二十二.味氏の忠誠
〔翌日・味の国〕
「ありがとうございました」
味氏屋敷の前で溌、最帆、航に向かい合い、先人、瀧、鋼が揃って頭を下げる。結局都からの技術者は間者と入れ替わっていたのでいない。裁きは味の国となったので先人達だけの帰還である。
味氏の長である溌が小さく頷きつつ、先人の事を気遣う。
「もういいのか?傷の方は」
「はい。薬が抜けたのでもう」
「そうか。うん。何よりだ」
暗い影も無くいつも通りの溌に、先人は気になっていた事を問う。
「溌様。一つ、気になっていたのですが」
「ん?」
「間者は屋敷内に出入り出来ていました。ならば部屋が何の部屋かを理解していたと言う事です」
「うん」
「何故書庫に?」
先人が考えてもわからなかった事。書庫は行かないと聞いていたのに、間者はそこに入ろうとして捕まった。何故と思い聞いてみたのだ。溌はあっさりと答える。
「ああ。あそこにな、たまに行っていたから何かあるのだと思ったのだろうな。予定では武器が置いてある部屋か屋敷の見取り図を取りに来るように誘導しようとしたのだが」
「そうだったのですか」
「うん」
その言葉に驚く航と最帆。
「祖父様行っていたの?見た事無かったけど」
「はい。私も」
「まあ、こっそりな。一人で見たかったし」
「へー。何?」
「何ですか?」
航と最帆に問われ、溌は少し考え、しかしあっさりと答える。
「うん?光村様の書いた見本。質に入った時からためていたのだ。光村様が字を綺麗に書けとあれこれと見本を書いてくれてな。字は書けるが下手でな。次期当主として相応しくないと何度も書かされて、疲れた」
「そうなのですか。曽祖父様が」
羨ましそうに見つめる先人に溌は笑顔で頷く。
「手跡が綺麗でな。参考にしたがあれ程は書けない。未だに。それと、まあ文を、な」
「文も、ですか?」
「うん。質から戻ってからも気に掛けてくれて時々送って来た。まあ、私宛ではなくて父や最帆にも宛てていたのだが、まあ、そういう事だ」
「 …父上、そうでしたね。光村様からの文、一度も読んだことがありませんでした。祖父様(帆凪・溌の父)が無理やり見たくらいで」
当時を思い出しため息を付く最帆。航が溌に詰め寄る。
「そうなんだ。俺も見た事無い。見せて」
「嫌」
あっさりと答える溌に航は苦笑いを浮かべるが、仕方が無いとも思っている。味氏の血は半端では無いのだと理解しているからである。それには気付かず、先人は思い出しながら話す。
「曽祖父様の字は綺麗です。私も教えてもらいましたがあそこまでは書けません」
「ははは。光村様には敵う訳が無い」
「はい」
溌の言葉に嬉しそうに頷く先人。互いに思っている事が同じなのだと感じて嬉しいのである。
その空気はわかるのだが、一応諫める最帆と航。
「父上、失礼ですよ」
「祖父様」
「うん。すまん。…先人様。最初に会った時、私は似ていないと言いました。申し訳ありません」
「いいえ。その通りです」
突然謝罪されるが、先人は気にしていない。本当の事だ。どこか似ていたかったのは本音だが。と思っていると溌が続ける。
「今は違います。似ていますよ。先人様は」
「いえ、私は」
似ていない、と言おうとする言葉を溌が遮る。
「ううん。似ている。美しい方だった。見た目も、心も。美しいと思ったのは見た目もありますが、それよりも心です。国を安定させたい一心で国と大王に仕えていた高潔で清廉、そして優しい心です」
「はい」
先人は深く頷く。溌は思いに耽りながら続ける。
「反乱氏族の若の面倒など誰も見たがらないのにしつこく次期当主として必要な事を教えてくれた。都の者らは光村様を情が薄いだの冷酷だの言いますが、私はそうは思わない。私を見たのです。充分優しい人です」
「はい」
「先人様も同じです。憎しみに囚われ主を失った空っぽの男を本気で叱り付けてそして諭してくれた。私などと会った事も無いのに。光村様が居たら同じ事を言う。きっと」
「溌様」
先人の呼びかけに笑顔で頷く溌。
「見事に受け継がれました。光村様そのものです。私は、心より嬉しい、良かったと思います」
「ありがとうございます。そう言って頂き、嬉しく思います。何か一つでも似た処が欲しかったと、ずっと」
「うん。ちゃんと似ている。嬉しいぞ。本当に。言葉遣いもな、毎回直されて、大変だった。丁寧に話すつもりが戻ってしまう。光村様が居たら怒られるな。…うん。ありがとう。先人様。やっと、思い出せた。優しい人を」
「はい」
溌の目に光を感じ、先人は笑顔で頷く。それを見て、笑みを深め、やがて航に向く。
「航、波流の港まで送ってくれ。丁重にな」
「ああ。わかっているよ。祖父様」
「先人様。ありがとうございます。皆様も、お気を付けて」
「ありがとうございました」
