03 仲間はいつだって大事(1)
「夜は半分物の怪のわたしたちには、心地良いわね」
3月1日、酉3刻(18時)。於佳津が目を細めてつぶやく。鴻巣館の真西に置かれた堀部の本陣は、活況を呈していた。
日は沈み行く。まだ夕暮れ時だが、どんどん空が暗くなっていく。
篝火、焚火、松明、蝋燭、いろいろな油を使った灯明は、昔から用いられている。しかし、人の営みのすべてを夜まで続けるには、明るさが足りない。例えば、力仕事の現場で距離感が狂ってしくじれば、怪我をしかねない。足元・手元が暗ければ、とんだ失敗を招くかもしれない。夜は決して安心できない。だから、人の営みは夜明けの少し前から始まり、日が沈むと休息を取るようになっている。
生暖かい夜。今日は空も晴れわたっていて、夕焼けの反対側の空では、星がきれいにまたたき始めた。月がない朔日だから、一段と星の光は美しい。
それだけに、一段と足元が危うい。
冷静沈着な於佳津のつぶやきが続いた。
「だからこそ、相手の虚を突くのにはもってこいなのよね。火を使わずには動けない。火を使えば、一段と目立ってしまう。すぐにばれる。だから攻めてこない。守る側はそう思いたがる」
堀部の本陣は、小高い丘上の神社の境内にあった。建物の背後に当たる西側に林があったが、それ以外の周囲は開けていて塀もない。見晴らしがよい。東にある鴻巣館で点火された篝火や見回りの兵たちが持つ松明の灯りまで見通せる。
彼女たちのいる場でも篝火が焚かれ始めた。
緒江が悩ましげな表情で、於佳津に応じる。
「お姉さん、真面目すぎるわ。この時刻なら、もう気持ちいいこと三昧にしたいよぉ……」
於佳津は床几に腰掛ける緒江の背後に周り、抱きしめてやる。鴻巣館の方を見やりながら、緒江の耳に囁くように諭す。
「わたしだってそうよ。でも、あそこにもう一つのお仲間がいるのに、指を咥えて見てるわけにもいかないわ。だから、紗絵ちゃんだって、軍議で頑張ってくれたんでしょう」
緒江がうっとりした表情を浮かべ、黙ってうなずく。於佳津がその耳の縁を咥えて、軽く吸い、緒江の表情はさらに酔ったようになる。
その艶っぽい光景を横目に眺めながら、紗絵は申し訳なさそうな顔で2人の少女に話しかける。
「茉ちゃんも、涼も、わたしのせいでお預けになってるから……早く殺生石を解放しないとね」
上野国・板鼻の関東管領御座所にあった殺生石の破片は、茉か涼に憑りつくはずだった。しかし、紗絵の憲政を守りたいという執念が、呪いの力量差を超えて殺生石を引き寄せた。紗絵が半人半狐の姿になったのも、そのせいだ。その言葉に2人が相次いで答える。
「いいのいいの。それに、紗絵ちゃんに憑りついた殺生石は、呪いの力が少し弱い。少しでも強い殺生石に憑りついてもらった方が嬉しいわ」
「うん。紗絵様はすごい武の力を持っている。それを活かせているのだから、それでいいと思います。あたしも茉様も、呪いの力が強い方が嬉しいです」
紗絵に対して気安い調子で話す茉は2歳上で、元々は忠久と同格だった津山家の姫。かしこまった口の利き方をする涼は、紗絵と同い年の百姓の娘で、気おくれがあった。ただ、どちらも言葉に、先を越していった紗絵へのやっかみが混じる。
紗絵は苦笑交じりに聞き流した。お互いに憎悪や嫉妬はない。紗絵も殺生石を取りに行くために軍議を引っ張ったことで、2人に恩を着せるつもりもない。彼女たちは、自分にとっての「側近」なのだし。気持ちを押し売りしてもしょうがない。
実際、3人の仲はいいし、おしゃべりだって途切れない。今だって、紗絵と揃いの薄紅の着物と濃い紅の袴を2人も着けている。髪飾りもお揃い。お互いを思う気持ちは強い。
忠久譲りの瓜実顔・切れ長の目の紗絵。やや丸顔に目鼻ともはっきりした茉。その中間の卵型の細面に低い鼻で愛嬌のある涼。3人の顔は似てないが、「姉妹みたいだねー」と緒江もよく言う。緒江だって成長を止めているから、紗絵や涼と同い年くらいに見え、茉が年長に見えたりするのだが……。
2人は紗絵の側用人という役も与えられ、普段から紗絵の政務や軍務を助けている。紗絵は敵を冷酷に見下すが、情緒が豊かだ。涼と茉が狐に憑かれる前に2人と関係を深めた方が良い。憲政と紗絵は相思相愛だが、大沢宿の女たちの乱れた性のなかでは、茉や涼も側室同然だし、3人ともお互いに乳繰り合う仲だ。3人が苦楽を共にして、密な関係になればよい。於佳津と緒江の目論見は成功していた。
「何はともあれ、軍議で具申したように旗本衆は100人連れて行けばいいわよね。そのうち呪い師たちは10人全員ね」
紗絵が確認する。上杉の旗本衆を動かす将の立場にあるのは、於佳津でも、緒江でもない。紗絵だ。
於佳津と緒江は、大沢宿の領主である和華には仕えるが、憲正や忠久に対しては、盟友という立場を貫いている。紗絵を助力する年長者として於佳津と緒江は参加する。
軍議での決定は上杉の旗本と大沢宿の勢力だけで、足利晴氏の鴻巣館を襲うこと。自分たちと選抜した将兵による襲撃。鴻巣館を火の海にして、その間に晴氏を捕え、幽閉もしくは追放する。戦いの間に、晴氏が死んでもしょうがない。
古河公方を幽閉か、死か、どちらかに追い込めば、関八州の合従連衡の主導権を握れる。たとえば、晴氏に反旗を翻した、自称・小弓公方の足利義明を公認し、里見陣営もこちらに引き込んでもいい。柔軟に交渉できる。だから、父親は紗絵の提案を飲み、関東管領である夫もお墨付きを与えた。
「ともかくさっさと寺を燃やして狼煙をあげちゃいましょ」
「腕が鳴るわ」
茉も涼も楽しそうにいう。
鴻巣館を火の海に……というが、彼女たちにはその前にやることがある。彼女たちにとっては、鴻巣館を襲うのは「ついで」だ。鴻巣館のすぐ北にある芳春院(後の徳源院)という寺院を焼き払うことこそが、彼女たちの何よりの目的だ。
そこには大切な仲間の片割れが眠っている。
緒江のようになりたい。あわよくば於佳津や紗絵のようになりたい……心身ともに於佳津と緒江の虜にされている少女2人の思いは同じ……。
ここで成功し、次も上手くいけば、揃って狐憑きになれる。紗絵はそれを叶えるために、全力を尽くそうと思っている。