04 仲間はいつだって大事(2)
【鴻巣館、芳春院周辺図】
(兵の配置は第5話開始時点)
鴻巣館は、沼地や森を切り開いてつくられている。沼は鴻巣館を北・西・南に取り巻くように水を湛え、それらをそのまま堀の代わりにしている。館の西には鬱蒼とした森があり、東には細いが深い掘が穿たれている。
鴻巣館ができる遥か以前に、北側の疎林に殺生石が落ちた。瘴気を振り撒き、死者も出た。先代の古賀公方が瘴気を本格的に封じ、供養するために、瑞雲院という名で寺を開基した。先代を隠居に追い込んだ現公方の晴氏は、その寺を自分の正室の名である芳春院と改称した(後の徳源院)。
遠くに芳春院を見る於佳津がため息交じりにぼやく。
「碌な僧しかいないのは、今までの関八州と変わらないわね。せめて信然さんくらいの僧がいないと張り合いがないわ」
2年前、関東管領御座所で捕え、黒い世界に引き込んだ僧は大変な「当たり」だった。黒夜叉を呼び出せ、治癒・回復の法力に優れる若い僧は、荒事にも慣れた。今は大沢宿で呪いも使える密偵や乱破を育てている。氷室郡の守りに残してきたのが残念だ。
信然ほどの力のある法力僧を破戒僧にできれば心強いが……今回はそれは無理なようだ。於佳津の言うとおりに、関八州に優れた法力僧はいない。その原因は、仏教が侍たちの精神修養に力を傾け過ぎているからかもしれない。他人の精神修養に力を入れるあまり、僧自身の法力の取得の余裕がない。それは坂東武者の凶悪さを抑え込もうという支配者層の思惑のせいだが……。
ただ、ここでの殺生石への供養の手厚さは、これまでの比ではない。何しろ由緒正しい寺の建物・敷地そのものが結界である。石は本堂の下に封じられ、日々念仏の圧をかけられている。
強い霊力を持つ者が本気で弔い続けていたら、ここの殺生石は成仏していたかもしれなかった。
「やっぱり寺を土台しか残らないように激しく焼きましょう。それで土台の柱石を割れば召喚もしやすくなる」
陣中が出撃準備でごった返すなか、紗絵たちは机に広げた図面を見ながら攻め手を重ねて確かめる。
準備が整い次第、兵糧を使い、渡良瀬川を渡る。城と館の兵を惑わすためと称して芳春院を焼く。上がった火の手に呼応して、城には上野衆が圧力をかける。堀部の本隊も渡良瀬川を渡渉する。川を渡った兵が揃ったら、鴻巣館に襲いかかる。
北と西の騒動に館の将兵たちは混乱に陥る。そこで狐たちは、芳春院から南面して鴻巣館に突入。晴氏を捕える。
ただし、月のない暗夜の攻めだから、生身の兵にはほとんど期待していない。鴻巣館や古河城の将兵を牽制できればいい。
「こんな暗夜に兵全員に夜目を効かす呪いをかけていっても限がない。わたしたちと同道する将兵と船の漕ぎ手だけ万全に備えればいいわ」
「うん。堀部がこれまで集めた船で、一度に運べるのが120人。石火矢は持って行くものが大変だし。わたしたちが5人、槍50、弓30、呪い10。石火矢2門と弾や火薬の運び手も入れて10人。弾薬の重みも考えれば、それが精いっぱいかな」
紗絵の言葉に対して、於佳津が舟と兵の数の関係を話す。川を渡る舟は十分に揃っていなかった。甲冑姿の武者を10人乗せられる船が12隻だ。
一旦、兵を渡したら、夜目を利くように呪いをかけた舟の漕ぎ手が、舟橋をかける。一定の間隔で対岸まで川に舟を並べ、杭などを使って固定する。その上に頑強な板を渡し、仮の橋を架けるやり方だ。
舟橋を渡って、渡良瀬川西岸の堀部の残りの兵が、鴻巣館へ殺到することになる。本陣以外の各屯営も、ざわざわと騒がしいのは、この夜討ちの準備のためである。
