表と裏の顔
三階のフロアを飛び出したカラ傘小僧は階段を使って五階まで駆け上がっていた。僕とのっぺらぼうはカラ傘小僧を追いかけて五階まで上がると、カラ傘小僧は五階の一番手前の部屋のドアをすり抜けて入って行った。僕とのっぺらぼうもそれに続いた。
さっきの部屋より狭い部屋だ。スーツ姿の五人の男性が大きなテーブルを囲んで椅子に座っていた。
カラ傘小僧は男性たちの顔を一人ずつ順番に覗きこみ、僕のところに戻ってきた。
「今から、こいつらはここで会議するみたいだな」
カラ傘小僧が僕に向かって囁いた。
「会議ってなに?」
僕は訊いた。
「まっ、人間の仕事の中でも最も時間の無駄なもんだな」
カラ傘小僧がそう言って教えてくれたが、その意味がよくわからなかった。
「部長はまだ来ないのか」
一人の男性がボールペンでテーブルをトントンと叩きながら言った。なんかイライラしている様子だ。
イライラしている男性の目は一重まぶたでキツネのようにつり上がっていた。
「十分位遅れるって、さっき連絡が入ったよ。だから先にはじめてくれってさ」
他の男性が言った。
「えー、遅れんのかよ。自分から会議やるぞって言っておいて何なんだよ。こっちは、忙しいのに無理に時間作ってやったのによお」
キツネ目の男性の目が一段とつり上がり、持っていたボールペンをテーブルに叩きつけた。
「いつものことじゃねぇか、カッカしてもしかたないぞ」
さっきの男性がなだめていた。
「あのバカ、ムカつくんだよな。いっつも遅れるし、会議したところで、意味もない自分の昔の自慢話ばっかり話してるしさ」
キツネ目の男性は一段と機嫌が悪くなったようだ。他の三人はスマホをいじっていたり、腕を組んで居眠りしたりしていた。
キツネ目の男性は他の男性を見渡してから「チェッ」と舌打ちをして「呑気なやつら」と吐き捨てるように言った。
「先にはじめてもダルいだけだし待っとくか」
キツネ目の男性が言って、椅子の背もたれに体を預け天井を見上げた。
「そうだな」
もう一人の男性が同意して、彼もスマホを取り出した。
なんか変な空気が流れてるなと思った。
しばらくすると、ドアが開いた。
ドアが開くと同時に、「お疲れ」と言って年配の男性が入ってきた。
男性の頭は僕の頭に似ていてツルツルに光っていた。体はのっぺらぼうに似て恰幅がよい。
「部長、お疲れさまです」
キツネ目の男性が椅子からすっと立ち上がり、深々と頭を下げた。
「遅くなって、すまんな」
部長は右手を上げて、ニッコリと笑った。
他の男性も立ち上がった。床を擦る椅子の音がガタガタと部屋の中に響いた。
「お疲れさまです」
男性全員の声が揃った。
「ああ、忙しいのに集まってもらって申し訳ないな」
部長は言いながら椅子に腰を下ろした。
男性全員も椅子に腰を下ろした。
椅子を引く音がおさまるとキツネ目の男が口を開いた。
「部長お疲れさまです。今日はお忙しいのに、我々のためにお時間をとっていただき有難うございます」
つり上がっていたキツネ目の男性の目尻はなぜか下がっていった。
「どうだ、会議は進んでいるのか」
部長がテーブルに両肘をついて手を前で組んで訊いた。
「いえ、部長をお待ちしておりました」
キツネ目の男性が背筋をピンと伸ばした。
「先にはじめてくれて良かったんだけどな。私なんていなくても、君たちだけで大丈夫なんだから、ハハハ」
「そんな事はありません。部長がいらっしゃらないと良い会議にはなりません」
キツネ目の男がハエのように手を擦り合わせていた。
「この人、さっきまで話していた事と今言ってることと全然違うよね。なんでだろう?」
僕は首を傾げながら、カラ傘小僧に訊いた。
