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01 軍議ってやらなきゃ駄目?(1)

「どうするかのう……」


 時は天文6年(1537年)3月1日(新暦4月下旬)。桜の季節も過ぎた、うららかな日。緑の繁茂する弥生の関八州の平原の一角。下総国、古河の西の近郊部、渡良瀬川西岸の寺院の本堂広間。幕府の重職である古河公方の在所を攻略するための軍議だった。

 話は弾んでいない。

 つぶやいた男、武蔵国の氷室城主・堀部掃部介忠久ほりべかもんのすけただひさの表情は浮かない。戦国の関八州をかき回し、最近では関八州を統一するのは、この男とまで言われているのだが……。

 その父親が浮かぬ顔で発言するそばで「軍議ってやっぱり退屈」と少女は、どことなく上の空の様子……。


 15歳の彼女には、大人たちが鳩首して話し合うという習慣自体が馴染めない。大切だとは頭ではわかっているけど。

 その少女……堀部紗絵が話し合いを退屈に思うのは、抜群の力と、少女には不相応な地位を得ていることが関係していた。

 抜群の力は、その外見に理由があった。少女の頭には、大きな三角の……狐そのものの耳が乗っていた。その代り、人の耳はない。

 作りは男物だが、色は女性的な薄紅の着物から覗く肌には、金毛の美しい柔毛にこげがびっしり。濃い紅色の袴の臀部には穴が設けられていて、そこからは、ふかふかの狐の尻尾が覗く。それも9本。

 伝説の大妖、九尾の狐の分身の1人……それが彼女だった。

 2年前、紗絵は九尾の狐の分身に憑依され、あまつさえ一体に溶け合ってしまった。そのせいもあって常人離れした身体能力とまじないの力を得た。勇猛な坂東武者が束になって挑んでも、六角鉄杖を振るう彼女に敵わない。

 そして、不相応な地位とは……彼女は広間の最も上座に座していた。上座の右隣には丸顔の落ち着いて、品のある同い年の少年。

 紗絵が父親を差し置いて上座にいるのは、その少年のせいだ。彼女はその少年……関東管領・上杉憲政の正室だから。

 紗絵の父親は、彼女の右手側に居並ぶ甲冑姿の武将たちの最上位にいた。管領家の補佐筆頭である山内上杉家家宰である。

 大妖の力、夫と父の威光……それらに加え、彼女は上杉家旗本衆総取締役であり、兵1000を統率した。軍略家である父親が軍師扱いもし、策略好きの九尾の狐と合体している。事実上、家宰は紗絵であり、父親は「戦略だけ考えれば良くなっている」とまで囁かれている。

 実際、去年、上野を完全平定するに当たって、白井、沼田、草津に出向いたのは、紗絵に率いられたたった100騎の馬廻りだった。それで名だたる国衆、山中の物の怪たちを圧倒した。


「かかっておいで……」


 決まり文句の挑発の言葉を投げかけ、相手に攻めさせ、すべてを防いで反撃……鉄棒で突いて、殴って、叩いて、圧倒する時の冷笑は、悪役風味いっぱい。それが、旗本衆の荒くれの坂東武者たちを心酔させた。


「まさに今巴(巴御前の再来)。紅の着物を好んで着るのは、敵の返り血が目立たないからだ」


 そんなことまで言われている。堀部や山内上杉を敵に回そうという連中にとって、今や「堀部の今巴」は恐怖の対象だ。そんな彼女が自分の意志を貫こうとしたら、停められる存在はまずない。


 だが、立場があるから、面倒な軍議にも付き合わないといけない。紗絵は内心では不機嫌だ。


「障害は壊して取り除けばいい。何を壊せばいいか勝手に決めて、やるべきことさえ伝えてくれるのでもいいのにね」


 障害を壊すのは、彼女にとってはお手のもの。自分と自分の仲間にも……。歴戦の武将たちを前にしても、冷たく、退屈そうな態度を崩さない。そのふてぶてしさに、ここにいる武将たちは、良くも悪くも「かなわねえなあ」と思っている。

