三.皇太夫人と二の方
宮中、奥。正式名称は無く、大王や臣下が政務を行う場と、大王の皇后、妃達が住まう場が分かれていて、政務の場を表、皇后・妃達が住まう場を奥と呼んでいる。
通常、奥は男子は入れないが、場合によっては入れる。皇后・妃達の命にとなれば特別に。それでも部屋では無く奥の特別な部屋であるが。皇后・妃では無いが、力のある後ろ盾がある夫人なども特別に呼べたりする。それは現皇太夫人である一の方も例外では無い。
許しを得て、宇茉皇子は皇太夫人である一の方の元に向かっているのだが、
「では、頼むぞ」
「はい」
宇茉皇子が振り向くと、後ろに女官二人と織部司仕様の瀧が居る。返事をしたのは瀧である。奥の女官は通常表の者と言葉を交わさないのが通例なので黙っているのだが、
「大丈夫かな。瀧」
「ああ。お前は。…良くばれなかったなお前」
「 …何度も行かされ、奥の者らは納得した」
織部司管轄の女官に扮した先人と、宇茉皇子の専任女官に扮している荻君である。
「奥の方々は寛大だ」
瀧は息を吐く。先人は隣にいる荻君をじっと見つめ、
「え。颯爽として格好いいですよ」
「 …まあ、礼を言う」
「お前の目はどうなっているんだ」
一応礼を言う荻君と思わず素で突っ込む瀧である。
何故こうなったのか。それは奥に来る少し前の事、先人が休暇を求めた事から始まる。
一か月の休暇と言われ、察する宇茉皇子。
「 …五大氏族の説得か?」
「はい。すべて回り、説得します」
「前のように御記氏に皆を呼び出せれば」
「それはなりません。事が事です。当主一族すべて納得させなければ」
真剣な表情の先人に言われ、宇茉皇子は口元に手を当て考える。
「確かに、今は光村殿を知っている方々が長としているが次代以降はわからない。唯一に従ってはいるが領国と氏族の問題もある。簡単な話では無い。だから自ら出向き説得を」
「はい」
深く頷く先人に宇茉莉皇子は納得するが、考え込む。
「だが、今統括が休暇を取れば意図は明白。五大氏族に警戒が強まり動きづらくなる」
「代わりの者を用意します。それでは? 」
「瀧」
「出来るのか?」
話に入る瀧は、平然と言ってのける。先人は考え、宇茉皇子は問う。場合に寄れば織部司の責任にもなると躊躇う様子に、瀧がにっこり笑顔を見せる。
「服織は伝手が多いので」
「いや、服織様を巻き込めない。それに、父上の友だし、複雑だろう」
「いや別に」
「え? 」
懸念を平然と一蹴する瀧に困惑する先人だが、瀧はまったく意に介していない。そのちぐはぐな様子に疑問は抱くがそれは置いとき、宇茉皇子は一つ頷き、瀧を見据える。
「 …それならば、長(吹)が良いと言うなら任せるが、ならば、行くか。共に」
「ああ。そうですね。兄上。一の方様もお会いしたいようですし」
「え、それは、」
「瀧は織部司として、行けるな」
「はい。…ならば、そちらと同じように」
先人を見て、次いで荻君を見る瀧。荻君は遠い目になり、先人は困惑する。
「?」
「先人、まあ最初は辛いが慣れる」
「え? 」
更に困惑する先人に、瀧も頷く。
回想終わり・・・
宇茉皇子の後に続き、部屋の前で止まる。部屋の前の女官に声を掛ける。
「宇茉皇子だ。皇太夫人様にお取次ぎを」
「はい」
女官が部屋に入って行く。すぐに出て来る。
「お入りください」
その声と共に皆で入り、下座へ座る。
「失礼致します」
宇茉皇子の挨拶と共に皆深く頭を下げる。
「頭を上げなさい」
優し気な声と共に皆、頭を上げる。そこには、優し気な、穏やかな、儚げな綺麗な壮年の女性が微笑んでいた。
