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02 軍議ってやらなきゃ駄目?(2)

 紗絵の浮かない顔を見て、彼女の夫、上杉憲政は軍議をかき回そうと決めた。


「この際、しょうがない。鴻巣館に討ち入って、御印みしるしをいただくしかないのではないかな。なあ、義父上ちちうえ


 上座の左側に座る少年は、にこやかな笑顔で発言する。

 お調子者だ……。異形の妻である紗絵よりも酷い。

 本来、関東管領とは古河公方の統治を補佐・代理する役職だ。あからさまに下剋上を口にするのはあんまりだ。

 武将たちは例外なく、そう考えた。

 だが、憲政がそう言ったのも、わざとである。場の空気を読まない世間知らずの愚かな神輿……彼は自分の役割を知っている。場が和めばいいのだ。

 忠久を家臣扱いせず、「義父ちち」と呼んだのも、場を無礼講にする合図だ。

 

「まあ……困ったもんよ。関八州のまことの武家の棟梁として、わしらに膝を屈することはできんということだな」


 忠久がざっくばらんに娘夫婦に語る口調になる。「義父上」という言葉に呼応したのだ。身分的な上下関係をいきなり崩す。それで家臣たちの発言をしやすい雰囲気を作るのだ。


「長い籠城戦になると後詰めが怖いですな。公方様に味方するのは、常陸の佐竹、下総の結城。下野の小山、宇都宮、足利長尾。この5家で、合わせて2万や3万、出兵してきてもおかしくない。今の公方様の布陣は、城に1万、館に5千。北側の上野衆の背後を突かれ、城方の出戦で挟撃となれば、かないませんぞ」


 忠久の発言を受けたのは、上野国を統括する立場にある元・三席家老の中山右馬正だ。彼は指折り数えながら、周辺の勢力を確かめる。彼が挙げたなかで、結城や小山は1日で兵が古河に達する距離に本城がある。大きな不安だ。

 中山氏は代々堀部に服属していた割と大身の国侍だった。堀部家とは遠い姻戚関係もあるし、今は中山の総領息子に紗絵の実の妹が輿入れして準一門扱い。厩橋城主に抜擢された。上野各地には、長野氏、長尾氏をはじめ大小さまざまな国衆がいる。紗絵と旗本衆が平らげたとは言え、一癖も二癖もある連中である。服属したそれらの調整役だ。

 今、上野衆3万の大将はこの男である。将としては守りに強く、俯瞰的に戦局を判断できる力を忠久に買われている。


「北条も、小弓公方と里見、扇谷の間を抜こうと岩付城に兵を出す可能性もなにしも非ずですな。ただ、そっちは太田勢が健在だし、松山城の難波田も助けるでしょう。後詰めの方は腹を括って順々に片付ければいい」


 そう応じたのは、堀部家戦奉行の佐々木和泉守。忠久の緻密な策を支えてきた軍師であり、堀部が台頭する切っ掛けになった氷室城戦役で津山兵部大輔を討った。知勇兼備の将だ。

 南側で晴氏に味方する勢力、北条の出てくる可能性を指摘……その一方で、戦術眼に優れた男だから、やってくる救援の軍勢を各個撃破すればよいと提案したわけだ。


「背後で面倒を起こされれば、どんな齟齬が起こるかわからん。倍とまでは行かないまでも、今はこっちの兵が圧倒的に多い。さっさと城を強襲して片付けた方が良いと思うが……」


 上野衆の1人、安中長繁は見た目のごつさそのままの強硬策を具申する。いきなりの力攻めは粗雑に思えるが、城郭を物ともしない文字通りの「火力」……九尾の狐や呪い師たちの呪い……が堀部家にはある。安中の具申は決して的外れではない。


「いや、もっと楽をしたい。いくらまじないの力があるとはいえ、大戦おおいくさになれば、また兵が減る」


 数少ない堀部一門で、津山領を統治する忠久の従弟、堀部木工正智幸ほりべもくのかみともゆきが議論を引き戻す。堀部一門は策士揃いという一面があり、この従弟と堀部領の留守に残る忠久の弟・大膳太夫は、武器としての弩を復活させ、戦の度に大きな戦果を挙げている。

 すると左手側の列の最上位にいる女が発言する。


「渡良瀬川の船の行き来はまったく停めてしまったし、利根川はわたしたちの息のかかった船しか通行できない。民の生活が逼迫して古河は持ちこたえられなくなる。もう少し楽をしたいのなら、常陸や下野からの援軍は、筑波山の天狗たちを味方に引き込んで足止めできるわ。わたしが出向けばいい」


 紗絵と同じで、頭に狐耳が載り、金毛の九本の尻尾の生えた妙齢の美女。堀部領内で大沢宿を支配する女たちの一人。頭目格の於佳津おかつである。

 薄い藍の着物と黒袴で、凛とした若衆に見える。実年齢は20を超えたはずだが、人面はまだ10代の若々しさだ。大沢宿の童たちに人気があり、狐姫の愛称がある。


禰々子(ねねこ)の一党が利根川から渡良瀬川にやって来たから、舟は絶対に通れない。上野の魑魅魍魎ちみもうりょうや物の怪の類はみんな味方だから、安心していいわ」

「禰々子って本当にいるんだなあ……」


 安中のような強面こわもての武将が、怖気をふるう。禰々子とは、利根川に住む河童の女棟梁であり、狂暴なことで知られている。武将たちも童のころから「禰々子に尻子玉を抜かれるから、利根川に迂闊に近づくな」と言われて育ってきた。


