07 きれいな着物を朱に染めて(1)
「じゃあ、取りかかりましょうか」
殺生石から蘇った、九尾の狐の化身・けいが取り憑いた涼の心身を呪いで落ち着かせると、於佳津たち5人は芳春院の南門から出た。
上杉旗本衆は東に移動し、石火矢を据え直す。正面に沼から北門へとかかる橋を見る位置だ。そして、門の背後に鴻巣館の建物が見える。庭の随所に篝火が置かれ、庭に面した廊下には蝋燭が灯されているのだろう。人が動くには十分な明るさが保たれていた。
紗絵は頭の中で、今のところまでの流れを確認する。今、父・忠久と夫・憲政、さらに上泉信綱が率いる兵は鴻巣館の真西に展開を始めている。舟橋が完全にできれば、騎馬も渡せる。総勢1万が全て渡河を終えれば、鴻巣館の兵は何もできなくなる。
ただ、すぐに攻めかかるのは無理だ。西の方に、まとまった兵が集まるには時間もかかる。
さらに、館のある島へは西と北に申し訳程度の細く脆そうな木橋が架かるだけだ。
沼の畔から対岸の土塀までは、ざっと20間(36m)。人の背の立たない深みもある。
攻めたいのだったら、人の掘った細い堀と3つの頑丈そうな橋のある東へと回ったほうが良い。本当なら……。
紗絵は石火矢衆の侍大将に声をかける。
「用意はいい?」
「はっ……ただ、距離があり、狙ったところに10割行く自信はありません」
「橋さえ壊さなければいいわ」
「それなら大丈夫です」
「うん、派手にやって、敵が近づく気を失ってくれればいい」
そこまで石火矢衆と打ち合わせて、紗絵は槍兵と弓兵のところへ。
「これより鴻巣館に討ち入る!」
「おうっ!」
「わたしたちが先に潜入し、北門と西門を開ける。合図したら、お主らは悠々と北門へ橋を渡って来るといい。敵は待ち構えている。油断するな!」
「おうっ!」
「それでは、橋の前に移動……待機!」
「えいえい!」
「おうっ!」
もう敵に気づかれるとか配慮せずともよい。堂々と閧の声をあげ、兵たちは館の真北の橋の袂へと移動を始める。
【鴻巣館、芳春院周辺図】
(上杉の旗本の位置は槍兵弓兵の待機位置。石火矢はさらに北の方に配置)
「石火矢! 撃ち方用意!………………放て!」
シュッ…………ドーン……
100間(180m)ばかり離れた橋の後、北の門の真裏あたりに爆炎が見える。門上には矢を持った番兵がいたが、それに驚いて、矢を放り出していた。そして、慌てて門上の矢倉を降りていった。
突如として破裂音を立てるものが飛んできて芳春院が燃え落ちた……彼らには、そう見えていたはずだ。
それが今、自分たちの背後にも落ちて、爆炎を立てている。逃げたくなるのは人情だろう。勇猛な兵でも、得体のしれない事態には怯えてしまうものなのだ。
シュッ…………ドーン……
第二弾は少し遠目に着弾……門よりやや遠目になるように狙いと装薬量を調整している。
堀代わりの沼の前に達し、於佳津が他の面々に声をかける。
「じゃあ、行きましょうか。涼とけいも大丈夫?」
「はい」
[うん、平気よ]
「じゃあ、茉ちゃん、行くわよ」
「うん」
於佳津が茉を小脇に抱え、短く助走……そして、跳躍。
緒江、紗絵、涼も跳躍で続く。
九尾の狐の呪いで筋力を極限に高め、高く遠く。最後に呪いの力で勢いを殺し、ふわりと館内の庭に降り立つ。
第3弾、第4弾が北門と館の間の庭に着弾し、爆炎を上げる。その中で、5人は二手に別れる。於佳津と緒江は西門へ、紗絵、茉、涼は北門へ向かう。
西門は番兵が残っている。深い森を抜けていかないといけない。面倒が多く、年長者に任された格好だ。
3人が北門に達すると、第3、第4弾の落ちた傍に、第5弾、第6弾が落ち、爆炎を上げる。
石火矢の撃ち方はここまでだ。すぐにも様子見の兵たちがやってくるだろう。
「茉ちゃん、閂外して! 涼は敵兵に備えて!」
紗絵は自然に上に立つ器で、茉も涼も自然に彼女の指示を受け入れている。
「開けたよ!」
「わかった!」
茉は間髪入れずに、門扉も開け放つ。同時に紗絵は、六角棒を高く差し上げ、そこから合図の火の玉を打ち上げる。
間を置かず、西門でも火の玉が上がった。番兵も始末してだから、流石に年長者は仕事が早い。
「来るよ!」
[手を前に。太刀を突き出して。一番派手なのは、これ……雷鳴よ、来たれ!]
