!もう会社に行く時間じゃなかね!」
母親の声が聞こえ、麗子は目を覚ました。慌てて窓の外を見たのだが、いつもと変わらない風景があるだけだ。
「さっきの・・・マジ夢?変なの・・・え?」
麗子は自分が何かを握っていたことに気がついた。恐る恐る握った手を開いてみた。
「え・・・ええええ?なにこれ!」
それは、黒塗り三角三個に囲まれた逆三角の図が入った布だった。麗子はそれが何を意味するものなのか、まだ全く理解していなかった。だが、麗子は最上級の現実に引き戻されていた。
「あーーーーーーー!もうこんな時間!やっば!」
16
大山は、かおるの声で目が覚めた。
「タカちゃん・・・大丈夫?」
「ん・・・んんん?・・・かおる?・・・あ、あれ・・・ここは?」
「康安寺の外、ですよ。」
「山高先生!」
大山は身を起こした。康安寺の横にある草むらに寝ていたようだ。
「俺は・・・あそこにいたはずでは?」
大山が指さした先には、ボロボロのお堂があった。
「そうよ。でもね、わたしたちも気が付いたらここにいたの。」
「・・・なぜかな・・・う!痛てててて。」
全身が筋肉痛みたいな感覚だった。
「いかん。ちょっとこのままでいよう。俺は・・・そうだ・・・頼朝の過去と・・・。」
「私たちは外におりましたので大山さんがどのような状況だったのかわかりませんが、どう説明すればよろしいのでしょうか・・・。」
山高の説明によれば、大山が光の中に入った瞬間に春道とヒサの姿が消え、視界が奪われて凄まじい渦の中に放り込まれたような感覚になり、気が付いたらこの場所にいたとのことだった。時間は、1分も経過していなかったらしい。
「1分?・・・そんな馬鹿な!・・・そうか、多次元の世界には時間など存在しないと聴いたことがある。・・・そうか、かおるから聴いていたんだっけ。するとあれは・・・多次元の世界?いやいや、違う!俺は頼朝が八幡宮の階段を登り、その間に九郎や十郎叔父、大姫のことを見た・・・多次元の世界ではないはずだ・・・。」
「大姫!ああ・・・あの子まで・・・。」
もちろん、かおるも我が娘だった大姫のことは記憶にあった。悲運の女性大姫は、頼朝と木曽義仲の政略結婚で、木曽義高と結ばれた少女だった。だが頼朝と義仲の亀裂が決定的となったために義高は頼朝の部下に殺され、その部下も政子によって処刑された。
大姫は心を病み、20歳の頃に死亡したとされている。歴史の力に翻弄されたとは言え、頼朝も政子も心に大きな傷を負うことになった。
「・・・そうだ。しかしなぜ大姫までが出てきたのか?あれは巨大な敵に対して、俺に強い力が宿るための修行だったはず。どうして・・・?」
「おそらくですが・・・あなた方の因縁をここで断ち切らねばならないということなのでしょうね。」
「先生・・・?」
「先ほど天部が申されたではありませんか。この地において、蛇骨由来の強い力が集まっていると。あなた方が転生されたように、きっと大姫様も転生なさっておられるのではないでしょうか。あの時の全て、とまではわかりませんが、気づく範囲で因縁の解消が行われるような、そんな気がいたします。」
「大姫・・・いたら、会いたい・・・抱きしめたい・・・。」
かおるの中の政子が、激しく反応していたようだ。
「会えるでしょう。大山さんには、かおるさんが戦う相手から守るために、強い力を得たはずですよ。」
「強い力?ははは、これだけ全身が痛いのに・・・ん?」
大山は肩を動かした。
「・・・痛くない!肩だけじゃない・・・身体が軽い!」
大山はふわりと浮き上がるように立ち上がった。
「これは・・・なんだ、この回復力は?」
「それが修行で得られた力なのでしょうね。しかしどんな力なのでしょうか。」
大山は目を閉じて、心の中を覗いてみた。だが、強い力を感じて目が回りそうになった。
「おおっと・・・こりゃあすごい・・・だがこれは・・・邪悪だとか正しいとかの力ではない。強い・・・武力的な強さでもない・・・精神力というものでもない・・・なんだこれは?俺は誰の力を得たんだ?」
大山はたった今感じた、自分の内側から出てくる力に圧倒された。それが何なのかはわからかったが、間違いなく言えることは、この力は人間のものだ。神がかった感じでもなければ、邪悪な憎しみもなく、ただただ違和感がない。
「その答えは・・・康安寺にあるでしょう。」
「ここに?どういうことだ?」
「わからない・・・だけど、ここに私たちが飛ばされてきて、わたしも先生も、比叡山の裏衆。ここに惹かれてきたのには、きっと理由があるはずよ。」
かおるは康安寺を見ながら、つぶやくように言った。
「こちらには二十八部衆の像があるわ。でもそれでは・・・は!」
「どうした、かおる?」
かおるは何かを思い出したようだ。
「ここには千手観音像と・・・平安時代に彫られた仏像があったはず。ひょっとして、それかもよ。」
「小さな仏像・・・そう言えば、ありましたね・・・行ってみましょう。」
3人は康安寺に向かった。中を覗くとそこには背が低く、白いシャツを着て黒いハットを被った男性の老人が1人で座っていた。
「ん?・・・なんじゃ?今日は誰もおらんぞ。」
「あ、ちょっと見学したいんですけど。よろしいかしら?」
老人は足が悪いようで、苦労してやっと立ち上がった。
「見学?すまんが、わしゃあ代理でのう。たまたま親戚のところに寄ったら、急用あるからここにいてくれと言われてもな。なーんも案内できんぞ。」
「見るだけですから、大丈夫ですよ。」
「・・・きれいじゃなあ。」
「え?」
「あんたが、きれいじゃと言うておる。」
かおるは自分を指差した。
「あたし?あ、ありがとうございます。」
「きれいな女子に悪いのはおらんと言うのが、わしの理論じゃ。勝手に見ていくがよい。ガラス張りになっておるようで、仏さんには触れんぞ。」
3人は靴を脱いで、中に入った。
「・・・春道のおじさんといい、この辺りにはエッチが多いのかしらねえ。」
「まあいいじゃないか。それよりも、これはすごいな。」
大山がここを覗くのは初めてだった。見たこともない、恐怖すら感じさせる真っ黒な仏像が、千手観音を中心にして並んでいた。
「ここの迫力はすごいな・・・これは・・・そうか・・・蒙古の時に・・・時宗が命じたのか。俺たちがここに飛ばされたのも頷けるな。」
大山の脳裏に飛び込んできたのは、元寇弘安の役の後に第八代執権時宗が、全国に出した関東御教書のことだった。この地にも触れが出ていて、当時の禎宣、禎久によって再建されたのが現在の康安寺ということを知り、大山は軽く唸った。
「ここのパワーは本物だな・・・だが、その平安時代からの仏像ってどれだ?」
ガラス張りの部屋の中には二十八部衆と千手観音があり、横に小さな仏像があった。
「これか?・・・いや、違うな。これは穏やかだ。他にあるのか?」
「そうよね・・・これかもって思ったんだけど。違うようね・・・。」
「そうですね。他にはここにそのような力はなさそうです。」
