第7章:記憶なき残響
王家・桐生王朝は、太古の侍一族の伝統に根ざし、幾世代にもわたってこの地を統治してきた。
桐生の領土は広大で、荘厳そのものだった。
そびえ立つ山々が周囲を守るように聳え、川は谷を刻みながら流れ、その下には高い石壁に守られた城下町が静かに佇んでいた。忠誠を誓う戦士たちが、そのすべてを守っていた。
この地域は、息を呑むほどの自然美と、深く根付いた文化で知られていた。
神社や参道には桜の木々が並び、舞い落ちる花びらは、まるで過去の囁きのように漂っていた。
人里離れた滝は、かつて剣の音が風に響いていた古い修練場の傍らを流れていた。
戦場は煙に覆われ、桐生の兵たちが石門や山道を必死に守っていた。
太陽の光を受けて鎧は輝き、剣は異国の刃と激しくぶつかり合う。
「幾世紀にもわたり、多くの王国がこの地を征服しようとした。
その美しさと、戦略的価値に引き寄せられて。
だが、そのたびに彼らは――
決して屈しない抵抗に阻まれてきた。
桐生王朝の戦士たちは、揺るぎない忠誠と力で祖国を守り、
すべての侵略を“失敗の物語”へと変えてきたのだ」
それでも――
桐生王朝が滅びたことは、一度もなかった。
幾度となく、彼らの戦士は聖なる大地に立ち、
侵略者の嵐に向かって高く旗を掲げた。
揺るぎない決意とともに、
川も、山も、神社も――
祖国を形作るすべてを守り抜いた。
かつて、高い尾根の上に一人の桐生の領主が立っていた。
黒い霧のようなオーラがその巨躯を包み、静かな威圧を放っていた。
不自然なほど青く輝く瞳が、血に染まった戦場を見下ろしていた。
それでも――彼は、戦に背を向けた。
恐るべき力を持ちながらも、
桐生は決して征服を望まなかった。
侵略のために進軍することはない。
彼らが剣を抜くのは、
誓って守ると決めた土地が脅かされた時だけだった。
---
桐生の要塞の奥深くには、祖霊の間が存在していた。
神聖で、静寂に包まれた場所。
壁一面に並ぶ巻物は、幾世代もの重みを宿し、
磨き上げられた侍の鎧が、歴史の番人のように立ち並んでいた。
薄暗い灯りの下で、その紋章は淡く輝いていた。
ここに――
知恵は生き続けていた。
たとえ小さな国であっても、
心を一つにし、過去に導かれるなら、
巨人にすら立ち向かえる。
だが今――
風は静まり、聖なる川は浅くなり、
かつて強大だったこの国――天照外国は、
ゆっくりと衰え始めていた。
かつては、伝説の領主たちが存在した。
領域の守護者、
神の力を振るい、名誉と運命に縛られた者たち。
弱き者を守り、闇を封じ、
星々の運命すら形作った存在。
しかし時は――
彼らの力を奪い、
その姿は神話へと変わった。
今、残っているのは石像だけ。
冷たく、
静かに、
すべてを見つめている。
---
朝の陽光が揺れるカーテン越しに差し込み、
質素ながらも気品ある寝室を、温かな金色に染めていた。
部屋は静かで、衣擦れの音と、遠くで鳴く鳥の声だけが響いていた。
ベッドの上で、
アカネ姫はリュウマのすぐ傍らに横たわっていた。
同じ毛布の下、彼女の手がそっと彼の頬に触れる。
その触れ方は優しく、だがどこか不安げだった。
長い深紅の髪が炎のように枕へと流れ落ち、
飾り気のない高貴な着物と美しく対比していた。
愛に満ちたその瞳には、
消えぬ憂いが静かに揺れていた。
「……なんて美しい国なのでしょう」
彼女は囁いた。
風よりも小さな声で。
「それなのに……
政治の陰謀と、弱体化した兵によって……」
蝋燭の柔らかな灯りが、
静かな部屋の障子に揺れて映る。
外では風が、忘れ去られた子守歌のように囁いていた。
だが、この薄い紙の壁の内側で、
一国の未来は、沈黙の中にあった。
アカネ姫は一人、静寂の中に座り、
紅と金の着物を膝に流しながら、
生まれたばかりの我が子を抱いていた。
――リュウマ。
寝息は穏やかで、
無垢で、
世界の残酷さを知らぬ顔。
だがアカネの瞳には、
深い悲しみと、決して折れぬ決意が刻まれていた。
彼女は身を屈め、
小さな額にそっと口づける。
「まだ……ただの子供なのに……」
指が、守るように彼を包む。
外で風が一瞬、唸った。
遠い地から届く警告のように。
「でも、いつか……あなたは強くなる」
今度は、より強く。
長年の痛みと静かな誇りに鍛えられた声で。
「たとえ……非嫡子として生まれたとしても……
それは、弱さを意味しない」
涙が一粒、頬を伝い、
袖の中へと消えていく。
「この国のすべてを継げなくても……
あなたの心と意志は……
それでも、この国を守れる」
蝋燭の炎が、誓いに応えるかのように揺れた。
「だから約束して……
私の子……リュウマ……」
涙の中で、彼女はかすかに微笑んだ。
「すべてが失われたように見える時でも……
天照外を導けるほど、強くなって」
部屋は静まり返っていた。
だが空気が、わずかに変わった。
まるで運命が、耳を澄ませたかのように。
その腕の中で、
リュウマの小さな指が、未来を掴むように動いた。
---
朝の柔らかな光に包まれた静かな部屋。
アカネは微笑みを浮かべ、眠っていた。
その手は優しく、少年の腕の上に置かれている。
リュウマは、ゆっくりと目を開いた。
しばらく天井を見つめ、やがて母へと視線を向けた。
小さな指が、毛布を強く握る。
(……ここが、本当に生まれた場所か)
前世の記憶は霧の向こう。
だが、研ぎ澄まされた本能は、確かに残っていた。
(母……
こんな存在、前の人生では想像もしなかった)
(俺は一度、死んだ人間だ。
すべてを置いてきた)
(だが今は、ここに生きている)
(だから――
知っているすべてを使う)
(技も、意志も、本能も)
(母の夢を、叶えるために)
視線が前を向く。
澄み切った眼差し。
何かが、彼の内で目覚めていた。
(この温もり……
この愛……)
(これが、親の愛なのかもしれない)
小さく、苦い笑いが心の中で零れる。
(非嫡子、か……
残酷な肩書きだ)
(だが……どうでもいい)
柔らかな光と、母の腕の重みの下で、
リュウマの心には、確かな炎が灯っていた。
前世の記憶は、生まれ変わった瞬間に砕け散った。
だが魂には、刻まれていた。
幾多の戦い。
帝国を形作った選択。
世界を揺るがした真実。
多くの者にとって、それらは伝説。
酒場で囁かれ、子守歌で語られる物語。
だが彼にとっては――
物語ではない。
彼は、生きてきた。
生き延びてきた。
全てを思い出せなくとも、
魂は覚えている。
幼い肉体に、戦士の魂。
それは矛盾そのものだった。
危険を察知する直感。
転びそうになっても完璧な足運び。
恐怖の代わりに宿る冷静さ。
それらは、この人生の贈り物ではない。
前世の残響だった。
だが身体は追いつかない。
小さな手は震え、
柔らかな筋肉は、思考の精密さに応えられない。
それは、
子獅子の喉で咆哮しようとする獅子のようだった。
だが――間違えるな。
彼は、獅子だ。
今はただの子供に見えるかもしれない。
だが、いつか――
世界は再び、
彼の咆哮を耳にすることになる。




