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16 江戸へ突入しちゃおう(2)

【江戸城周辺拡大図】

挿絵(By みてみん)


 舟での旅の最後は大きな出来事もなく過ぎた。

 誰に咎められることもなく江戸前島を回り込み、日比谷入り江に入り、奥へと進む。入り江の一番奥に、平川の河口があり、小さな湊がある。入り江の南にある曰比谷湊や品川湊がいっぱいの時、こちらで荷を降ろしたり、積み替えたりする舟もいる。

 他には内陸には農村、沿岸には漁村ばかり。

 道灌が城下町を作るべく浅草寺との間に縄張り(区画)を決めたらしいのだが、本格的に人が集まる前に道灌は死んだ。扇谷上杉の2代前の当主・朝良ともよしの隠居城だった時期もあったが、商人や職人の集まりは鈍かった。実質的な城下町の千代田村は大きくはない。

 賑わいは浅草寺の周り、日比谷村の周り、芝崎村の辺りに分散していた。入り江の東側の江戸前島には漁村があちこちにあるが、西は原野と葦原と疎林に湿地が多く集落はまばら。北の台地は川沿いに村があるのだが、密に人が集まる場がなかった。芝崎村も舟が入るから、ほどほど栄えてはいても、ほどほど田舎なのだ。


「じゃあ、わたしは川に潜ってるわ。必要があったら助けるからね」


 禰々子が平川の流れの中に潜って姿を消す。

 それを見届け、桟橋に舟を固定すると、紗絵が4人に声をかける。


「さあ、行きましょう、みんな…」


 こういう時、率先して指示を出すのは紗絵だ。紗絵と九尾の狐の一体であるさえこが融合して以降ののりだ。

 於佳津や緒江は当然、紗絵よりまじないの力は上位だ。紗絵の呪いの修業量は、茉や涼にも及ばない。この1年も修業より実戦が先に立つ。空いた時間は、読書か武術の稽古に傾きがちだ。一体化した九尾の狐・さえこの呪いの知識はものにしていても、力をじっくり磨く機会がない。

 実戦での試行錯誤で、他人を鼓舞したり、自分と他人の肉体を強化したりする呪いは得意になった。相手の憎悪を自分に向けさせることや、相手の士気を挫くことも。しかし、それ以外は、常人である茉よりは上というところで、けいと涼を下回る。茉に復活した狐が取り憑けば、呪いでは最弱だ。

 だが、誰もが紗絵を立て、紗絵を支えることを受け入れていた。「異形の物の怪で、堀部の姫で、管領の正室で、旗本の取締で」と立ち回る……。そのうちに自然に上に立つようになってしまった。

 紗絵が先頭に立ち、次に於佳津、さらに3人が続く形で一行が桟橋から地上に揚がれば、遠巻きに人垣ができる。

 ざわつき。溜め息。「あれが狐姫」というひそひそ話。


「2人とも有名みたいねえ」


 緒江が茶化す。平川の東岸。将門の首塚は目と鼻の先である。


「見世物じゃない……と言いたいところだけど、見世物よね、わたしたちって」


 紗絵がぼやきながら苦笑する。紗絵と於佳津の存在は、否が応でも目立つ上に、関八州に噂が広がっている。

 獣人で、抜群の武術で、妖術を使う。それも美女だ。武将の衆道が男同士の絡みなら、それと同様に女同士で絡むことを好む。最後の風聞が広がったことで、領内での人々の反応は微妙に変わった。娘が彼女たちに近づくのを用心する親が増えた。涼の存在が風聞を確かな話だとの裏付けになった。逆に、大沢宿や氷室城下で女中奉公の希望が多くなっている。さらに娘たちからの懸想文をもらうなど、彼女らにすれば愉快なことが起こっている。

 関八州の大きい町では、彼女たちを描いた絵草紙まで出回っている。これまで男女と、衆道の男同士しかなかった春画に、彼女たちと女性の絡みの絵も登場するほどだ。彼女たちは、そういう想像力まで刺激する存在だ。女は男とまぐわって子どもを産めばいい……それで留まらなくなっていた。

 悪いことではない。自分たちと進んで契ってくれる女を、干上がるようにはしない。多くの女からほどほどに生気をもらい、呪いの回復を早めることができるのだし。


「結構、人がいそうね」

「ここと隅田川を結ぶ水路を掘ればいいのにね。それだったら、わたしたちも楽だったし、凄く栄えそう」

「覚えておきましょ。江戸を支配できたら、やってみたいわ」


 平川の河口の舟着き場の周辺は芝崎村というが、町と呼んだほうがふさわしい。それなりに賑わいもある。飲食や物売りを生業にする店も何軒か建ち、暗くなるまで人通りもありそうだ。しかし、浅草寺の門前の方がずっと栄えているのだろう。前島の根元を横切る形で水路を引けば、ここはもっと商売が活発になりそうだ。

 それを試すには……ここを支配しなければ……今は首塚に集中だ。

 東の目の前には首塚。

 西に振り返れば、江戸城がある。城郭としては、東国の建築は西国に及んでいない。上部の構造物は目立たない。2階建て、3階建ての櫓や居館がいくつかというくらいだ。

 今は、南北にも長い敷地を3つのくるわ(いわゆる「丸」)に分け、3人の城代がいる。

 北の子城(本丸)は北条の精鋭である5色の「色備え」の一角、青備えの富永直勝。中央の中城(二の丸)は北条家開祖・早雲の盟友の血筋の御由緒衆、遠山綱景。一番南の外城(三の丸)を道灌の孫で、有力な外様衆となった太田資高。彼らがそれぞれの廓を整備し、居館もそれぞれ建てている。

