第5話 「灰の中の証拠」
朝の教室は、まだ眠っている。
窓から入る光が机の列を薄く照らし、埃が静かに漂っていた。
昨日見た赤と青の残響が、まだ頭の奥でくすぶっている。
二つの感情が混じったまま灰色に濁り、何も解けなかった感覚だけが残った。
「……まだ終わってない」
自分に言い聞かせるように呟く。
天音が僕の机に腰をかけ、朝刊を広げた。
「廊下での騒ぎの記事、載ってたよ。『軽い口論』だって」
僕は眉をひそめる。この街の新聞は、肝心なことはいつも書かない。
「本当は何があったんだろうな」
天音が僕を覗き込む。
その時、教室の戸口に立っていた白石が言った。
「知りたいなら、現場を見直すべきだ。灰色になった後でも、微細な“音の残りカス”がある」
そんなものまで拾えるとは思わなかったが、白石は当然のように歩き出す。
僕と天音はついて行った。
廊下にはもう残響らしい光は見えない。
けれど耳を澄ますと、ごくわずかな——爪でガラスを弾くような高音が残っていた。
僕はそれを指先でつまむようにして拾い上げる。
すると、灰色の中にひとつだけ色が灯った。
淡い緑。冷静さ、あるいは後悔の色。
その直後、小さな音が重なった——布を絞る水音。濡れたハンカチ。
「……謝罪は本物だったのかも」
口にした途端、映像が一瞬だけ鮮明になる。
怒りと安堵の狭間で、相手の傷口を押さえている男子生徒の姿。
「でも、その後に吐き捨てるような声もあった」天音が訝しげに言う。
白石が横目で僕を見る。
「二重残響の順序を見極めろ。どちらが先かで意味が正反対になる」
僕は呼吸を整え、指先に残る緑の光から再度並べる。
水音→謝罪→怒り→安堵。
そして出てきた像は——
廊下でぶつかって相手を怪我させ、慌てて手当てしながらも、押し込めた苛立ちをこぼす男子生徒の姿だった。
事故と感情のねじれ。単純ないじめではなかった。
「……こういうの、新聞は絶対書かないね」天音が小さく笑う。
「書けないんだよ。感情の順序なんて、残響を視られない人間には証明できないから」白石が淡々と答える。
映像が消え、廊下は再びただの放課後に戻った。
けれど僕の胸には、別のざわめきが残っていた。
謝罪も、怒りも、安堵も本物だった。
……それでも、あの男子生徒の足元に、紫がかった微細なノイズが渦を巻いていたのを、僕は見逃さなかった。
誰かが、やはり手を加えている。
小さな事件の陰に、人工的な感情操作の影がこびりついている。
「次はそのノイズを辿る」
声にすると、天音が笑い、白石は短く頷いた。
灰色の中に埋もれた色彩を、全部引きずり出すまで——絶対に終わらせない。
お読みいただきありがとうございました。