一.太子の座
第十章が始まります。よろしくお願いします。
都では若干の騒ぎにはなったが、女大王即位は決定となり、速やかに執り行われた。綜大臣が主体となり、綜氏に連なる氏族らが参加するのみであった。それは前大王崩御からすぐに即位が執り行われず、早々にしなければならないと判断した結果である。
全氏族には通達のみ行われたが、疑いはありつつも綜氏に反する氏族は現れず宮中は変わらず綜大臣主体で政が行われていた。
目下の問題は、太子が決まっていない事。女大王の子である長之皇子こそ太子にという声も高まっているが、肝心の綜大臣が決断をしていないのである。いや、当人はもう決めていた。しかし…
〔宮中・奥〕
姉である一の方に呼び出された綜大臣・茉子は息子である央子を連れ、奥に現れた。今や三人の皇太夫人となった一の方の権威は絶大である。部屋も大きく、内装も豪華になっていた。
「お忙しい処呼び出して申し訳無いわね。茉子、央子」
穏やかに声を掛ける一の方にして皇太夫人に綜大臣、央子は深く礼をする。
「いいえ。この度は無理を通して頂き、ありがとうございました。一の方様。いえ、皇太夫人様」
「礼を申し上げます」
二人の様子に深く笑みを浮かべる一の方。
「氏族のため、皇族の安定のためですもの。皇子は皆若い。中継ぎとなる者は必要です。ですが、皇統が危うくなっているという訳でもありませんから皇孫などを連れてくる訳にもいきませんし、苦心したでしょう」
「深い慧眼、感服致します。そこまで読んで頂けるとは」
「宮中で生き抜くため、父にはしごかれましたから」
一の方の淡々と話す様子に穏やかに答えつつ、何かを察する綜大臣だが、気付かない振りをしながら話を続ける。
「父上は、宮中で生き抜くため、教えを厳しくしただけです」
「父は貴方には甘かったですね。何をしてでも守ろうとした」
央子は戸惑う。一の方の含みのある言葉。会話の中の父と言うのは央子にとっての祖父・綜那子の事を指す。思い出しても優しく見識が深い穏やかな祖父としか思い出せ無い。
一の方は柔らかい笑みを浮かべる。
「ですがその教えのおかげで今の私があります」
「はい。ご立派です」
深く頷く綜大臣に一の方は更に笑みが深くなる。
「綜氏は盤石。次代もこの先も」
「はい」
「太子は」
「長之皇子様です」
「そうですか」
「はい。聡明で穏やか、ものの見方が広く公平。立派に成長されました。今少し成長されればすぐに即位をさせます。央子も支えますので。そうだな」
「はい。身命を賭して守りまする」
央子は決意を胸に伝えるが、空気が瞬時に張りつめる。一の方は笑みを一転させ、無表情となる。
「茉子」
「はい。皇太夫人様」
「宇茉皇子はどうするのです?」
「変わりません」
更に空気が張りつめる。だが、それを互いに気付かない振りをし、姉弟の応酬は続く。
「役職にはつけないの? 」
「皇子ですから」
「臣籍降下は」
「皇族の男子が少ないですから」
綜大臣は淡々と答えるが、一の方も淡々と続ける。央子はただ聞くしかない状況である。
「五大氏族の守氏もそうでしたでしょう。かつて皇統危うくなった時に即位も考えられた」
「あれは真に危うき時代。守氏の母は嬪でした。即位など考えられません」
「後見に強き氏族が立てば可能だったのでは?」
「大知大連が皇孫を立てた。陳氏も支持し、我らも支持をした。そして北に送った。それだけです」
「そうね。貴方は父を誰より慕い、父も貴方にのみ情を向けた。父が正しい。それだけよね」
空気がまた変わる。一の方は、皇太夫人では無く、姉として弟を見ている。綜大臣もそれを感じ、口調が丁寧なものから少しだけ変わる。
「 …姉上」
「私にも厳しかったけど、あの子には特に厳しかったわね」
「…」
「そして貴方も厳しい。父に言われましたか?二の方に容赦はするなと」
「そのような」
場の掌握しようとする一の方を止めようとするが、止まらない。一瞬で皇太夫人に戻り、宣言する。
