15 哀愁
アリスが暴走を抑え込まれている一方で、シクロとグロウの対話は進む。
「……フローレンス商会長。今日の用件はこれだけじゃありませんよね? むしろ、本題はこれからなのでは?」
シクロが問うと、グロウは頷く。
「――すまないが、ここからは商会長としてではなく、私個人の話として聞いて欲しい」
言うと、グロウは本題を語り始める。
「私の娘の話だ」
その言葉が出た途端、場の空気が張り詰める。
「……アレは王家に歯向かった罪で、遠い辺境の地の修道院に送られた。場所も秘された遠方で、最悪命を落とす危機もあるそうだ」
「それは……お気の毒様です」
マリアの処遇を聞いたのは、シクロもこの場が初めてであった。
それが妥当な処罰であるのか、シクロには分からなかったが――少なくとも、親にとっては重い処罰であるとは理解できた。
「我が娘ながら、アレは愚かだ。人の善性を無意味に信じる。母親に良く似た……商売には向かない性格だ。故に、良縁に嫁ぐ以外に生きる道は無かった。だが、結果として全てを失い……未だに、君を信じられなかったことを後悔しているだろう」
言うと、グロウは改めてシクロと視線を合わせる。
「君がアレともう一度会う機会があるかは分からぬ。会ってくれと願いもしない。許してくれとも言わない。ただ……せめてアレが未練を抱えたまま死ぬ前に、断ち切ってやってほしい」
「――いい加減にしてよッ!!」
グロウが頭を下げた時。アリスの怒声が響く。
「婚約破棄したのはそっちじゃない! なんで今さら、お兄ちゃんがアンタらのことを助けてやんなきゃいけないのよッ!!」
「アリス……」
シクロが何を言うべきか、迷ってアリスを見る。
が、シクロの言葉が出る前にグロウが口を開く。
「貴様には聞いていない。部外者は黙っていろ」
「それが何よ! そっちが悪いんだからこっちに責任を求めるなってだけの話でしょ!!」
「下らん。何が悪いかと言うなら、そもそも貴様の愚かな兄と関わってしまった為にウチの娘は罪を背負うことになったのだ。償うのが筋になるだろう」
「悪いことなんか何にもしてないのに、なんでお兄ちゃんが償わなきゃいけないのよ!!」
アリスが言い返すと、グロウはため息を吐く。
「無知は罪とは、良く言ったものだな」
「はぁ!?」
「貴様も、貴様の兄も同じだということだ」
「意味分かんない! 言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ!!」
「――アリス、もういいんだ」
アリスがさらに言い返すと、それを制するようにシクロが割って入る。
「ボクの味方をしてくれるのは嬉しいよ、アリス。でも、ボクは怒ってもいないし、フローレンス商会長を責めるつもりもない。だから、もういいんだ」
「でも……っ!」
シクロに何か言い返そうとして――しかし、言い争う相手ではないと思い至り、悔しそうに口を噤むアリス。
それを申し訳無さそうに見遣ったシクロは、グロウに向き直って告げる。
「すみませんが、そちらの要求は飲めません」
「……そうか」
グロウは、短く頷いただけだった。
そして長い沈黙の後――席を立って言う。
「――今日は時間を取らせてしまい済まなかった。失礼する」
その言葉を最後に、グロウは面談室を退室する。
シクロはその背中を見送って――最後に、グロウの秘書らしい女性が一度頭を下げてから退室していくのも見送った。
「――ねえ、お兄ちゃんなんで!? なんで……っ! 怒ってないの!?」
面談室に残るのがシクロ達、パーティメンバーの四人だけとなって、ついにアリスが口火を切った。
「あんな自分勝手なヤツ、怒って良かったじゃん!! なんで……そんなの、なんか、おかしいもんっ!!」
言いながら、シクロの背中に縋るように抱きつくアリス。
そんなアリスの頭を宥めるように撫でて、シクロは答える。
「ごめんな、アリス。なんていうか……これは、ボクの我儘だから」
「我儘って……?」
「やりたいことがある。だから今日は怒らなかったし、たぶんこれからもあの人……グロウさんを悪く言うことは無いと思う」
言って、シクロはさらに自分の心情をアリスに伝える。
「やり方は古臭いし、言葉も足りないし、結局失敗したけど――グロウさんは、あの人なりのやり方で娘の幸せを願ってたんだ。それが間違ったやり方だとしても、追い打ちするみたいに責め立てたくないんだ」
「なにそれ……思いやりってやつ?」
「そんな立派なもんじゃないよ」
アリスに問われて、シクロは首を横に振る。
「これはボクの都合だ。ボクだってより良いやり方を目指して、結局失敗するかもしれない。いや、今までだってたくさん失敗してきた。でも、だからって全てを否定したくない。自分だけでも、相手だけでもない。どっちも特別扱いしたくないから、あの人のことも否定しない。――言ったろ、我儘って。そういうことなんだよ」
シクロが言うと、アリスは複雑そうな表情でさらに問う。
「やり返したい、見返したいって思わなかったの?」
「思ったさ。そりゃあ何度も。でも――それより大事にしたいものがある。だからやらない。それだけの話だよ」
シクロは言って、それでも納得していない様子のアリスに、さらに付け加える。
「そうだな……例えば、だけど。自分にとって大切な人が――そう、ミランダ姉さんがもし、もう一度生まれ変わって、ボクたちの行動した結果残される社会に生きていくとして。胸を張っていられるかどうかが大事なんだよ。ボクの我儘って、要するにそういうこと」
その言葉に、ようやくアリスも少し思う所があったのか、難しそうに顔を顰める。
「例えばロウやコウ……それにブジンみたいなヤツを世の中にのさばらせてちゃあいけないって思うから、アイツらには容赦しない。でも、グロウさんみたいな――娘の幸せを願って失敗した上に、もう二度と娘と会えないかもしれない父親の背中を撃つような真似をしていたら、恥ずかしくて顔向けできない」
そこまで言って、シクロはアリスだけでなく、ミストとカリムにも視線を送ってから告げる。
「ミスト。カリム。二人にも言っておくよ。……ボクは、今の世の中の理不尽を変えたい。でもそれは、誰かを排除して、都合のいいものだけ世の中に残したいって意味じゃない。だから今日みたいなことも沢山あるだろうし――もっと明らかに、敵としか思えない相手にも、最初から戦うつもりで関わったりはしない」
「敵を増やしたいんやなくて、味方を増やしたいんやもんな?」
「ああ。それに敵を減らすとしたら、それは目的じゃなくて手段だ」
シクロは言って、背中に抱きついているアリスを離してから、三人に向き直る。
「でも、やっぱり間違える時はあると思う。だから何か変だと思った時は……そうだな、今日のアリスみたいに、正直に言ってくれると嬉しい。だからまあ、ありがとな、アリス」
そして、最後にアリスへの感謝の言葉を加えて、話を締めた。
「もちろんです。それに……ご主人さまは、もう大丈夫だって信じてます。断罪神と戦って、打ち破ったあの日から」
ミストはシクロを信じると告げる。
「ま、なんかあったら引っ叩いてでも正道に引き戻したるわ。ウチらに任せとき!」
カリムはシクロを助けると約束する。
「お兄ちゃんがそういうなら、止めない。でも……本当は苦しいのに無理してたりしたら、いっぱい怒るからね! 今日よりも、ずっと!」
アリスはシクロを叱ると決めた。
三人がそれぞれ、シクロへの信頼を言葉にして――それが嬉しくて、シクロは微笑む。
「ありがとう、みんな。これからも……よろしくな!」
改めて、この三人が仲間でいてくれることに感謝するシクロであった。