九.味の国
古志の国での話を終え、再び青海の国から瑞の案内で波流の港に着いた先人と瀧。古志の国の国境で合った監視は勿論、他の監視の気配も感じない事に先人も瀧も取り敢えずはほっとする。
「何事も無くここまで来られて良かったです」
「はい。味の国にはこちらから鷹を飛ばしましたので、迎えが来るかと」
そつが無い瑞の言葉に先人は頭を下げる。
「ありがとうございます」
「ちなみに何と書きましたか? 」
「 …主が行くので良しなにと」
瀧が問うと、言い辛そうになる瑞。危険云々でもあるが、主を取られたくない内心を察する瀧。それに気付かぬように安心したように話す。
「そうですか。まあ、五大氏族の鷹を捕まえる事は出来ませんからね。綜氏でも」
「ええ。それに回りくどい真似をしたら先人様が危うくなりますから。瀧殿も」
「ご配慮痛み入ります」
瀧も頭を下げ、礼を伝えているとこちらに近寄る気配がする。
「瑞様」
「航殿。わざわざお疲れ様です」
「はい。そちらもお疲れ様です。先人様は? 」
「 …そちらに」
「 …え?」
航がじっと見る。
それからすぐに船に乗り、味の国・味氏の屋敷に辿り着く航と先人と瀧。瑞は港で別れ、航が先人と瀧を案内する。前のように屋敷に通され、部屋に入ると長の溌と当主の最帆がすでに待っていた。先人の姿が無い事に二人怪訝な顔をすると、航があっさりと紹介し、二人は困惑する。
「驚いた。何で? 」
「はい。驚きました。何故でしょう」
溌と最帆に素で問われて先人は苦笑いをする。
「命じられまして」
「 …何で?」
溌の声が低くなる。
「統括に対し侮辱では?」
最帆も低くなる。
「いいえ。決してそういう事ではありません」
「うん。急ぎでどうしてもだって。都に居る事になっているからこの姿になったんだって」
溌と最帆が怒っている気配を感じ、先人が慌てて否定する。確かにこれは侮辱に当たる。瀧も内心頷いている。航はにこやかに説明する。
「そうですか。何か事情があるのですね。…航、こちらに来なさい」
最帆は話に頷きつつ、一応気になっていた事を指摘する。
「え。何で?」
航は先人の隣に居るのである。先人は戸惑い、瀧は少し後ろに控えつつ引きつっている。
(味氏皇后…。ずっとくっついて離れない。恐るべき血… )
内心頭を抱えている瀧。五大氏族はまともな者が居ない事を思い知っている。自身を棚に上げているが。
先人と航を見比べ、溌が笑う。
「ははは。そうして並んでいると夫婦っぽいな」
「うん」
「は、それはいけません。誤解され縁談が来なくなっては申し訳無いです」
航も笑顔であるが、溌の言葉に先人が気が付き、すぐに離れようと距離を取るが詰められる。
「大丈夫。平気」
「そうですか?そうですね。私の姿では釣り合いません」
「ううん。でも平気」
航の様子を見た最帆がため息を付く。気持ちはわかるし無理に離せば大変な事になると踏んで、先人に
向く。
「先人様。良ければそのままで」
「最帆様。ですが、大丈夫ですか? 」
戸惑う先人に溌が頷く。
「うん。私も光村様にそうしていたし」
「そうなのですか。曽祖父様は距離を詰めても何も? 」
「最初は戸惑っていたが、その後は何も。教えるのに近い方が良いだろうと言っていた」
「そうですか。わかりました」
「うん」
にこにこしている航と微笑ましく見ている最帆と溌。瀧はそれを見ながら遠い目になる。
(あの人(光村)は諦めたんだろうな…)
少し同情した瀧である。嫌いだが。
改めて居ずまいを正し、溌と最帆をしっかりと見つめる先人。航は隣。
「突然このような姿で現れ申し訳ありません。お話があります」
今までの経緯を説明する先人に、黙って聞いていた味氏当主一族。話は終わり、皆が考え込む中、溌が頷き、呟くように返事をする。
「 …そうか」
「太子は長之皇子では無く宇茉皇子。先人様の主となっている方に」
「ふーん。女大王も良く納得したもんだ」
溌に続き、最帆と航が取り敢えず感想を言う。反応は読めない。先人は続ける。
「大王については説得をすると。公平な性質だから何も言わないと皇太夫人様が仰っていました」
「公平…。女大王は確かにそういう性質だとは聞いていますが」
「最帆様はご存知なのですか?」
「都の情報は逐一。父上が御記様とやり取りをして、それと我らも都には伝手が」
「うん。味氏は皇后も出したし、色々伝手が残っているのだ」
溌は瀧をちらと見る。瀧も頷く。
(最近頭から聞いたけど、確かに大王から離れなかった皇后。服織を知らない訳が無い)
