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ゼロにして無限  作者: 月読
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ゼロにして無限 VOL.0

旧タイトル「神々は囁く」

 軌道エレベーター『バベル』が完成した日、人類は初めて神の領域に触れた。


 地上から伸びる白亜の円柱は、成層圏を突き抜け、宇宙の深淵へとその先端を指し伸べていた。

 それは、人類の飽くなき探求心と、傲慢なまでの挑戦の象徴だった。

 だが、人類が知らなかったのは、その円柱がこれまで不可視であった『神』の存在を可視化してしまうトリガーであったことだ。

 軌道エレベーターの最上部に設置された、観測ステーションから送られてきた映像は、全ての人類の背筋を凍りつかせた。 

 そこに映っていたのは、無限に広がる宇宙空間に、おびただしい数の漆黒の真球『UNKNOWN』が浮遊している光景だった。それらは、光を吸収する黒い球体にも、脈動する巨大な心臓にも見えて、見る者の精神を深く抉るような不気味な存在感を示していた。


「あれが……神だと?」

 

 地球統合政府の緊急会議で、誰かが呟いた。しかし、その声は虚しく響くだけだった。

 これまで、信仰の対象であった神々は、形を持たない概念であったはずだ。だが、今彼らは明確な物理的実体を伴って、人類の目前に姿を現したのだ。

 人類が、神々の逆鱗に触れたと理解するより早く、彼ら或いは彼女らは行動を開始した。


 最初の攻撃は、電磁パルスだった。地球上の全ての電子機器類が暴走の末に停止すると、真っ先にインフラが影響を受けた。都市の灯りが消え、通信ネットワークも完全に沈黙した。あらゆる交通機関が麻痺、特に航空機の墜落や鉄道等の大規模な事故による、人的・物的被害は甚大だった。

 人類は早々に文明の利器を失い、己の無力さを強く思い知らされた。

 これでは、強制的に石器時代へと逆戻りさせられたようなものだ。


 しかし、それは悪夢の始まりに過ぎなかった。


 空から、黒い雨が降り注いだ。

 それは水滴ではなく、自己増殖するナノマシンだった。大地を覆い、建物を侵食し、やがては人間そのものに取り憑き始めた。取り憑かれた人間は、意識を失い、思考を喰われ、正常な生命活動を停止した。その瞳には、かつて人間であった者の光はなかった。


「神々は我々を排除しようとしているらしい。地球という名のこの惑星から、『不純物』である我々人類を──」


 科学者の一人が、震える声でそう報告した。

 神々にとって、人類は大地を汚染し、空気を濁し、自分たちの秩序を乱す『バグ』に過ぎなかったのだ。

 人類は、絶望の淵に立たされた。

 それでも、一部には『決して諦めない者』たちもまた存在した。


 生き残った者たちは海底深くに潜り、最後の抵抗を試みた。彼らは、神々による電子パルス攻撃で、悉く停止させられた最新鋭の兵器を全て廃棄し、電子機器に全く頼らない過去の遺物とも言える、もはやレトロですらない機械式や蒸気式の兵器を、まさに鬼気迫る執念で掘り起こすと、これを修復した。

 神々が概念ではなく物理的な存在であるなら、物理的な手段で対抗できる。   

 できるはずなのだが──。

 修復した兵器は、どれも全く通用しなかった。 

 もっと強力な兵器が必要だった。

 だが、核兵器もやはり通用以前の問題で、ナノマシンによる干渉で電子操作による起爆装置が機能不全に陥ってしまっている。そもそも彼らの存在は、核爆発のエネルギーすら吸収してしまう可能性もある。

 物理的ではあるがこの世の理を、はるかに逸脱した存在なのだと、ようやく人類は気づいた。

 残された道は一つ。人類の最も原始的な武器、『思考』と『覚悟』をフルに、限界まで活用することだった。

 彼らは、ナノマシンに汚染されていない地球唯一の場所であるマリアナ海溝の底へ逃げ込み、海水による超高圧環境に守られたチャレンジャー海淵にある海底シェルター内で、新たなる兵器を開発した。それは、音波を媒介とする兵器だった。

 度重なる交戦により、特定の周波数の音波が、神々の物理的実体を不安定化させることをついに発見したのである。

 それは追い詰められた人類の、絶望にまみれながらも抱き続けた『執念』により、最後に掴んだ奇跡と言えた。


 地球最深部の深海から打ち上げられた音波砲が水圧から解放され海面を突破、衝撃波と共に夜空に響き渡った。『突撃ラッパ』と呼ばれたその音波攻撃の威力は絶大で、開発に携わった研究者は言うに及ばず、鍛冶職人を始めとする、あらゆる加工技術者たちは一斉に快哉を叫んだ。彼らには、発射に至るまでのあらゆる技術的難題を、共に突破してきた者同士による強い帰属意識が生まれていた。


