25 金龍の守護する地で(1)
江戸城内の平川天満宮を打ち壊すと、於佳津たちは北の門を抜けて、湯島天神へと向かった。そして、そこでも狼藉の限りを尽くし、社殿を打ち壊し、火をかけた。宮司たちに手をかけずに追い散らしたのは、情けというよりも、時間の無駄を省くためだった。
そこから神田明神まで歩いて四半刻のさらに半分(15分)程度。夜目に強い狐に足の乱れもない。境内に移動していた旗本衆と落ち合い、無事を喜び合う。
旗本衆の人手を借りたおかげで、神田明神での狼藉行為はあっと言う間に片付いた。結界が本格的に崩れたせいで、地面の揺動は強く、短い周期で起こるようになった。
そこへ将門たちが江戸城の掃除を終えて、移動してきた。
「中城は本当にとどめを刺して歩くだけで済んだわ。どれが城代の遠山綱景かわからなかったけどね。外城は太田資高が家臣も家族も廓の庭に待機させていたから、死人が少なかったわね。一族郎党が数十人ほど生き残っていてて、助命を願い出てきた。面倒だから、刀槍の類を奪って城外に放ったわ」
【1人2人でも、あんな殺し方をしたら、降参したくなるのも当然じゃな】
「やったのね、尻子玉を抜くってやつ。まあ、金龍が復活したらどうなるか知れないし。早く来てもらってよかったわ」
「それじゃあ、これで完全復活ね」
江戸城の様子を禰々子や憲政から紗絵が聞いてる横で、於佳津が両手で招嵐剣を抜く。そして、逆手で柄を持つと、すっかり破壊された神田明神本殿前の広場の地面に、思いっきり突き刺した。
これで金龍が自身の力で動けるようになる。浅草寺の下から頭を引き抜きける。
平川天満宮を打ち壊し地面を割ったせいで、金龍の尻尾はお構いなしに地面を揺らした。今は尻尾の先の方が地上に出ている。体長は文字通りに長大だ。江戸城から浅草寺までの距離を考えれば、2里はあるはずだ。
紗絵のすぐ右横には憲政がいて、彼を挟むように茉が立っている。彼女の背後では、地面に座り込んだ将門の霊に葦が寄り添い語り合っている。
【人の信心を上手く操れなかったからな。長い時間かかった】
<そうね。他の狐たちに関しても、あんたに従わせるという思惑通りにならなかったけど……。これでいいでしょ? これで地面が割れれば、金龍は蘇り、あなたも好き勝手に動けるようになる>
【ああ。そうだな】
怨霊になったがゆえに、霊的に護られている寺社には手出しができない。特に時宗は、一切念仏という厄介な教義を持つ。信徒が始終、道場で念仏を唱えるようになる。怨霊伝説で怖がられれば、念仏を唱える者も途絶えると思った。しかし、見通しが甘かった。武士の間では英雄扱いされ、恐怖は中途半端になった。民の中にも、神田明神に願掛けにくるような者が続出した。芝崎道場に集う連中も将門を尊崇し、将門の成仏のために念仏を唱えていた。江戸に拘束されてしまう所以である。
「手応え、あったわよ」
於佳津の剣が生んだ衝撃波が地面に裂け目をつくり、金龍の胴の深さまで達した。彼女が剣を引き抜くと地割れが北東と南西方向に生じる。そこから鮮やかな黄色を帯びた光が、湧いてくる。
……ゴゴゴゴゴ……
地面が鳴動する。重い地鳴り……尻尾の方が動けるようになったせいで間欠的に生じていた地面の揺れが、さらに細かく連続して生じる。
……メキメキメキメキ……
そしてついに、江戸城の方角へ走る地割れの部分がめくれ上がる。すごい音とともに、地中から金色の柱が立ち上がるような光景……。
輝く鱗に覆われた胴は、そうやって地上に現れるとしなやかにのた打つ。
「大手門の北の千代田村も駄目ね。あれじゃあ、立ってる家は残ってないわ。人の住む所の再建、どうしようかしらねえ」
狐の目には、遠くの闇の中で倒れていく家々と立ち上る土煙も見える。それを見た於佳津のぼやきに応える者はいなかった。他の4人や禰々子、憲政には、於佳津のように軽口を叩く余裕はなかった。
出てきたものが巨大すぎる。胴の周りは丸太どころではない。樹齢数百年の巨木を思わせる太さだった。体の長さはどれほどになるかわからない。江戸城と浅草寺の距離がに思い当たって、誰もが呆気に取られた。
思わず後ずさった一行の直前のところで、後ろ脚が地上に出た。地に足が着き、蜥蜴のような脚に踏ん張る様に力が入る。すると、北東から南西へと少しずつ後ろに身体が抜け始める、足の位置も南西へずれていく……そして前脚も地上に出ると、4本すべてで踏ん張る。
……ゴゴゴゴゴ……ボコッ!