3人が展示室の中を見ていると、後方から老人の声が聞こえてきた。
「なんじゃ、あんたら。何を探しとる?」
「あ・・・いや、何でもないです。ここには、なさそうです。」
大山の顔を老人はじっと見た。
「あの、どうかされましたか?」
「ふぅ~む・・・あんた、誰じゃ?」
「私ですか?川北署の警部です。大山と申します。」
「うんにゃ、違う。本当のあんたじゃ。」
3人は顔を見合わせた。信じられない言葉が飛び出してきた。3人しか知りえないことを、なぜこの老人が知っているのだろうか。
「あの、失礼ですが、あなたのお名前をお聴きしても?」
老人は板間に腰を下ろし、茶を飲んだ。
「わしはここの森ちゅう者の親戚や。それ以外いらんと思うが?」
「公務ではありませんが、ちょっと気になったものですから。ぜひお名前を教えてください。」
老人は面倒くさそうな表情を浮かべた。
「警察とは親しくなりたくないんだがなあ。まあいいわ。わしの名は、金杵麿大和と言う。奈良の者や。それでいいか?」
「奈良?遠いところから・・・そうですか。」
「そうじゃ。それにしてもお前さん・・・いや、お前さん方は・・・一体何がどうされたんじゃ?」
この金杵麿という老人には、何かの力があるのだろうか。大山のみならず、山高と政子の魂まで見抜いている。だが意味はわからなかったのだが、この場から離れた方がいいと3人は感じていた。
「それでは私たちはこれで失礼します。」
「そうか・・・いずれまたな。」
「え?」
金杵麿は応えることなく、そのまま壁にもたれたまま寝てしまった。3人は康安寺を後にした。皆無言だったが、全員同じことを思っていた。
(今回は・・・厄介そうだな。色々な力が集まってきている。)
17
一文字尊久は怒りを胸に抱いたまま、帰宅した。愛犬が激しく尻尾を振りながら歓迎してきた。
「おお・・・お前はかわいいなあ・・・人間は嫌だぞう。」
一文字の家は川南中心部に昔からある古い民家で、かつては庄屋の家系だった。戦後にはテキ屋の元締めともなってもいたが、全ては地方の顔役として地域を活性化させるためにやむなく行ってきたことだった。昔からの古き良き商店街はかなり進歩的になったとはいえ、依然として一文字は影響力を持っていた。
「おい、帰ったぞ。」
「あら、お帰りなさい。・・・どうかしたの?顔がいかついわよ。」
妻はすぐに何かしらの変化があることに気がついた。
「・・・そうか?それはいかんな、風呂に入る。」
一文字は夕食前だったのだが、とにかく何かでゆっくりしたかった。北西三郎の従弟という繋がりから沖皇物流とは懇意にしてきたのだが、ここしばらくはどうにもおかしくなってきていた。
とにかく評判が悪いのだ。カネをばら撒いていて、暴力団のような連中を本社近くでよく見かけるという噂もあった。川南市長や警察署長をよく接待しているらしく、強引な政策に口出しすると左遷させられるという話も聞いていた。
それでも従弟の手前協力していたのだが、ライバルSKディストリビューション光田季彦総務部長が惨殺されたというニュースにはさすがに怒りを抑えることはできなかった。しかも頭部切断など、明らかに極道の所業だ。
極道同士なら、百歩譲ってそれでもいい。だが今回の相手は単なるライバル企業であり、しかも自分たちが後発なのだ。非道にも程がある。
(特にあの盛成だ・・・あいつは本当にヤバいな。手を引くだけではいかんな・・・)
一文字は風呂から出て、着替えを済ませた。何やら愛犬が吠えていたが、すぐに止んだ。
(近所の犬かな)
一文字が風呂場から出ていこうとしたときだった。妻の絶叫が聞こえてきた。
「キャー!」
妻の叫び声に、一文字は声がした居間にかけつけた。
「どうした!」
妻は腰を抜かして座っていて、ブルブル震えながら庭を指さした。一文字が庭を見ると、そこには腹を斜め上にしてのけぞったまま固まっている愛犬の姿があった。一文字が近づいていくと、その姿がはっきりと確認できた。
「なんだ、これは・・・。」
愛犬の身体は矢で貫かれていて、吠えて立ち上がったところを狙われたのだろう。矢は庭に突き刺さっていた。のけぞったまま、串刺しにされていたのだ。吠えて立ち上がったところを狙われたのだろう。
「・・・ということは、お風呂場で叫び声を聞いて間もなく声が消えたんですね。」
通報を受けた川南署の岡島啓介が現場検証しながら一文字に訊ねた。
「・・・はいその通りです。」
「ふうーむ・・・。他に何かしらの被害は?」
「いえ・・・愛犬だけです。」
「ということは・・・何か思い当たることはありますか?仕返しされるとかの。」
「・・・いえ、特には何も。」
「そうですか。後でまたお伺いするかもしれません。その時にはまたよろしくお願いします。」
岡島は現場を後輩と鑑識に任せ、署に戻った。川南署は繁華街と商業の川南にあるため、多くのデータ管理を必要としていた。現場では訊ねなかったのだが、一文字が商店街の顔役であって、元テキ屋元締めであり、右翼その他危険な連中と付き合いあることはとっくに把握していた。
現場で何かしら出てくるといいのだが、一文字は何も語らなかった。ということは、それなりの連中が絡んでいるということだ。おそらく矢を調べたところで、何も出てこないだろう。
岡島は一文字の交流関係を、パソコン上で確認してみた。県内の多くの顔役、極道、右翼らの名前が上がってくる。
「やっぱりなあ。あのおっさん、恨み買ったらヤバい連中ばっかだ。これじゃあ誰から恨まれてもおかしくは・・・うん?」
パソコン内には、調べられる限りの人間関係が表示されるのだが、その中で1か所が引っ掛かった。表示された項目の中で唯一県外のものがあったのだ。
(沖皇物流?あそこは確か川北の物流ターミナルに関わっていたよな)
岡島はその関係を洗い出してみたのだが、さすがに情報は少なかった。
(川北か・・・訊いてみるか)
岡島は川北署に電話を入れた。
『はい、川北署です。』
「ああ、すみません。川南署の岡島ですが、大山副署長はおいでですか?」
『・・・大山は現在出かけております。早急に折り返しお電話いたします。川南署まででよろしいでしょうか?』
「はい、よろしくお願いします。」
岡島は大山の高校時代同級生だった。警察学校でも同期であり、何かあるとお互いに助け合っている仲だった。
「副署長か・・・ちょっと先越されたよな。あんにゃろ、最近会ってなかなあ。」
岡島は桃ゼリーを食べながら独り言を言った。舟橋亀子事件で会ったっきりである。それまではちょくちょく飲みにも言っていたのだが、大山が昇進してからはお互いに時間が取れなくなっていた。
「お偉いさんにな・・・おっと!」
スマホが鳴った。大山からだった。
『おう、元気か!』
「久しぶりやな。なんだ、川南署にかけるかと思うとった。」
『お前さんにいちいちそんな面倒くさい事するわけなかろう。どうした?』
岡島は簡単に事件の顛末を説明した。
「ということだ。沖皇物流に関して何かないか?」
