第4話 「赤と青の境界」
廊下の壁に浮かんでいたのは、血と水彩を混ぜたような色だった。
一見すると赤、でも少し目を凝らすと青みが滲む。
それは、心臓の鼓動と氷の冷たさを同時に飲み込んだみたいな、不穏な光。
近づくだけで、耳にふたつの音が入り込む。
——低く鈍い衝突音。
——かすれた謝罪。
どちらも途切れ途切れで、主語がない。
「これ…誰かが怪我した?」
天音が隣で眉をひそめる。
僕は頷きかけ、壁に指を伸ばした。
触れると、一瞬だけ視界が揺れる。床に散ったペンケース、濡れたハンカチ、靴跡。
「並べる?」と天音。
「いや…早い」
前回の誤読が喉に引っかかっていた。間違えれば、この残響も”別の物語”に化ける。
その時だ。後ろから足音。振り向けば、白石修が立っていた。
夕陽が背後から差して、表情は影に沈んでいる。
「それに触れないほうがいい」
淡々とした声。でも、その奥に緊張が張り詰めていた。
「理由は?」
天音がすぐに食いつく。
「それは感情が二重化してる。事故現場で、同時にまったく逆の感情が発生した。処理を間違えると…」
白石は少し言葉を区切り、僕をじっと見た。
「逆の結論が出る」
僕の脳裏に、前回の“女子生徒の笑い”が走る。
笑っていたのか、泣いていたのか。
残響は、順番ひとつで真逆になる——。
「じゃあ放置しろって?」天音が一歩踏み出す。
白石は首を横に振った。
「専門の”補正屋”に任せるべきだ。君たちはまだ危うい」
その言葉に、胸の奥がざらつく。
他人任せにしていたら、この街の”嘘”は誰も暴けないじゃないか。
「……やってみる」
気づけば、僕は残響の断片を拾い始めていた。
赤い鼓動→謝罪→靴跡→濡れたハンカチ。
並びかけた瞬間、映像が立ち上がる——
廊下で立ち尽くす男子生徒。その顔は、半分が怒り、半分が安堵。
声が重なってくる。『ごめん』と『ざまあみろ』。
ノイズが走る。像がぶれる。
——どちらが本物の感情なのか、僕には選べなかった。
「……最悪だ」
頭の奥に残響の残滓がこびりつき、足元がぐらつく。
白石が僕の肩を掴んだ。
「だから言ったんだ。これは二重残響だ」
天音は言葉を失って僕を見る。
廊下の赤と青は、もう灰色に濁って消えていた。
僕は拳を握った。
並べ方を間違えれば、真実は灰になる——。
でも、だからこそ知りたい。あの時、あの場所で、本当は何が起きていたのかを。