三.都との別れ
〔翌日・宮中・書庫にて〕
翌日、宮中の書庫に現れた先人。宇茉皇子に礼をする。それを見て苦しそうな表情になる宇茉皇子。
「先人」
「宇茉皇子様。昨日の夕刻、屋敷に正式な使者が来ました。居の国の援軍の大将軍として出征します。挨拶をしにきました」
真っ直ぐな目で見つめる先人に、宇茉皇子は頭を下げる。
「すまない。私のせいだ。私のせいで目を付けられた」
「何を言っておられるのです?大王が大知氏に含む処あるのは最初からわかっていました。」
「そうなのか?」
「出仕して初めて謁見した時からです」
「叶わぬな。そなたは。目端が利く」
苦しそうに笑う宇茉皇子に大丈夫だと伝えるように小さく笑う先人。
「大知氏族は常に色々な目で見られています。なのでわかるのです。相手がどう思っているか、悪意や殺意が。でも、皇子様は違いました。最初にお会いした時、曽祖父様を否定され、怒りました。ですが後で考えてみれば一度も忌む目を向けなかった。悪意も殺意も感じず、真っ直ぐだった。私はそれが嬉しかったのです」
思い出し、嬉しそうに語る先人。宇茉皇子も少し微笑む。
「それは、そなたもそうだった」
「?」
「無礼な物言いは一言のみ。怒りを抑え、我が声を聞き、真っ直ぐに答えてくれた。そなたほど清廉な者は見た事が無い、そう思った」
「皇子様。ありがとうございます」
礼を言う先人に、宇茉皇子は真剣な顔になる。
「いや、とにかく手は尽くす。出征はさせない」
「決まった事です。大知氏の責です」
「大知光村殿に罪など無い。大知氏の責など無い。そなたは我がものだ。勝手は許さない」
「皇子様」
「信じよ。手を尽くし、戦を止める」
互いに見つめ合う。強く言っても、互いに難しい事だとわかっていた。
その後大王の使者に呼び出された先人が辞し、書庫に籠る宇茉皇子。席を外していた荻君が戻り声を掛ける。
「皇子様。先人は」
「荻君。行くぞ」
立ち上がり、出ようとする宇茉皇子。荻君もすぐに付いて行く。
「どちらへ?」
「綜大臣だ」
強く一言。その言葉に荻君は目を見開く。
「綜大臣、綜氏の手を借りるのですか?」
「外交に詳しく、大王を動かせるのはあれしかいない」
「しかし、」
「他に手は無い。何を飲んでも止めなければ。先人は、これから先の時代に必要なのだ」
「わかりました」
宇茉皇子の強い決意に共に行こうとした荻君。そこにすっと音も気配も無く人が入る。
「お待ちを」
「服織?」
「人払いを」
無表情で指示をする瀧に荻君は驚く。
「何?」
「荻君」
首を横に振り、『出ろ』と言う宇茉皇子の指示に荻君は瀧を気にしつつ、席をはずす。
二人になった処で瀧が宇茉皇子に話をする。
「…手を出すな?」
「動かず、大人しくしておいてください」
「何故だ?」
「貴方が動けば先人の立場が更に危うくなります。大知光村が大王を操ったように先人が皇子を操っていると、そう思われる」
「そんな訳が」
大王の言葉を思い出し、押し黙る宇茉皇子。それを冷たく見据える瀧。
「あるから今なのでしょう。貴方のおかげで先人は窮地に立たされている」
「瀧」
「これ以上は許さない。お綺麗な皇族はきれいにまつられているといい」
これ以上無い皮肉にも気に留めず、瀧に詰め寄る。
「何を知っている?」
「話す必要が?」
「先人と約束した。手を尽くし、戦を止めると」
「必要ありません。では」
「…瀧」
「?」
「そなたが何を考えているのかは知らぬ。だが、友は裏切るな」
「…」
場を辞した瀧が歩きながら苦虫を嚙み潰したような表情をする。
(何も知らぬくせに。だから嫌いだ。あの皇子は)
〔その頃・宮中・綜大臣の執務室〕
使者に通された部屋で待っていたのは綜大臣。威厳のある出で立ちだが、共の者もおらず、一人である。綜大臣が説明する前に持っていた剣を見てすべて察する。