『ああ、あそこは手をつけにくい会社ではある。あんなやり方でここに来たのは初めてだ。トップも相当に甘い汁を吸っている可能性はある。』
「やっぱりな。そんな予感がしとった。ガイシャの付き合いは似たような連中だしな。それでだ、この会社に関することで話したい。久しぶりに会わんか?」
『俺は大丈夫。いつがいい?』
「急いだ方がいい。明日ではどうだ?」
『夜と昼どっちだ?』
「じゃあ昼にしよう。川北のお抱えイタリアンがあっただろ。そこで飯はどうだ?」
『お抱えじゃねえよ。相変わらず減らず口だな。『ラ・クア・クチーナ』に11時ではどうだ?』
「ああ、じゃあそうしよう。では明日な。」
翌日、2人は再会した。
「久しぶりやなあ!この店ももう長い・・・。」
「偉い!古いって言わなかったね。」
小野道子がキッチンから口を挟んできた。
「・・・懐かしいよな、この雰囲気。ママはまるで川北を丸出しって感じだ。川北署の出城みたいや。」
「戦国時代じゃなかぞ。ママ、お互い若くないから、普通のランチね。」
「俺は・・・Bランチにするわ。」
2人は食事しながら他愛もない近況について話し、食後のコーヒーを飲みながら今回の事件について語り合った。
「つまり、沖皇についてということなんだ。何でもいいんだが。」
「そうだなあ・・・関連性は今のところ何も確認されてはいないが、かおるの弟が代表やってる『SKディストリビューション』という物流会社知ってるか?」
「おお、かおるちゃんか!あの子の弟の会社か・・・待てよ・・・聴いたことある名前だな・・・ああ、あの猟奇殺人事件の会社じゃないのか?」
「そうだ。同じ物流ってことだけなんだが。俺は一応身内なので捜査には携わっていないんだ。羽間がやってる。」
「確証はなし、か。そうか・・・まあ、何かあったらまた教えてくれ・・・。」
岡島が言いかけた時、勢いよくドアが開いて場違い極まりない男が入ってきた。
「うおい!ママ!スペシャルランチ食わせて・・・あん?・・・お、おおおおおおお!岡島じゃねーの!久しぶりじゃないか!どうしたんだ?」
「尾加田?・・・剛じゃねえか!生きとったんか!」
3人は高校時代、ずっと同じクラスだった。
「俺様がそうそう簡単にくたばるタマかって!それによ、あれだけ悪さばっかやってた俺たちの中で2人も警官になっちまうんだ?あの頃の悪の道を忘れちまったのか!」
「・・・お前な、そう言いながら川北署食堂に来てるじゃねかよ。お前はそもそも川南で汚れやってる方が似合ってるって。」
「ここは川北署の食堂じゃないって!」
なぜか小野道子まで参加してきた。
「とにかく座れ!話できねえだろ!」
大山がやっと座らせたのだが、尾加田が言う通りに3人は有名な暴れトリオだった。
非行でも不良でもなく、ただただ暴れていた。彼らは母校生徒にちょっかいかける他校のワルたちとだけ喧嘩していて、人気もあった。しかし尾加田だけは暴れ足りなかったようだ。
「何か面白いことでもあんのか?」
「業務だよ!お前がいちゃ話できねえよ。」
「なんだよケチ!」
「・・・まあいいわ。こいつ、ワルのくせにうちらの中では評判いいんだわ。聞かせてやっても問題ないだろ。」
「お!いいねえタカ。よっしゃ聴かせろ。」
かくして、うるさい男が参加することになった。
18
羽間は緑川小百合との再会から、なぜ自分が彼女と会うことになっていたのかを理解した。佐々木盛綱として玉藻前こと九尾の狐に願いをかけていたからだ。
あの時盛綱が示したように、緑川事件では玉藻前は三浦、千葉、上総の因縁を解消できていた。そのために玉藻前の魂は落ち着いていて、小百合は静かな日々を送っていたのだが、今回の危機に盛綱が強烈な危機感を感じていたために、羽間の前世である佐々木盛綱が呼び出したのだ。
だから今の羽間は、大山たちと同じように2つの人生を記憶していた。しばらく平和な日々が続いていたために、なかなかに辛いことでもあった。羽間は仕事を早々に切り上げて、家に帰った。
「ただいま。」
「あ、おかえりなさーい。今日は牛豚鳥入りのカレーよ。」
かつて大進さなえだった妻は、仕事を完全に引退して専業主婦となっていた。仕事をやめた理由と言うのが、もうアイドルではなくなっていて、近所のおじさん方に申し訳ないからという何ともな理由だった。
「パパ、おけりなしゃい。」
4歳になる息子の堅一はまだちゃんと喋ることができないでいた。
「太郎、そこはおかえりなさい、でしょ。」
羽間は太郎を抱き上げて、まだ柔らかい頬を指で押した。
「先に食べる?」
「ああ、そうしよう。腹減った。」
さなえの料理は美味いのだが、とにかく高カロリー。それで家ではあまり多く食べないようにしていた。羽間は冷蔵庫から缶ビールを取り出して開けた。飲みながらの食事は疲れを癒してくれる。
「おいしい?」
「ああ、うまい。」
「良かったあ。でもさ、今日は何かあったの?」
「なんかあったように見える?」
「そうよねえ・・・なんとなくね。ほら、あのプラーナ・ベイチャック事件の時に一緒に署に籠ったじゃない?あの時にちょっと似てるかなあ。」
羽間は内心驚いていた。やはり女性の勘はすごい。世の女性というものは多かれ少なかれ、こんな才能があるんじゃないかなとも思えてしまう。
「プラーナ・ベイチャック・・・行真会だったな。えらい事件だったわ。君は京都まで行って・・・いや、行かされたんだっけ。」
「もーねー!思い出しただけでも腹立つわ。あたし、あいつらの思うように動かされてただけだもん。あたしって自分に酔っちゃうタイプでしょ?絶対あたしの手柄だって思ってたのにねえ。」
「行真会が最初にできていて、その後にプラーナ・ベイチャックができたんだよな。俺の殺人予告なんて、とんでもないことから始まったしね。」
「複雑怪奇ってこのことよね。海外まで巻き込んじゃって。でもさあ、あの小宮山祥子は死んじゃったし、弟の鈷力健ってどうなっちゃったのかしらねえ。」
話しながら、羽間は祥子のことを思い出していた。祥子は先日自分の前に現れてきてくれた。死んでも力になっていてくれる。
鈷力健は後白河院の影だった。なぜだかわからなかったが、遠い過去の因縁が現世の、しかもまるで関係ないこの地で再燃している。
佐々木盛綱の過去生が記憶としてある今では、ここ数年で発生した緑川事件、良橋亀子事件、熊代商事事件、そして行真会事件の意味も理解できていた。
(玉藻前、亀の前、カグツチ、大黒天、そして阿修羅・・・厄介な連中ばっかだな)
そしてその目的はただひとつ、頼朝を守ることのみだった。源三郎頼朝との出会いは、父佐々木秀義たちの源義朝との関りからだった。秀義の妻は源為義の娘ということもあり、清和源氏との絆は強かった。平治の乱で頼朝が流人となった頃、必然的に頼朝の従者となった。
単なる絆というだけではなく、盛綱は頼朝に心酔していた。非情で我が儘な面もあったが、棟梁たる資質は十分に持ち合わせていた以上に、頼朝とは腹を割って話すことができた。
