第10節 欲求不満
勇者が産まれた。
誕生の福音はまたたく間に世界へと響き渡り、多くの者は戦争をわすれ酒を飲んだ。
人格なき勇者が8歳の頃、その片手には剣が握られた。
何処にでもあり、誰もがもてる平凡な剣。
けれど勇者は身の丈に合わぬ武器を振るい、万人の命を屠った。
戦争は敵国の全滅を持って終戦。
醜き大人たちは喜び、何も知らぬ子供たちは上塗りの平和を笑った。
だが勇者だけは……虚しさに囚われていた。
覇王が産まれた。
誕生の凶報はまたたく間に世界へと響き渡り、血濡れの平和に酔った者たちは、恐怖と狂気に犯された。
覇王が少女とよばれる頃、その周りには虫集る骸が散乱していた。
愛らしい鼻歌は羽音と共に、汚らわしい骸は彼女のおもちゃ。
人の死は彼女の糧、故に罪悪感など何も無かった。
数多の国を滅ぼした覇王。
懺悔も怒号も蜜の味。
けれど少女の心は満たされない。
生きるために死を貪る覇王。
大人の命令通りに動く傀儡の勇者。
何処か似た彼らが巡り会ったのは、互いが16歳の春だった。
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「おっ、やっと見つけたぜユウト 」
中央広場で本を読んでいる最中、声をかけられた。
ページに栞を挟んで顔を上げると、そこには貴族らしからぬ灰色のパーカーを着込む男……ヒカゲさんが立って居た。
まだ暑いのにパーカーを着ているのには違和感が凄いけど、とりあえずその考えは置いてお礼を述べる。
「ヒカゲさん、さっきはありがとうございます。少し抑えが効かなかったものですから 」
「だろーな……肩と鼻は? 」
「もう治りましたよ。ご心配ありがとうございます 」
「……はぁ、そういう堅苦しいのは嫌いなんだよ 」
どうしてかは分からないけど、ヒカゲさんは嫌そうにため息を吐いてしまった。
その理由が分からず、少しだけ頭を悩ませていると、ヒカゲさんは何気なく僕の隣に座り、手を突っ込んでいるポケットから何かを取り出した。
「ほらこれ、そろそろ必要だろ? 」
掌に収まるほど小さな瓶。
コルクで塞がれた瓶の中身を覗いてみると、突如として心臓が高鳴り、体の内側からじんわりとした快楽が溢れてくる。
でもまだ……我慢できる。
「ユウト、落ち着け 」
「あっ、すみません…… 」
「気にすんな、急に見せた俺も悪かった 」
ため息混じりにヒカゲさんは謝るけど、謝りたいのはこっちの方だ。
こんな場所で、こんな時間に、みっともなく欲情してしまうだなんて……
「えっと……じゃあ頂きますね、抑えれなくなったら食べます 」
「いや飲めよ。味は知らねぇけど多分苦いぞ? 」
「いやいや、それが美味しいんですよ。最初は舌が痙攣して窒息しかけましたけど、今じゃ簡単に」
「おうお前ら! 何してんだ〜!! 」
互いの秘密を知る同郷人との会話。
そのお陰か楽しく会話ができ、久しぶりに頬を緩ませていたのに、そんな幸せを破るように大きな声が聞こえた。
咄嗟に掌のものを握り込んだ瞬間、獣が駆けるような足音がこちらに迫り、土がえぐれる音とともに風音は止まった。
「よぉユウト! 何してんだ!? 」
「ヤマトさん……えっと……」
「本読んでんだよ、見りゃ分かんだろ 」
答え辛い質問をぶつけられ、慌ただしく回る頭で言葉を探していると、ヒカゲさんが助け舟を出してくれる。
そのお陰か、ヤマトさんの興味は僕ではなく手元にある本へと移ってくれた。
「おー、そりゃ『過現書』か。内容は? 」
「えっと……1500年前にあった戦争を復元した『覇王と勇者』ですね。2日前に復元が終わったばかりの最新版です」
「へー、なら俺も買おっと 」
「いやお前らすげぇな。その本一冊で『3加色分』の食費は払えんのに 」
「まぁ貴族ですので。お金だけはあります 」
「俺も金はある! 」
