はじめに
「あれ、今日は起き上がるのが少ししんどいな……」
振り返ると、私の鬱病生活はここから始まりました。
私はタイトルの通り、なろう作家とも言えない、言うならば"エターナラー"だと思ってます。普段は女子高校サッカーの小説を書いているのですが、不定期とも言い難い更新頻度で二度ほど1年半更新しなかった時期もあります。その間の更新をしていた期間も1ヶ月ほどと短く、ほぼエタっていたと言っていい状態です。しかし、投稿していなかった期間も自分の放り投げている小説のことを忘れたことはなく、続きの妄想を考えることぐらいはしていました。
その時に何が起こっていたのかというと、就活、大学卒業、仕事と、ありふれた小説を書かない言い訳を見つけ、日々の生活に忙殺されることでエタっていました。そして、2023年の夏頃から次の年の春頃まで鬱病と診断され、半年ほどの休職を経験しています。
ここまで聞いて、皆さんは一つ疑問を持つかも知れません。
「半年も仕事せずに休んでるんだったら小説ぐらい書けるんじゃないか」
もしくは、こうも思うかもしれません。
「鬱病というと毎日寝たきりのイメージだし、そりゃあ小説どころではないんだろうな」
後者に関しては、重度の鬱病となるとそのような症状の方もいらっしゃるかもしれません。しかし、私の場合は比較的症状は軽度で、薬も軽い物で済んでいましたし、症状が軽い日は外に出歩くこともでき、休職して一ヶ月ぐらい経った頃には、母親と海外在住の兄弟に会いに行ったりしていました。
それを聞くと、皆さんはやはりこう思うでしょう。
「やっぱり小説ぐらい書けるぐらい元気じゃないか。小説を書かなかった言い訳に使ってるだけだろ」
しかし、"軽度の鬱病"とは単純な言葉では言い表せない、異質な苦痛がありました。
体は元気なのに、何をするにしても根気が続かないのです。
それは、小説執筆以外でも同じです。例えば、鬱病発症前の私はアニメを一日中見ていたり、Jリーグのサンフレッチェ広島というチームを全試合生で見るぐらいのサッカー好きでした。それすらも鬱病を抱えていると、一時間持たずにテレビを消してしまいました。
普通のサボり癖と大きく違う点はその点だと思っています。やる気が出ないというより、気力が湧かないのです。
今回、この体験をエッセイにしたいと思った理由は二つあります。
1.自分のある意味不思議体験を少しの人とでも共有したい。
2.同じような症状で苦しんでいる人がいたら、自分の体験を見て少しでも楽になってほしい
現代社会では5人に1人は鬱病を経験するそうですが、私は今となってはその経験が悪い物であったとは思っていません。未経験の方には鬱病のありのままの実態を、治療済み、治療中の方にはそれほど悪い物ではない、ということをお伝えしたいです。
次回から連載形式で発症した経緯や症状、寛解、その後の向き合い方について投稿していきますが、下記で続きを読むにあたってご留意いただきたいことを記載します。
1.本エッセイの記載に医学的な根拠は必ずしもないこと
私は鬱病を発症したことはありますが、知識は心療内科や産業医、カウンセラーの方々から聞きかじった物しかありません。また、これから記載することには私個人の感覚から来る見解も存在します。よって、医学的には間違ったことを書いてしまうかもしれないことをご留意いただけますと幸いです。
2.比較的軽度の症状を取り扱うこと
本エッセイで投稿するのは私が経験した軽度の鬱病のことだけです。重度の物、または他の精神疾患は経験したことがないため、記載しません。なので、治療中の方の中にも私の記載には当てはまらない方がいらっしゃるかもしれませんが、その点ご留意いただけますと幸いです。
3.精神状態に影響を与えるかもしれない内容が含まれること
次話以降は私が鬱病を発症するまでの簡単な経緯を投稿しますので、読者の方の心理的な負担を与えてしまう可能性があります。私も注意しながら記載しますが、自身の精神状態に影響があるかもしれないことはご留意ただけますと幸いです。
このエッセイを読んだ方が少しでも生きやすくなるように私も精一杯書いていきます。
完全に自己満足の駄文となりますが、よろしくお願い致します。