安達盛長は知恵者であったのだが盛綱は心底武者であり、単純に頼朝を支えることのみを胸として生きた。頼朝は盛長と盛綱を3人だけで話し合い、酒を飲むことも多かった。坂東武者に囲まれ、後白河院や木曽義仲らと丁々発止の駆け引きを行う中で孤独になっていく頼朝の心の友であり続けた。
頼朝と後白河院の因縁を現世まで引きずっていた頼朝を支えるために、転生してきていたことを、今の羽間はしっかりと自覚していた。そして今回は頼朝ではなく、正妻である政子の因縁が襲ってくる。そしてそれは、狡猾な後白河院ではない。純粋な怒りの塊なのだ。
(大変なことになるな・・・)
「ちょっと!聴いてるの?」
羽間は盛綱の記憶が一瞬でなくなり、目の前にある妻の顔に驚いた。わずか数センチまでの距離に顔があったのだ。
「うわ!」
「うわ!じゃないわよ!もー、仕事のことは忘れて!どうしようもなくなるんだからね!それはもう前からだもん。筋肉馬鹿は終わりにして!いいわね!」
「・・・はい・・・。」
いつもは羽間を立ててくれるのだが、こうなったらもう終わりである。元々羽間の先輩でもあるので、こうなると頭が上がらない。羽間は適当に食事を終わらせ、堅一の遊び相手をすることにした。堅一は羽間と遊ぶと大喜びではしゃぎ、結果としていきなり寝てしまった。
羽間は堅一を抱えてベッドに運び、キッチンに戻るとさなえももう寝ていたようでいなかった。寝室から寝息が聞こえてきていた。
「しょうがなかなあ・・・もうちょい飲むか・・・と、危ない。ノンアルにしなきゃ。」
羽間はノンアルコールビールを開け、柿ピーをつまみにテレビを観ることにした。近年ではおちおち酒も飲めなくなってきている。翌日に残らない程度にしておかないといけない。
ドラマは苦手だったので、羽間はバラエティにチャンネルを変えた。何かのグランプリで優勝したコンビの漫才があっていた。羽間はダラダラと観ていたのだが、急に画面が止まり、固まった。
「あれ?どうしたのかな?」
羽間はリモコンのスイッチを切ろうとしたが、それでも変わらない。
「なんだよこれ・・・。」
ブツブツ言いながら立ち上がろうとしたその時、画面が竹林に変化した。
(なんだこりゃ)
竹林の背景は暗闇だったが、中央のみ明るかった。そしてそこに竹林の奥から白いものが現れてきた。それは古い時代の衣装を纏った女性のようだった。怪しげな雰囲気があった。
「なんだ!」
女性は竹林の中央に来ると歩みを止め、そして頭巾を取った。
「さゆ・・・いや、玉藻前!」
緑川小百合の顔をしていたが、全身から怪しげな気を発散していて、怪しい雰囲気を出していた。
「盛綱殿、参上いたしました。」
「玉藻前・・・いかがした。」
羽間もすぐに、武者衣装の佐々木盛綱の姿になっていた。
「ご注進申し上げます・・・お気をつけなさいませ・・・。」
「気をつけよと?なにゆえじゃ。」
「わたくしが戻りましたのは、後白河院の怨霊ゆえ。我が空蝉は藤原得子ゆえにでございますので。」
「左様であったのう。得子は鳥羽院の皇后であり、後白河院の義母君・・・その縁からか。」
藤原得子は朝廷激動期を生き抜いた女性であった。鳥羽院の寵愛を受け、正妃璋子を凌ぐほどの権勢を誇ったものの、結果として子の近衛は早逝し、帝位は璋子の子である後白河が継ぐことになった。
「はい。わたくしは九尾の狐。争乱あるところに現れます。その力を得て生きておりました。後白河院のお力は大層に強く、わたくしの子、近衛は早くに黄泉へと参りました。ですが・・・。」
「なんじゃ?」
「後白河院のお力の根源は・・・別にございます。」
「なんと!」
画面の中の玉藻前の姿は皇后の姿に変化していた。
「そのお方のお力は大層に強うございます。そしてわたくしの力も・・・そのお方の魂は黄泉におられましたが、その運命がゆえに転生なさいました。そのお力で操られたのが・・・。」
「後白河院ということか。」
「左様にございます。」
「しかし此度は・・・。」
「あの方々には、その敵を鎮めていただかなくてはなりませぬ。盛綱様、盛長様には・・・。」
「そのお方を鎮めよと?なぜわしと盛長に?」
「そうでなければ、この世が狂うからにございます。現世の因は過去にも戻ります。あなた様と盛長様は、頼朝様をお支えされるお方。頼朝様、政子様をお支えするお役目として、この因を断ち切らねば、鎌倉もなくなります。」
「そのお方とは誰ぞ?」
「それは・・・。」
19
一文字尊久と北西三郎は、川南市にあるグランドホテル川南のロビーにいた。本来は従兄弟同士であり、つかず離れずでこれまでうまくやってきていた。
だが、この日は会っても一言も言葉を交わすこともなく、ただ黙ってコーヒーを飲んでいた。ホテルの前には黒塗りのベンツが停車しており、ロビーには屈強な若者たちが多くいた。最初に口を開いたのは一文字だった。
「・・・なあサブ。なんでや?」
北西は鋭く一文字を睨んだ。
「どういうことや。」
「脅しを俺にやるか?」
「さあなあ・・・久ちゃんの言うこと、俺にゃあわからんぞ。それに・・・。」
北西は若者たちをじろりと一瞥した。
「こん若っかもんたちゃ、大学の空手部やろ。久ちゃんが役員やっとるとこのな。なんで揃えたんや?これも脅しやろ。」
「じゃあ、そこの黒ベンツの中にはどれだけの銃と社員がおるんや?それくらいわからんと思うとっとか?なあ、サブ・・・お前、どうしたんや?」
「なにがや。」
「沖皇と組んでから、おかしかぞ。前はあげなこつ、絶対にせんかったやろ。昔気質の町ヤクザだったけん、俺んごつ者と組めた。ガキん頃から遊んだ俺に、ようあげんこつば仕掛けたもんや。俺はなあ、お前んこつは警察に一言も言うておらんぞ。そっが俺ん気持ちや。お前の誠意はどこにあるんや。」
北西は葉巻に火をつけてくゆらせた。広く煙を撒き、まるでそこにスクリーンがあるかのように話し始めた。
「昔か・・・田んぼで青梅を齧りながら遊んだもんやな。忘れちゃおらんたい・・・ばってん、そげなもん何の役に立つ?」
「サブ!」
「せからしか!」
北西は声を荒げた。
「久ちゃんも気ぃつけや。今は21世紀やぞ。世の中カネや。俺は沖皇と組んで大儲けすると決めたんや。沖皇の敵は俺の敵や。九ちゃんがここで引かれても困るんや、俺は。それになあ。」
北西は身を乗りだして一文字を睨みつけた。
「犬一匹で済ませたのが、俺の誠意や。大切な従兄弟や。無下にはできん。ばってん・・・よかや、これ以上逆らうな。今まで通り力貸せ。それができんとやったら・・・。」
北西はゆっくり立ち上がった。若い空手部員に気合が入ったのを見ながら、北西はニヤリと笑った。
「俺に辛い決断をさせるな。よかな。・・・コーヒー、九ちゃんの奢りにしとくけんな。」
一文字も鋭い目で北西を睨み、そしてホテルから出て行く北西をじっと見た。黒いベンツが走り去るのを確認すると、一文字は空手部員たちに報酬を渡して解散させた。
1人になると、一文字の目から涙がこぼれ出した。
(なんで・・・なんでや!なんであんなに狂うてしもうたんや!)
