育狼娘放棄
ガタゴト、ガタゴト、ガタゴト……
「うみゅ……」
振動を感じ、ククルは目を覚ましてしまった。
覆い被さっていた毛布を除け、顔を出す。
ガタゴト、ガタゴト、ガタゴト……
寒い。
と思ったら、外だった。
しかもまだ日が登りきっておらず、薄暗い。
彼女にとって、まだまだ起きるには早すぎる時間帯だ。こんな時間に起きてしまったとしたら、まず間違いなく二度寝する。
必然、眠気に襲われる。
「ふぁーあ~……」
欠伸をし、寝惚けた眼を擦った。
その間も、揺れ続けている。
ガタゴト、ガタゴト、ガタゴト……
ククルは先程より続いている不快な揺れに顔をしかめる。
「ご主人様、この揺れすごく不快です」
そう素直に口に出した。すると、
「……黙っていなさい」
ご主人様にため息混じりに叱られた。
ククルはしゅんとする。
「……ごめんなさい」
ひとまず謝ったけれど、何がいけなかったのか、よくわからなかった。
声を出してはいけない状況に置かれているのだろうか。
それとも……?
「……」
機嫌が悪いのだろうか? ――とはいっても最近ずっとこんな調子な気もするが……。
それっきりご主人様はムスッと黙りこくった。
ククルはご主人様の格好のおかしさに気付く。
最近のご主人様はおかしい。みるみる弱っているように感じるし、身なりにも気を配っていないように思う。まるでご主人様が忌み嫌っていた貧乏人のような……。
そして今は――、何故だろう。ご主人様は顔を隠すように、フードを深く被っている。
まるで後ろめたいことをする前かのように……。
ガタゴト、ガタゴト、ガタゴト……
ぞっとした。
背筋を冷たいものが駆け抜ける。
何をするかは想像することができないが、良いことではないだろう。
ふと、考える。
果たして、それには、ククルは自分のようなお荷物が必要なのだろうか……。
意識が自分へと向かう。
そうしてククルは自分の置かれている状況を認識する。
彼女はダンボールに入れられていた。先の通り毛布が掛けられている。
そして台車に積まれて、荷物のように運ばれていた。
運ぶのはもちろんご主人様。
はて。
小首をかしげる。
これはいったいどういうことだろう?
考えてみてもさっぱりわからなかった。
こんなのは今までにない状況だ。
わからなすぎて。
こういう時、ご主人様にわからないことを問えば気まぐれではあるが、教えてくれることがある。
なので。ひとまず、ご主人様に問い掛ける。
不可解な状況に混乱していたせいで、不況を買うかも、という考えは抜け落ちてしまっていた。
「あのぅ、ご主人様、これは?」
質問してしまってから、はっとして、首を竦める。
さっきの命令を思い出して、それを守らなかったことへの叱責を恐れたのだ。
「……」
ご主人様は顔を僅かに伏せた。
質問には答えず、黙している。
恐れていた叱責も来なかった。
ほっとは出来なかったけれど、ひとまず大人しくした。
ガタゴト、ガタゴト、ガタゴト……
やがて、人気のない路地裏に入る。
ククルは寂しい雰囲気に心細さを感じ、不安になる。
独り言のように漏らした。
「ここは……?」
自分の口から出た声は思いの外震えていた。
ククルの不安が伝わったのだろうか、ご主人様は表情を曇らせる。
「餌代が嵩んでしょうがないんだ。許せ」
情がわいていたのだろうか、申し訳なさそうに言った。
その後は無言でククルに付けられていた首輪を外す。
――カチャリ。
「あっ……」
首輪が外されたというのに、ククルの気分は全く晴れなかった。
熱いものが込み上げてきて、悲しい気分に陥る。
首輪という枷が外されたというのに?
それは、喜ばしいことのはずではなかったのか、ペットの扱いから解放されるのだから。
いや、わかっていた。ククルが悲しんでいたのは己がもはや生きていけないと悟ってしまったことだ。
物心ついた頃より、この身分だったククルは生きる術を知らなかった。どうすれば死なないのかという知識はある。最低限必要なのは、食糧と水分だ。だけど、そのうち食糧をどうやって手に入れればいいのかは検討もつかない。
「すまないな……。引き取り手は見付からなかった。この辺りには浮浪児の集団がいるらしい。勝手だが、上手く拾われることを祈っている。願わくば、その綺麗な肌のままでいてほしい」
そう言い残し、ご主人様は去っていった。
ククルは、その背中に手を伸ばし――、
――目を伏せて、手を引っ込める。
さっき、本人が言っていたではないか。
餌代が嵩む、と。
もう、ご主人様は私にご飯を与えることができないのだ。
理由はわからないが、ただならぬ事態が起こったのだろう。
状況を理解してしまった時には、ご主人様のことを諦めてしまっていた。
失意のどん底で彼女は呟いた。
「……そんな」
俯いて、唇を固く結ぶ。
ご主人様に捨てられた。
その事実に、ククルは落胆した。
「これからどうしよう……、どうすれば……、どうしたら……」
途方にくれてぼそぼそと呟く。
脳裏に渦巻く不安は、無尽蔵に溢れだしてくる。
ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、と目が回ってしまいそうだ。
「えっぐ……」
嗚咽が漏れる。
目頭が熱くなり、涙の雫が零れた。
そうしてどのくらい泣いていたのだろう。
いつの間にか、日が昇り始めた。
人通りの殆どなさそうな所とはいえ、そろそろ誰かが来てしまうかもしれない。
それが、浮浪児とかならば、まだなんとかなるかもしれない。
だが、
もし、悪い人が来たら――?
想像するだけで、ゾクリとした。
めそめそしていてもしょうがない。
目元を拭い、諸々の不安(――生きる術。――浮浪児への対応。――悪い人が来た場合。どうする?)を払拭するために、ククルは必死に、考えた。
考え付く限り考え尽くして――、
――絶望する。
もはや、どうしようもなかった。
ククルは一人で生きる術を知らないのだから。
移動するにしても宛なんてないのだ。
がくりと項垂れて――、
その時、ククルの瞳の僅かな瞳の輝きが滅した。