六.往生際と大連の血
それから帰途につき、大知屋敷
瀧と共に屋敷にたどり着いた。叔父・佐手彦は先に休み、鋭が迎えてくれた。鋭は取り合えず屋敷の離れ(佐手彦の処の空き部屋)を使うことになった。
「礼を言う」
「いえ、何事も無く良かったです。それで、師になって下さるんですね」
嬉しそうにしている先人に押され、いつもより少し柔らかくなり、
「約束したからにはな」
「「ありがとうございます」」
先人ともう一人、瀧からも礼を言われ怪訝そうに見つめる。
「そなたもか?」
「勿論」
満面の笑みでさも当然と返事をする瀧をじっと見つめ、ため息を付く。先人は『すみません』と言わんばかりの顔をしている。
「わかった。何から始める?」
「まずは武術と戦術を」
「わかった。国に害がない程度にな」
「勿論です」
真面目な顔で頷く先人。軽く礼をする瀧。すると、突然何かを察する三人。
「授業だ」
鋭が淡々と言うと、先人は少し悲しげになる。
「これで終わればよかったのですが…」
「馬鹿な奴だ」
吐き捨てるように言う瀧。各々剣を構える先人と瀧。小さな剣をかまえる鋭。
「それは…?」
「隠し武器だ」
小さな気配を感じながら、敵の襲撃に備える。気配が部屋で止まる。
一斉に黒い衣と口当てをした者達が飛びかかる。弟子二人に『口をふさぎ、外へ』と指示を出し、瞬時に煙が張られる。薬香か。
急ぎ外に出ると、屋敷内から『敵襲か』『敵は』などと共に指示を出す巌・佐手彦の声。
「師匠」
「裏だ」
瞬時に移動する鋭の後を二人で付いて行こうとすると、黒い衣らに囲まれる。剣を構えると敵の間から男が出てきた。あの使者である。
「先には行かせぬ。あれはこちらで預かる」
「わざわざ取りに来たのか?大臣の指示で?高位の者が情勢も読めぬとは。らしくない」
笑い、嘲るように言う瀧。
「そうはさせない。あの方は、師匠だ」
強く言い切る先人を使者はじろじろと見つめる。
「お前だったか。今回の黒幕は。大知先人、宮中で見た。あの【化物】の曽孫、どのような面かと思って覚えておったが、血は争えぬか」
「何故気付いた」
冷たく、低い声で瀧がにらみつける。
「優秀な影がいるのでな。ついでだ。あれ(鋭)を手に入れ、【化物】の血を絶やす。そうすれば我が主もお喜びになる。…やれ」
一斉に切りかかる。回避しながら、塀を越え、走る。「瀧」と口のみ動かし首を振り、先に走り出し裏道に入る。狭いので一人ずつしか入れない。それでも来る黒い衣の者らに応戦している。
「唯一の嫡子。命令だ。消えてもらう」
後ろの方にいる黒い衣の一人が武器を振りかざすと、
「狭き道に敵をおびき出す。兵法としては上出来だ」
その声と共に武器を振りかざそうとしていた黒い衣が倒れている。
「食い止めるには今少し腕が足りないが」
「師匠」
人を切った直後にも関わらず冷静に指摘する鋭。授業というのは真なのだろう。無事をほっとしつつやはりそうなのだと感じる先人である。
鋭の後ろから瀧がひょこっと現れる。
「お前が囮になった後、奴らの裏に回ったら師匠が来た。先に師匠を追っていた奴らは再起不能。流石」
笑って言っているが、辺り一面黒い衣が倒れている。鋭が別の方向を向く。
「おい」
物陰から逃げようとする男。瀧が捕まえる。
「どうします?」
鋭はにべもなく
「始末する」
「お待ちください」
すかさず先人が声を上げる。
「生かしてはならぬ。生かせば今宵のこと、只のいさかいで終わらぬ。綜氏の者を大知氏の者が切ったと判明したらどうなる?一族終わりだ」
瀧も賛同するようにうんうんと頷き、見解を述べる。
「この襲撃も綜氏の指示では無さそうだ。腕も見た限り大したことは無い。しかし、襲撃の指示を出したのは綜氏の関係者だ」
先人は使者だった男を見つめ、尋ねる。
「何故、襲撃した?指示されていなければ動く必要は無かった」
男は諦めたように少し笑う。
「甘いことよ。わかっておらん。あの方は一つの間違いも許さぬ。放っておけばそのまま終わりだ。私は、終わりたくなかったのだよ」
「綜大臣は師匠をそれ程必要としたのか。外交は代々綜氏のもの。情報はそろって」
先人の言葉に目を見開いたと思えば途端に男は大笑いする。そして先人を睨みつける。
「大知大連が奪ったであろう」