「……ははっ、そっか 」
僕たちの自虐と元気が合わさった言いように、ヒカゲさんは乾いた笑い声を上げた。
その表情はなんとなく、嫌な思い出から逃げているように感じ取れてしまう。
(何か……悪い事でも言ったかな )
ヒカゲさんがどう思ってるかは知らないけど、僕はあの人を友達だと思っている。
だからか、何か失言があったかもと思う度に、心という器官が痛んでしまう。
(何がいけなかったんだろう? )
「なぁお前ら、ヤマトっていう白髪のゴーレム知らねぇか? 」
答えが出ない自問自答を続けている中、またも聞き覚えのある声が聞こえた。
声がした方には、淡白な緑色のチュニックに袖を通したハルトさんが立っていた。
チュニックは普通なら女性用だけど、ハルトさんの中性的な顔立ちのせいか違和感はない。
むしろ……とても様になっている。
「おうハルト、俺がヤマトだ。んで頼んでた物は? 」
「……お前か。ほら、武器一式 」
目を引く独特な容姿に見入っていると、ハルトさんは手に持っていた黒い箱をこちらに放り投げた。
宙を舞うそれは、無数の四角形となって分離し、落下することなく空中を漂い始める。
見たことも無い光景に驚く中、ヤマトさんは1つの浮遊物に向かって手を振るうと、緑色の光が一瞬だけ弾け、その手には波状の刃剣が握られていた。
「うっしハルト、やり合うぞ 」
「あぁ 」
「待て待て待て待て!! お前ら何するつもりだよ!? 」
何も無い所から道具が現れた。
そんな初めて見る技術に興味がそそられ、地面に落ちた黒い箱を観察していると、左側から大きな声が聞こえ、心臓が跳ね上がってしまう。
そのせいで血流が全身を回るが、すぐに胸に手を当て、深呼吸を繰り返す。
「あっ、悪い……んでだ、お前ら殺し合う気か? 」
「あぁ 」
「いや殺すまではしねぇよ。四肢か臓器が壊れたら治癒室に持ってくつもり 」
「あのなぁ……一日に何度も治癒したら寿命に影響が出んだよ。ヤマトは自然治癒できるから良いとして、ハルトはダメだろ 」
「……誰だお前? 」
ヒカゲさんの丁寧だけど力強い言葉に、ヤマトさんは初耳と言いたげに瞳孔を縮ませた。
けれどハルトさんだけは、可愛らしく首を傾げている。
というか今の今まで気にも止めなかったけど、なんでハルトさんの髪色は、黒から白に変わっているんだろ?
「あー、顔わかんねぇんだっけ? 俺はヒカゲ、『ヒカゲ・ルミル』。お前のルームメイトで、ユウトと同じ『ケルパー王国』出身だ 」
「んじゃお前も人外か? 」
人外……
久しく聞いたその言葉は身体中の骨を軋ませ、無意識に入る力は両手首を反対側にへし折った。
でもまだ……耐えきれる。
「ここではその名はやめろ。『ゲシュペンスト』……この名もどうかと思うが、ヤマト達の事はそう呼べ 」
「……? 分かった 」
「あー……それとヤマト。俺が代わりに戦ってやる。さっき名指しした詫びだ 」
「良いのか!? 別に気にしてなかったけど、詫びなら遠慮しねぇぜ! 」
「つう事でハルト、横から悪いな 」
昂る心臓を胸骨を折りながら押さえ付けていると、いつの間にか話が終わっていたらしい。
ヤマトさんとヒカゲさんは広間の中心へと向かっており、僕とハルトさんだけがこの場に残ってしまった。
「手首、折れてるぞ 」
遠くへ行った2人を眺めていると、横からハルトさんが声をかけてきた。
その紫色の目は僕の手元……いや、折れた手首を心配するように見え、心配をかけない内に慌てて笑顔を作り出す。
「あぁ、大丈夫です。折れてても動かせますし、ある程度なら自然に治ります 」
「お前もじ……ゲシュペンストか。というかゲシュペンストってなんだ? 」
「あー……説明すると長くなるので、とりあえず座りませんか? 」
僕なら良かったけど、他の人にそんな事を聞けば取り返しがつかなくなるかもしれない。