「今日は人が多いわね。瀧も一緒に?ああ、宇茉に仕えているものね」
「はい。皇太夫人様。瀧も織部司としてこちらに用向きがあり、共にまいりました」
「長(吹)から新しき大陸の衣が届きましたのでお渡しするようにと。後で拝見下さい」
織部司は皇族の衣装を担当しているが、皇后・妃達のも見る事がある。瀧は成人前から出入りする事もあり、奥に顔が知られているのである。
皇太夫人・一の方は微笑むが、後ろに居る女官に目を向ける。
「そう。ありがとう。楽しみにしていたのですよ。…女官は見ない顔ね」
「はい。新人で」
「貴方の処はそうそう入れないでしょうに。余程信を置いているのね。…成程」
「皇太夫人様? 」
織部司は貴重なものを扱う部署で、中々新しい者を入れない事でも有名である。それを知っている一の方はじっと女官を見つめていたが、やがて、少し後ろを向き、
「入りなさい」
「姉上。早いですよ」
「ごめんなさい。でも見てこの子」
「ええ。確かに」
「二の方様」
一の方に似ているが、意志の強い目をした品のいいもう一人の壮年の女性。宇茉皇子が驚き声を掛ける。皇太夫人・一の方の妹であり、夫人である二の方、宇茉皇子の祖母である。
一の方は微笑む。
「宇茉が私の処に来ると聞いて呼んだのよ。少し早く来たから隠れてもらったの」
「そうでしたか。隠れておられるとは」
夫人らしく無い行動だが、二の方ならと納得しつつ驚く宇茉皇子に一の方は更に笑みを深める。
「隠れるのは得意なのよ。この子は昔から」
「ええ。嫌でしたから。入内教育が」
「あれは厳しかったわね。私達は夫人なのに」
「本当に。戦乱の時代ならまだしも、皇后・妃になれる訳も無いのに」
二の方がため息を付いたのを見て一の方が笑う。仲の良い姉妹なのである。
「それで、この子どう?」
「ええ。可愛らしいですね。男なのに」
「一の方様、二の方様。お気付きで」
宇茉皇子が苦笑いを浮かべると、一の方と二の方は笑い合う。
「可愛らしいけど、体付きが少し、ねえ? 」
「はい。まあ奥で女子だらけだからな。外に出れば気付かれない位にはよく化けている」
「申し訳ありません」
「良いのよ。いつも見ているし。ね?」
「はい。それに比べたら」
一の方と二の方が二人で女官に扮している荻君を見る。荻君は思わず謝る。
「 …申し訳ありません」
「いいえ」
「楽しいからな」
(趣味がわからない)
瀧は深く思う。
「大知先人殿、ですね?」
一の方の問いかけに先人は宇茉皇子を見つめる。頷かれ、頭を下げる。
「はい。大知先人と申します。お会い出来て光栄です。一の方様、二の方様」
「仁湖と朗の事、すまない」
大知氏だと警戒せず、すぐに謝罪をする二の方に先人は驚きつつ、優しい方だと察し、更に深く頭を下げる。
「いいえ。知らぬ事とは言え、いつか感謝を伝えたいと思っておりました。心労を掛けてしまい申し訳ありません。命を救って頂きありがとうございます」
「いや、我が子のやらかした事だ。それと嫁と孫の事。…我が血を守りたかった」
「二の方様… 」
宇茉皇子が見つめると優しく頷く二の方。その様子を優しく見つめていた一の方だが、すぐに切り替える。
「それで、此度は」
「太子の事です」
「決めましたか? 」
「はい。覚悟を決めました」
「そう。それは良かった」
一の方も二の方も安堵し、頷く。
「こちらも奥の者らの実家を動かします。綜氏も貴方が太子となれば後見せざるを得ないですが、」
「綜大臣が大人しく従う事もまた無いであろう。ならば五大氏族。出来るか?」
