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いのちの詩(仮題)

穏やかな時代

作者: 浮き雲

人類(や類人猿)のように知能が高くなって、時間の概念や未来を予想するようになると、将来の様々なリスクに備えた対応をするようになります。

災害予知や地球温暖化への対応など、それが有益な方向で文明の進歩の一端を担っているのは確かでしょうが、こと「諍い」に適用されてしまうと、その評価は一変します。


未来の復讐を予測する「人間同士の諍い」というものは「動物の縄張り争い」などに比べ、きわめて残酷です。中世までは、一度、国同士の戦争が始まると、将来の復讐につながらないよう兵士はすべて殺してしまう。殺さないものたちにたいしては占領し、属国や植民地にして自分たちに同化させていく。そういったことが、行われてきた歴史があります。


近代には、国際法規やある種の理屈(必ずしも正しいというわけでもない?)で戦勝国が敗戦国を裁く裁判が行われるようになり、それはそれで、過去、敗戦国の人々が受けてきた残酷な運命に対する一定の歯止めとなっていることも確かです。


そして、国際的な圧力のもと、武力行使に大義名分が必要となった現代社会の中では、戦争や内戦の数は減ってきています。


ですが、一方で武器は進化をし続けて、広島や長崎型の数千倍の威力を持つ水爆が「抑止力(=大国間の脅し合い)」という名の下で、世界平和のバランスを保っています。

ですから、いま、僕らが過ごしている平和な時代の輪郭線の外側では、むしろリスクが増していると言っても過言ではありません。


けれども、そういったリスクは、ネットワーク社会の進歩で見えやすくなっているはずなのに、なぜか実感できにくくなってしまいました。

時々、無性に怖くなることがあります。僕自身はとても臆病ですから、一見絵空事のようにしか見えない遠い国の争いが、この国にも起こるのではないかと心配になります。


実際に大規模な戦争があった時代に比べれば、いまの時代を生きている僕たちはしあわせなのだと思います。でも、そのしあわせをなくさないために、何ができるのかと言われると、僕には祈ることくらいしかできません。

ですから、この詩は、なにもできない僕の祈りなのだと思います。






幸せになるために、誰もが生まれてきたと


信じていてはいけませんか


悲しい時代の少し先には、優しい時代が待っていると


信じてはいけませんか




目に映るいまは、穏やかすぎるから


いのちは、その価値を見失ってしまいそうです


誰もが平和に暮らしているから


遠い哀しみは、もう、ここにはとどきません




傷ついた人たちの姿は


映像の中を熱帯魚のように泳いでゆくだけです


僕らは


かすかな痛みを抱えながら


けれども、鑑賞するように


ただ、モニターの中を通り過ぎるのを眺めているだけです




目に映るいまは、とても平和だから


ときどき、怖くなります


壊れされるために、この時間を積み上げているようで


怖くなります


諍いのない時代は、とても少ないのだけれど


その事実さえ


誰もが忘れてしまいました




先の戦争(いくさ)が終わったとき


祖父は、異国で自殺したそうです


幼子を抱いて引き上げてきた祖母は


生涯、彼の地を恨んでいましたが


ほんとうは、わかっていたのだと思います


僕らも同じことをしたのだということを




目に映るこの世界は、とても理不尽だから


なにもできない自分を、ごまかす言葉を捜します


正義の名のもとに、強い国が弱い国を壊し


守るという名目で


たくさんの人たちを殺すことを「解放」と呼びます


そして、残された「憎しみ」を「平和」という言葉ですり替えてしまいます




戦争は産業(ビジネス)だから


何人の人的被害のもと、何日で制圧したか


その効率が取りざたされます


だから、いのちは、数の中でしか意味を持ちません


死の匂いから、はるか遠い場所で


僕と同じように臆病な兵士が押すかもしれない


ゲームのような発射ボタンが


最先端の武器なのです




戦争は見世物(ショウ)だから


人を殺すための花火が、美しく夜空を舞います


まるで、崩れ落ちた廃墟と


下敷きのままの魂のことなど忘れたように


華やかで、残酷な火花が、廃墟の夜を飾りたてます


喪われた、たくさんのいのちの呪詛の言葉さえ


吹き飛ばしてしまうのかもしれません




たぶん、その遠い国の「いま」は


この国の「一度失われた穏やかな日常」だから


「助けるために」と言いながら


殺した「いのち」のことを忘れてはいけません


そして、死んでいった「いのち」のことを忘れてはいけません




目に映る、いまは


とても、穏やかだけれども


それを守るために


数え切れないほどの哀しみが鏤められてゆきます




僕らは、生きていく時代を選べないけれども


だから僕らは


不幸だとは言いきれないけれども


幸せになるために、誰もが生まれてきたと


信じてはいけませんか



哀しい時代の少し先には優しい時代が待っていると


信じてはいけませんか


幸せに生きていこうと、誰もが願っていることを


信じてはいけませんか




僕らは、不幸だとは言いきれないから


だからこそ、幸せになるために


誰もが生まれてきたと、信じていてもいいでしょうか





詩の中に、「戦争責任云々」と捉えられかねない文章がありますが、そこは、単なる僕に連なる方々の実体験と僕自身の気持ちにすぎません。身贔屓と言われればそれまでですが、自殺まで追い詰められた祖父の戦争中の行いよりも、それをさせるに至った「何かみえない力」のほうを僕は憎みます。そして、その一端は、まぎれもなく僕たちひとり一人の集団的意思が生みだす時流に還元されるものだと思っています。

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