ケモミミ娘を弟子にした
ヤンは今日も今日とて早朝から朝市を訪れていた。
「おっさん、いつもの串焼きくれるか?」
「あいよ。今日もサービスしとくよ」
ヤンの早朝の日課を知っているおっさんはそれからいつもこうしてサービスしてくれる。
だからこそ、
「ありがとな」
ヤンは感謝を込めていつもそう言っている。
「いいってことよ」
串焼き屋のおっさんは照れ臭そうにしていた。
それから顔見知りにぺこぺこしつつ、足早に朝市を後にした。早くしないと串焼きが冷めてしまうので。
そうしてヤンは、朝市で買ったタコ足の串焼きをたくさん持って、いつもの裏路地へと向かう。
なんのためかと言うと、路地裏に住み着いている浮浪児たちのためであった。
面倒見のいい彼は浮浪児たちを放ってはおけず、こうして毎日のように朝市で手に入れた食べ物を土産に朝の挨拶回りへと出向いていた。
そうして、いつものように路地裏へと入る。
途中、台車を転がすフードを被った人物とすれ違った。
人攫いだったら堪らないので、一応、台車を流し目で見たが、台車には何にも乗っかっていなかった。
フードの人物は足早に立ち去っていくのを見送って、
「今のは一体、なんだったんだ……?」
ヤンは、小首を傾げた後に、不気味に思った。
途端、浮浪児たちが心配になり、少し歩みを速める。
そうして少し進むと今度は道端に佇む人影を見付けた。
「今度はなんだってんだ……」
不審に思い、目を凝らすと、ハイライトの消えた昏い瞳と目があった。
それは人影だった。
色白い肌をして、箱から上半身を出している。そして、頭にはでっぱりが二つもある天冠を被っていて ――
「うげ!? お化けえええ!?」
女の霊かと、ヤンが悲鳴をあげると、ソイツはたちまち生気を取り戻して、
「な、なな……」
ぷるぷると震え始める。気付けば、お化けから、女の子になっていた。とんでもない変貌っぷりである。
「な、なんですってえええ!?」
その少女は、お化けと間違われて、余程ショックだったのか、箱から飛び出て、食って掛かってくる。
「だ、誰がお化けですか、誰が――!?」
自らがお化けみたいな生気のない顔をしていたのがわかってないようなので、
「おっかない顔をしたお前だよ!」
指でソイツの顔面をピシッと指して、バシッと言ってやった。
すると、少女は一瞬ガーンとして、怒りに肩を震わせる。
「女の子に向かっておっかない顔とは――!」
「しょうがねーじゃん! お化けみたいにおっかなかったんだから!」
「またお化けって――!! なんて失礼な人なんでしょう!!」
そこでヤンは、はたと気付く。「聞いているんですか――!?」と怒った声で呼び掛けられるが聞いていない。ヤンはケモミミの方を見て、
「――ってなんだよ。良くみなくてもケモミミじゃねえか。どうりで天冠が二つあるなと……」
思わず、吹き出してしまいそうなくらいにおかしな話だが、さっきのヤンには、ケモミミが天冠に見えていたのだ。ぷは。
「こら、笑うな――!! 人の耳を見て、よりにもよって天冠とか!!」
少女は、そこで一旦、息を溜めて、むがーっ、として始めた。
「ひどすぎます!! 不信心です!! 見間違いにも限度がありますよ!!」
テンポのいい怒声に合わせて、ビシッ! ビシッ! ビシッ! と指を指してくる。
「悪かった。悪かった」
少女の剣幕に気圧されつつ、「まあ、落ち着け」と宥める。
「ご、ごめんなさい。興奮しちゃって……」
「いや、いいんだ。見間違えた俺も悪かったし……。ごめんな」
「そうですよ! 反省してくださいね!」
にしても――、よく見なくとも、少女はとても愛くるしい生き物だった。こんな可愛らしい少女を幽霊と見間違うなんてとんでもない。
「俺がどうかしてたみたいだな」
ふっ、と自虐的に笑う。
すると、少女が近寄ってきて、
「ええ、よく見てくださいな。あなたがお化けと間違えたのはいかなる存在かをその目にしっかり焼き付けてくれないと困ります」