共に川南経済を発展させようと懸命になって取り組んできた過去が思い出された。表舞台は一文字が、裏を北西が取り仕切ることでうまくやってこられた。
だが不況により経済界が苦しくなってくると、様々な事項が浮かび上がってきた。そこにつけこんできたのが沖皇物流だった。とりわけ、副社長の盛成が一番たち悪かった。
町ヤクザで顔役だった北西に、都会的なマフィア式思考を浸透させていった。
それでなくても経済界からの突き上げもあった。一文字の立場は非常に悪かったのだ。
一文字はタバコに火をつけ、煙を吸い込んでゆっくり吐いた。
(もう俺の時代は終わったのかも・・・しれんな)
一文字はタバコをもみ消すと、川南商工会議所副会頭の田辺に電話をかけた。
『ああ、お疲れ様。どうした?』
「ああ、すまんな。ちょっと話したいことがある。今から会えんか?」
『よかけど・・・どこで?』
「桜味亭では?」
田辺の声が止まった。川南で一番の料亭で会談すると言うことは、ただ事ではないということだ。特に一文字はオープンさを売りにしている男なので、こういう場所を指定してくると言うこと自体珍しかった。
『わかった。では12時に。』
「すまんな。」
一文字は一旦家に帰り、愛犬霊園の手続きなどを済ませて桜味亭に向かった。
「会長さん、いらっしゃいませ。もういらっしゃっておられますよ・」
女将が丁寧に出迎えてくれた。女将に案内されて、一文字は部屋に入った。
「よお、お待たせ。」
「お先に一杯やってたばい。飲むか?」
「ああ・・・もらおう。」
2人はビールで乾杯した。
「早速なんだが・・・もう俺は経済界から引こうと思う。」
「え?何ば言うとると?あんたがおらんかったら、ゴタゴタが片付かんやろ。」
「そのゴタゴタに疲れたったい・・・すまんが、俺は一旦病気になる。あんたが代行してくれんか。」
「馬鹿んこつ言いなさんな!俺に抑えきれるわけなかろう。」
「大丈夫さ。俺がまだおるけん、俺の意見として言えばよか。そんうちに俺は引退する。その間にこれからのことを話し合う・・・。」
「一文字さん、あんた、この間事件があったやろ。まさかそれか?」
「察しがいいな・・・その通り。俺は裏で解決する。すまんが、お願いしたい。あんたに悪いようにはせん。この通りだ。」
一文字は正座して、田辺に土下座した。
「やめろよ!川南第一の功労者に頭下げさせるわけにはいかん!頼むから頭上げてくれ・・・わかった、引き受けるよ。」
「すまん・・・俺は俺なりにできることをやるしかなか。それでもし・・・もし何かあったら俺に話してくれ。何でもいい。頼むぞ。」
一文字は田辺と別れ、電話した。
「ああ、汐田さん?すまんが急用でな。ちょっと会ってくれんか?」
『なんや急に?』
「すまん・・・あんたにしか頼めんとや。察してくれ。」
『・・・ひょっとしてあの件か?』
「・・・ああ。」
『そうか・・・わかった。それなら川南の者を巻き込まん方がよかろう。よし、川北に懇意にしとる奴がおる。そいつに頼もう。』
「誰や?」
『大山副署長たい。頼りにはなるぞ。』
20
市川と麗子は、白水小四郎に呼び出されていて、本社に来ていた。小四郎は社長室の椅子に座り、不機嫌そうに書類を整理していた。市川と麗子は小四郎の前に座っていたが、すこぶる居心地悪かった。
(相変わらず機嫌悪いな。)
(なにかしらね。)
「お前らなあ、聴こえないごつしてるつもりか?それで?バリバリ聴こえとるわ。」
「あ、いえ、その・・・あ、あの、今日はどのような用件で・・・。」
「市川!」
「は、はい!」
「お前、今日から総務部長を命ずる!そして伊加!」
「はい!」
「お前は副部長だ。昇進昇級!2人で光田の分やれ。いいな!」
「は、はい・・・え?あたしが副部長?だ、ダメですよ!あたしたちまだ入社して3年目なんですよ。他にもたくさんいらっしゃるじゃありませんか。」
麗子は思わず反応した。小四郎は強く机を叩いた。
「問答無用!」
市川と麗子は顔を見合わせて困惑した。小四郎は不機嫌なオーラを少し控え、書類をバサッと机に投げ出した。
「いいか、うちは川北の物流を今まで担ってきた。だが、あの沖皇がカネと政治力にモノ言わせて食い込んできやがった。光田は頑張ったんだが、もうあいつの力では太刀打ちできんところまできていたのは事実だ。それでだ。」
小四郎は壁の地図を指差した。
「今まではこの川北のみでやってきた。お前たちは、川南を開拓しろ。」
「川南を、ですか?あそこは経済市じゃないですか。物流って・・・。」
「市川、だからだよ、川南によそから持ってこさせるんだよ。その開拓だ。」
確かにこれまでは川北の農産物を他地域へ運ぶことが主な事業だった。今後はその逆をやれということだ。
「実は川南市議会でも、今回の沖皇に関してのキナ臭い噂は前からある。その関係で、俺は川南経済の重鎮を何人か押さえてある。あそこの農産物はこれまでうちからだったが、ごっそり沖皇に持っていかれそうだ。俺が押さえている連中を訪ねていって、需要を確保してこい。」
「あの・・・。」
「なんだ、伊加。」
「光田部長はそこをやられていたんですか・・・?」
小四郎は再び不機嫌丸出しの表情になった。
「ああ・・・少しだけな。だが顔を出した程度だったよ・・・だがヤクザとは絡んでいない。どんなトラブルがあったかはわからん。」
「あたしたちで・・・大丈夫なんでしょうか?」
「ああ。大丈夫だ。前はそこまでやらなかったんだが、今回は兄貴の友人も川南にいる。市議の何人か、商工会議所の顔役も押さえてある。何かあったらすぐに川南署の岡島警部に連絡しろ。むしろあちらさんも、そうしてくれと言ってきている。」
小四郎の言う兄貴とは、大山のことだ。かおるとは事実上夫婦関係にあるので、そう呼んでいた。
「光田のこともあるしな。おまけに川南には汐田というベテラン鑑識が委託で入っている。相当に川南署内も風通し良くなってきたそうだ。岡島さんは、この際川南の膿を出し尽くすつもりらしい。それから、この人はよく知らないんだが、兄貴や岡島さんの友人で、川南で元ワルたちの頭が上がらない尾加田って人も手伝ってくれるそうだ。ここまでやっておけば、光田も無事だったのかもしれんが・・・。」
小四郎は立ち上がって、市川と麗子の肩に手を置いた。
「頼むぞ。ピンチはチャンスだ。沖皇を潰して、俺らが川北も川南も仕切る。そのつもりで行く。いいな!」
市川と伊加は、本社を出て近くの全国チェーンコーヒー店に入った。2人で行動することが多いので、こういう場所は幾つか開拓してある。市川はフラペチーノ、麗子はアイスコーヒーを飲みながら、今後について話し合った。
「社長は警察とも懇意なんで、情報は確かだ。ということは今回に関しては極道絡みではないということになるんだな。」
「でもね誠ちゃん、ヤクザと絡んでいないなら、誰が犯人なの?あたし、怖い。」
「まあな。伊加は女の子だから、無理はしなくていい。俺が表に出るから。」
「ありがとう。じゃあ、どこを回るの?」
「伊加はちょっとアレだけどさ、かおるさんが探偵じゃん。その辺りは熟知していると思う。だからまず相談してみるよ。それから動こう。それから、社長が行っていた大山さんと岡島さん、それからええと・・・。」
