15 江戸に突入しちゃおう(1)
【江戸城周辺図】
「ふーん……あれが江戸城か」
於佳津は舟に座ったまま、つぶやいた。
時刻は正午を少し過ぎたくらいだろうか。今、舟は隅田川の下流。あと半刻で河口に出るだろう。
物見に出るといって空を飛んで行った、こだまとけいの目を借りて、5人は江戸城とその近辺の情景を見ている。
江戸城は高さは10間(18m)ほど、頂上部が南北5町(約550m)、東西2町(約220m)の楕円形の高台を柵や塀で囲って作られている。平野に小さな里山や台地を利して作られた平山城だ。元々は平安の末期にこの地の支配者となった江戸重継という武家の居館だった。
それを80年前(1457年)に、扇谷上杉の名将・太田道灌が城に仕立てた。とは言え、台地頂上部を切り広げ、居館や櫓を整え、城壁を巡らせ、台地の麓に堀となる水路を開いたというくらいだ。
道灌の死は文明18年(1486年)。主家による謀殺だ。臣下の勢力膨張を妬む主君による粛清……下剋上なんかよりも戦乱の世にありがちな構図である。
道灌の息子で江戸太田氏の総領だった康高は甲斐国に落ち延び、しばらく武田氏の禄を食んだ後に帰参。しかし、北条との合戦で討死し、これも実は扇谷上杉による謀殺という風聞がある。扇谷に恨み骨髄の康高の息子・資高は、祖父・道灌の謀殺から56年の時を越えて復讐を遂げた。大永4年(1542年)に江戸城を占拠し、北条に渡したのだ。以後、江戸城と周辺地は、北条の重臣である富永家・遠山家と、元々の城主だった江戸太田家が共同で統治している。
「道灌が作ったから……で、過大評価されているわね」
「於佳津姉さん、かっこいい。道灌を超える名将みたい」
「あら、本当のことじゃない」
於佳津の評価に紗絵が茶々を入れたが、利にかなった城である。
台地の東は海岸が近くて、砂地や湿地、松林も多い。すぐ東に海岸も迫っている。大軍が展開し難い。基本は3方向に気をつければ良い。北・西・南にも水路、池、湿地、台地、叢林があちこちにあり、守る側は陣形やら伏兵やら、いろいろ楽しめそうだ。
(本当に風水はいいわ。本丸が一番北よね。そこを起点に考えれば、北は台地が多く、上野・下野に向かって山になっていく。東は入間川、利根川、江戸川と川に恵まれてる。南は葦原と日比谷入り江から海が広がる。西は武蔵国府や鎌倉への街道がある)
[真上に昇ると、水路や空堀の線や頂点がチラついて霊視しにくい。神社や寺が、田舎のくせに多いせいもあるかな。城内にも神社がある。城は霊的には守られている。物理の力で打ち壊したいわね]
けいは物理という言葉を使った。呪いで人の心を惑わしたり、人の心を破壊したりするのではない。自然の力を起こし、それにより、物に対する理の通りに働きかける。
たとえば、よく使う火球は典型だ。
これは空気と、目に見えない埃の類を掌に引き寄せ、呪いの力で空気を熱して点火。これもまた呪いの力で高速度で敵に向けて弾き出す。
火の神、火の精や霊を呼び寄せる法力や神道、陰陽道の技に対しては、火の神・火の精霊を寄せつけない結界を張るのが守りの基本だ。
だが、自分の呪いで力を操るのなら、それは文字通り物理によっている。霊的な防御に関係なく、外からの力として物に働きかけるわけだ。
雷で芳春院の土台の岩を砕けたのも、そういうことだ。
「日はまだ高いわね。こそこそ夜まで待つのもいやだわ。兵たちもいるわけだし」
「そうね~。別に急ぎはしないけど、夜討ちにする理由もないわね」
於佳津の言葉に、緒江が答える。
正午を過ぎたばかり。河口から江戸前島の先を回って、日比谷入り江に入り、平川の河口……到着は、だいたい申3刻(16時)になるだろうか。日は傾くが、日没までは1刻はある。
江戸城に今、将兵の出入りはない。自分たちの動きは悟られていないはずだ。
古河公方を堀部・上杉が討ったという報が江戸城に届いていればいい方で、北条の本城である小田原城に報せが届くのは、早馬でさらに1日はかかる。
江戸城の備えを強化するのも、今日明日。岩付城を攻める兵が出るとすれば、明日明後日だろう。
