第3話 「誤った旋律」
放課後の図書室は、夏の熱を吸い込みすぎた本の匂いで満ちている。
窓の外では、プールの水面が西日に反射してちらちらと揺れていた。
僕と天音は、例の落書き机の“怒りの残響”を追って、この場所に来ていた。
机を使っていた生徒が、この図書室の常連らしい。
「本当にここで見つけられる?」
天音が本棚の影から、顔だけこちらに出す。
「強い感情は、使われた物や場所に重なって残る。…まだ残っているはず」
僕はゆっくり歩きながら、視界の端に浮かぶ音を探す。
――あった。
返却カウンターの脇、本と本の間。
そこに、薄青いきらめきが漂っていた。
耳を澄ますと、水面を爪で引っかくような音が混ざる。鋭く、そして冷たい。
けれどその奥に、かすかな笑い声が重なっていた。
「怒りと笑い…?」
僕は眉をひそめる。普通なら両立しない感情が、断片として同じ場所に貼り付いている。
違和感に押され、僕は残響を“並べて”みた。
青い光→金属音→笑い声→紙の擦れる音…。
視界に、淡いスナップショットが立ち上がった。
ビニールカバーの本を握りしめ、笑いながら誰かの机を荒らす女子生徒の姿――。
「これが真相?」
天音が覗き込み、口をへの字にする。
「なんか…ただの悪ふざけに見えるけど」
僕は頷きかけた。その瞬間、スナップショットが一瞬だけノイズを走らせた。
波形が紫に揺れ、女子生徒の顔がブランクに変わる。
「…あ」
――誤読だ。並べ方を間違えた。
本当は、女子生徒は泣いていたのかも知れない。
いや、それとも笑っていたのは別の人物か。
「結、顔が怖いよ」
天音が小声で言う。
僕はその場からすぐ離れた。
ここに長くいれば、残響の“嘘”に僕まで引きずられる。
廊下に出た瞬間、右手の壁にまた新しい残響が浮かんでいるのが見えた。
それはかすかに滲む血の色――赤と青の真ん中のような、不穏な色彩。
「……これ、続きがある」
僕は息を整えながら言った。
天音は笑わなかった。
「じゃあ、追うしかないね」
夕陽が沈む前に、この街の旋律はどんどん濁っていく。
そして僕は、その濁りを正しい順に並べられる自信が――もう、揺らぎ始めていた。