「尾加田さんって人もね。」
「あ、そうそう。一回お会いしておこう。それには伊加も来いよ。」
「そうね。あたしは主に事務で頑張る。」
「うん、それでいこう。じゃあまずは、その方々と会うことからだな。」
21
川北の総合物流センターがある知典ビルの沖皇物流川北支社は、常識からするとありえない広さだった。なにせ最上階ワンフロア全部なのだ。そのオフィスは確かにちゃんとしたものだったのだが、オフィス以上の面積を沖皇一族が独占していた。専用のエレベーターがあり、屋上にはヘリポートまで作ってあった。オフィスとは別に入ることができ、豪華なレイアウトになっていた。
沖皇一族部屋の奥には大きなデスクがあり、そこには会長の尊成が座っていて、下座に社長為人、副社長盛成、常務懐がいた。為人は長男、盛成は次男、懐は三男だ。
尊成はそれまでの古いやり方を一新し、ひたすら拡大路線に転じることで今日の地位を築き上げていた。そして子供たちを役職につけ、本社を京都に置いてはいたのだが、すでに東京、奈良、島根に支店があり、そして今は事実上ここが本店扱いとなっていた。子供たちはそれぞれの支店長を経て重役になっており、尊成絶対主義で成り立っていた。
最初に口を開いたのは、長男の為人だった。
「お父さん、現在のところ川北進出は成功しています。民間からの切り崩し、個別勧誘全て順調です。数字的にはこのように右肩上がり。来月には三倍を見込めると予想されます。」
壁いっぱいに拡大された画像を次々に出しながら、細かく解説していった。
「うむ・・・さすがやな為人。よく整理してある。で、盛成・・・あの件はどないなっとる?」
「・・・その前に、ちょっといい?」
「なんや、どないした。」
「俺、親父のやり方気に食わんねん。」
「・・・なんやと?」
「あのなあ、兄弟の中で・・・俺だけが汚れ仕事や。兄貴も懐もきれいなお仕事ばっかや。下々のことなどちっともわかれへん。その立場でモノ言わせてもらうならよ、親父のやり方やといつまでたっても川北を支配でけへん。甘う見すぎとちゃうか。今はな、一番やりやすいのは川北やあれへん。川南や。親父は川北の方が御しやすいと思うたやろ。ところがや、川北は生産市なんやがな、現実には川南を支配しとる。確かに経済市や。だがな、川北の恐ろしさはその経済の要になっとるいうことや。あそこの連中は川南で飲み食いするよって、それで繁華街は成り立っとる。川北の連中はな、決して自分ととこには遊興は入れたがらんのや。俺はここに来て骨身に染みたわ。川南の連中はカネでいくらでも転びよる。そやけどここは川北や。見とってみい、すぐに頭打ちになるわ。」
盛成は一気にまくしたてた。元来が極道性分なので、見た目も1人だけ違っていて、現代やくざ風に見える。
「ほうかい。そこまで言うんやったら、ここではっきりさせとこやないか。お前の浅い考えなど、わしはとっくの昔に考えておったわ。川南は確かにやりやすい。だがな、やりやすい言うことは、逆に言えば冷めるのも早いと言うことや。ここで頭打ちになることなどハナから判っておったわ。」
尊成は立ち上がり、川北の北にある一点を指差した。
「ここがやな、康安寺いう廃寺や。わしが川北にこだわったのは、ここがあるからや。」
「お父さん、それ初耳です。なぜなんです?」
懐が柔らかく尋ねた。息子たちの中で、最も尊成が可愛がっていた末弟だ。
「当たり前や。こないなこと言うても、お前らには通じへんやったろうしな。ここはな・・・わしらのご先祖様と縁あるところなんや。」
尊成は座り、葉巻に火をつけた。
「我々のご先祖様は、代々出雲や。出雲はな、古代最大のパワースポットや。皇室にも縁ある。それでな、ここは・・・この川北はな。あの八岐大蛇の骨が埋まっておると言われておる。川南との境にある分水山にな。さらに言えば、古代においては九州と出雲は兄妹みたいなものやった。それでや、わしらが川北を抑えて骨を探し出すんや。そうなれば、うちは永遠に安泰や。・・・だが、こんなんお前たちに言うても信じるか?信じられへんやろ?」
案の定、息子たちは黙った。シビアな経済戦争のさ中に言うことではありえなかったからだ。
「ほら見てみい。まあ、無理もない。わしとて、子供の頃のあの経験がなかったら信じることなどありえへんやった。」
「親父。それ、なんや?」
盛成は首を傾げながら訊ねた。現実路線しか信じない男だけに、帝王である父親を立てなければならない矛盾にいつも悩まされてきていた。この話など最たるものだった。
「そやな・・・先代の頃、うちは破産寸前やった。幸いにも日本軍との取引で持ち直したんやが、戦後間もなく、親父様は戦争商人として扱われ、故郷におられんようになったそうでな。それで親父は前々から信仰していた神社に願掛けに行ったそうや。ほしたらな、お告げがあったんや。奈良に行けというものでな。そこからや、うちの発展が始まったんは。わしは奈良で生まれた。その時、親父様の夢に8匹の大蛇が出てきて、家紋を我にせよと告げたそうや。それでうちの家紋はこのようになっておる。」
沖皇物流の紋章は、八方向に向かっている蛇の絵になっていた。尊成は続けた。
「さらにや、わしが6歳の誕生日の時や。夢に8匹の大蛇が出てきてな、自分の骨のひとつがここに埋まっていると言うた。その時見せられたのが、この康安寺の姿や。わしはそれから調べに調べた。そしてようやくこの地を探し当てた。調べれば調べるほどに、この地に惹かれていった。お前たち信じられるか?ここは石油が出るんやぞ。九尾の狐伝説やアマビコ伝説、火の神伝説もある。わしはそれを信じて、親父様の仕事に没頭してここまでの規模にできた。それもこれも全て、ここであの八岐大蛇の骨を探し出すためやった。そういうわけで、わしは川北に根を下ろすつもりでここまでやってきた。お前たちには関係ないことやったが、これがわしの考えや。そのためにはどうやって財を築けばいいのかだけをずっと考えてやってきた。間違っておると思うか?」
しばらく沈黙があり、最初に口を開いたのは長男の為人だった。
「お父さん、動機がどうであれ、ここまで企業として成長してきたのはお父さんの力です。我々はここからさらに発展させていくだけや。僕はそう思います。」
懐も続いた。
「兄貴と同じや。広げていく。」
最後は盛成だった。
「俺は正直、まだ疑問や。俺は現実派なんでな。俺は俺が納得するやり方ででっかくしていったるわ。それでええやろ。」
尊成は盛成をじっと見て答えた。
「盛成、それはそれでええ。そやけどな、お前の付き合うとる睦海興行の北西いう奴は、元々極道や。お前がなんで義兄弟なんぞになったんかは・・・だが、もう手を切れ。それだけは言うておく。ええな。」
「なんやと?アホ抜かせ。俺と三郎は、俺らの縄張りを守るために戦ったんや。俺らがおらへんかったら、うちもなかったんや。それを簡単に手え切れだ?できるか!」
「盛成!」