なんて言う。
お言葉に甘えてよく見てみると、少女は、陶器のように滑らかな肌をしていて、処女雪のように色白のべっぴんさんだ。髪は銀色でさらさらしていて透明感がある。おまけに、ピンと立つ二つの可愛らしいお耳――大きさからいって狼耳か? ――に、圧倒的ボリューム! 圧倒的モフモフ感! のすんばらしい尻尾がお尻から生えていらっしゃる。
思わず、うっとりと眺めていると、
「これでもうお化けだなんて言いませんよね?」
「もちろんだ。間違っても言うものか」
答えてやると、少女は満足そうな笑みを浮かべた。
そこでふと気付いた。
少女の首にうっすらと首輪の跡が……
「お前……、もしかしてだが奴隷だったのか?」
「うっ……」
少女はビクッと震えた。
そして一言。悲しみの籠った遠い目をして、
「ご主人様は良くしてくれました……」
そうとだけ言った。
そして重くなった空気を誤魔化すように、笑みなんて浮かべて。――それは哀色の笑みだった。
言われてみれば少女は、身なりがとても良い。良くしてくれたの言うのには嘘はないのだろう。
しかし、そのご主人とやらに何が起こったのか、こうしてやむを得ず手放した。――ということなのだろう。……おそらくは。
ご主人といえば、さっきのフードの人物とかが怪しい。誰何しておくべきだった。
ともあれ、このことはこれ以上は聞かない方が良さそうだ。露骨に表情が曇ってきてしまっているから。少女の心の傷を抉りかねない。
『……』
なんとなく気まずくなり、沈黙が訪れる。
かといって、こんなところでぼーっと突っ立っているわけにもいくまい。
ヤンは考え始める。
さて、どうするか。
どう見ても、この少女には行く宛が無さそうだ。
知り合ってしまった以上、このまま放置するのも後味が悪い。
ならば――。
ヤンは提案する。
「お前、俺の弟子にならないか?」
その言葉は思いの外、するっと出た。
養うというのを上手いこと言い換えて。
女の子とひとつ屋根の下で同居するという如何わしい事実を弟子という健全そうな言葉で包んでともいう。
それを聞いた少女は、救いの神が現れたみたいな感じでぱーっと表情を明るくし、
「なります! ならせてください!」
尻尾をぶんぶん振って、食い付いてきた。即答である。
「そんな躊躇なく、食いついていいのか? 俺の指導は厳しいぞ……?」
ヤンは、言っていて、なんだか指導が如何わしい意味に思えてきた。
すると、思いの外、いい返事が、
「どのような教育を施されようとも、ひもじい思いをして死ぬよりかは余程マシです!」
ならばと、念を押す。
「二言はないな」
これに答えたら、もう後戻りできないぞ。という問いにも、少女は、満面の笑みで、
「はい! 養ってください!」
はっきりと言いきった。
……折角、弟子ってことにしてあげてるのに、正直なことだ。
なので、ヤンも正直に言う。
「よし、じゃあ決まりだ! お前は今日から雑用係!」
「雑用係って!?」
少女に、おいこら、と突っ込まれた。
いい反応に、この少女とは、うまくやっていけそうな気がする。とヤンはなんとなく思った。
そこで、はっと気付く。
ヤンは大事なことを訊くのを忘れていたのだ。
「ところで、お前、名前はあるか?」
名前が無かったらどうしようかと内心ではおそるおそるな感じで、しれっとした態度を装い訊いてみると、「あっ」嬉しそうな顔をして、
「ククルといいます!」
名前を教えてくれた。名前が無かったらという不安は杞憂だったらしい。
というわけで、ヤンも名乗った。
「俺はヤンだ。よろしくな」
すると、
「はい! 師匠!」
いい返事が返ってきて、どちらからともなく握手を交わした。しかし、しづらい、串焼きが煩わしい。
なにはともあれ。
ヤンはククルを一応、弟子にすることに。
雑用係が出来た事実に感極まりそうだ。