地鳴りとともに地面の裂け目が大きく広がる。そして、裂け目の左右の土が大ききく盛り上がり、跳ね上がる。ついに長い首から頭までが土中から出現する。
《うっはぁ……やっと出れたぁ……》
「おっきぃ……」
涼が龍の大きさに唾を飲み込みながらつぶやく。念話の声は、太った中年の女のようだ。甲高くなく、やや低め。だが、はきはきしていて商店の店頭で働いている風な気安さが感じられる。
《普段通りだと、人には大きすぎるわね、この体……。ちょっと待って》
「あは……かなり親しみやすそうな龍ね」
【わしと同様で、そういう方がいいじゃろ。扱いやすくて】
《ちょっと気を配った言葉遣いをしなさいよ。これでも黄龍様の眷属の中では、一番格上なのよ》
土中から甦った金龍の1里以上はあった体長が縮んでいく。
地表に出てくるまでにあれだけ地面を揺らしたのだ。眠ることもできずに神田明神の辺りを眺めて、金龍の姿を目に留めた者も多いはずだ。
「すごい言い伝えになりそうね。あなたの復活。千代田村が全滅しちゃったけど。神田界隈には小さな集落も多いから、大勢が見てるはず……」
於佳津が楽しそうに話しかけるときよりも、縮んだことは縮んだが、それでも100間ほど(180m)。胴回りも牛馬より太い。
《そんなことはどうでもよいの。いい? 今後わたしは、あの城があった台地を根城にするからね。あんたらが助けを必要とするなら助ける。江戸という土地は、あんたらの敵の手から守る。蘇らせてくれた恩義があるからね。それでいいかい?》
店の気っ風のいいおばちゃんが、売り込みで声をかけてきたみたいだ。単刀直入過ぎて、於佳津はくすりと笑う。
だが、勢いや迫力が違う。ほかに苦笑を浮かべているのは将門くらいだ。不敵な緒江やこだまでさえ、本物の龍の雰囲気に呑まれている。
【ほとんど神獣様だからな。従うしかないな】
「この国の神様と、四聖、黄龍、麒麟くらいしか敵うものなし。そう思っていいんだものね」
《あら、意外と謙虚だね。九尾の狐といえば、この国を乗っ取ろうとした大妖じゃないか。最近は、朱雀とも5分に渡り合ったんだろう?》
「あら、聞こえてるんだ、そんなことまで」
《殺生石が蘇ってから、色々な妖気や神気の流れは伝わってるよ。それに近づいて声をかけてくれる眷属もいるのさ。土龍とかね》
「皮肉よね。大妖呼ばわりのわたしたちと怨霊のあの人が、あなたを助けたんだもの」
《だから、言うことは聞いてあげるさ。関八州を見守りたいしね。ここまで陸地ができて「ざまあみろ、綿津見め」という気分だよ。あっはははは……》
話を聞けば将門の予想した通りだ。ただ、ずっと昔だ。
《だいたいで、5、6000年前のことさ》
関東平野の大部分が海だった。地面は今の山の中腹より上が覗くくらいだったそうだ。
金龍は五行の土の化身。この場の周辺の地形の良さを見込んで、陸地を作ろうとしたらしい。そうしたら「海を埋めるとは何事か」と綿津見神が激怒し、水の化身である玄武も出てきて、争って敗北。今の場所は浅瀬の海底で、そこに埋められてしまったそうだ。
ところが世の中のすべての海が後退していった。怜悧な於佳津や将門の頭脳でも理解しがたいが、世の中全体が寒くなったせいだという。お天道様が弱くなったらしい。人間の知らないところで膨大な水が凍り、海の水が減ったそうだ。
海の水が減ったところへ、川から多くの土砂が運ばれた。富士の噴火などで灰も大量に降り注いだ。そうして年月をかけて、関八州は台地の目立つ広々とした平野へと育った。
そこに住み着いた人間が金龍を封ずる形で祭祀を行った。神々の差し金だ。蝦夷たちも、その後にやってきた和人たちも。特に和人たちは、寺を次々建てた。本来は木の化身で蛇神である青龍の眷属たちを、土着の龍神として崇め、神社もどんどん作った。
《房総や常陸、北武蔵の谷筋まで海の水が入り込んでいた。あんたらの住まいがある大沢宿のあたりも、海の岸辺だったのさ。土を深く掘ったら、魚の骨や貝殻が出てくるよ》
【そんな昔のこととは、わしさえも驚くばかりじゃよ】
「姿を消すことはできるの?」
《しばらく、呪いの力を貯めないと駄目だね。力は漏れ出ていきこそすれ、結界のおかげで入ってこないから》
「じゃあ、江戸城の台地に、楽々寝ててちょうだいな。わたしたちが不可視の結界を張らなくてもいいでしょ?」
《あはは……寝てる間も働かせるつもりだね。江戸太田勢は小机城(現横浜市内)に退く。この辺りの連中は、北条になびいているから、落ち武者狩りはない。無事にたどり着けるさね。そうなれば、事態を知った北条の連中が、城を取り返しに来るかもしれないからね》
「ええ。あなたがあそこで寝てる姿を見れば、誰だって攻める気が失せちゃうわ」
《いいね。神獣・聖獣や式神、物の怪の並外れた姿や力を見せつけながら、戦や政をやっていくんだね》
「うん。今、あなたは呪いの力を回復するまで、寝てればいいだけ。楽でしょう?」
《姿を消すんじゃなく、いろんなことができるようになるために……だね》
土の化身が土中にいたとは言え、結界に封じられ、縛められている間は、神との争いで失った力は戻らない。解き放たれた今、地上で休んだ方が良いに決まっている。
「明日の朝、南の郭(外城)に兵を入れてもいいかしら?」
《ああ、構わなさ。人がちょっと騒いだくらいじゃ気にもならない。よっこらしょと……》
飛ばないのも呪いの力が足りないせいだろうか。金龍は南西に振り返ると、ずしんという地響きを立てながら、ゆっくりと江戸城の方へ歩き出した。