だから今のうちに説明しようと声をかけると、ハルトさんは無警戒にベンチへと座ってくれた。
おかげで……我慢できなくなった時は簡単に殺せそうだ。
「……説明は? 」
「あっ、すみませんね。ちょっとぼーっとしてました 」
いつからか溜まっている唾液を飲み込み、折れた胸骨を肺に押し付ける。
そうやって欲求不満な体を自制し、少しずつ話を始める。
「まずゲシュペンストというのは、『ケルパー王国』 『ロジー王国』で造られた、人型生物全般を指す言葉です 」
「その国以外ではそう言わないのか? 」
「いえ、この国以外でゲシュペンストは造れないんです 」
「何故? 」
「何故と言われましても…… 」
どうやらハルトさんは、国という言葉の重みすらも理解していないらしい。
説明するには少し長くなるけど、後で大事を起こすよりかはマシだ。
「えっと、唐突ですけど国を作るメリットってなんだと思います? 」
「……? 兵力の増強とか技術発達とかか? 」
「一応、援助の簡略化とかもありますけどね……だいたいその通りです。でも技術が進歩すればそれだけ他国から狙われやすいですし、民が増えれば多様な思想を抱えるデメリットもありますよね? 」
「だから国王とかの、まとめ役が居るんじゃねぇの? 」
「その通りなんですけどね、ただのまとめ役じゃダメなんです 」
ハルトさんはずっと相槌を打ってくれていたけど、この言葉だけには、可愛らしく首を傾げてしまった。
少し分かりにくかったかもしれない……そう思い、頭に血を回してもっと話を詳しく掘り下げてみる。
「えーっと、僕達は魔法が使えますよね。ですからどんな環境でさえ、資源に困る事が基本的にないんです 」
「あぁ 」
「だから国王という、目上の存在が機能する事が少なくてですね。昔に存在した数多の王国は、コミュニティの分裂や内乱やらで衰退し、消失したんです。でも2つの国だけは太古からの技術を途絶えさせず、今日まで発展を続けてきました 」
「……それがケルパー王国とロジー王国って事か 」
長い説明の末にやっと理解して貰えた。
そのせいか自然とため息が漏れ、緩い倦怠感が肩にのしかかってくる。
けれどこの疲れが伝わる訳もなく、既にハルトさんは気になる事を見つけたように首を傾げている。
「ゲシュペンストに関してもう1つ……お前らは何に使われるんだ? 労働力にしては人に似すぎだろ 」
(うわぁ………… )
こんなこと思ってはいけない。
いけないのだけれど、ゲシュペンストである僕にそれを聞いてしまうのは、正気と思えない。
もうこれ、黙らせた方が速いよね。
「おい? 」
「んっ!? あぁえっと、なんでしたっけ? 」
「お前らはなんのために作られたんだ? って話だ 」
少しボーッとしてて記憶が飛んでいるけど、その程度の質問なら深く考える必要はない。
だって単純過ぎて一言で分かる話だもん。
「人間共の平和を守る兵器ですね 」
「……? さっきも言ったが、それにしては人に似すぎだろ。なんでそうする必要がある? 」
「人型の方が都合がいいんです。造られた感情や心との乖離が少ないですし、敵国に侵入したとしてもそうは目立ちません。それとあとは……遺産を宿すためでもあります 」
「んだそれ? 」
「覇王が残したとされる遺産、『契約』と『継承』。勇者が残したとされる『黒い血』。この2つは常人には耐えれません。だから人に似せた僕たちを量産し、適合する物を厳選していくんです。僕たちの命なんて知らずに何度でも 」
「いっぺんに言われてもこま……お前、腹減ってんのか? さっきから涎が」
「だから人間は死んでいい 」
理性の消失。
右腕の骨が全て折れた。
爪が割れて取れた。
血まみれの拳を放つ。
不味そうな血が飛び散る。
腕には衝撃が走る。
潰れた潰れた誰かのあた……ま?