そんな感慨に耽る間もなく――、
「おっと、いけね!」
はっと思い出したヤンは、慌て出す。
「どうしたんですか?」
ヤンのただならぬ様子に、ククルが問い掛ける。
「串焼きを浮浪児たちに配るんだよ。すっかり遅れてしまった」
「そうなんですか! そんな大事な用を邪魔して申し訳ありません」
はたと閃いた。
「あっ、そうだ。なら、ククルも手伝ってくれないか?」
落ち着かなくて悪い気もするが、ククルにお願いしてみる。
すると、ククルはもう答えを決めていたように、
「はい! 言われなくともやりますよ! 弟子ですから!」
そう言って、「お任せください!」なんて、えっへんと胸を張った。そして自分がどんなに役に立つかなにやら饒舌に語り始めたのだが――、ご主人様とやらは愛玩動物代わりに飼っていたのだろうな……。ということが推察出来てしまうくらいに。
大したことは出来ないみたいだ。全く役に立ちそうにない。
哀れなことだ……。とヤンはククルのその頼もしいお口に、串焼きを突っ込んでやった。
「――ふぁみふぉ!?」
目を見開いたククルは、口を塞がれてうまく言葉が出ないご様子。
「給料、前払い」
そういうことだ。
そういうわけで、与えたからには、しばし待つことに。
やがてククルは食べ終わると、
「いきなり食べ物を口に突っ込むのは嫌われますよ、師匠!」
「そりゃそうだ」
うんと頷いて、ククルの小言をいなしつつ、ダンボールと毛布を回収。
さっそく、孤児たちに串焼きを届けに回ることに。
そして。孤児たちには「冷めてる~」などと悪態を突かれたが、最後には「ありがとう」と素直に受け取ってくれた。
帰ろうとすると、
「ねえ」
と孤児の一人に呼び止められる。
「ところでその人、おにーさんの彼女さん?」
「違うよ」
即行で否定する。しかし――、
「住み込みの雑用係です!」
横から話に入り込み、なぜか嬉しそうにそう言うククルに、ヤンは「おい、せめて弟子って言えよ」と小声で指摘する。
孤児はがっかりしたようだ。
「なんだ、メイドさんか」
「違うけどな。弟子だよ、弟子、まあ……、住み込みの」
「恋人じゃないなら面白くないしなんでもいいや」
「人の恋路を面白がるな」
ヤンが突っ込むと、孤児は「にしても――」なんて話を逸らす。
俺を上から下まで眺めて、
「おにーさんって意外とお金持ち?」
と、問い掛けてきた。弟子であれ、メイドであれ、住み込みとなれば多少なりともお金が掛かるし、そう思われてしまうのも無理はない。
「いや、まあ、そういうわけじゃないんだが」
「折半?」
こくりとする。
ヤンとしては生活費は一応そのつもりだし、頷く他無い。
「色々と事情があってな……」
ヤンは曖昧に濁す。
すると、ククルが、ここぞとばかりに話に割り込んできて――、
「訊くも涙語るも涙なあれこれが……」
などと、語り始めるので、突っ込んだ。
「ねーよ!」
「そんな! あの時の契りは嘘だったんですね……」
驚いてみせたかと思えば、しゅんと、とても悲しそうな顔をする。
「おにーさん……」
一人がそう呟くと、他の孤児たちまでも、こちらを白い目で見てくる。誤解されてしまったらしい。
「弟子にするって話な! 裏の意味があるみたくぼかすな!」
「てへ☆」
ククルが舌を出してちゃらけると、孤児たちも笑っていた。
「なんだ、お前らもわかっていたのか」
ヤンはやられたなと頭を掻く。
すると、「根掘り葉掘り詰問するような真似してすみませんでした」と謝ってきてから孤児たちは苦笑混じりに、
「皆、おにーさんがそういう人じゃないって信じてますから」『ねー』
どうか期待を裏切らないでくださいね。と目が語っていた。
「おうよ」
ヤンはそう答えて、
「よし、帰るか」
「はい、師匠! お供しますよ!」
尻尾を振って着いてくるククルと二人でひとまず家へと帰るのだった。
孤児たちの見守るような生暖かい視線を背に感じながら。