けいが涼の太刀を持つ手を突き出させる。その先には弓矢を持った敵兵。3人の姿を認めて矢をつがえようとする。そこに、涼の剣先から細い稲光が一条伸びる。
「ぎゃあっ!」
「ウワッ!」
涼が切っ先を小さく左右に揺らしたせいで、稲光は紐のようにしなって動き、先頭の2人に当たる。2人は弓矢を放り上げ、不自然に体を震わせ、くねらせ、勢いよく倒れる。がくがく震える体からは数条の細い煙が上がる。
於佳津の落とす雷には遠く及ばないが、人を殺めるには十分な威力の電光……。
残った3人は、たたらを踏むように止まろうとする。
尋常ではない相手……本物の呪いを使いこなす相手……
冗談ではない。いるのかいないのか、あるのかないのか、しかとわからぬ霊験ではない。仰天して当たり前だ。
突如として上がる爆炎。見た目はチビの餓鬼が構える太刀から雷。どちらも人の技ではない。
3人とも同じ考えに至り、逃げ出そうとした。
だが、慌てた3人に、小さな影が3体、襲いかかった。
「そりゃ!」
「うらっ!」
「とうっ!」
右手の男には、太い棒が鋭く伸びてきて頭部を激しく突いた。ごきんという鈍い音が響くと、男の体は勢いよくゴロゴロと転がってから、大の字に伸びた。
左手の男には、門の方から走り寄った影……。鞘から業物の太刀を引き抜くや、首を一刀のもとに断ち落とした。
中央の男には、稲妻を発した少女が太刀を突き出したままに駆け寄る。そして、その切っ先が喉を突き、そのまま首の後ろまで貫いた。
紗絵が声をかけ、茉は懐紙で太刀の血脂を拭いながら、涼は屍の喉に刺さった太刀を引き抜きながら、声を掛け合う。
「大丈夫?」
「平気!」
「ちょうどよく来たわね」
北門に上杉の旗本たちが姿を表した
「第一陣形! 急いで!」
「おう!」
「弓第一組、こっちだ!」
「槍第一組、続け!」
予め決めておいた陣形だ。
館の北面に向かって弓兵が1組10人が並び、その後に槍兵の10人ずつの横隊が続く。
それが3つできる。
敵が離れているうちは、弓兵が前に出て矢を放つ。
敵兵が急速に近づいて来ると槍兵が槍を弓兵の間から差し出し、敵兵の勢いを殺す。
弓兵は矢を射ながら槍兵の間から後列に抜ける。
弓兵と組まない槍兵20人は全体の遊軍として後に控える。
騎馬がいないので、まずは守りに向いた隊形だ。西からの兵は多い分、展開も鈍重になるだろう。敵をこちらに引き付ける。公方の首は、隙きができたら取りに行ければいいと思えば良い。
「すぐにお姉さんたちや憲政様、父上もやってくる……行くぞ!」
「おう!」
「紗絵ちゃんの男言葉……ぞくぞくしちゃうわ」
「あたしも紗絵様のために頑張る!」
行く手の木が2本、石火矢の鉄缶の爆炎を浴びたせいで燃え上がっていた。おかげで紗絵たちには、昼間も同然の明るさに見えていた。
弓兵には各自1本火矢を持たせている。鴻巣館も焼いてしまおう。一段と明るくなるし、古河公方も蒸し出してしまえばいい。
「弓兵! 火矢を番えろ!」
芳春院の惨状を見たせいか鉄缶の爆炎に驚いて館に逃げ込んだのか、庭に兵は出ていなかった。
しかし、様子見に出た兵が帰って来ないのに業を煮やしたのか。
障子が勢いよく開け放たれて、ぞろぞろと館の兵たちが庭に面した廊下に出てくる。長柄や刀、弓矢……持っている得物はめいめいばらばらだ。
こちらの弓兵が矢をつがえると、槍兵は松明で火をつける。
「放て!」
30本の火矢は、ばらばらに出てきた敵兵たちの出鼻を挫くにはちょうどよかった。
「うわ」
「火だ」
「呪いじゃない! うろたえるな!」
「消せ!」
何本かは兵に突き刺さり、その体ごと炎が燃え上がり始めた。
「うぉぁーーっ あつぃ……ひぃ……たす、たすけて、たすけて」
2人が庭に落ちて動かなくなる。さらに2人がひどい大声で暴れまわったり、他人にすがりついたりして、臆病と恐慌を広げる。1人は庭に蹴り出されたが、1人は畳の間に転げ込み、そこから火が燃え広がり始める。
敵の恐慌を煽るために紗絵はさらに声を張り上げる。
「弓兵、各個に矢を射続けよ! 館は取り囲んだ! 一人も生かして出すな!」
まだ囲みは完成していない。していれば、於佳津や緒江がここに来ている。兵を惑わす流言だ。
涼とけいがそこに呼応して、呪いを使う。
「火球招来! 燃やし尽くせ!」
涼も何年も呪いの手ほどきを受けている。けいが憑いたおかげで、呪いに無縁な者の肝を抜くくらいの技が使える。
今も、直径3寸(9cm)ほどの火球を館に向けて、勢いよく飛ばす。それこそ、怪談の絵草紙で見るような燃え盛る玉である。
それが障子を打ち壊し、畳に火が燃え移る。最初の火矢からおこった火炎が、何本か柱に燃え移り始めた。
九尾の狐という物の怪……超常の敵と戦うことの恐怖を思い知らされて、男たちの混乱はさらに深まっていった。