17 何もかもを打ち壊しちゃえ(1)
「いーち、にー、さーん……」
目論み通りに酉三刻(16時)を少し過ぎたところだ。
100数えたら道場と首塚の打ち壊しを始める……20ずつ数える最後の1人、涼が数を数え始めた。
目の前に首塚。
その背後に、いかにも「道場」という簡素な木造の寺の堂。100人や200人は中に座れるくらいだろうか。
「間に合わなかったら、どういう頃合いで石火矢が撃ち始めるか……」
「じゅういち……じゅうに……じゅうさん……」
気を揉む紗絵……。
そこで遠く北から……
……ドン!……
という破裂音。100間近く北にいるのではないかというくらいの小さな音。だが、それは狐だけでなく、人の耳でも聞き取れるくらいの音だった。
紗絵が晴れた顔でつぶやく。
「ああ、よかった……憲政様、間に合った」
……ガツン……
火薬で打ち出された3寸(9cm)くらいの鉄の缶。元寇で元軍が用いた「てつはう」を、砲で撃つことで遠隔の攻撃を可能にした。ただ、山なりに撃たれたそれは、寺の分厚い板葺屋根を撃ち抜けずに、当たった場所で真上に跳ねた。それが落下してまた屋根に当たる寸前……
……ドォン!……
という大きな破裂音。煙と火が巻き起こり、それが板葺の屋根に降りかかる。木が焦げるにおいが漂い、煙が続いて屋根から上がる。
「なな……何だ?!」
鉄缶の爆発で道場内の念仏が途切れ、狼狽えた男の声が続いた。
……ドン!……
また遠くの破裂音。今度の鉄缶は屋根には届かず、道場の北側の障子戸を突き破ったようだ。
「ひぃ……」
「きゃぁ……」
「これは何?……」
……ドォン!……
「うわぁぁぁ……」
「きゃーーーー」
「逃げろ……逃げろ」
「いや、火を消せ」
「馬鹿言え、さっさと逃げるんだよ」
今度は破裂音とともに、障子戸の内に朱の光がさし、男女の悲鳴が聞こえる。ぱちぱちという火の粉の爆ぜる音。そして、さらにきついきな臭さ。鉄缶の中の黒色火薬が道場内に火を振り撒き、さらに勢いよく飛び出した小さな鉛玉が、中の人たちを傷つけ、殺していた。
南の障子戸もターンと開けられ、内から人が20人ばかり飛び出す。中には傷を負ってる者、火傷を負ってる者、着物に火が点いている者もいるのだか、5人は我関せずだ。
年寄りが多い……媼を犯しても、生気は奪えない。恐怖する魂は美味しいが、後もある。ここは見逃しておく。
狙いが完全に定まっていることを確認したのか、石火矢衆は鉄缶を連射する。残り8発の破裂音が寺の敷地内で響き、道場は火に包まれる。が、まだまだだ。
「じゃあ、中は私が壊してくる」
「うん、お願いするわ」
腕力という意味での力なら、この中で一番強いのは、紗絵である。法力を徹底的に無力化するには、焼いただけではだめだ。
「力よ、漲れ! 水の球よ、われを護れ!」
紗絵は一段と強力になるように、自分の身体に呪いをかけ、さらに、自分の周囲に水壁を張り巡らす。そうして、炎が吹き出る道場に入る。
……がきん……どんっ!……ばりん! ばきっ!
紗絵は本堂に入ると、六角棒を振り回す。本尊を打ち倒し、仏具を打ち壊し、床の間を突き崩す。
長年にわたって、首塚を封じていた念仏の力を貶め、穢していく。
「うん……力が弱ってきた」
紗絵の暴威が、首塚を覆っていた仏の力を消し去っていく。それが於佳津たちに感じ取れた。
……メキ……メキメキメキメキ……
紗絵の六角棒が、柱も激しく打ち据えたせいだろうか。本尊の安置されていた辺りから、本堂が崩れる。屋根にも火が回り、もう手の施しようがない。周囲の建物との距離がある。延焼の恐れはない。
寺の屋根が、本尊のあった辺りから、どんどん沈み込んでいく。
炎の中に崩れ落ちていく建物の中から、悠然と歩いて、紗絵が出て来る。何人か道場内に人体が転がっていたが、生死を確かめたり、救ったりはしない。
「ちぇ……荒事をやると、着物が何枚あっても足りないわね」
革鎧が覆っていないところに、煤がべったりとついて汚れていた。
「ほんとね……返り血だけじゃない。どんどん汚れちゃう。本当に困るのよね」
於佳津が賛同する。於佳津も、緒江も、返り血で着物を汚すことが多く、よく愚痴るのだ。たが、於佳津の表情は打ち壊しの結果に満足げだ。
「じゃあ、塚の方もね……。将門様……どうか、祟らないでね」
緒江が合掌してつぶやく。全員が右手に抜刀する。
「まず、碑を砕く……」
於佳津は太刀の先を天に向け、雲を呼ぶ。緒江は左手を差し上げて、手の上に火球を作り出す。涼は剣を両手で八相に構え、刃に氷雪をまとわせる。茉は、この4人の中ではささやかな威力だが、人を打ち砕けるくらいの圧をもった空気の塊を左手に呼び寄せる。紗絵は手に持った鉄棒を、そのまま碑に向けて腰だめに構える。