「太子は宇茉皇子。奥の総意です」
「皇太夫人様」
「父が大知大連に何をしたか、陽大王様に何をしたか、あの子が知れば赦さないでしょう」
「それは、」
綜大臣が言おうとするが口を挟ませない。
「只の中継ぎ、統括となりし唯一の牽制、真にご立派。陽大王鍾愛の皇女。私の子はさぞ利用しやすいと思ったでしょう。ですが、鍾愛が一方的では無い事は誤算でしたね」
「皇太夫人様」
「諭大王の皇后の時代から見慣れているからわからなかったのでしょう。あの子が心を見せるのは陽大王様の事だけ」
「まさか、」
そこまでとは思い至らなかった綜大臣は驚く。奥は関知しにくい場所である。だからこそ、血縁を入内させ掌握させ、繋ぎを付ける。政と奥、どちらも掌握しなければ権勢は守れない。
現大王は淡々としていて表情も変わらず言葉にも抑揚が無い。しかし公平で聡明。だからこそ繋ぎとして即位させた。鍾愛も陽大王がいつも声を掛けていた事は幾度か見た事があるがそれでも淡々としていたとしか思い出せ無いのだ。
「父で無ければ嫁ぎたかったと言う程に慕っているのですよ。知れば赦さないでしょうね」
「それは国の根幹に関わります。大王になったとはいえ、いえだからこそ国のために生きなければなりません。例え知っても、大王ならば耐えねばなりません。陽大王様もそうなされました」
「父がずっと側にいましたものね。何も言えません。それ以外は自由にさせていましたね。おかげで皇統を守り、国を安定させた大王として名を残せました」
「はい。ご立派に」
含みがある言い方だが、それでも後半に対しては肯定し、頷く綜大臣。それを見て、一の方は表情を変え、最初の笑みを浮かべる。
「大知大連の教えの賜物。真にご立派。その方の唯一をわずかな兵で居の国へと。陽大王様が知れば嘆かれるでしょう。いえ、お怒りになるかも」
「 …皇太夫人様」
「唯一は統括になられました。その主である宇茉皇子こそ太子にふさわしい。都の中と外をまとめるには最も良き案と思いますが」
「罪人を出した氏族です」
「ですが、五大氏族を抑えられるのは唯一だけ。沈黙は終わったのです。ねえ、央子」
ちら、と一の方が央子を見る。知っているのだ。前大王に疑念を伝えたのが誰かを。それを今責められるとは思ってもいなかった央子の胸は激しく動く。
「 …それは、」
「皇太夫人様。央子は氏族のため先走っただけです。まだこちらが上」
「宇茉皇子も綜氏の血。太子となっても抑えられるでしょう? 」
「それは」
知っているだろうにと思うが、それを気にも留めない一の方は笑みを深める。
「統括には皆を繋いでもらいましょう。それで国は安泰。どうかしら?」
「 …考慮致します。今少し。央子」
「はい」
礼をして出て行く二人。今は分が悪いと察し、撤退した。そういう潔い処も似ているが、察したのだろうと思いつつ一の方は二人が出た扉を見つめていると、
「…姉上」
そっと影から出て来る二の方。長之皇子も居る。話に夢中で察するのが遅れた綜大臣が、気付き、撤退したのだ。
出て来た二人に対して心から笑みを向ける一の方。
「大丈夫よ。と言う事で、良いわね」
「祖母様。ありがとうございます」
「良いのよ。でも、本当に慕っているのね。宇茉の事を」
「はい。当たり前です」
「長、すまぬ」
「二の方様。良いのです。私は兄上を支えたいのです」
「…ありがとう」
「いいえ」
一の方と二の方、綜大臣の仲は元々悪くはありませんでした。父である前綜大臣が贔屓しているのはわかっていたけれど嫉妬とかでは無く、あの父を相手にして大変だなと思うくらい。成長して、二の方の皇子、皇女達が犠牲になり、仲がどうしようも無くなりました。それでも氏族のために話しているのです。
一の方と二の方は二人の皇子を呼び捨てにしていますが、身内だけの時のみそうなります。
守氏の話はいずれ出てきます。