「ええ。あの子の配下の河童たちって、水軍になくてはならないわね。これからも魑魅魍魎や物の怪を使っていくわ。厩橋のあたりは、もう慣れっこでしょうけど」


 そんな妖怪でさえ子ども扱いなのが、九尾の狐たちだ。因みに、魑魅魍魎というのは、魑魅ちみが木の精や森の精、魍魎もうりょうが石の精や川の精である。

 於佳津の言葉に、厩橋を支配する中山は苦笑する。実際、そうした超常の存在に慣らされてしまったからだ。

 氷室郡戦役のあった天文元年、厩橋は利根川の大洪水に遭い、堀部家が上野国に進出するまで復興が進まなかった。厩橋城のある丘の東側を流れていた利根川が、水が引いたら西側に流れていたというほどで、激しく地面も削られた。

 上野国内の乱や元々の支配者だった厩橋長野家当主の死による混乱で、復興は一段と遅れた。

 そこで中山が厩橋に入ったときに、九尾の狐たちが力を貸した。力で屈服させた物の怪たちを手なずけ、復興に役立てたのだ。魑魅魍魎や物の怪の力は、人の手ではどうにもならない大きな土木作業で力を発揮した。岩や切り株を砕く、丸太を運ぶ、土を掘って盛る……などなど。

 無害有用なら、異形でも人は慣れるものだ。於佳津たちは大沢宿での経験でそれを知っていた。今は異形の者たちを頼りにする声が、厩橋の周りでは大きくなっている。

 すると、男装の女たちのなかで於佳津の次に年嵩の女……と言っても、見た目はせいぜい15歳の紗絵と変わらぬ少女が、甲高い声で煽るようなことを言い出す。


「だいたい、あなた方が戦で楽をしたいって言うときには、わたしたちが大変になるのよね」


 なりは普通の美少女だが、この娘にも九尾の狐が憑りついている。緒江おこうである。着物と袴の色合いは朱に近く、着物には花をあしらっていて一段と派手だ。19歳のはずだが、紗絵と同い年の少女に見える。

 遥かな過去、九尾の狐が倒された時、力を温存・回復するために殺生石という瘴気を振りまく石に変化へんげした。その殺生石を高僧が砕いた結果、九尾の狐は大きな5個の破片に乗り移って、5つの人格に分かれた。

 今は3つの石から3体の九尾の狐の霊が甦り、元は氷室城下の町娘だった於佳津、田上城そばの久保多村の百姓娘だった緒江、氷室城主・堀部忠久の長女の紗絵に、それぞれ憑りついた。

 緒江は心身までは融合はしていないが、3人で最も強い呪いの力を持つ。関八州でも一、二を争うまじないの器の持ち主である。今のところ、彼女を単独で押さえられるのは、大沢宿に住む陰陽師のおせんだけだろう。それも、四聖獣の1つである朱雀を呼べるからだ。

 その緒江に憑依している九尾の狐「こだま」が全員の心に直接念話で話しかける。


(館も城も燃やし尽くせばいいし、それは簡単。もっとも、わたしたちは鴻巣館を焼くついでに用を足せればいいの)


 於佳津も、緒江も、紗絵も、出会った味方の武将には呪いの力の「入り口」を開ける。だから、この座にいる武将たちは、少し気を集中させれば、緒江の背後に黒い霊気をまとった大きな狐が座っているのを見ることができる。

 こだまの念話に和泉守が疑問を投げる。


「用とは?」

「鴻巣館の北の寺に、殺生石の破片が眠っているのよ」


 於佳津の素っ気ない返事……。


「また九尾の狐が増える」


 堀部の武将にとっては、それはうんざりする事実だった。強い、頼もしい……それはそうだが、自分たちでどこまで制御できるのか。「お館様(忠久)も上様(憲政)も考えておるのか?」と武将たちの不安は底知れない。


「わたしたちにとっては、それ以外、あまり意味がないのよ、この戦は……」


 そう言ったのは紗絵だった。武将たちが苦笑を深めたのは、敬愛する姫の発言がすっかり狐色に染まっているからだ。


「於佳津姉さん、緖江姉さん、まつちゃん、りょうちゃん、わたしたちだけで、鴻巣館に討ち入っちゃわない? 憲政様の言うとおりにすればいいのよ」


 紗絵は視線を左手側の女たちに注ぎながら、事もなげに言った。公方の首を取るだけなら、実のところ造作もない。彼女らにとっては、砕けた殺生石の破片をこの世に復活させることが大事だ。古河の後のことを考えなければ……。

 だが、諸将にはその真意は伝わるまい。憲政へのべた惚れがそう言わせているのか、父親も惚れ込む軍略の才がそう言わせているのかと思うはずだ。

 退屈そうだった紗絵の表情に楽しげな笑顔が浮かぶ。

 関八州の地図を一気に塗り替えよう。そんな策が彼女の頭の中には浮かんでいた。父が領地に欲しがっていた海に面した土地を手に入れることにもなる。古河公方を排除するのも、その最短距離を行けるからだと理解すれば、父もこの策を支持するはずだ……紗絵には確信があった。

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