「わたしからね」
涼がそういうと、太刀を横に薙ぎ払う。
……ヒュン……
太刀がまとった氷雪が三日月のような形になり、石碑に飛んでいく……
……キーン……
三日月があたったところから、全体が白く凍てついていく石碑……
そこへ、緒江が作り出した火球が投げ込まれる。
……ボウン!……
燃え盛り、これ以上の高温はないという火球がぶつかる……氷雪で冷やされ縮こまった石碑が、いきなり高温で急膨張させられ、衝突の衝撃もすさまじく、全体がひび割れる。
そこに、於佳津が呼び寄せた雲からの落雷……
……ターン!……
閃光ともに腹から響く衝撃音がして、石碑がついに頭頂部から裂けて崩れる。
……びゅん……
石碑の根元の残骸に茉が飛ばした空気の礫があたり、破片を派手にまき散らす。石碑はついに根こそぎに消え去った……。
たん!………最後に紗絵が跳躍する……六角棒を頭上に振りかぶり……落下の速度も乗せて、某の先を石碑の崩れたところから見える、石棺の蓋に突き刺す……。
……ガツン……
鈍い音とともに、棒は石棺の蓋を貫いた……堅固な花崗岩……だが、棒は深々と石板を貫き、四方八方にヒビが走る……。
「中の殺生石の化身よ……この棒を掴んで……一気に引きずり出してあげるから……」
紗絵が言った通りに、棒を何かが掴む。紗絵の強力の呪いはまだ効いている。力任せに紗絵は、六角棒を引こうと、地面に足を踏ん張らせる……だが……
「何で抜けない……くっ……んっ……逆に引っ張られる?……」
「まずい……割るよ……」
於佳津が跳躍して、塚に……紗絵の隣にくる。招嵐剣を振りかぶり、石棺の蓋に振り下ろす。刃こぼれがなんだと言っていられない……
……ガツン……
再び鈍い音……蓋の上にさらに深いひびが走り……
……ドカンッ……
石火矢の火薬のと似たような鈍い破裂音……
「きゃあ……」
「わっ……わっ……わっ」
紗絵と於佳津がその破裂音とともに起こった爆風に弾き飛ばされる……2人は狐そのものの身のこなしで、空中で姿勢を整えるとふわりと着地する。
「やっぱり一筋縄じゃいかないわねえ」
蓋も吹き飛んだ。石棺からは、うっすらとした毒々しい紫の煙が立ち上る。殺生石の瘴気だろうか。
「昔から甲冑だの具足だのって、完成されてたのね」
戦国の今とあまり変わらぬ兜に鎧の武者姿の男。それが右手に抜刀した状態で立ち上がる。どうやって石棺に入っていた? 鎧兜をつけた男だ。長く反りの大きな太刀を手にし、背中には複雑に板材を膠で張り合わせた幅広の長大な弓を背負っている。あの出口では、余計な物を着けていない大人が通るのが精一杯。そこから出てこれるわけがない。
紗絵が思わず、その名を口にする。
「将門公?」
「今さら名乗りが必要か? 言わずと知れたこと。わしの存在を知っていて、この場を打ち壊したのであろう?」
なすび顔、鼻は低め、彫りは深く、目はぎらぎらしている。首と体を凧糸のような太い糸で縫いつけた跡がうかがえる。不敵な笑みを含んだ口元。鼻の下にはひげがたくわえられている。
於佳津が気楽な調子で話しかける。
「あら……美丈夫かと思えば、むさ苦しいおじさんね」
「なんじゃあ……その物言いは。わしを何だと思っている。年ごろの娘のくせに女房どもの毒舌と変わらんな」
「怨霊なんていうから、どんな狂ったやつが出てくるかと思えば、意外に普通ね。というか、その余裕な態度は面白いわ」
「のんびりと、気の利いたことも言わんと下の者はついてこんからのう。それに死んで久しい。何も急ぐことはない」
「ふふふ…さすが新皇さん。でも、正直言うと、あなたはどうでもいい。あなたと一緒に、そこに押し込められていた、わたしたちのお仲間に用事があるのよ」
「これか……」
将門が身をかがめ、左手を石棺のなかに突っ込む。体を起こしながら、左手を引き抜くと、大の大人の手に収まるくらいのごつごつした石が握られている。
「それ……それをわたしにちょうだい」
茉が童のようにねだる。
「簡単にはいかんぞ」
将門は、ひょいとその石を宙に放り投げる。
「待ちなさい……」
紗絵が将門の動きを止めようと、棒を構えて跳ぼうとしたが……
遅かった……将門は軽々と太刀をふり、その刃が「かつん」っと音を立てて、最後の殺生石に当たる。砕ける……いや、違う
その刹那……石にひびが入る。
それは卵のように割れ、中から飛び出した光の筋が子狐の姿を取る。
それは親しげに、将門の左肩にちょこんと座る格好で止まった。