これは、公式であり、公式ではない援軍出征なのだと。先人は、綜大臣の前で屈み、礼の姿勢を取る。その様子に綜大臣は目を見開く。
「大知先人。大王の命により、大将軍として居の国に向かいます」
先人の言葉に気を取り直す綜大臣。そして命を下す。
「大王に代わり大将軍の証とする剣を授ける。命を遂行せよ」
公式にも関わらず、大王も臣下もいない。綜大臣のみの侘しい儀式であった。
「失礼致しました」
「無事に戻られよ」
「お言葉を胸に」
「兵は都の入り口に配置したとの事。御記氏と味氏には大王が手配をしてあるそうだ。頼む」
「はい」
(恨みを言う事も、感じさせる事も無かった。すべて理解し、受け入れていた。凡庸では無い。ならば)
「沈黙の理由はもう一つあったか」
(この勘が当たったとしたら、我々とて危うい。大知光村、そなたの手はいくつあるのだ)
宮中から出て大知屋敷に寄ると、巌と咲、佐手彦、鋭が待っていた。
「先人、武運を」
「気を付けてね」
「俺もすぐ出征するよう奏上する。必ず行くから待っていろ」
珍しく巌も声を掛ける。咲も気づかわし気である。佐手彦は真剣な顔で言う。
その様子に頷き、先人は鋭に向く。
「はい。師匠」
「ああ」
「鋭殿。先人を頼みます」
「はい」
佐手彦の言葉に鋭は頷く。
言葉も多く無く、礼をし、出ると鋼が立っていた。出征の話は出回っていない。宮中御用達だから聞いたのだろう。真剣な、哀しそうな顔をしている。
「先人」
「鋼」
「頭と打った。持っていけ」
「剣と、暗器?」
「まだ完全とは言えないが、何かの役に立つだろうと思って。師匠に聞いた」
鋼の言葉に先人は鋭を見つめる。鋭は頷く。
「先人。どこにいても俺はお前の味方だ。必ず帰ってこい」
「うん。ありがとう。鋼」
心から思ってくれる声に嬉しくなる。鋼は辺りを見回す。
「…瀧は?」
「宮中で仕事が入ったらしい」
「抜ければいいのに。あいつ」
「服織氏の嫡男だから。仕事は大事だ」
「まあ、そうだけど」
「行ってきます」
「無事で帰って来るんだぞ。師匠、頼みます。師匠もご無事で」
頭を下げる鋼。二人は頷き、先人は鋭と共に都の入り口に行く。
そこには兵らが居るが、数は多く無い。それに、と二人思っていると兵の中に居た一人がこちらに近付いて来る。
「お待ちしておりました。大将軍殿」
「貴方は、確か、叔父上の」
軍部に居た佐手彦の軍の一人、と思っていると話は続けられる。
「大知佐手彦将軍の兵ですが、私と後数名のみ。後は、他の処の兵を寄せ集めです」
同じ頃、綜大臣が珍しく急いだ様子で大王の元に行く。
「大王」
綜大臣が部屋に入ると大王がゆったりと奏上の書を読んでいた。大王が気付いて笑いかける。
「綜大臣。我に代わり出征儀式ご苦労。いかがした?」
「兵の数。どういう事ですか?当初の予定では最初に百。後にまた送ると」
「ああ、どうも集まりが悪くてな。何、集まればすぐに送る。それまで持ちこたえてくれればよい」
素知らぬ顔で言う大王に内心の怒りを隠し、意見を言う。
「兵五十では援軍になりませぬ。居の国の心象も悪くなるでしょう。今すぐ再編成し」
「いらぬ。大知氏の子は聡明で人誑しなのであろう?あちらを上手く抱き込めばよい」
更に笑い、何事も無く言う大王。綜大臣は表情を無くし、見つめている。
「そこまでして、滅ぼしたいのですか」
「あれは【化物】の血筋。【化物】などいらぬ。そう言ったのはそなたら氏族だ」
「…」
綜大臣は黙り込む。
(もう無理か…)
決断する。それに気付かず、大王は笑う。
「さて、いつまで持つか。楽しみだのう。綜大臣」
「…失礼致しました」
綜大臣は力無く去る。それを見届け、目線を別に送る。
「…さて、服織」
「はい」
音も気配も無く現れる。大王の影。吹である。
「珍しいな。今日は当主か」
「此度は、息子に任せるのは荷が重いように思いまして」
「監視に付けていたが、情が沸いたか?」
「まさか」
ふっと小さく笑う吹に大王も笑う。