 武将たちには「かなわねえ」存在がまだいた。紗絵の視線は彼女たちの左手側、武将たちと向かい合う場所へ流れる。そこには、彼女と同じ半人半妖を1人含む怪しげなる男女が列席していた。

 堀部の本願地、氷室城の近郊にある大沢宿に屯する彼女らこそが、今の紗絵の一族と呼ぶに相応しい。


「公方さまは、こちらに降ってくださらないの?」


 いかにも退屈そうな醒めた表情で紗絵は発言した。丁寧だが、ぶっきらぼうに、言葉を飾らず、公方を下に見て「降る」という語を使ってみる。

 古河公方が関東管領に膝を屈するわけがない。公方は将軍家の分家筋。管領は公方の政務補佐の役職だ。それに堀部の軍勢が古河に到着したのは昨日のこと。まだ一戦もしていない。

 もちろん、公方の軍勢は籠城の構えである。まったく不意打ちの進軍だった。堀部陣営にしてみれば、大きな理由はあったのだが、公方にしてみれば、「脈絡がない」と言いたいくらいだ。

 それでも、公方はぎりぎり持ち堪えられそうな兵数を整えていた。自分の舅で関宿城主の簗田高助に援軍を出させて間に合った。これから周囲の大名・国衆も招ねき寄せる。堀部・山内上杉勢が逆に取り囲まれなかねない。

 だからこそ、しがらみもない自分たちが、さっさと打開すればよい。ただ、やり方次第では、古河が灰燼に帰してしまう……いろいろ試案しないといけないから、軍議に付き合わなければならない。

 当代の古河は、西国では東都と呼ぶ者さえいる。今は武家政権の古都・鎌倉を超える繁栄ぶりだ。そこを壊し尽くすような真似は、もったいない。どうすればいいか。


 古河の繁栄は水運のおかげだ。古河からは江戸湾に向けて、利根川、渡良瀬川、2本の川が流れている。人、木材、鉱物、織物、さらに、日比谷湊や品川湊など江戸湾の方々の湊に着いた諸国の名品・珍品……大きな川舟が物流を作り、そこに公方が居を定めたおかげで、裕福な取り引きの拠点が生まれたわけだ。

 今のところ堀部・上杉の軍勢は、物流を遮断して古河を圧迫している。

 古河には、より東を流れる渡良瀬川の畔に、戦闘の拠点として古河城(現・古河城本丸跡付近)がある。さらにその南半里(2km)ほどのところに、広大な庭園を伴う公方の居館と政務所である鴻巣館(現・古河公方公園)がある。城下町は両者の周囲に形成され、盛況を極めていた。

 そこへ3万の上野衆が攻め寄せた。上野国から渡良瀬川東岸に出て古河城の北に陣している。南には武蔵国から鴻巣館を正面に見る渡良瀬川西岸に達した1万の堀部の軍勢がある。北武蔵の有力国人がこぞって堀部を支持し、道を開け、すんなり利根川を渡ってきた。

 この2つの軍勢で舟の流れを止め、さらに上野衆の一部を動かして、周囲の街道の人の動きも絶った。

 そうして、公方・足利晴氏の隠居、晴氏の鴻巣館での幽閉を求める書状を、忠久は送りつけた。

 返書はすぐに来た。しかし、書きつけられていたのは、一言のみ。


愚也おろかなり


 足利晴氏は武人として一級というだけでなく、文人としても一流と見られていた。美文調の謝絶の手紙が来るだろうと思ったら、それだけである。美しい書で、掛け軸にして床の間に飾りたいと思うほどなのは流石だったが。


「普段なら『諧謔が効いておる』と父上も大笑してたところね。でも父上は、何より兵を失いたくないという人だから……溜め息も出るわ」


 紗絵の表情もまったく浮かなかった。

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