 それは、初期型の核兵器すら無効化した神々にとって、予想外の反撃だったにちがいない。黒い球体が、音波によって微かに歪み、その一部が崩壊するのを確認した時、人類は初めて神々に対する勝利の可能性を垣間見た。


 しかし、神々もまた、ただでやられる存在ではなかった。彼らは崩壊する個体を切り離し、残りの球体を収束させて、より巨大な集合体を形成し始めた。

 それは、傷ついた箇所を硬い殻で覆い隠し、内部で更なる進化を遂げようとする、再生を超えたプロセスだった。

 そして、その巨大な集合体からは、これまでのナノマシンとは異なる、新たな脅威が放たれた。

 それはより高速で、より耐圧に優れ、自己修復機能を持つ『改良型ナノマシン』だった。

 海底最深部のシェルターに身を潜めていた人類は、その新たな脅威に恐れ慄いた。


 事態は、いよいよ最終局面を迎えていた。


 シェルター内部のさらに奥深いブロックへ、最後に残された科学者及び技術者たちは避難していた。

 現在は、『改良型ナノマシン』に対抗するため、シェルターを覆う対外障壁を限界まで加圧した状態で維持している。その反動により、シェルター構造体へのダメージが極限にまで達している。ラップ音にも似た軋み音が、至る箇所から響いて、断末魔の叫びを上げ続けていた。

 残された時間はあまりにも少ないと、誰もが肌で感じていた。

 研究者たちの顔には、一様に疲労と絶望が色濃く刻まれてはいたが、その瞳の奥には、決して消えることのない人類の『執念』が宿っている。


「神々にとって、自身を滅ぼそうとする我々の思考こそが、秩序を乱す最大・最悪の『バグ』なのだ。彼奴らが、我々の思考を死に物狂いで消し去ろうとしているのは、それが理由だ」


 一人の老科学者が、震える声でそう呟いた。彼の研究室には、使い古されたアナログ式の計算機と、数えきれないほどの書き込みがされた手書きの資料が山積みにされていた。

『改良型ナノマシン』によって、未だ無効化されていない最後の電子機器類をフルに活用すると共に、彼らは原始的な方法にも大いに頼り、神々の法則を解き明かそうと試みていたのだ。


 そして、ようやく彼らは一つの仮説に到達したのだ。


 神々が物理的な存在であるなら、彼らもまた何らかの法則に縛られているはずだ。それは間違いない。彼らが思考を喰らうナノマシンを送り込んできたのは、人類の思考が彼らの法則に干渉し、彼らの存在を不安定化させる『ノイズ』であるからではないか?

 もしそうなら、このノイズを極限まで増幅させれば、神々そのものを殲滅できるのではないか?

 この発想は音波兵器の進化形、或いは究極のバリエーションと言えた。

 最後の研究者たちは、残された全てのリソースを使い、新たな兵器の開発に着手した。


 その結果、人類史上初にして究極の概念兵器、いわゆる『神殺し』が誕生した。    


 特定の思考パターンや概念をプログラミング化させ、それを物理的な波に変換して放出することで、神々の実体や眷属を内部から崩壊させるという狂気じみた発想だった。

『神殺し』それは、まるで人類が自身の『魂』までをも武器にしようとしているかのようだった。

 これが通用しなければ、いよいよ後が失くなってしまう。


 シェルターの最深部で、概念兵器『神殺し』の起動準備が進められていく。開発にあたっては、物資が圧倒的に足りていなかった。そのため、シェルター内で使用されている残された構造体や電子機器類から、かなりのパーツ取りを行っているので失敗は絶対に許されない。この環境下では二度と同じものは作れないからだ。


 それは、巨大な思考増幅装置であり、人類の思考そのものをエネルギー源としていた。

 装置の中央には、数を確認できないほどのコード付きの電極が、頭部に刺し込まれた状態の、数人の男女が横たわっていた。

 改良型ナノマシンの汚染から逃れることのできた、地球上最後のシンクタンク、その残された数少ないメンバーである。

 彼らは、人類の歴史、文化、哲学、科学、そして、ありとあらゆる『叡知』と『思考』の結晶の全てを、その脳に記憶していた。


「我々は、神々に、人類の最も深遠なる思考をぶつける。それは、彼らが最も恐れる『混沌』そのものだ!」


 老科学者による信念の言葉が、静寂に包まれたシェルターに響き渡った。

 概念兵器が可動に入る。脳波計の数値が跳ね上がり、装置全体がまばゆい光を放ち始めた。それは、人類の思考が概念的エネルギーとなって、宇宙へと解き放たれる瞬間だった。


 その夜、宇宙に浮かぶ巨大な漆黒の真球の表面に、これまで見たこともないような、複雑ながらも調和のとれた波紋が広がった。それは、音波でもなく、電磁波でもない、純粋なる『思考波』だった。思考の波紋が神々の実体に触れるたび、その巨大な集合体は、まるでガラスのようにひび割れ、あっけなく内部からの崩壊を始めた。


 それは、神々の『終焉』であり、人類の永く暗かった闇夜の『黎明』だった。



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