最帆が深々と頭を下げる。それに答え、先人達も深く頭を下げるのであった。
〔船の中〕
航が海を見渡し、笑みを浮かべる。
「今日は波がいいな。早く着きそうだ」
「はい。気持ちいいです。な、瀧、鋼」
「うん。そうだな」
「ああ」
先人も、瀧も、鋼も頷く。天気が良く、風も緩やかで気持ちがいい。ふと、先人が航に問う。
「そういえば間者を送り込んだ氏族はどうなったのですか?」
「うん。都から文が来て、こっちで好きにしていいって書いてあったから、全員、裁いた」
「もう終わったのですか?」
「うん。すぐに捕まえた。で、白状させて、すぐに。結構いたから時間がかかったけど、先人様が目覚めた時には半数は終わっていた。全員したかったけど祖父様はやる気満々だし、珍しく父上もやる気を出してね。全員やりたかったけど、仕方無い。祖父様も父上も認めたから。俺一人で良かったのだけどなあ」
「 …そうですか」
航が残念そうに話すのを聞き、先人は考え込む。
(皆様全員で、でも氏族単位ならかなりの数。何をどうしたのだろう)
疑問に思っているがその問いに具体的に答える者はいない。味氏は主に対し忠誠も誠実もあるが、言わなくてもいい事は言わない。それは徹底しているのである。瀧も鋼も察しているが言わない。予想である事と先人に対して言いたくない気持ちがあるのである。
航は海に目を向けながら深く頷く。
「うん。でもこれで先人様も安泰だろうな」
「はい。統括として皆に改めて周知されます。これで皆様を守れます。ありがとうございます」
味氏が間者が出た事に対し、都に抗議を入れた。統括が味の国へ行った事はすぐにわかるだろうし、味氏が抗議程度で済ませた事を考えれば、先人が止めたと察しも付くだろう。大知先人は五大氏族の統括であると皆に認識出来ると言う事である。それは即ち、都と五大氏族は繋がれる。皆を守れると先人は安心したのである。
その様子をずっと見ていた鋼が、瀧に近付き、そっと耳打ちする。
「瀧、先人は大丈夫か?」
「何が?」
「詮索する気はまったく無い。だけど氏族の長に認められている。しかも五大氏族。なら、案外早いかもな。だが危うい」
「…ああ」
知らない事が多いくせに聡い鋼(幼馴染)に瀧は複雑そうに見つめる。鋼はわかっている。先人のこの先の意図が。言わずともわかるし、止めないし、受け入れる。それが、この二人(先人と鋼)の在り方で、ずっと複雑な思いを抱えているのである。
鋼は先人を見つめていたが、やがてふっと一息付く。
「ま、お前が居れば大丈夫か」
「何でそう思う?」
「お前は先人にだけは誠実だから」
「…心の底からすげーわ。お前」
瀧の言葉に何が?と言わんばかりの表情をする鋼。また深く複雑な思いを抱く瀧である。
一方、先人と航。ふいに会話が途切れたかと思ったら、航が真剣な声になる。
「…先人様」
「はい」
その声を聞き、気を引き締める先人。何を言うかと航を真っ直ぐに見つめる。航も真っ直ぐに見つめる。
「青海の国で会った時からそうだと思っていたけど、改めて思った。味氏の航は貴方様に忠誠を捧げます」
「航殿」
先人が呼ぶと、航は一瞬泣きそうな顔になり、すぐに戻る。
「祖父様を救ってくれてありがとう。光村様からの狂いはもう無い」
「私ではありません。曽祖父様です。溌様を救ったのは」
「それでも、その心を伝えてくれたのは先人様だ。そうでなければ祖父様はずっと狂ったままだった。ありがとうございます。先人様」
航のその言葉に首を横に振る先人。
「私も曽祖父様の事を知ることが出来て嬉しかったです。溌様が羨ましいです。私ももっと一緒に居たかったです」
「俺も会ってみたかったなあ」
「航殿もすぐに慕いますよ」
「祖父様に殴られるからやっぱりいい。先人様が居るし、いいかな」
「私では敵いません」
言いながら深く頷く先人に、少し考える航。
「えー。そうかな。俺は美しい人より優しくて格好いい人がいい」
「誰ですか?」
「先人様」
「ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです」
「世辞じゃないんだけどなあ」
二人笑顔で話している中、幼馴染二人は思っていた。
(先人の良さがわかる人間が増えて良かった。怖いけど)
鋼は笑顔で見つめているが、瀧は鋼とは別の複雑さを感じていた。
(やはり全世代堕ちたか。狂いの氏族。大丈夫か)
航は幼い頃から溌を見て来たので狂う事を怖がっていました。しかし、先人と会い、溌の本心を聞き、そうなっても仕方無いと振り切れました。ちなみに最帆は妻に出来たので狂いは今のところありません。父が狂う事も仕方無いとわかっていて見守る良い息子です。
鋼は何もかも察してわかっていて受け入れる大きな人です。




