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19 人であること、武家であることの不運(1)

【江戸城周辺拡大図】

挿絵(By みてみん)


<前話の四半刻(30分)前>


 江戸城内は騒然としていた。

 一昨日の朝、古河の密偵から急報がもたらされた。武蔵の北西で勢力を伸ばした堀部家が突然、古河に攻め入ったという。そうしたら昨日の夜明けには、古河公方・足利晴氏が討たれたとの報だ。間を置かず、総領の藤氏、舅の簗田高助も捕らわれたと早馬が来た。

 事態は逐一、小田原にも伝えた。返事を待たず、出兵の準備も整え始めた。

 とはいえ、江戸城で動員できる総兵力は、3城代の配下・与力を合わせて3000人。

 各所に散っており、昨日今日で寄せ集めて、まだ1800人。番兵や内政の役人は残さねばならないから、出撃できるのはまだ1500が関の山だ。

 そうしたら今は、城下の膝元、平川の向こうにある芝崎村で騒動だ。北武蔵と上野こうずけで評判の九尾の狐たちが突如、舟に乗って現れたと訴えが城に来た。

 江戸城の外城(南の三の丸)の城代第三席の太田資高が、北の子城(本丸)の本殿に駆け込む。報せを受けて本殿に来て見れば、その主である城代主席の富永直勝、中城(二の丸)の主で城代次席の遠山綱景は、既に最も高い3階建ての櫓に登っていた。


「何か変わった様子はござるか?」

「芝崎村の時宗の道場が打ち壊され、火が出ておるようです。何かが破裂するような音が立て続けにしました」

「煙が立ち上ってるでござる」

「ここまで来るのに、城兵たちの落ち着きがなかったでござるよ……うーん……」


 櫓で直勝や綱景に声をかけながら、資高も彼らが見つめる方角をみる。2人の声には憂いが滲んでおり、事態は明らかに悪い方へ進んでいる。

 城代のなかで資高の席次は一番低いが、最年長だ。直勝も綱景もまだ20代だが、資高は40歳と年嵩で、2人の亡父が存命中からの仲である。富永家は北条の精兵である色備え衆、遠山家は早雲の同志であった御由緒衆に連なる。外様の江戸太田家は、北条家内での家格は低い。

 しかし、資高は2人にとっては頼りになる軍師で、言葉使いにも敬意が表われている。

 資高が腕組みをしてうなったが、筆頭の直勝は意を決する。


「兵を出すしかないですな。何があったにせよ、確かめて止めなければ」


 富永家は闘将の家柄であり、対上杉、対里見、対小弓公方の戦いで、多くの武功を立ててきた。出撃することに躊躇いはない。

 一方で遠山家は家格が最も高いが、綱景はこの中では最年少者で、役目の上位者である直勝を自然に立てる。涼やかな顔の知将肌の男だが、兵事には積極的だ。だから、あっさり直勝に同調する。


「北条家は民治を大切にすることで民百姓の支持を受けてきた。九尾の狐が何者であっても、今の事態をないがしろにはできんでしょう」

「ふむ……」


 資高は腕を組んだまま、しばし黙考する。彼の祖父は扇谷に謀殺され、父も罠に掛けられたという噂が絶えない。それ故に扇谷上杉家への復讐のために寝返ったこの男は、北条に恩義さえ感じている。

 長年の戦場経験は、事態の危険を告げていたが、北条の家風は大事にしたい。それに一村の危機を指を咥えて見ていたとあらば、武家が君臨している意味がない。


「ようござるよ。ただし、兵を大きく損じては意味はござらん。臆病と言われるかもしれませんが、退くべきと判断したら、さっさと退くべきでござる。1500の兵を出しても安心はできんです」


 若い2人は素直にうなずく。

 もとより3人とも甲冑姿だ。既に城外に出られる兵は、配下の侍大将たちにまとめさせてある。


「よし、法螺貝をならせ。太鼓を叩け。出るぞ」


 直勝が命ずるや待機していた富永家の旗本が法螺貝を吹き鳴らし、陣太鼓を打ち鳴らす。

 3人は櫓の梯子を滑るように下って行く。自分たちの馬は本殿の入り口に待機させており、ただちに乗馬する。

 富永家の兵約500が北の本丸から出撃したところで、その後尾に3人の城代と各自の側仕えの兵たちが続く。遠山家、太田家の兵各500も、それぞれ中城、外城の城門から出て、富永家の兵に続こうとする。

 行き届いた統率は、北条家の兵の質の高さの証である。元々、武士の本場中の本場、鎌倉を抱える相模の国の支配者なのだ。北条家の武士たちこそ、本当の坂東武者だという誇りがある。


「名こそ惜しめ」


 そんな風にいわれるが、鎌倉武士の末裔、坂東武者にとっての「名」……名誉とは何か。武の証を立てることだ。例え敵が強大でも、あらゆる手段を尽くして戦う。刀を折られ、手足をもがれても、喉笛に噛みついて相手を倒す。それを貫いてこその名であり、ほまれである。

 とはいえ、勝ち目のない戦いを蛮勇で挑むのは、愚か者だ。将であればなおさら。最も好戦的な直勝でさえ、確かな戦術眼を持ち、兵を損じない戦い方を最上としていた。

 そんな3人の視野に、一段と危険な兆候が見えた。

 闘将であるはずの直勝が眉を顰め、綱景も慎重な構え。


「うん……これは?……」

「不味いかな?」

「これは、人ではどうにもなりませんぞ」


 資高の声もうめくようだ。

 北東に見る芝崎村の一番大きな集落の家々が崩れる。そして、それを追いかけるように天空から雷が落ち、火球が飛ぶ。蛇が這うような破壊に、火災が続く。木と紙の焼け焦げる臭いがする。

 雷の落ちる音と光は、名うての侍とて恐怖を感じる。


「あっちは火事の煙と違うようだが……」


 資高が平川の対岸、真東にある橋と将門の首塚の方の異変を発見する。


「うん? 紫色の煙も見える……」


 時宗の芝崎道場が焼け落ちており、まだ燃え残った木材から炎と煙が上がっている。そこに首塚から湧くように紫の煙が地面に広がり始めている。何の煙かはわからぬが、色が毒々しい。無害のものとは思えなかった。

 先頭が平川にかかる橋まであと50間(90m)ほど。対岸の橋の袂の左側に甲冑姿の男の背中が見え、そこに迫ろうとしている若衆が3人。2人の背後に「尻尾?」が見える。あれが九尾の狐なのか。それではあれらは、女子おなごなのか。

 さらに、少し離れたところに、寄り添って立っている人影が2人見えているが、あれも狐なのか。

 何にしても、妖しからぬ雰囲気が漂っている。

 資高が席次の上下を忘れて、歯に衣着せず警告する。


「いかん。芝崎村を見捨てることになるが……平川を渡っては不味い。退こう」

「同意です……退さがって城を固めましょう」


 綱景もすぐに同調する。直勝は自家の兵たちの横に出て、後退の指示を出した。


「退け! 城へ退けえっ!」

「退け! ここは退くぞ! 中城へ戻れ!」


 綱景も振り向いて自家の兵に怒鳴る。

 資高も混乱が起きないうちにと、後に続いている自家の隊列へと馬を走らせる。

 状況を見るに敏で、さすがに一線級の武将たちだ。しかし、人の行うことには限界というものがあるのだった……。

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