06 飛び散る火の粉がとってもきれい(2)
ダウングレードほどではないけど、少々表現を変更しています
山門から少し入ったところに、紗絵と於佳津、緒江は陣取り、仁王立ちで将兵の動きを見守っていた。
「しばらく待つしかないわね」
於佳津の声に、紗絵と緒江はうなずいた。
涼と茉は左右に分かれ、将兵たちに混じって境内の奥へと進んで行った。兵たちが行動に迷った時に、紗絵に代わって指示するためだ。茉も涼も剣や槍の腕前を旗本衆に認められており、彼女らが上に立つことを認めている。坂東武者は戦う力がすべて。男も女も老いも若きもない。
時々、離れたところから悲鳴が聞こえてくるのは、僧たちが襲われているのだろう。他の門から逃げ出そうという僧たちを追いこんでいるのだ。
九尾の狐にとっては、人の恐怖は呪いの器を拡げる材料。特に、恐怖に塗れた僧や神職の魂は大好物だ。茉も涼も、3人のために見つけた坊主を1人残らず殺すように指示しているはずだ。
ぱちぱちと木が炎に焼かれ爆ぜる音がする。風は北西から吹いていて、山門の周辺は煙にまかれることもない。
本堂に火が回り、一気に屋根の頂上へと火が這い登る。火の粉も上がるが、周囲は湿潤で疎林だから、類焼の可能性はほとんどない。
僧たちも殺し尽くし、茉と涼と旗本の兵たちが戻ってくる。
太鼓や鉦の音が西から響いてくる。舟橋がどこまでできたか分からないが、幾人かの兵が渡河して、館の兵を牽制しているのだろう。
遠くの北からも兵たちの歓声が聞こえてくる。古河城の兵の動きを停めるため、上野衆も動いたのだ。
紗絵が兵たちに指示する。
「いったん山門の外に出ろ! 弓兵や呪い師とともに南に面して館の兵の突出に備え! 私たちが戻ってくるまで待て!」
「はっ!」
侍大将格に率いられて槍兵たちは寺の門外へと出ていく。紗絵のいっぱしの武将ぶりに、緒江と茉と涼が、からかい半分に声をかける。
「紗絵ちゃん、かっこいい……本当のお武家さんみたい……というか、お武家の娘だったわね」
「わたしも紗絵ちゃんくらいに人を動かしてみたいわ」
「あたしたちも、側用人としてお手伝いしている甲斐がありますよ、紗絵様」
「どうせ女らしくないとか、そんな風に見てるんでしょう?」
照れくさそうな笑いを浮かべる紗絵と3人のやり取りが続く。
於佳津はその傍らでにこにこ笑顔を浮かべているが、紅蓮の炎に呑まれた芳春院の建造物を冷静に観察していた。
「公方の配下たちは、何のために芳春院を焼いたのか、不思議でしょね」
於佳津のつぶやきは、4人を現実に引き戻す。鴻巣館も、古河城も、大騒ぎのはずだ。
「茉ちゃんか、涼か……殺生石はここには1つだから、当たらなかった方は恨みっこなしよ」
紗絵が2人に覚悟を促し、緒江が本堂の方へと1歩前に出る。
「これだけ燃えれば十分ね。本堂を吹き飛ばすわよ……風よ、集まれ……」
緒江が目を閉じ、念を集中させる。芳春院を燃やすのを旗本に任せたのは、できるだけ呪力を節約するため。
緒江のいる場から風が起こり本堂へと吹き付ける。
ヒュウーっという空気の流れが日の勢いを強くして、床、柱、梁の木を燃焼を速くしていく。脆くなった板壁や柱はあえなく崩れていく。
そうして屋根が下に沈むように、ドサっという音を立てながら崩れ落ちる。
於佳津、紗絵、茉、涼も呪いで風を起こしながら、崩れた本堂に近づく。ぱちぱち火の粉を撒き散らしながら、炭化した木材が赤熱し、さらに崩れ、灰と化していく。
「御本尊の祭壇……あのあたりね……燃え上がれ……」
於佳津が指さした大型の仏像が倒れ込んでる場所に、さらに風が当たって、激しく炎が立ち上る。燃焼が速くなり、あっという間に木材が炭化し、崩れ落ち、灰となって飛んでいく。
「水よ……すべてを流し去って」
緒江は一間ほどの大きさの巨大な水の礫をつくって、仏像の側に転がった炭化した木材にぶち当てる。ザバ……と水の球が崩れる音とともに形を残した木炭や瓦の破片が、あちこちに吹き飛ばされる。熱が冷え、風が涼しくなる。