「初手から石火矢で派手にやって、敵の度肝を抜いちゃおう」
緒江の様子がますます楽しそうになってくる。
大沢宿では倭寇や商人から得た書から、南蛮式の鉄砲(小銃)、明の石火矢(手持ち砲)の仕組みを学び、製鉄所で試作を積み重ねていた。
鉄砲は有望なところまで作ったのだが、部品が細かくて工作の精度がなかなか保てない。特に、銃身を画一的で肉厚の筒につくるのが難しい。鋳造では強度が足りず、撃ち続けると割れる。鍛造にすると手仕事なので、精度や強度にばらつきが出やすい。
むしろ大きい石火矢の方が、鋳造で十分な強度を持つ肉厚な銃身が作りやすかった。こぶしほどの鉛の球や大鉄の容器を、火薬の爆発力で砲身を通して飛ばす。柔らかくても重い鉛球なら城壁でも、門扉でも穴を開け、打ち壊せる。
一方で、鉄の容器には火縄をつけ、中には火薬と小さな鉛玉を詰める。敵陣に飛ばし、火縄の火が容器内に達すると中の火薬が爆発し、容器が破裂。火と鉛玉を恐ろしい勢いで振り撒く。
今回は実戦に使えるものが2門できたので、旗本に石火矢衆を設けた。旗本は、馬廻り、槍、弓、呪い師、石火矢の5衆になった。
そこへ陣幕内に入ってきたのは、憲政と関東管領剣術指南役の肩書を持つ上泉伊勢守信綱である。
「邪魔するぞ」
「旗本の準備は整った、船着き場に動き始めたでござるよ」
「父上は?」
「河畔の仮陣所で待機しておるよ」
信綱は当代屈指の兵法家と呼ばれるようになった武芸者で、元は箕輪長野家の家臣だった。4年前、山内上杉家が堀部領になった田上城に攻め寄せた際に、主の長野業正が討ち死に。その直後に起こった御家騒動に嫌気が差して出奔。憲政の直臣となり、堀部家の庇護を受ける切っ掛けを作った。
その縁で今も憲政を後見し、大沢宿の狐御殿で狐たちや将兵に剣術・槍術を指南している。自分が免許皆伝だった陰流を発展させ、新陰流を創始し、宿内に道場も設けた。
信綱の姿を見ると、於佳津と紗絵は上機嫌になる。
「信綱さんに任せておけば、旗本の用意は万事大丈夫ね」
「伊勢守殿には、西軍に居残った旗本衆を率いてもらいますね。上様は一緒にゆるりと橋を渡ってきてくだりませ」
憲政が紗絵の隣の床几に腰かけると、信綱はその横に跪いて、於佳津と紗絵の言葉に頷く。
信綱と彼女たちは肉体を契る関係ではないが、剣術・体術の好敵手として互いを尊敬している。信綱の実力は、呪いを肉体の強化だけに限定した於佳津や紗絵と同等。稽古での勝率で言えば、於佳津に対してやや優勢、紗絵に対してやや劣勢というくらいだ。
信綱も久々の戦場に気分が高ぶっているようだ。
「久々に攻め手に回るので、緊張しておりますぞ。実戦で槍を持つのも久々でござる」
「御師が緊張するくらいなら、余も一段と気を引き締めないとな」
憲政は今や信綱を家臣扱いしない。憲政の鍛錬は進み、免許皆伝とはいかないが、実力で新陰流の高弟に君臨している。
信綱は事あらば於佳津や緒江の暴走を留めるつもりで、大沢宿の領主である和華の禄を食んでいる。だが、今は憲政を助け、結果として九尾の狐に力を貸す格好になっている。
旗本衆は普段からの武術の指南により配下も同然。憲政も居れば、統率に不安はない。
「では、わたしたちはそろそろ参りますね。憲政様」
「堀部のお殿様の真似になるけど……それでは、各々抜かりなく……ね」
狐御殿の女たち5人は床几から立ち上がり、着物に袴姿のまま、それぞれの得物を手に陣幕から出て行った。