服織は大王のみの直属の影、それは皇后でも知らない秘事なのである。通常は。御記氏も知っている。伝説の皇后から。代々当主にのみ伝えられる。溌が腕を組む。
「女大王もかつては諭大王の皇后。調べは付いている。美しく聡明で見識が広く大王に深く寵愛された皇后と聞いている。公平な判断をするとも。…陽大王の教育の賜物と噂がな」
「はい。それも聞いています。鍾愛の皇女様ですから」
「公平は教育の賜物と言うのかはわからんが、まあ、皇后としては優秀だ。何事も抜かりなく皇后としての仕事をこなし、大王に愛され、子を成しているのだから。理想的だ」
陽大王に対し引っ掛かる物言いをする溌。その意図を察している先人だが、話を続ける。考えを離しながら溌はため息を付く。
「長之皇子様も優秀な御方です。人柄も、資質も」
「そうか。それも聞いているがまだ成人前。それでも良い話しか出て来ないから怪しんでいたが、その通りか」
先人の長之皇子の評価に頷く溌。情報は取れるが本当の処はどうかと思っていたようだ。最帆が問う。
「太子について、女大王の説得は皇太夫人様がなさり、綜大臣も説得を? 」
「はい。皇太夫人様が綜大臣様に太子の話をなさり、考慮すると言う返事を頂き、今です」
「そっか。で、今の内に先人様が後ろ盾を」
話の流れを掴んで来た航が頷き、先人も頷く。
「後ろ盾は奥の方々の実家を動かすと、それと宇茉皇子様が太子になればならざるを得ないと、そうお考えなのです」
「確かに、宇茉皇子は綜氏の血筋。なってしまえば後見せざるを得ない。しかし、今まで力を奪っていたのです。そう簡単には」
「綜大臣が皇太夫人の説得にすぐに頷かなかったのはそこにあります。二の方の血筋を恐れている」
最帆の疑問に瀧が答え、それに航は一瞬考えるが、すぐに察する。
「何で?…ああ、復讐」
「はい。若様。そうです。なあ、先人」
「…はい。二の方様の皇子様は疑いで一方的に処されています。皇女様は宇茉皇子様の母で月大王の皇后。皇子様から聞きました。針の筵、宇茉皇子様を守るため幾たびの陰謀と戦い亡くなったと」
先人の言葉に溌が頷く。
「うん。聞いている。綜氏だが流石に哀れに思った。二の方だけな。自身の身内にそこまでやれる。ならば忠臣を捨てさせる事など造作も無かっただろうな」
「父上。そうですね」
「うん。で、向こうは太子になるのを阻止したいと」
最帆も頷き、航も頷きつつ話を進める。先人も頷き、考えを伝える。
「はい。そうです。皇太夫人様はそれに否とした。宇茉皇子を太子に、妹の血を守り、その次に長之皇子を持ってくる。そうすれば守られる」
「姉妹仲が良いとは聞いたが、そこまでするとは」
溌が純粋に驚く。兄弟姉妹とは言え、上の立場となれば権力争いがうまれるのは世の常。その逆をいっているのだ。綜氏姉妹は。最帆も思うが、懸念もある。
「ですが皇太夫人の後見は綜大臣」
「父上。子が三人も大王になった夫人に誰が手を出せる? 」
航の冷静な言葉に最帆がはっと気付く。
「そうですね。そうでした。味氏皇后も実家以外で大きな後ろ盾無くとも大王の寵愛と幾人もの子をもうけ、子が大王となった。独自に地位は盤石となった。そうですね。父上」
「うん。そうだな。皇太夫人は皇后で無くとも地位は盤石。問題は無い。我らが許されたのも皇統あってだ。綾武氏や津氏はまた少し違うが」
「はい。そうですね」
かつての味氏の反乱。事情が色々あるのだろう。それはさておき、と溌が先人に目を向く。
「それで、来たと。我らの支持が必要か。うん」
「沈黙を願います」
味氏当主一族が全員驚き、固まる。
「 …それでいいのか? 」
「はい。あくまで周りにそう思わせる。それだけで良いのです。皇太夫人様と二の方様、宇茉皇子様、長之皇子様には了承を頂いています。いざという時の責は私一人」
「それでは」
最帆が口を出そうとすると溌が手で制する。
「使わんのか? 」
味氏の権威と力、兵を、と言いたいのだろうと察する先人。真っ直ぐに見つめる。
「私の意は変わりません」
溌が目を見開く。先人の言葉、詳しく言わずともわかる。何度も聞いた。
(やはり同じ目だ)
「そうか。そうだな。先人様は、そうだ。うん」
溌は最帆と航を見る。
「どうだ? 」
「決まっているでしょう」
「いちいち聞かなくていい」
「うん。そうだな。うん。…先人様、味の国味氏、従います」
「ありがとうございます」
味氏当主一族全員頭を下げる。先人と瀧も頭を下げ、先人が礼を伝える。
「だが」
「はい」
「私は、同じものを見たくは無いし感じたくも無いのだ。使えるものは使え」
「はい。その時が来たら」
「うん。ならいい」




