09 万能薬、エネルギーキューブ
――なんやかんやありながらも。
入浴を開始してからは特にトラブルも無く、ミストの汚れはしっかり洗い落とされた。
入浴後は、クルスの指示で使用人が用意した服をミストに着せ、シクロも同じく用意されたものを着る。
風呂上がりに、肌触りからして上質だと分かる服を来て、心地よさを満悦するシクロ。
ミストもまた、服のお陰か、いくらか緊張が解れているように見えた。
「――さて、ミスト。次は君の体調の問題を解決しないとな」
「体調、ですか?」
「ああ。まあ、上手く行けば、って話だけどな」
そう言って、シクロは『時計収納』を発動。
収納空間の中から、エネルギーキューブを取り出す。
「ご主人さま、これは?」
「エネルギーキューブって名付けた。簡単に言えば、生命エネルギーの塊だよ。しかも、エルダーレイスのお墨付きだ」
「え、エルダーレイス?」
レイスという名の魔物すら、怪物として知られている。
その更に上位に当たる、エルダーの名を冠するレイスなど、ミストには到底想像も付かない化け物であった。
だから、ミストはシクロの言葉を冗談だと考えた。
「……ふふっ!」
「ん?」
シクロはミストの笑った理由が分からなかったが、今はそこを追求する場面でもない。
まずは、ミストにエネルギーキューブを摂取してもらうのが先だ。
「ともかく、このエネルギーキューブはすごいやつなんだ。エルダーレイスも撃退できるすごいやつだからな」
「はい、そうですね、ご主人さま」
冗談だと思ってニコニコするミスト。
理由は分からないが、笑っていてくれるならいいか、とスルーするシクロ。
妙な部分で噛み合っていないが、進行上の問題は無いので話はスムーズに続く。
「というわけで、このエネルギーキューブをミストに食べてもらいたい」
「……え?」
ここで、ミストの表情に緊張が走る。
「……ご主人さま。これを、私が食べるのですか?」
「そうだ。すごいやつだからな」
「……どう見ても、食べ物には見えないのですが。それでも、ですか?」
「ああ。すごいやつだからな」
ミストの心に絶望が走る。
どう見ても食べ物ではない、キューブ状の謎の物体を食べるように言われたのだ。
虐待である。ミスト視点から言えば。
だが、ここでようやくシクロは、ミストが怖がっていることに気づく。
理由こそ分からないが、今は恐怖を和らげてやるのが先決だと考える。
「――ミスト。大丈夫だ。安心してくれ」
シクロは言って、ミストを抱き締める。
奴隷商人の店で抱き締めた時とは違い、今度は異臭などしない。風呂上がりの、年頃の女の子らしいいい香りがしていた。
「エネルギーキューブは、本当にミストの為になるんだ。どれぐらい体調が回復するかは分からないけど……悪いようにはならない。約束する」
「ご、ご主人さま……」
シクロに抱き締められて、耳元で囁くように優しく諭されて、ミストは顔が真っ赤になる。
そして……そこまで言うなら、きっと大丈夫なのだろう、とシクロを信じてみることにした。
意を決して、ミストはどう見ても四角い異物にしか見えないエネルギーキューブに手を伸ばす。
緊張するミストを、シクロは頭を撫でることで応援する。
「大丈夫。ボクを信じてくれ、ミスト」
その言葉に――何か、不思議と今までに無いような感情を感じ取ったミスト。
信じてくれ、という言葉に、どこか悲しいような、泣き出しそうな色が混じっていたのを感じ取ったのだ。
それで、覚悟が決まった。
ミストは――エネルギーキューブを、思い切って頬張った!
「――っ!?」
途端に、口の中でエネルギーキューブは弾ける。
光になって、溶けるように消えてゆく。
まるで砂糖や蜂蜜のように甘い味が口の中に広がり――そして一瞬で吸収され、消えた。
同時に――ミストの身体に異変が起こる。
「あ、あついです、ご主人さま……っ!」
ミストの身体が、熱を持ち始める。
また、ミストは気づいて居ないが、淡い光も同時に発生していた。
「これは……間違いないな。回復の兆候だ」
シクロは光に包まれるミストを見て、確信する。
エネルギーキューブは、あのエルダーレイスの言葉を信じるなら生命エネルギーの塊だ。
それも、身体を乗っ取ろうとしていたエルダーレイスを追い出すほどに強いエネルギーである。
それだけの生命エネルギーを取り込めば……ステータスの高くなったシクロでも、軽い治癒効果が得られるのだ。
今のミストが取り込めば、どうなるか。
「ふあぁっ……身体が……軽いですっ」
ミストの身体が――やせ細った手足が、奇跡でも起こったかのように肉付いていく。
骨張った身体が、年頃の少女らしい柔らかい肉体を取り戻していく。
そうして――光が収まった頃には、すっかりミストの姿は変わっていた。
ボロボロのやせ細った少女から――小柄ながらも美しい少女に。
くすんでボサボサだった髪も、艶を取り戻して輝くブロンドヘアーに。
与えられた上質な衣服にも負けず劣らずの美しさを誇るように変化していた。
「――ほら、ミスト。鏡を見てくれ」
シクロは、ミストに鏡を見るように促す。
ミストは、熱の影響もあって少しばかり朦朧とする意識のまま、鏡の方を向く。
そして――そこに映る自分の姿を見て、驚く。
「これは……!?」
「ほら、言っただろ? エネルギーキューブはすごいやつだって」
ミストは言われて、すぐにシクロの方を向き直る。
「ご主人さま――本当に、ありがとうございますっ!」
こうして、ミストはこの日一番の笑顔で、シクロに感謝の言葉を告げるのであった。