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東雲遥香は探偵に憧れている  作者: 山野エル
東雲遥香は隣人を怪しんでいる
5/7

5、東雲遥香は他人任せにする

 こちらを探るような隣人の視線に、僕は魂を裸のまま手渡したような不安を感じていた。

 昨日エレベーターであったことを覚えていたのか、彼は僕に会釈をして、遥香(はるか)へ温度の低い目を向けた。


「ウチに何か用?」


 そう問われて、遥香はササササと逃げ惑うハムスターかなんかのように、なんとも素早く僕の背中の後ろに回り込んだ。まるで電柱の物陰から誰かを見張る不審者みたいにじっと隣人を覗き込んだ。背中を思いきり掴まれて、僕は身動きが取れない。


「あ……、ああ、すみません」僕は遥香の代わりに慌てて返答した。「なんか言い争ってるような声が聞こえたんで、心配になって……」

「言い争い……?」


 隣人の表情が一瞬、強張(こわば)ったように見えた。僕たちに待てと言うように手のひらを向けて、鍵でドアを解錠する。そのまま、彼は部屋の中に入って行ってしまう。

 遥香と二人で所在なく顔を見合わせていると、ドアが開いた。


「誰もいない。気のせいじゃないか?」


 遥香の仮説がインストールされていた僕には、隣人のその言葉が何か白々しいもののように響いた。僕の背中を遥香が小突いて小声を漏らす。


「なんで戻って来たんだ、こいつ?」


 何かを訴えるように遥香が背中を小刻みに叩いてくる。

 自分で()く勇気がないから僕に訊けと?


「ええと、出掛けたんじゃなかったんですか? すぐ戻って来られましたけど」

「忘れ物を取りに来ただけだ」


 もはや不審人物を追い払うような声の響きだった。これはもう退散する空気だ。部屋へ戻ろうとする僕を背後の遥香がガッチリとガードする。柔らかい胸が押しつけられる。


「中の様子を確認しろ」


 遥香が小声で命令を下す。全部、僕にやらせる気か?

 僕は愛想笑いを浮かべて下手(したて)に出ることにした。


「あの~、部屋の中を見せてもらうことって──」

「な、なんでそんなことを……!」

「──ですよね~」


 背中で遥香がゴソゴソ動く。


「急に挙動不審になったぞ。部屋の中に遺体があるに違いない」

「じゃあ、お前が言えよ」

「あの」隣人が僕に声を飛ばす。「もういいですか?」


 帰ろうとする僕を遥香が羽交い絞めする。これはもう遥香を納得させるために隣人の懐に飛び込んでいくしかない。


「昨日の夜、誰かと言い争いしてませんでしたか?」

「はぁっ?」隣人は素っ頓狂な声を上げる。「昨日の夜ぅ?」


 背後の遥香がよしよしと僕の後頭部を撫でてくる。お眼鏡に(かな)ったらしい。


「僕たちは聞いたんです」

「何時頃?」

「夕方から七時くらいまでです」


 隣人は記憶を辿(たど)るように中空を(あお)ぎ見た。


「ああ、その頃はここでセリフの練習をしてたんだよ」

「セリフ?」

「役者やってるんだ。しがない劇団だけどね。来週末に公演があるから、その練習ってわけだ」


 身振り手振りを交えて隣人はそう説明した。その指には絆創膏が貼られている。昨日エレベーターで会った時にはそんなものはなかったから、あれ以降に怪我をしたのだろう。

 遥香が僕の肩を叩いて、小さな声で耳打ちをしてくる。


「ベランダのゴミ袋は?」


 それを訊けということらしいが、隣人が目を細める。


「聞こえてるよ。ベランダのゴミなんてどうでもいいだろ。俺は急いでるんだ。つまらないことで引き止めないでくれ」


 そう言ってドアを閉めてしまう。

 ドアが閉まる直前、玄関のシューズボックスの上に置かれたカレンダーが目に入った。明日の日付が目立つように赤い丸で囲まれていた。

 隣人が部屋に消えて、遥香はようやく僕の背中から離れる。


「怪しいな。やはり、ベランダのゴミ袋の中は隠滅する予定の証拠か?」

「そんなことより、僕に何もかもやらせるなよ」

「フン。探偵助手らしい仕事ができてよかったじゃないか」


 人見知りが解消されて途端に元気を取り戻した遥香は、また隣人が出てくる前に、と僕の部屋にそそくさと引っ込んで行った。


     ◇◆◇◆◇◆


「でも、隣の人の説明も理に適ってると思ったけどね」部屋に戻って、興奮気味の遥香の背中に僕は投げかけた。「昨日聞こえた声は言い争いじゃなくて、セリフの練習だったんだよ」

「自分にそう言い聞かせたいだけだろ。己の臆病な部分を認められずにいるんだということを自覚するんだな」

「いや……、それをお前が言うか。さっきはオドオドしてみっともなかったな」

「う、うるさいな! ちょっと緊張しただけでしょ!」


 しばらくして、隣室のドアが開閉する音がした。どうやら、今度こそ出掛けて行ったようだった。


「とにかく、あの男は怪しい」

「具体的にはどこが? 怪しいと思ってるから怪しいように見えるんじゃないのか?」

「そんなパブロフの犬みたいなことじゃない」

「……使い方合ってるか?」

「奴は指を怪我していた。もしかすると、遺体を解体した時にしくじったのかもしれない。それに、玄関にあったカレンダーには、明日の日付に丸がしてあった。あれは遺体の処分を行う日付だったに違いない」


 自信満々にそう結論づける遥香だったが、その推理に証拠がないのと同じように、僕が彼女の論を否定する証拠もなにひとつないのだった。


「で、人見知りのお前はこれからどうするんだよ? 隣の人に今の話をぶつけるのか? ちゃんと顔を合わせることもできないのに?」


 遥香は悔しそうに鼻の頭に(しわ)を寄せると、部屋の中をあちこち歩き回り出した。ブツブツと何かを呟きながら、頭の中を整理するように手を動かしている。


「どうでもいいけどさ、部屋の片付けもまだ終わってないんだから、こっちを優先してくれないかな」

「うるさい。今考えてるんだ。邪魔をするな」


 至極(しごく)まっとうな僕の言葉をいとも簡単に一蹴(いっしゅう)して、遥香は思索の世界へ飛び込んでしまう。(らち)が明かないので、僕は昨日遥香が部屋の隅に置いておいてくれた不燃ゴミの袋を()まみ上げた。

 結局、遥香は騒ぎに来ただけじゃないか……溜息をつく僕に遥香が叫んだ。


「それだ!」


 遥香は僕が持ち上げた不燃ゴミの袋を指さしていた。


「ええと、何が?」

「そうとなったら、今度はこっちが罠を仕掛ける番だぞ!」


 ニコニコの笑顔で部屋を走り回る遥香に、僕は置き去りにされていた。


「おい、遥香、説明しろ。昼ご飯出さないぞ」


 遥香はピタリと立ち止まって僕を振り返った。


「隣人の罪を(あぶ)り出す方法を見つけたんだよ!」

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