「あのな親父、あんたがその夢に向かっていっとる間に、俺らも苦労してきたんや。兄貴も懐も、どんだけ我慢してきた思うてんねん。ここに進出できたんや。親父はその、大蛇の骨でも探しておけや。後は倅たちに任せとき。俺はもうこれ以上言うことはないわ。」
尊成はもう言葉をかけることはなかった。自分に逆らったことはともかく、盛成が言っていることに間違いはなかったからだ。それに、子供たちを妻に任せっきりだったという負い目もあった。尊成に替わって、為人が口を開いた。
「モリ、もうええやろ。俺と懐で親父をサポートしていくさかい、お前は好きなようにやれ。ただ、迷惑はかけるな。それだけでええ。万が一何かあっても、ケツは自分で拭け。それでええか。」
「兄貴がそう言うんなら、俺は異論はねえよ。だがな・・・。」
盛成は立ち上がってサングラスをかけた。
「俺からも言っておく。SKディストリビューションの奴をやったのは、誓って俺らじゃねえ。警察が動いておるようやが、俺らは一切関わっておらん。血判押してもええ。・・・じゃ、そういうこって。」
盛成は部屋を出て行った。その後ろ姿を見ながら、懐がつぶやいた。
「じゃあ、あれは一体誰がやったんや?」
22
大倉美也希は釈放されることになった。だが志水太郎は怪我をしているし、公務執行妨害に相当するということで退院してもしばらくは取り調べを受けることとなった。
羽間と美也希は個室で話していた。
「とりあえず、よかったね。だけど、まだあのアパートには戻れない。調査中だし、捜査のために押収したものもかなりある。どうするんだい?」
「うん・・・お母さんとこに行くしかないし・・・でも・・・。」
「どうかしたのか?」
「・・・もう何年も会ってないんだ・・・あたし、中学の頃から家出しちゃっててさ。実家に帰っても・・・第一遠いし。」
「実家はどこ?」
「・・・荒水島。」
「あ、それで日本海とか言ってたんだっけ。そっか・・・うちから電話しておこうか。」
「いや・・・やめといて。お母さん、今のお父さんと暮らしてるんや。あの人、男おらんかったら生きていけん人やもん。・・・うちな、ほとんど天涯孤独なんよ。太郎だけが身内やった。」
美也希の一言一言が羽間の胸に刺さった。あの時の狂ったような表情は、周囲全てが敵に見えていたためなのだとわかった。
「そうだなあ・・・でもどこか宿とお金がないと無理だし・・・。」
その時、羽間の耳に、小宮山祥子の声が聴こえてきた。
(ケンちゃん、宿もお金もあるとこあるじゃない。)
(どこだ?)
(あそこよ。)
一瞬のことだったが、それで全てがわかった。
「あのさ。」
「・・・なに?」
「寝るところがあって、働けてってところはあるよ。」
「え?何するとこ?風俗は嫌だよ!」
「・・・警察がそこ斡旋するわけないだろ?うちの副署長の・・・義弟のような人がいてね。そこなら働けて寝るところもある。一緒に行ってあげるからさ。会ってみない?」
「ちゃんとしたとこなん?働いたらお給料貰えるん?」
「たぶんね。」
「いいよ。行く。」
羽間が提案したのはSKディストリビューションだった。光田が殺されたり、沖皇物流に押されたりしてはいるが、まだまだ健全でイケイケの企業だ。美也希1人くらいはどうにかなるはずだ。
というわけで、間もなくして2人は本社に到着した。小四郎にアポは取ってある。
「おおケン!その子か?」
「そうなんですよ・・・あ、ちょっといい?君はここで待ってて。」
羽間は小四郎を廊下に誘った。
「え?・・・なんだって!光田の娘!」
「ちょ!声落として!」
「そうか・・・俺はそういうの信じねえが、光田が呼び寄せたのかもしれんな。よし、わかった。うちで引き受けよう。簡単だが寝るところもある。だが、父親がここで働いていていたってことは、お前から話せよ。それが条件だ。後はあの子次第だ。」
「すみません、恩に来ます。」
小四郎は別用で離れ、代わりに麗子がやってきた。羽間と麗子は美也希の待つ部屋に行き、父親のことを伝えた。
「え・・・嫌だよ!あの男がいたって!嫌だ!」
「大倉さん!静かにして!」
麗子は厳しくたしなめ、その勢いに美也希は黙った。
「あなたと部長の関係は聴いたわ。正直、あたしも驚いてる。でも部長があなた方とどんな状態だったのかは、今は関係ないことじゃない?あたしと市川総務部長は、お父さんの背中を見て仕事をやってきた。社長にとっては右腕だった。あたしたちにとっては理想の上司だったわ。優しくて、絶対に諦めない。こんな人が父親だったらどんなに嬉しいかって思っていたわ。だから・・・ショックなのよ。だけどね、こう考えてみない?あたしたちとあなたは、姉妹なんだって。」
「姉妹・・・?」
「そう。あたしは・・・本当にそんな気になっている。だから、お互いが知らない父親のことを分かち合ってみたら、どう?」
美也希は少し考え、そして羽間を見た。
「あたし・・・ここで働いてみる。あたしの知らないあいつのことも、知ってみたい。姉妹・・・あたしは1人っ子だし、そう言われてもピンと来ないよ。だけど、他に行くところないもん。」
羽間と麗子は顔を合わせて、胸を撫でおろした。
「じゃあ、捜査で押収したものについては、後ほど連絡する。君はスマホとか持って・・・。」
「ないよ。いらないもん。友だちいないし。」
「じゃあ、会社のを使って。営業にはたくさんあるから。連絡先がわかったら、羽間さんに連絡すればいいんでしょ?」
「ああ。頼むよ。」
麗子は美也希の肩に手を置いた。
「あなた、いくつ?」
「・・・17。」
「あたしは23。伊加麗子って言うの。麗子って呼んでね。あなたのことはどう呼べばいいのかな?」
「・・・なんでもいいよ。」
「そうねえ・・・じゃあ、社内では美也希ちゃんね。一応バイト扱い。まだ仕事はやらなくていい。しばらくはここの環境に慣れればいいからね。」
「仕事?あたし、やってみたいけどな。」
「美也希ちゃんはまだダメよ。あなたは正式入社じゃないんだから。今のところお客さん。入ったら鬼のようにしごくわよ。」
「おわ、こっわ・・・。」
「あとは・・・そうねえ。堅苦しいのは嫌だから・・・プライベートではミヤッペにしよっかな。」
「ミヤッペ?・・・ダッサ・・・。」
「何でもいいって言ったじゃない。それでいくわよ。じゃあ、寝るとこ案内しよっか。着替えとかはあるの?」
「ないよ。」
「あらあら。それじゃ買い出しからしなくちゃね。経費で落としておくから心配いらない。じゃあ、あたしの車でスーパーに行こうか。」
麗子は美也希を連れて買い出しに行った。羽間は黙って見ていたが、心の中でつぶやいた。
(祥子、ありがとう。)
(いいのよ。)
羽間は祥子と鈷力健と戦った時のことを思い出していた。あの当時は自覚なかったのだが、今では完全に思い出すことができていた。戦ったのは佐久間信盛としてであって、あの頃は全く思い出すこともなかった。だが今では自覚もあり、そして祥子も傍にいてくれる。
(嬉しい限りだよ。)
そう思った時、羽間の中で何かが急速に広がる感覚があった。それが何なのかはわからなかったのだが、その感覚の中で、羽間は考えられないものを見た。それは大山が川南署岡島と、尾加田と会話している景色だった。
羽間は思わず思考上で叫んでいた。
(先輩!)