二の方に話を振られ、先人は少し頭を上げ、言葉を発する。
「私から申し上げてもよろしいですか?」
「許す」
「沈黙でもよろしいですか? 」
場の空気が変わる。瀧が声を掛ける。
「先人」
「それでは変わらぬ」
「支持する事に対し、否とせず沈黙。ならば暗黙の支持。今までもそうされてきたと思います。いかがですか? 」
二の方の言葉に先人は毅然と問う。その意図を考えつつ、一の方が問う。
「統括が居ても、沈黙ですか? 」
「今はそれが精一杯です。確執が大きすぎます」
それは確かに、と言う空気である。五大氏族が沈黙したから仁湖と朗が守られた。それは大知光村が動いたから。しかし、あの大王の意思により葬られた。新しき統括でもそれは別。それを瞬時に察し黙り込む一の方と二の方。
先人は更に続ける。
「いざという時は説得します。国が危うくなれば動きます。五大氏族は国が滅ぶ事、望んでおりません」
「 …そうね。五大氏族は大知光村殿が去った後も何もしなかった。あの方の成された事に傷を付けたく無かったのでしょう。わかりました。貴方は? 」
一の方は二の方を見つめる。二の方は頷く。
「わかった。いざという時は立ってもらう。…筆頭は出せぬか。せめて、守氏は」
「今は無理です」
「そうか。わかった」
二の方は一つ息を付き、肯とする返事を出す。一の方も頷く。筆頭は出せなくても、守氏の長は皇子だった。元だが皇族としても、今は五大氏族としても、出てもらえば宇茉皇子の権威は高まると踏んでいたため残念ではあるが、仕方無いと判断する。
先人も察しているがそれには何も言わず、感謝を伝える。
「ありがとうございます」
「それで、一の方様、二の方様。その事について、先人に命を下して頂きたいのです」
宇茉皇子の言葉に困惑する一の方と二の方である。
翌日になり、宮中を出入りする扉の前にこっそりと立っている宇茉皇子と先人と瀧。
「先人、瀧。命の通りだ。織部司として、行けるな? 」
「はい」
先人が深く頷くが、瀧は困惑している。
「ですが、何故、先人を」
「 …すまぬ。気に入ったようでな」
「五大氏族を敵に回したいのですか?」
「そうは言ったが、沈黙しかしない事に対し当て擦りをしたいようだ」
「当て擦り処では無いかと」
ため息を付く。瀧は織部司としての外に出る軽装で変装もしている。監視の目をごまかすため。先人が統括である事で、友と周知されている瀧が表立って行動すれば疑念と警戒が増すと考えられ、変装もしている。と、言っても二十代後半くらいの男子だが。それは良い。問題は、
「ああ。私もそう思う。大丈夫だろうか」
「はい。皆様に見苦しいものを見せ申し訳無いです」
先人が申し訳無さそうに答える。織部司の女官に扮しているのである。化粧もしているのでわかりにくいが、今の歳と変わらないくらいの女子。これは一の方と二の方の命である。五大氏族の元に行くならそうしてねと言われたので。
「それは大丈夫だと思うが、怒りはするかと」
前半は先人を労わり、後半は宇茉皇子に意見している。宇茉皇子は頷き、考え込む。
「決裂しないだろうか?」
「 …いざという時は泣き伏せばどうにか」
「統括がそんな事をしたら引かれるぞ。瀧」
「いや。結束すると思う」
「何で?」
先人が困惑していると、それを見ていた宇茉皇子が静かに問う。
「 …五大氏族は何なのだ」
「主が大好きな方々です」
平然と答える瀧である。
宇茉皇子は一の方を最初皇太夫人様と言っていたのは先人が女官に扮していたため、外での言い方になりました。ばれたので身内呼びで一の方様と言っています。