「ねぇユウト、調子に乗り過ぎだよ。なり損ないの分際で 」
(…………………?? )
意識が飛んだ、目が覚めた。
気が付くと青い空が見える。
体を起こして前を見ると、遥か遠くにハルトさん達の姿が見え、小さな足音が僕の背後から近付いてきている。
「お目覚めかな? 失敗作くん 」
耳に残るわざとらしい声。
それは生を受けて、1番嫌な記憶と共に刻み込まれたものだった。
「……ハルトさんを守ってくれた事は感謝します。でも、その名はやめてください 」
「おや、それは悪かったね。今はお腹が膨れているからさ、少し調子に乗ってしまったよ 」
嫌な気分になりがらも右手を口の中に入れ、爪の合間から滴る血を舐めて気を紛らわせる。
そして後ろを振り返ると、そこにはやはり……あいつが居た。
あの時と全く同じ、サイズが合わない黒いシャツを羽織り、死体のように青白い手を白いスボンへと突っ込んでいる。
そいつの名は……エリカだ。
「それで気分はどうかな? 顔色は死にかけてるし、体調も悪そうだ。いや、君にとってはその方が良いのかな? 」
「あまり喋らないでください、今はあなたの煽りを無視する事はできませんので 」
「それは失礼。でも速く飲まないと……消えてしまうんじゃないのかな? あの子達の様に 」
我慢など出来なかった。
明確に存在する自らの殺意に従い、耳障りな声を消すために地面を蹴りあげる。
血まみれの右手で殺意を握り込み、筋肉が破裂するほどの力で腕を振るうが、そこには誰も居らず、拳は空気をすり抜けた。
(逃げられた…… )
「っ!! 」
逃げられた事に苛立った瞬間、血流が全身を巡ってしまい、どうしようもない不快感が頭を蠢き始めた。
痒い痒い痒い。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
目の裏が痒い。骨の端が痒い。臓物の内側が痒い。
(はや……く)
意思があるうちに頭を働かせ、僕の隣に鏡を作る。
魔術でできた鏡には、飢餓と愛欲を混合させたような表情が映し出された。
愛に飢えるようで……死体のような顔。
その顔を潰すように鏡を殴りつける。
すると崩壊音が響き渡り、辺りには薄暗い部屋が広がった。
家具や生活感がない殺風景な部屋。
鉄を打たれた扉や窓を見て、転移が成功した事に一安心し、すぐに握り込んでいた瓶を口に放り込む。
噛む。
ガラスが割れ、口の中に血が溢れる。
噛む。
虫の足がぱちゅぱちゅと潰れ、苦ったらしい生き物の体液が傷に染み込む。
噛む。
毒を拒絶する痛みが舌を押し上げ、息が上手くできない。
噛む。
虫の羽根が割れ、毒針が歯茎に突き刺さり、痙攣で体が跳ね、気持ちがいい。
「うぼっ…… 」
喉から溢れた、泡まみれの赤い血。
吐血が止まらない。
射精よりも気持ちがいい吐血。
あまりの快楽に……笑ってしまう。
「あははっ!! ゲホッ……ぅっ、ゲホッ! ゲホッ!! ……ははっ 」
痛みも苦しみも……そして自我も。
全て快楽が塗りつぶしていく。
けれど自我が完全に終わる寸前、跳ねていた心臓が動きを止め、そのまま倒れてしまう。
瞬きできない。
呼吸ができない。
体が動かせない。
……もうすぐ死ねる。
「ま…………ててて………ね 」
死の間際、呼吸が止まっているにも関わらず、声が漏れた。
それが僕か彼女かは分からない。
「……ぃ 」
けれど声が枯れると、僕らはそのまま常闇へと落ちていった。