「まあ、そうだわな。これが人間界ってもんだな」
カラ傘小僧はニタニタと笑っていた。僕はまた意味がわからなかった。
「一つ目小僧よ、これが人間界なんだ」
カラ傘小僧が念を押すように言った。
「どういう意味?」
僕はもう一度訊いた。
「人間界は表と裏の顔を持ってんだなあ。それをうまく使い分けんと生きていけんわけだなあ」
のっぺらぼうが、いつの間にか僕の頭の上であぐらをかいていた。
「表と裏の顔の意味がよくわかんないな」
僕は首を傾げた。
「人間はいろいろ忖度しないと生きていけないんだなあ。一つ目小僧は純粋だから、ちいと難しいかもなあ」
のっぺらぼうが僕の頭の上に乗ったまま教えてくれた。
「のっぺらぼう、いろいろと教えてくれて有難う。でも、僕の頭の上であぐらをかくのはやめてくれる。僕は君の重みで押し潰されて一段と背が低くなっちゃうよ」
「そうかい、残念だなあ。一つ目小僧の頭はツルツルしてて、気持ち良いんだけどなあ」
のっぺらぼうは僕の頭から降りて、僕のツルツル頭を撫でながら言った。
「そうそう、一つ目小僧の頭の上はひんやりして気持ちいいし、なんか元気が出るよな」
今度はカラ傘小僧は僕のツルツル頭をポンポンと叩いた。この二人は、いつもこんな感じだ。僕をからかって喜んでいる。でも、二人と遊んでいると僕は楽しい。今日もすごく楽しかった。
「じゃあ、そろそろ帰るか」
カラ傘小僧がそう言って歩き始めた。
「そうだね」
僕とのっぺらぼうもカラ傘小僧に続いて歩き始めた。
「一つ目小僧、初の人間界はどうだった? 楽しかったか?」
帰り道、僕の前を歩いていたカラ傘小僧が僕の方に振り返り訊いてきた。
カラ傘小僧の傘が夕陽で赤く染まっていた。人間界の夕陽はとても綺麗だ。人間界は建物も自然もとても綺麗で教科書で見た通りだなと思った。けど、人間の心は少し印象が違った。
「君たちと遊べたのは楽しかったけど、人間界は僕の思い描いてたのとちょっと違ってたよ。人間界は僕には難しいかもしれない」
僕は初めて見た人間に少しショックを受けていた。
「そうだろ、俺は一つ目小僧に人間界は向いていないと思ってたんだ」
カラ傘小僧は真剣な話をする時は傘をギュッと縮める。今は傘を縮めたまま、僕の方を体を向けて後ろ向きに歩いていた。
「わしも、カラ傘小僧に同感だなあ」
多分、のっぺらぼうも僕のことを真剣に考えてくれているんだろう。僕の隣で宙を見ていた。
「それでも人間界に行きたいのか」
カラ傘小僧が僕の前で足を止めた。
「うん、悩んでるけど、やめた方がいいのかなと思ってる」
僕も足を止めた。
「よーし」
カラ傘小僧とのっぺらぼうが飛び上がってハイタッチした。
「なんで、ハイタッチなんかして二人で喜んでるんだよ。僕は人間界にちょっと幻滅して落ち込んでるっていうのにさ」
「ごめんよ、でもな、おれ達は一つ目小僧に人間界に行ってほしくなかったんだ。もし行ってしまったら俺たちは今日みたいに三人で遊べなくなるんだからな。それに、一つ目小僧は人間界より妖怪の世界の方が合ってると思ってたんだ」
カラ傘小僧は、今日僕を人間界につれて行ったのは、それに気付かせる為だったんだろうか。僕はそんな気がした。
「カラ傘小僧の言う通りだよ。僕には人間界は難しいよ。明日朝一番にあずき洗い先生に、この事を伝えに行ってくるよ」
「よーし、じゃあ、急いで帰ろうぜ」
カラ傘小僧は前を向きピョンピョンと高く跳ねて走って行った。僕はカラ傘小僧を走って追いかけた。
「待ってよー」
いつの間にか、のっぺらぼうは僕の頭の上であぐらをかいていた。重たくて走りにくいけど、今はまあいいかなと思った。