どうするか……自分たちはいいのだけど、兵を危地に踏み込ませるのは不味い。
日比谷入り江には、江戸城の南の日比谷村と、さらに南の品川宿に湊がある。さらに、そこここに漁村がある。入り江の一番奥の平川の河口にも漁村と小さな湊があり、荷揚げや川舟への積み替えができる。それなりに繁盛しているのが、こだまとけいの眼から見える。
できればそこにすべての舟を漕ぎ着けたいが、100艘も舟を連ねている。絶対に江戸城にばれる。時間もかかる。舟は艪漕ぎと竿を使う船頭の2人1組で動かしている。海上で竿が底に届かぬ深いところに行き当たると、艪に頼りきりになって速度が落ちるかもしれない。
「いいわ。この時間なら。今さっさと荷を降ろしちゃいましょう」
「面倒なことを先にやって、北条の連中への応対は臨機応変にね」
於佳津と紗絵の会話に、ほかの3人と憲政が頷いて一決。
「船頭さん。浅草寺の付近の舟着き場に着けて。邪魔する奴らがいたら、わたしたちがどかすから」
紗絵がそういうと、船頭は勢いよく頷く。
「わかった」
「荷と兵を降ろしたら、わたしたちだけ、江戸前島を回って、日比谷入り江に入って。平川の河口で陸に上がれば、首塚は目の前よね」
「あら、首塚だけじゃなくて、江戸城も目の前よ。敵の兵も出てくるわ。怖くない?」
「大丈夫だ。あんたらを陸揚げするまで、俺もあんたらの兵だからな。任せておけ」
於佳津は念押しするが、船頭は胸を叩いて約束する。1艘だけなら、そうも目立たないはずだ。そこから舟はすぐに帰せば良い。
「憲政様……いいですか?」
「ああ、ここでいったん陸に揚がるのだな」
紗絵が憲政にして欲しいことを伝える。
憲政と旗本は荷揚げをしたら、浅草寺を占拠すること。
兵糧を警護する槍兵500ほど残し、弓兵、呪い師、石火矢衆、残りの槍兵とともに陸路を首塚まで来てほしいこと。
北条方の兵との接触は避けること……などなど。
「わかった」
「わたしたちは舟で海に出て、日比谷入り江に入るのに1刻半(3時間)はかかります。そちらも荷物を降ろし、荷車を調達するのに1刻(2時間)はかかるし、そこから石火矢を運んで首塚の辺り出るのに半刻(1時間)はかかります」
「ああ。だが、刻限は合わせやすいな」
「どっちが先についても、石火矢で芝崎道場を打ち壊して欲しいんです。道場の北に砲を置いて。燃やしてしまいたい。それぞれに鉄缶が5発……全部で10発用意してあるから、撃ち込んで欲しい。仔細は石火矢衆の侍大将に任せて大丈夫」
「わかった……いろいろ大変そうだが、お主らの希望なら、やってみせる」
「お願いします」
紗絵と憲政が話すうちに、荷降ろしは於佳津と船頭の元締めが仕切って始まっていた。
「そこの組は荷降ろしはいい。西にある浅草寺という大寺院あたりで荷車を召し上げて来い! 人足ごと借り上げて来ても良いぞ! 金ならある。脅し上げてもかまわん」
憲政は幼い頃から管領職にあった。人に命ずるのに慣れている。
大丈夫だ……紗絵と於佳津は、うなずき合って自分たちの舟へと戻る。
「船頭さん。荷を降ろしたらよろしくね」
「ああ……この舟のはもう降ろした。出すぞ」
「あら、あなたは他の舟の指図に残らないの?」
「そんなのは、若ぇのに任せておけばいいんだよ。こんな面白いこと、付き合わないでどうすんだ」
「ふふ……じゃあ、せいぜい楽しんでね」
九尾の狐は人に取り入るのも得意だ。相手が男だろうが、女だろうが。船頭も艪の漕ぎ手も、もう紗絵たちにぞっこんだ。
「わたしも乗せてね」
進み出した舟の縁に、ざばっという水音とともに姿を現したのは禰々子だ。船頭ももう驚かない。
「ほかの河童たちは、あんたたちの旗本に何かあったら助けるつもりで残してきた。わたしだけ平川の流れまで付き合うわ」
「あら、嬉しい」
「あんたたちに死なれて、後味が悪いのもいやだしね。まあ、海の水には慣れてないから、入り江の河口のところまで乗せて行ってね」
「終わったら、たっぷり楽しみましょう。生き残れたらだけど」
思わせぶりな笑顔を見せながら、於佳津は応じた。