息を飲む先人。
「あの者が大連として立った時、すべての氏族が統括していたものを己のみが掌握した。綜氏が取り戻した時、すべてが書き換えられ把握し切れなかった。今なおも」
「何故お前が知っている。只の使者に過ぎないお前が」
瀧が割って入り問いただす。男は続ける。
「私の一族は代々綜氏に仕えている。祖父や父、縁戚から聞いている。下働き同然からここまで上がってきた。そうしていく内に綜氏族の者らから愚痴も良く聞いた。たかが将軍氏族の末席から大連までのし上がりすべてを手に入れ国も大王をも操った冷酷非情な【化物】」
言葉を区切り、更に先人を睨みつける。
「そなたは似ておるよ。けして己が前に出ず、周りを消し掛け思い通りに動かす。噂に違わず血は争えぬな」
「お前…」
怒りを押し殺し男を睨む瀧に黙って聞いている先人。黙って見ている鋭。
「此度の事も綜氏の権力を裏から削ごうとしたのか。良いか。大王も大臣も正しい事をしたのだ。だから失脚した。権力を欲しがり、すべてを意のままに操り己の欲するままに生きたから自滅したのだ。大王のお情けで【連】を名乗れるだけのー」
恨み、侮蔑、憎しみの声。
「【化物】の一族が」
吐き捨てる男の言葉。
その瞬間、先人の脳裏に焼き付いた記憶がよみがえる。
『私は、罪人だ』
誰よりも清廉で、高潔で、哀しい、その姿を
瞬間、空気が重くなる。その場の全員が言葉を失う。先人以外は。
「【化物】は、いない」
重々しい声、圧。その場に居る者全員が絶句して先人を見つめる。先程とはまったく違う完全に場を掌握している。先人は表情も変えず更に続ける。
「我が曽祖父にして大連・大知光村。一度たりとも己が私心により力を使ったことなど無い。侮辱は許さん」
「ほ、本当の事だろうが。皆が」
口調が、声が、一変している。
(誰だ。この男は)
男は目の前の先人を見て思う。
「皆とは」
「い、一族が、綜氏が」
男が何を言おうが先人の表情は崩れない。男は冷や汗が出て来る。
「己で見たのか。一族以外からは?綜氏以外からは」
「…」
「己で見極めもせず他者の言葉に先導され踊らされ一生を終える。愚かだな」
「お、大王が認めたのだ。罪人として追放した。それがすべてだ」
「先導したのは大知大連を良く思わない陳氏と綜氏だ。どちらが操ったのか」
先人の言葉に男は二の句を継げない。言葉の重みも、圧も段違い、まるで、綜大臣と対峙したかのような、と思い至った時、先程の己の言葉を反芻する。
血は争えない。大連の血。
目の前の男もまた他を掌握する器なのだと確信する。そして、わかる。これ以上口を開けばどうなるのかも。
「【化物】などいない。存在したのは【忠臣】だ。それを追いやったのは誰であろうな」
嘲るように言う先人に、男はもはや反論する力も残っていない。虎の尾を踏んだのだ。逆鱗に触れたのだ。
先人は黙っている男からふいと視線を瀧と鋭に向けると瀧が前に出る。
「どうする?」
「綜氏に戻す」
「承知」
「いいのか?」
瀧は了承し、鋭は問う。
「綜氏は騒ぎにはしたくないはず。表立って下位の者の屋敷を襲撃したことは当人が指示していないにしろ人の口には戸が立てられないからな。後は、あちらに任せる」
瀧に引きずられていく男に目を向け
「今宵の事、そちらが騒げば、こちらも黙っていない」
「…」
「今なお【連】、大王の情けで生き残った【化物】の氏族、扱いに困りましょうな。過去の大王のお言葉を、よくお考えに」
表情を変えず言う先人に、男はやっとのことで頷く。
鋭はその姿に何かを感じ、瀧はにんまりと笑い、男を連れていく。
その後、先人と鋭は屋敷に戻り巌と佐手彦に簡単に説明し、巌は怒り狂い、佐手彦と共に止めることとなる。首謀者は綜氏に戻したと伝えたら巌は勝手な事をと更に怒り狂い、黒い衣の者らの処分はこちらがすると昏い目をして去って行った。
佐手彦は小さく首を振り、先人の肩に手を置き、兄の後を追って行った。暗い闇は、まだまだ大知を覆いつくしている。
ひょっこり戻って来た瀧が「置いてきた」と一言。その後どうなったかは知らない。
宮中書庫・和乃国史書に残る大王のみことのり 一文より
『大知氏は、【連】として残す。罪は大知光村一人である。けして、氏族は滅ぼしてはならない』