直径にして1間ほどの岩が地面に覗いている。一見すると、円形の岩の板が土にはめ込まれたようだ。本堂に安置されていた本尊の床の間を支えていた土台の柱石である。
地表に出ているのはほんの表面で、本尊の下の柱を支え、殺生石の動きを封じるための力を封じた巨石を埋め、表面を平らにしてあるのだ。
5人ともにこりと笑顔になる。かすかに殺生石の気配を感じたからだ。
緒江に憑りついている、こだまが喜びの声をあげる。
(見ぃつけた。ついに4つめね)
於佳津が剣を抜き放ち、高々と差し上げる。
「さあ、行きましょうか……雷よ来たりて、岩を砕け!」
於佳津の太刀が雷を呼ぶ。於佳津の太刀は雷や氷雪、風を呼ぶ触媒に頻繁に使われるので、今は嵐を呼ぶ剣……「招嵐剣」と呼ばれている。
雲一つなかった天空に、於佳津の上空だけ不意に小さな雲が湧き、そこから呼嵐剣めがけて稲光が落下してくる。その瞬間、於佳津は剣を振るう。雷の軌道が急に曲がり、それは柱石に落下した。
……ズダーーーーン!!!!……
光が表面に吸い込まれ、左右に砕けた石がはじけ飛ぶ……。雷の衝撃は、埋もれた岩の底まで届き、ひびが入る。
「どれほど仏や神の力で護られていても、この雷は普通に自然の力を呼んだだけだからね。岩なら割れるわ」
(我が同胞よ……我が身体の一部よ……土中から目覚めよ……)
於佳津が会心の笑顔を浮かべる横で、目を閉じ陶然と立ち尽くす緒江の中に憑依しているこだまが、殺生石を呼ぶ。常人には見えない、緒江の背後の狐の尻尾の1つが触手のようになり、岩の裂け目に突き刺さる……そして、そのまま岩を砕きながら土のなかに達し……
(出るよ……ほら!)
裂け目からしなやかな鞭のようになった尻尾が勢いよく抜き出され……その先端にくっつくように、紫色の怪しげな光を放つ直径2寸ほどの玉が飛び出す。
その玉は、中空に浮かんでいる。
(さあ、好きな方を選びなさい……)
こだまの呼びかけに応えるように、紫の玉は弾けるように、涼の足元に飛んだ。目にも止まらない速さだ。
そして、地面に弾んだように足元で跳ね上がり、涼のなかへ……
「きゃぁ……あっ……何これ……あぅ……あっ……駄目……立ってられない」
玉は一気に涼の体内に入り込み、快楽とも苦痛ともつかない感覚に涼はその場にへたり込んだ。
「あぁ……わたしは気持ちよくもあり、かなり痛みもありだったけど……」
「あたしは……入ってくるとき、気持ち良すぎちゃったのよねえ……」
「えー、わたしは、男に犯されながら、呼びかけに答えただけだったのにねえ……」
紗絵、緒江、於佳津は、自分たちが殺生石に憑依された時のことを思い出してつぶやいた。
(あんたたちが淫蕩だからね。だんだんと破片の方も、そういう風になっちゃうのさ)
「あっ……くっ……すごいの……あっ……」
涼は声を出すのもやっとの態だ。
九尾の狐は、男女を問わず、色事に目がない。
またもや狐に憑かれそこなった茉は肩を落とす。
「残念……一番最後なんだ……あんな風に気持ちよくなってみたいのに」
ぼやく彼女を、紗絵が抱きしめ囁く。
「大丈夫。すぐにあなたも狐に憑かれるようにしてあげるから」
次の石は江戸にある……茉への狐の憑依を実現するための動きを、紗絵は具申していた。ただ、それには、ここから後の面倒事を片付けなければならない。4匹の狐にとっては、蛇足そのものだったけど。
これから鴻巣館の将兵も殺戮する。蛇足でもそれは楽しいひと時になるに違いない。
「涼のなかの子は、何て呼ぼうかしら?」
笑顔の於佳津が問い、紗絵が応じる。
「古河は東都ともとも呼ばれるから……京の読み違えで、『けい』はどう? 漢字にした時、涼の名前の文字にも近いし」
[それなら洒落も効いてる。気に入ったわ]
小ぶりな石が一番幼い涼に憑りついたせいなのか、けいの念話の声は心なしか幼く感じられた。
於佳津と緒江の剣は、イメージとしてはククリナイフの長刀版。
こんな形で、刀身の長さは2倍ちょっとで、もうちょっと肉厚で鍔と両手持ちの柄がついている……という感じ。
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