「そうか。そうだな。そんな訳が無い。そなたらは、我がものだ」
「命は?」
我がもの、と言う言葉に被せて話を促す吹。大王は気が付く事無く続ける。
「我の影が大知氏を監視している。この先、大知先人が手柄を上げ、こちらに戻って来た時、扱いに困るだろう」
「先んじて、大知氏を無くせと」
「察しが良いな。帰る場所と氏族無ければ功績立てたとて大した事になるまい。その後、また戦に送ればよい」
「徹底していますね」
感心したような言い方をする吹に満足そうに頷く大王。
「かつての大王は甘かった。あの時、処していれば良かったのだ」
「…」
「そなたらは、共に情報を共有し逐一報告せよ。その上で我が決断において処せ」
「わかりました。では」
すぐに離れようとする吹の背中に大王は面白そうに話す。
「かつての上司の血を討つのはどんな気持ちだ?」
「何も。何もありませぬよ」
その場を去る吹。
「やはり、信用できますか?」
大王の皇子時代からの影が出て来る。
「服織に情など無い。代々の大王のみに従うだけの存在だ」
「大王。しかし、」
「だから今何も命じてはいないだろう。情報だけ共有しておけ」
「はい」
大王の言葉に頷き、影は共に居る。
〔織部司〕
表の顔に戻り仕事を始める吹だが、やって来た瀧に指を差される。
「顔」
「…」
指摘されても黙り込むのみの吹に呆れる瀧。
「大王の影の頭ともあろう方が抑えきれてないですよ」
「お前も、聞いていただろう」
実は大王の部屋の前に居た瀧である。吹の言葉にため息を付く。
「何故そこまで潰したいのでしょうかね。今更」
「執着だろう。あれも化物に魅入られたのだ」
「珍しい言い方」
「…あの御方では無い」
光村では無く、それに似た仁湖と言いたいのを察する瀧。
「そんなに似ていますか?伯母(咲)より?若い時分は知らないので」
「顔立ちは。だが違う。あのように弱くはない」
「へえ」
聞いたくせに興味が無い様子の瀧に、吹は一言。
「性質ならば先人様が一番似ている」
「止めてください。あいつはあいつ。似ていませんよ」
嫌そうな顔をする瀧である。
〔その頃、都の入り口〕
先人は兵らを見つめ、考え込んでいる。それを佐手彦の軍の兵が見つめている。
「どうしましょうか。大将軍」
「必要な物資は?」
迷う事無く問う先人に驚きつつ答える。
「ありますが」
「なら出ましょう。青海の国へ」
「ですが、戦力になるとは」
「青海の国まで皆の様子を見て、共に行けそうなら連れて行く。そうで無いなら止めおくか都に戻します」
「そうなればほぼ残らぬでしょう」
周りを見渡せばやる気の無い者ばかり。軍部の中でも出世の見込みがないからと諦めている者らで占めている。まるでそれらを選んだかのよう…いや、選んだのだと理性のある者らは察する。
先人もすべて受け入れ話を続ける。
「戦力にならぬ者を連れて行けません。居の国に対しての侮辱となります。追加の援軍を出すと言われています。それまで持ちこたえさせます」
「出来るのですか」
「やるしかありません」
即断し、兵らの前に立つ。
「皆、聞け。私は大将軍・大知先人。これより青海の国へ向かう。共に来れる者だけ着いて来い。行けぬ者は咎めぬ」
「…」
皆怪訝な顔をするが、立ち上がり歩き出す。一応兵としての訓練を受けている者らなので言う事は聞くのだ。それにほっとしながら共に行く。
その翌日。ある高年の男が都近くまで来ていた。高年の男は年齢に見えないくらい勝達で共の者らも屈強な様子である。
「熟練様。もうすぐ都です」
供の一人が先を見て声を出す。
「ああ。先を急ぐぞ」
真剣な表情で前を見据える。しかし、口元は笑っている。供の者がそれに気付き驚く。
「嬉しいのですか?」
思わず聞いしまい後悔したと言う顔をする供に熟練は笑みを深める。
「ようやく、出番だからな」
(光村様、果たす時が来ましたな。先人様、約束をお受け取り下さい)