 彼らに仲違いが多いのなら仕事は楽だが、江戸衆の結束は強くて厄介だ。


「信然さんと五人組もまだ?」

「馬で動けるなら、もう着いていてよさそうだけど……まだのようね」


 自分たちの手駒が着いていれば、背後は備えられるのだが。

 しょうかない。紗絵たち一行は、北に将門の首塚と時宗芝崎道場を見る位置に立つ。


「ほんとに塚なのね」

「昔の人の墳墓だったって言うわ。誰のかはわからないけど」


 話しながら、紗絵を挟んで右に於佳津と涼、左に緒江と茉が並ぶ。

 首塚は土を小山に盛り上げた中に、石棺があり、そのなかに、将門の霊体と殺生石の破片が封じ込められているはずだ。その右隣に時宗の芝崎道場の門があり、首塚の裏にかけて敷地が広がっている。塚のすぐ北にある普通の寺の本堂に当たる道場の建物がある。「阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」の念仏が聞こえる。

 時宗、浄土宗、浄土真宗に共通なのが、この一心不乱の念仏だ。

 塚の上には碑があり、「蓮阿弥陀仏」の碑文。首塚における将門の戒名である。

 5人が揃って首塚に対した時点で、遠巻きにしていた住民たちは、ただならないものを感じた。


「おい! 何をしようっていうんだ?」

「答えないといけないかしら」

「まさか、将門様に何かしようっていうんじゃねえだろうな?」


 好奇心が突如として、紗絵や於佳津が出現したことへの疑念に変わる。しかも、祟り神である将門を怒らせたら……という恐怖もすぐに心の中で育つ。人垣がざわつき始め、それには非難の色が着いていた。


「おい……誰か城に知らせてこい」

「将門様が怒ったら、ただじゃあ、済まねえ」

「所詮、こいつら狐の物の怪だぞ」

「帰れ、帰れ! 俺たちの村をぶっ壊す気かよ!」


 厄介だ……いっそ打ち倒すか?……だが、民草を殺しても、恨みを買うだけで得はない。だが、将門の祟りへの恐怖が、自分たちへの憎悪に変わり始めている。


「しょうがないわね。始めるまで、呪いは取っておきたかったのだけど」


 呪いの素になる生気に余裕があるのは、緒江、於佳津、涼、紗絵、茉の順。将門に備えたい。幻術や心霊を操る術にも長けた緒江と於佳津の生気は十分に取っておきたい。


「こういうところは、わたしの出番ね……」


 中央にいる紗絵が、首だけでなく、体も回れ右させて、住民たちに向き合う。

 にやりと笑いを浮かべる。

 普段、旗本の兵たちを鼓舞すのとは違う。敵に対しては憎悪と恐怖を煽るが、それとも違う。恐怖だけ……紗絵の呪いの質量は於佳津たちに劣るが、感情の操作に長けている。

 どす黒い……ただただ恐い……紗絵の思念が住民たちの心を蝕む。


「あっ……くっ……」

「ひっ……ひいいい」

「うそ……寒い……冷たいよぉ……」

「びぇぇぇぇぇぇ!」


 子供たちには、激しく泣き出したものまでいる。


「下がれ……下がらないと死ぬよ!」

「ひぃ……」

「わあああああ……」


 紗絵の音声とともに、住民たちには、紗絵の背後に巨大な狐の黒い影が見えた。それが紗絵のかわいらしい半人半狐の姿の上に重なるように立ち上り、一丈近い高さになる。

 さすがに動けなくなる者まではいなかったが……。そのくらいに紗絵が呪いの強さを加減している。

 紗絵が棒を頭上に振りかざし、ずいっという調子で一歩踏み出す。


「やべえ……逃げろ!」

「うわわわわっ!」


 蜘蛛の子を散らすとはこのことだ。皆がその場から背中を向けて駆け出した。

 たちどころに構えを解き、あどけない笑いに表情を変える紗絵……

 だが………


「南無阿弥陀仏……」

「阿弥陀仏……阿弥陀仏……」


 紗絵の背後にある道場から聞こえてくる念仏は途絶えない。紗絵の恐怖を煽り立てる呪いは、円状に広がった……だが、道場のなかには及ばなかった。

 振り向きながら表情を紗絵は曇らせる。


「守りが強いわね。この場にいると死にかねないから逃げて欲しいのに」

「思いやられちゃうわねえ。将門さんが、どれほどの怨霊なのか……」


 於佳津の声は冷静そのもので、怖がっていないが……将門の力への評価が高い。


「どうしましょうか。城から城兵が出てきたら、乱戦になりますよ」

[乱戦の方が、美味しく命をいただける。大丈夫、気にしない]

「道場の中の人は、死んじゃうかもだけど、仕方ないわね」

(ふふふふ……緒江が不安がるなんて珍しい)


 不安な涼に、けいが諭す。いつもは能天気な緒江の表情は硬く、こだまがからかう。


「しょうがないわ。100数えて、石火矢が撃ち方を始めなかったら、わたしたちだけで始めましょう」


 ここで復活した狐の憑依を狙うしかない茉は、開き直って提案した。皆がそれに頷く。


「じゃあ、茉の方から涼の方へ。1人20ずつ数えましょうか……」


 於佳津も表情は硬いが、冷静だ。再び紗絵が首塚に向き直ると、於佳津に言われた通り、茉が数を数え始めた。

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