P.01〜○月×日 ヨーロッパ某所にて〜
私は歩。
旅が趣味の人間である。
旅の相棒は大きな革のトランクひとつ。
気の向くまま、時間の流れるまま、私はどこまでも行く。
そんな旅の途中の話である・・・。
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私は、ヨーロッパ某所の砂浜を歩いていた。
海風がとても心地いい。
私は潮の香りのする空気を思いっきり吸い込んだ。
山で育った私にとって、青い海は癒しだ。
空を滑るように飛んでいくかもめを目で追っていると、
一組の老夫婦がこちらに向かって歩いて来るのを、視界の端に捕らえた。
何十年という長い年月を寄り添って歩いてきたのだろう。
手を繋ぎ、ゆっくりと歩いている。
老紳士は背が高く、ステッキをついて歩いている。
老婦人は優しげな瞳に、少々クセのかかった白髪を後ろでまとめている。
共に上品な服装と雰囲気を纏った、素敵なご夫婦。
私は素直にそう感じた。
ふたりは時々見つめあって、微笑みあって。
私達も、あんな夫婦になれたらな・・・。
普段は置いてけぼりにしてしまう恋人のことを思い、さすがの私も少しだけ老夫婦のことを羨ましく感じた。
ふと、爆音が鳴り響き、地面に影がよぎった。
老夫婦は空を見上げる。つられて私も空を見上げた。
どうやら複葉機が横切って行ったようだった。
また老夫婦は見つめあい、苦笑している。
外国語がさっぱりな私には、何を話しているのかはわからないが・・・。
物書きの端くれでもある私は、空想癖がある。
ふたりの仲むつまじい様子、複葉機を見たときのふたりの様子。
下衆の勘繰りかもしれないが、このふたつをキーワードにして、この2人の生い立ちを想像してみることにした・・・。
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きっとふたりは幼馴染なんだろう。
日が暮れるまで、泥だらけになって遊んだり。
野いちごの実を採って、「こんなに採ったんだよ!」って見せあいっこしたり。
ふたりにとっては大きな砂山を一生懸命作ったり。
海辺で紙飛行機を飛ばしたり。
彼女の帽子が風にあおられて飛んでいったら、彼が慌てて取りに行って。
彼の顔に泥がついていたら、彼女がハンカチで拭いてあげて。
小さい頃から、何をするにもいつも一緒。
本当に仲良しなふたりだったんだろう。
でも、時代はふたりにとって恵まれたものではなかった。
戦火の真っ只中。
ふたりが遊んだ野原の緑は、戦車のキャタピラに掘り起こされ。
ふたりの住む街は、爆弾で火の海になり。
ふたりが作った砂山は、砲弾に飛ばされ・・・。
ふたりが飛ばした紙飛行機は、軍用ジープに踏み潰され・・・。
戦闘機が飛んでくる度に、ふたりは遊びを中断して避難しなければならなかった。
世の中の事情を知らないふたりは不満に思いながらも、限りある時間の中で一緒に過ごしたのだろう。
だが、戦争は激化し・・・
ふたりは分厚いコンクリートの壁に隔たれ、離れ離れになった。
瓦礫からは、ふたりの写真がおさまった、ひび割れた写真立てが残された。
コンクリートの壁が壊され、また何年か経って・・・。
ふたりは再会した。
それはあまりにも偶然に。そして唐突に。
でもそれは必然の再会で。
成長したふたりが恋に落ちるのは、時間の問題だった。
恋に落ちてから、永遠に結ばれるまでの間に何があったかは・・・空想癖のある私にも想像できない。
ただ、色んなことがあったのだろう。
いいこともあれば、悪いこともあったと思う。
その一つ一つを乗り越えるたびに、ふたりの絆は幼い頃よりももっと強くなって・・・。
それは永遠に結ばれてからも一緒で、何十年の時が経って・・・。
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つま先に何かが当たった感触で、私は我に帰った。
足元に目を落とすと、紙飛行機が刺さるようにして落ちている。
私はそれを拾い、海に向かって飛ばした。
紙飛行機は風に乗り、水平線の向こうまで飛んでいきそうな勢いだ。
そして、すれ違った老夫婦を見やる。
老婦人が目をこすっている。どうやら砂が目に入ったようだ。
それを心配そうに、老紳士が彼女を覗き込んで頬に手を添えた。
外国語がさっぱりな私には何を言っているのかわからなかったけど・・・。
(大丈夫かい?)
(ええ、すみません。大丈夫ですよ。あなた。)
何となくそう言っているような気がした。
潮が満ちてきたのか、波打ち際が近くなってきてる。
また、誰かが作ったのであろう砂の山は、高くなってきた波に飲まれて崩れ去った。
"たとえふたりが作ったものが壊れてしまったとしても
ふたりの絆は誰にも壊せない"
我ながら恥ずかしいセリフを思いついた。
そんな自分に苦笑しながら、私はトランクを担ぎ直した。
ふと老夫婦と目が合った。
老夫婦が私に会釈をした。
私も彼らに会釈を返す。
そしてきびすを返し、ふたりとひとりは別の方向へと歩き出した。
fin...