すると大山は顔を羽間の方に向けたように見えた。そして大山の声が聴こえてきた。
(ケン!お前・・・そうか・・・覚醒したのか)
(・・・先輩・・・いや・・・殿!)
頼朝と盛綱の転生後初の遭遇だった。
23
尾加田剛は川南の繁華街に来ていた。もう夕方で、仕事帰りのサラリーマンたちが居酒屋で一杯やっていた。
(懐かしか!散々遊んだもんだが、きれいになってからもう!)
高校時代の尾加田にとって、ここは庭だった。ストレスがちょっとでも溜まると、ここに来てはしゃいでいれば誰かがインネンつけて絡んできたものだ。そいつらをボコボコにすることでストレス解消となったものだ。
当然ながら、喧嘩した元ワルたちも相当数いた。だが尾加田の陽気な性格から、一度でも喧嘩したら仲間になることが多かった。
「まずは・・・あいつだな。」
向かったのは、かつてゲーセンだった場所だった。今ではカラオケ屋になっていた。
「こんちわ~。」
尾加田が店のドアを開けると、受付の女子が対応した。
「いらっしゃいませ。お1人ですか?」
「そうだけどさ、実は歌じゃなかとよ。社長さんいる?」
「え?は、はい。どちら様でしょうか?」
「えーっと・・・どうせあいつも見てるんだろ・・・カメラカメラ・・・と、こっちか。おーい、巖倉!尾加田じゃあ!出てこんかい!」
尾加田は監視カメラに向かって叫んだ。
「ちょ、ちょっとお客様、困りま・・・。」
「うおー!剛じゃねえか!何年ぶりかよ!」
ドタドタと2階から裸足で降りてきたのは、スリムでモテ男だった若い頃からは考えられないメタボ男性だった。
「てめえ!とことんメタボりやがって!10年ぶりたい!」
「お前はまた、どこの遊牧民かと思ったわ。」
「・・・それ、それなりに正解だぞ。」
「はあ?」
「まあいいわ。ここじゃあ店に迷惑だろ。そこの可愛い姉ちゃんも困ってる。ちょっと出ないか?」
「もちろんじゃ!・・・あー、君、ちょっと出てくる。後よろしく頼むよ。」
巖倉は川南工業高校の出身で、当時は番長で暴走族という不良だった。
だが今ではれっきとした社長だ。2人は近所の純喫茶に入った。ここは昔からあるところで、老夫婦が現役で切り盛りしていた。
「ここも懐かしかなあ!ここによくカレー食べに来たもんだ。」
「だろ?俺も時々ここに来るんだ。ここに来たら頑張れる気がする。」
2人は、今では滅多に見ることはないコークハイで乾杯した。あの当時は若者の間で流行っていたドリンクだった。
「・・・カー!うめえ!」
「キャロルとクールズ聴いて、これ飲んだもんだ。そういや、お前さんと殴り合った後のこれ、どえらく口に染みたぞ。てめえ、遠慮なくモテ男の面を殴りやがって。」
「がははは!そう言うなって。ほれ、ここ。お前が頭突きかましたとこが、今でも毛が生えねえ。血が止まらなくてなあ。目に入って全部真赤になったの覚えてるわ。」
元不良同士の会話というものは、やはりどこか飛んでいる。しばらく歓談した後、尾加田が切り出した。
「あのよ。川南署の岡島、いるだろ?」
「おおよ。あいつとお前さんと、もう1人いたなあ。」
「川北署の大山だよ、それ。」
「あ、そうそう!お前さんたちはいっつも3人でつるんでいたもんだ。」
「でさ、実は俺、今もその3人で組んでるんだわ。」
「組んでる?どういうこと?」
尾加田は先日大山と岡島から聴いた事件について語った。
「というわけだ。昔のよしみで協力しているってわけよ。お前さ、なんかそういう情報ねえか?」
「ええとなあ・・・ちょっと前なら色々あったんだが、今の川南は厳しいぞ。川北から汐田っておっさんが委託で来てから、警察がシビアになった。ワルどものほとんどは県外に逃げちまうか、おとなしくしてるよ。」
「汐田さんか!あのおっさん来たならそうなるだろうな。俺も会ったことあるよ。」
「まあ、俺は逆に助かっているんだがなあ。ワルが来たら俺が追い出してたんだが、その心配もない。うーん、元ヤクザならいるけどな。」
「なんて奴だ?」
「睦海興行ってとこでな、元は北西組って言ったんだが、知ってるだろ。」
「あそこか!ああ、もちろん覚えてるさ。かなりヤバい組だった。そこがなんかあるんか?」
「何にもないとは思うが、あそこの北西三郎って元組長と、商店街会長の一文字尊久ってのが従兄弟同士でさ。そして北西はお前さんが言ってた沖皇物流の盛成副社長とは義兄弟の契り交わした仲らしいぞ。」
「へええ・・・そりゃあ有名な話なんか?」
「いやあ、経済界の重鎮が元極道と従兄弟なんて知られたら今の地位にはおれんだろ。ワルたちの中では一部でささやかれているってことだ。」
巖倉は、それ以上は知らなさそうだったので、尾加田は再会を約束して別れた。さらに他の元ワルを中心に聞き込みを続け、終わったのは深夜になっていた。
尾加田はタクシーで川北に戻り、宿所のラブホに入った。
「しかし・・・俺1人しかいねえのにこれはないぜ、全く・・・まあタダだしなあ。」
キラキラしたエロさ抜群の演出の中で、尾加田は大山に連絡した。
「・・・つーこってよ。岡島からも聴いたんだが、一文字とこの犬が矢で射殺されてたんだ。どうも匂うよな。」
『それはお前の勘か?』
「ああ、たぶん間違いなか。おそらくだが、一文字と河西の間に何かトラブルがあったんだ。それで脅しで犬をやったってことだと思うばい。ヤクザ屋がよくやるこった。そしてそこには沖皇が絡んでるな。」
『お前の勘だと、沖皇はクロ?」
「うーん・・・そこはわからん。だが絶対に絡んでる。極道と義兄弟なんてカタギ、信用できるかよ。直接の手出しはなかろうが、何らかの助け船は出してる。」
『さすがだな。助かったよ。他に何か、こっちでできることあるか?』
「・・・あのなあ・・・。」
『なんだ?』
「宿、どっか他にねえか?」
『は?どうした?』
「ラブホなんだよ、ここ!」
電話の向こう側で、大山が大笑いし始めた。
『ブファア!あっははははは!』
「笑うな!このキラキラの中で眠れるかよ!まだ路上の方がマシだって!」
『わかったよ。そこはいくらなんだ?』
「・・・タダ・・・道子ママの紹介なんだ。」
『じゃあ探しておくから、もうちょっとそこにいろ。タダだからいいだろ。』
「・・・ほーい。」
尾加田はスマホを切り、横に女がいると思い込みながら目を閉じた。3時間くらいは寝付けなかったようだ。
かなり長いですけど、そこまで複雑にはしていないつもりです。自分的には長編映画を見ている感覚でした。




